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修道院の奥処


 クヌフウタを先頭にして小さな礼拝堂を一周し、元いた場所へと出て来ると、探していたらしい修道士が駆け寄って来て言った。


「ああ、いらっしゃった。では、次は修道院長のところへご案内しましょう」


 一行は中庭へと出て、修道院長のいるという棟へ続く回廊を歩いて行った。

 アフラとアルノルトは驚いて言った。


「中庭も広ーい!」

「ここだけでエーテンバッハ教会の倍はあるな」


 その中庭を横切って、二人の男が歩み寄って来る。

 目を凝らして見れば、それはオーギュストとエルハルトだった。

 目のいいアルノルトが手を上げて言った。


「あれは……オーギュストさん! それに兄さん!」

「オーギュスト?」と、イサベラも驚いた。

 向こうからもエルハルトが大きな手を振っている。


「どうやって中に?」


 近くまで歩いて来て、オーギュストは言った。


「少々迂回させてもらった」

「大変だった。柵を越えたりしてな」


 と、エルハルトはそう言ってアルノルトの肩を叩いた。

 イサベラはオーギュストを睨んで言った。


「まさかこんな神聖な場所を傷付けてはいませんか?」

「勿論です。護衛としてお供致します」


 オーギュストは一礼をしてから一行に加わった。


「貴殿は帯剣しないのか?」


 オーギュストはアルノルトに聞いた。


「帯剣? 僕はまだ騎士ではないんです」

「それは残念だった。しかしいざとなれば近くにいる貴殿が護衛だ。心許ないだろう」


 オーギュストは自らの短剣をアルノルトに差し出した。


「私に勝った証として、この剣を贈ろう」


 その剣は宝飾が施され、かなりの高級品だ。


「頂けません。そんな良い剣ですし」


 イサベラはその宝剣を横から取って言った。


「この人は何でも簡単には受け取りませんよ。一旦私に下さるかしら?」


 オーギュストは畏まるように手を胸に置いた。


「御心のままに」


 イサベラはアルノルトを振り返り、宝剣を持って言った。


「アルノルトさんは、騎士になると言って下さいました。偽りはありませんか?」

「なろうと思ってる。騎士団に入るんだ」

「そう。ならば、この剣が必要だわ。これは騎士の短剣。そして今なら、私が叙任をして差し上げましょう」

「叙任……」

「既に誓いはいただきました。その誓いを守る事の他には何も要りません。ただこの剣を、騎士の礼を込めて受け取って下さい。それよりは、私の届く世界では騎士としての証となるでしょう。これは私からしてあげられる、唯一のことだわ」


 オーギュストが驚いて言った。


「まさか、お手ずから叙任とは。我が国の者なら一生の栄誉だ」


 エルハルトはアルノルトの背を押して言った。


「またとない栄誉だ。貰って来い」


 アルノルトは中庭に出てイサベラの横に跪き、礼を取った。


「受けよう」


 イサベラは微笑んで剣を鞘から抜き、目の前に擬した。


「私が叙任するのは二人目ですが、あれから勉強して、本当に騎士にするのはあなたが初めてです」


 短剣なので、アルノルトには届かず、イサベラも中庭に出た。


「共に国を守るものとして、そして約束の地を守る者として、この剣と共に、あなたに弱き者を守る騎士の任を授けます」


 そのイサベラの姿は白い修道服を着ていたので叙任という雰囲気こそ無かったが、その言葉は一言一言に心が篭もっていた。

 イサベラはアルノルトの肩に短剣の腹で三度触れると、剣を鞘に収め、それをアルノルトへ差し出した。

 アルノルトは片手でそれを掴んだが、

「両手でだ」

 と、オーギュストが言うので、両手で宝剣を受け取った。


「キスするんだ」

 と、さらにオーギュストが言うので、アルノルトは顔を赤くしてイサベラの手の甲にキスをし、

「違う。剣だ」

 と、さらに言われて短剣にキスをした。


「ありがとう。これは想い出の品になる。宝物にするよ」


 そう言ってアルノルトは立ち上がった。


「想い出になれば、こちらこそ光栄だわ」


 イサベラが晴れやかな顔で頷くと、周囲から拍手が沸いた。

 エルハルトやマリウス、オーギュストもそうだが、案内の修道士まで大きく手を叩いている。


「ここでは抜刀禁止ですが、叙任といういい場面に必要でしたので許します。他国の高位の方のようですし」


 修道士はそう頷いた。イサベラは謝って言った。


「すいません。いけなかったかしら?」

「必要があれば許可しますが、次からは許可を得てからお願いします。では、参りましょうか」


 長い回廊を歩き、一行は修道院長のいる棟へと辿り着いた。その棟は図書館でもあり、古い本がぎっしりと棚に並んでいる。


「ここは図書室です。修道院長はいつもこの奥の部屋でご面会になりますので」

「すごい本……」

「蔵書数はザンクトガレン修道院と競うのではないでしょうか」


 本の並ぶ回廊を抜けて、一行は大きな部屋へ通された。

 そこでしばらく待つと、金糸銀糸を散りばめた司祭服を着た、恰幅の良い修道院長が現れた。


「皆さんようこそアインジーデルンへ。私が修道院長のヘンリッヒ・フォン・ゲッティンゲンです」


 修道院長はそう言って、クヌフウタやペルシタ、そしてイサベラと握手をした。ウーリの兄弟や後ろでじっと控えているオーギュストは握手をしなかった。


「さて、あなたがフランチェスコ会の方なのは判るのですが、どちらの修道院の方なんですかな? なんでも若くして修道院長だとか」


 クヌフウタは胸に手を当てた。


「私はボヘミアにあります聖アネシュカ修道院の修道院長として指名され、本部のアッシジへ向かう旅をしております。クヌフウタと申します」

「シスター・クヌフウタ。ボヘミアから遙々ようこそ。他の方々はまたそれぞれ異色の方揃いのようですな。白の修道服はシトー会ですな」


 イサベラが膝を低く礼を取って言った。


「私はブルグントの出身ですので、シトー会です。イサベラと申します」

「ここにあとドミニク会が揃えば主要な会派が揃いますな」


 アフラが手を上げて言った。


「あ、私、ドミニク会の学生です。心は立派にドミニク派の先生派です。ウーリのアフラといいます」

「ほうほう。これで四会派揃ったわけですな。ここは巡礼の地ですから、会派の違う方から、ひいては異国の異教の方までいらっしゃいます。それでもその違いを超えて、その信条を語り合えるのがこの地です。そうした話を伺うのも楽しいものです。さあ、大いに語らいましょう。どうぞテーブルへお着きになって」


 そこには学校で使うような一人用の机が半円に並べられたようなテーブルがあった。ここは教室にも使われるらしい。椅子は少しクッションの良い椅子だ。

 皆がそこへ並んで座ると、修道院長はその中心に座った。その隣にはさっきの案内の修道士も座って話した。


「申し遅れましたが、私は修道士、コンラートと申します。実は君と同じ名です」


 アルノルトはそう言われて意外そうに一礼を返す。


「僕はウーリのアルノルトです。洗礼名が同じなんですね」

「オレも同じウーリのエルハルトです。羊飼いをしています」


 修道院長は言った。


「ウーリの羊飼いさんですか。ウーリの修道院は古いですね。負けるかもしれない。私共アインジーデルンはベネディクト派では最も古い部類の修道院です。とは言え、ベネディクト派は修道院によってかなり大きな違いがありますし、派を名乗っても人によって信仰の目的やその信条とする所は様々なのが実情です。特にここは少し変わっているかもしれません」


 クヌフウタは聞いた。


「どう変わっているのですか?」

「ええ。元々ここは聖マインラートの遺した場所です。聖マインラートは当時暗闇の森と言われ、鬱蒼とした森ばかりだったこの地に小さな教会を作り、そこで隠遁生活をしました。それは自然の中の自給自足生活です。聖マインラートは鳥の巣の卵を食べていたそうで、その時に巣から落ちていたのを助けた二羽のワタリガラスを友としたので、それはアインジーデルンの紋章にまでなっています。その他にもここは狼や熊も出るのですが、そんな獣でさえ聖マインラートとは仲間となり、決して傷つける事は無かったと言われています。それに習い、我々も基本的にはこの地で自給自足の生活をする事を信条としています。聖ベネディクトゥスは神が全ての物の中に栄光を得ているようにと仰っています。全ての動物や自然の中にも神の栄光を見い出し、友として生きる中に理想があると我々は信じるのです。今やこのように大所帯の領土修道院になって理念化してしまいましたが、基本線では一応自給自足を守っています」


 コンラート牧師が言葉を継いだ。


「それでも他から買わざるを得ないものが少しですがありますね。ここでは作らない金物類や自警団の武器類、あと医薬品も買いますね」

「素晴らしいですわ。今逗留してますエンゲルベルク修道院も、同じように畑や牛や羊の放牧をしていますが、なかなか完全な自給自足とは行きませんもの」


 クヌフウタがそう言うと、修道院長は目を丸くして笑った。


「今エンゲルベルクにいらっしゃる? それは兄弟姉妹のようなものです」

「この三人ともそうなんですよ。三人同じ係を作り、山の中で薬草を採集しては、薬草園を作っております」

「それは意義深いではありませんか。大変良いことです。では、医療の心得が?」

「ええ。私は小さな頃から施療院にいましたので、いささか薬草と医療の心得があるのです。言うなれば人々を病から救う事も私の信条となっていますね」

「それは素晴らしい! それは是非教えを請いたい程ですな」


 修道院長が言うと、隣の修道士も唸るように言った。


「まさに聖女……いえ、聖女と後に認定される方とこうして会っているのかも知れません」

「そうでないにしても、他の修道院の方でなければうちの修道院にスカウトしたいくらいですな」


 クヌフウタは今度は魔女だと言われる事無く、大いに認められたので、ペルシタやイサベラと笑い合った。

 コンラート牧師がクヌフウタに聞いた。


「先程、慈悲の礼拝堂の前で、聖霊が満ちていると仰っていましたが、あれはどうしてですか?」


 クヌフウタは首を傾げてイサベラを見た。似たような事をさっきイサベラにも聞かれたからだ。


「言葉では上手く言えません。聖霊を知る人になら、心で感じる事です」

「聖霊を知る……知ると、そう仰いましたか! そういう方はやはり、聖女様でしょう」


 コンラートの言葉は修道院長に向いていた。修道院長は驚嘆しつつ言った。


「これは! いつもの軽口かと思っていたら、いよいよ本当のようですな。私共に聖女を認定する権限はありませんが、私とコンラートなら遠からずそう認定することでしょう」

「そんな。買い被りです」


 そこで唐突にアフラは言った。


「クヌフウタさんはエックハルト先生のお話を聞いて聖霊が来られて、触れられてふにゃ……」


 その言葉はクヌフウタの指で口を塞がれて止められた。その口には人差し指を当てている。アフラはそうでしたと目で頷いた。


「天使群行進の奇跡のことですかな?」

「そうです。私、こちらの天使の行進の奇跡の事をお伺いして、大変感動致しました」


 クヌフウタは笑顔で取り繕い、その場を乗り切ろうとした。

 コンラート牧師は怪しむような顔をしたが、修道院長は笑顔で言った。


「教皇様にも認められた確かな奇跡です。その奇跡があった日を記念して、毎年九月にそれを擬えるような献堂の儀式を行っております。それも当修道院の特別なところですね。もし機会がありましたら是非ご参加下さい」

「はい。しかし、もうすぐローマへ発つ予定ですので……」

「そう言えばローマのアッシジへ行かれる所でしたか。それは長旅ですね。それでしたら図書室に巡礼地の良いガイドマップがありますので、後ほどご参考までにお持ち下さい。アッシジやローマ聖庁までの道のりも判りますし、巡礼の土地にはほぼ巡礼者の逗留施設がありますから、それを辿って行かれると良いでしょう」

「それは助かります。しかしご返却するべきでは?」

「それには及びません。巡礼者に引き合いが多く、こちらで多数写本をして配っているものですから。ご遠慮なくどうぞ」

「それはありがたく頂戴致します」

「ところで、そちらの方が少し気になるのですが……」


 修道院長の目は椅子に座らず戸口に立っているオーギュストに向いていた。


「私は護衛だ。お気になさらず」

「見たところあなたはどこかの修道騎士団の方でしょうか?」

「そうだ。テンプル騎士団に所属している」

「テンプル騎士団と言えば、エルサレムへは行かれたことが?」

「ああ。しばらくはアッコンにいた」

「アッコンは大要塞だと聞きましたが、まだ戦いがあるんですか?」

「要塞から一歩外に出ればまだ戦いだらけだ。幾度も戦い、仲間と生き延びる事が出来たのは神の助けだと思っている」

「戦争は罪深き事ですが、エルサレム巡礼の護衛から始まった騎士団もまた騎士道。一つの信条でしょうな。その結果少なくともお仲間は生き延びる事が出来たのですから」

「誠に痛み入る」


 オーギュストは修道院長に小さく礼を取った。


「実際エルサレムを見て来られて、あなたはどうお感じになりましたか?」

「約束の地とは言われるが、土地は荒れ、周りを敵に囲まれては、常に命掛けだ。女子供が安住出来る土地とは言えなかった。物資の補給を絶やさぬよう、武装した集団が長期間いてもこの始末だ」

「それが教訓というわけですな?」

「教訓と片付けるにはその犠牲は多過ぎた。彼らが浮かばれない」


 修道院長は慌てて言った。


「いやこれは立ち入り過ぎた失言だった。では、次はシトー会のあなたにお聞きしましょう」

「私ですね」


 イサベラが小さく笑った。


「シトー会は質素で粗食を旨とするようですが、どうやって生活を立てられるのですか?」

「昔は地面に寝て、ブナの葉を食べたそうですが、今やシトー会はブルグントの王族の保護も得て、食べるものは豊かになって来ています。シトー会の修道士も自ら畑を耕しますし、一番は牧羊を行います。毛織物が名産物になるくらいに繁盛しているんですよ。それでも質素と粗食は厳格に守っていて、修道院も装飾があまりありませんし、信徒であれば王族であってさえも粗食で過ごしています。美食をしたりして太ってしまう方はおりません。ベネディクト派の方は美食家が多いそうですが?」


 ヘンリッヒ修道院長は少し太り気味だったので苦笑いした。


「これは少し耳が痛い。コンラートも少し、控えないとな」

「私ですか? それを言うなら修道院長こそ」


 二人とも太り気味なのはそれほど変わらなかった。修道院長が咳払いをして続けた。


「しかしシトー会も牧羊をしているとは。私共と同じく通ずる部分がある」

「シトー会は贅沢や私有を禁じた聖人の、聖ベネディクトゥスの遺志が廃れて来ているので、厳格な形で復古させようとしているのです」

「思えば私有を禁止するのは我々ベネディクト派の始祖たる聖ベネディクトゥスから始まったのでしたな。それはやはり根っこの部分では同じですね。羊飼いは動物と自然を友にするという我々の信条に最も近いものだと考えています。聖書においてもアブラハムやヤコブ、それにダビデも羊飼いでした。多くの羊がいる草原の牧歌的な風景こそ、聖書の中のイスラエルの風景だったはずです。羊飼いは昔から聖なる方々の仕事だったのです。では、そこにおられる羊飼いの青年に話を聞きましょう。羊飼いの仕事には神の祝福があるとは感じませんか?」


 エルハルトが畏まったように言った。


「ごく普通に羊や牛を飼うだけですから、そんな大層なことは私には判りません。そんな聖人のこともよく知りません。ですが、羊飼いから言わせて貰えば、私有を禁止することには反対です」

「ほう、何故かな?」

「修道院の方にこんな事を言っていいかは判りませんが、私有をしないということは、羊になるということです。食べる草があるうちは何処へ歩いても幸せで、何も考えずに生きて行けるかもしれません。でも、冬になればここは雪に閉ざされます。我々羊飼いが牧草を蓄えてあげなくては死んでしまうのです。そのためには蓄える場所もいるし、草を刈る広い土地もいる。道具もいるし、羊小屋だっている。羊飼いはあまり物を持たないようでいて、多くの物を総動員しているのです。私有を全部だめだというなら、羊は冬には死んでしまう。そして人も生きて行けなくなります。迷える小羊を導く牧師というからには、羊になってはいけない。羊を護る羊飼いの側にならなければいけないと思うのです」

「ほう。それはもっともなご意見です。我々は羊側だったか。これはお見逸れした。だが理念として、財産を私有することに過度に腐心するのは慎むべきではないかな?」

「理念としてならいいとは思います。でも、慎むべきは一部の富裕者だけでしょう。全部禁止というのは……少し考え無しのやり方ではないですかね? 我々の国ウーリでは多くの物を共同体で所有しています。家畜や土地も一応誰かの割り当てはあるものの、共有の財産です。そこにはもう過度な私有はありません。禁じる理由が無いのです。村ではどの人も冬を越えるために多くの物を蓄えます。山を越える人も旅支度を調えてから旅に出て行きます。これは誰も責めない自然な行いです。これを禁じれば途中で食い詰めるのを助長するようなものです。もっともそれは修道院の人だけの戒律なんですが、修道士こそがよく蓄えるよう指導するのでなくては、羊飼い側には立てません。よく冬の最中に食い詰め修道院が出て、村の食料を分け、全員の負担にもなっているのです」

「うむ。これも耳が痛いが適確な見地だ。一理も二理もあるようです。そういう修道院が出ないよう、私達でも気を付けておきましょう」

「それは大変助かります。羊飼いの話を聞き届けて下さり、嬉しく思います」


 クヌフウタは感銘深げに言った。


「私、目が開く思いでした。修道院長たるもの、羊飼いにならなければいけませんね」


 ヘンリッヒ修道院長も深く頷いた。


「私も全く同感です。この意見の鋭さと冴えこそは素晴らしい。やはり羊飼いには神の祝福があるようだ」

「いえ。羊飼いという事なら、弟のアルノルトはもっと違うものを見ているようです」

「コンラート君ですね。普段どんな事をしてるのかな?」


 アルノルトが言った。


「僕も兄と一緒に山で羊の放牧をしていて、犬も羊も一緒にいつも仲間のようにしてるんです。それはいい事なんですね?」

「君も羊飼いでしたか。それは神に祝福されることだろう。ここでも同じように羊を飼う係の者、牛の係りの者がいて、それは立派に修道士の仕事です。そうした仕事をする時の信条を聞きたい。それによって祝福は大きく変わるだろう。どういった事を考えて仕事をするのかな?」

「僕の? 全く祝福とかじゃなくても?」

「思っている事で構わないよ。信条は皆バラバラなものさ。でもそこに本質的な要素があるんだ」

「僕は、山を荒らすことなく、山と共に羊を守って生きるんだ」


 アルノルトと目が合ったエルハルトは「それだけ?」と笑う。

 修道院長もあまりに普通で首を傾げた。

 アルノルトは続けた。


「僕はいつかそう山に誓ったんです。羊は山と共に生きている。僕もまた山と共に生きる者だと。山は生きているんだ。そうエルハルト兄さんは教えてくれた。雨も降るし、風も吹く。そんな生きている山の天気を兄さんは読めるんだ。僕らは険しい山の自然の中で、羊の安全に行く道をしっかり見定めて、一匹も零さないよう羊達を守り導く。でも、その時に思う事は、羊を守っているようでいて、村を守っているんだ」

「村を?」

「羊だけを見てるんじゃなく、その持ち主のこと、その家族のこと、いつも山から村を見下ろして、みんなを見てる。僕はアーマンの子だから」


 修道院長は感銘極まったように言った。


「実にいい! まるでそれは、我々の理想だ。私には君が聖者にも思えてきたよ」

「いえ、村では普通のことですから」

「ここの修道士でも君ほどの境地には達していまい。いや、流石に聖コンラートの名を持つだけのことはある。一緒のお兄さんも同じく、素晴らしいですな。お名前を伺っても?」

「エルハルト・シュッペルといいます」

「エルハルトさんですか。洗礼名を伺っても?」

「ブルクハルトです」

「ブルクハルト! ああ、あの方のお子でしたか」

「父をご存知で?」

「もちろん知ってますよ。今や有名な方だ。ウーリが自治共同体として纏まりが良い理由が判りました。このような子を育てるのですから」

「恐縮です」


 修道士コンラートがエルハルトに言った。


「実はウーリにはとても縁があってね。少し前までウーリから来た修道士がいたんだ。そこの図書室の司書をしていたんだが、牧畜家としても有能で、彼の提言でここの牛や羊はみるみる増えてね」

「牧畜は得意でしょうね」

「ああ、体も相当立派になったんだ。司書にしたのが間違いだった。これは数年前のことだ、彼はそんないい牛達をツークまで品評会へ借り出して、そこで事故で逃がしてしまった。どうやら地元の悪い奴に絡まれたようだ。全頭の牛を失って手ぶらで帰って来ると、牛の係りが怒って罰を言われてね。牛を探し出すまで帰るなと言われたんだ。そして幾日も牛を探しているうち、嵐が来て、彼は雷に打たれ、死んでしまった」

「かわいそう……」とアフラが呟くと、コンラート牧師は胸に小さく十字を書いて手を当ててほんの少し瞑目した。


「始めは身元確認もままならなかったんだが、そこへ誰も呼ばないのに彼の妹がウーリから探しにやって来て、すぐに確認が取れたんだ。それで彼の遺体はここに運ばれて葬送をしたんだが、その妹さんにどうして判ったのかと聞けば、そんな未来を全てわかっていたと言うんだ。とても不思議なことだった」


 修道院長が言った。


「私が修道院長になったばかりの頃だ。今なら私が勝手な処罰は止めるんだが、恥ずかしながらその時は周囲に流されるままでしてね。それを見越して予見されていたのだから信じ難い事だったのですが、現に彼女はその場にやって来たのですからな。その妹さんはビュルグレンの人だと言っていましたが」


 エルハルトはその話に縁を感じざるを得ない。


「ビュルグレンは我が村です」

「そうでしたか。知ってる人かもしれませんな」


 修道士コンラートがそんなエルハルトの顔を見詰めて言った。


「君は少し彼の面影があるから遠い縁者かもしれないな」


 エルハルトはとたんに目を見開き、急に大きな声で言った。


「その方は何と言う方なんですか?」

「彼の名はペーテル・フォン・シュヴァンデンという。妹はアンナと言って今は聖母聖堂で修道女をしていると聞いた。あと一週間もすればちょうど三年目の命日になる。良ければ墓に参ってやってくれると嬉しい」

「それは是非!」

「では早速……」


 修道士コンラートが話を切り上げて立ち上がろうとすると、アフラが手を上げた。


「私、まだ話してません。次は私ってドキドキしてたのに」


 立ち上がりかけた修道院長が座り直して言った。


「君は確かドミニク会の学生……。代表として何か言う事があるようだ」

「はい。私はこの二人の妹です」

「そうか。では、君も羊の世話を?」

「いえ、あまりしてません。でも毛を洗ったり、糸紡ぎしたりします」

「それも立派なお仕事だ。ドミニク会ではどのような事を学んだのかな?」


 アフラはいろいろ考えてからようやく一言言った。


「魂のことを……」

「ほう。それはどなたに?」

「私、エックハルト先生に習ったんです! ドミニコ会はエックハルト先生がいるから最高なんです!」

「やはりエックハルト牧師ですか! 少し前にディートリヒ牧師と共にこちらにいらっしゃいましたよ」

「エックハルト先生もここに?」

「ええ。この場所でこのようにお話をしました。同じように思うところをお伺いしましたが、淀みなき彼の思考は止まる事を知らない程で、それは崇高で神秘的な領域にまで到達したものです。しかし彼のお弟子さんにしては可愛いすぎるようだね?」

「お弟子は断わられてしまいました。ですが、先生の講義を聞きに行って来たのです。ここにいる皆も一緒に特別講義をしてくれました。クヌフウタさんはさらに個別指導付きでした」

「それは価値のある講義でした。あの時に講義の前に話すと整理が出来ると仰っていたけれど、そうですか。では、あなた方はエックハルト牧師の薫陶を得られていたのですね」


 そう言われたクヌフウタは「心の師です」と心から笑って頷いた。


「彼の三位一体論は素晴らしい! お聞きになりましたか?」

「ええ! 不躾ながら私、それは異端には当たらないものかと聞いてしまいましたが、先生は丁寧に説明して下さいました。父と子は私達にとっても一体という先生の解釈、それこそは広範な真理にまで到達していて、三位一体をより完成させていると、今では理解出来るのです」

「まさしく仰る通り。彼は斬新過ぎて異端視される危険もあるが、すべては真理を見出し、人々をより高くへと導くためのもの。私は教皇様に手紙を書いて、エックハルト牧師の事をそのように伝えておこうと思っています。彼に批判が出る前にお耳に入れなければなりません。決して異端ではなく、未来の最先端なのだと」

「良い事かと。教皇様がこの解釈を聞き入れて下されば、聖書世界の未来が変わります」

「彼らは最高の碩学アルベルトゥス・マグナスやトマス・アクィナスを継ぐ神学者です。彼の言説はそれを越える輝きを放ち、新しい時代を予感させるものです。遠くない未来、人々を次の段階へと運んでくれるかもしれない。会派を異にする私も、今や影ながら彼の支持者です」

「私も同じく支持者です」

「私も!」とはアフラの声だ。


「嬉しい事です。こんな可愛い同志にお会い出来るとは思いませんでした」


 修道院長がそう微笑むと、アフラは満面の笑みを返した。

 それだけで心から解り合えた気がした。

 それから、クヌフウタ達修道女はヘンリッヒ修道院長の案内で図書室へ行き、巡礼のガイドマップを貰った。

 一方、ウーリの兄弟達はコンラート牧師に連れられ、ウーリの修道士の墓を参った。

 兄弟四人は並んで献花をして手を合わせた。

 エルハルトは墓碑名を読みつつ言った。


「ペーテル・フォン・シュヴァンデン。安らかに。アーメン」

「アーメン」

「アーメン」

「安らかにお眠り下さい」とアフラが最後を結んだ。

 振り向けばコンラート牧師は深く跪いていた。


「ありがとう。我が友、いや、兄弟に祈ってくれて。本当にありがとう。同郷の方に祈って貰えてペーテルも喜んでいる。そう感じるよ」

「そうであったならば嬉しいです。でも、フォン・シュヴァンデンという名前は、どうもウーリでは聞かない名前なんです。地名以外でフォンを付ける人もかなり限られてるし」


 エルハルトにアルノルトも相槌を打った。


「そう言えば聞かないね」

「司書が出来るほど賢い人ならば、絶対有名になるはずなんです。字がちゃんと読める人は少なくて、あちこち呼ばれるはずだから。ウーリに殆ど居なかったのかもしれません」


 エルハルトの言葉に皆頷いた。それはコンラート牧師もだ。


「シュヴァンデンは確かにグラールスの地名だ。隣の州ではあるからもしかすると流れ者だったのかも知れない」

「帰ったら長老格の人に少し聞いてみます」

「そうか。何か判ったら連絡をくれるといい」


 その後、一行は大聖堂の入り口で合流し、そこまで修道院長も迎えに出てくれた。


「どの方も素晴らしい方ばかりだ。そしてとても仲もよろしいようです。一体どういった仲間なんです?」


 クヌフウタは一人一人見回して言った。


「私は巡礼の為ですが、エックハルト先生の講義を聞きに来た子、友達に最後の別れを言いに来た子、チューリヒで裁判沙汰に巻き込まれた人、それを助けに来た人、それぞれ皆バラバラで。でも不思議と同じ馬車で、旅の仲間になったんですわ。エルハルトさんの馬車なんですけど」


 エルハルトが笑って言った。


「でも今はクヌフウタさんの巡礼のお供で一致してますね。チューリヒからヴィンテルトゥール、そこからラッペルスヴィル城に滞在してここまで来たんです。これからは皆でエンゲルベルクへ向かう所です」

「ほう。素晴らしい旅ですな。ラッペルスヴィル家ともご関係が?」

「ええ。ラッペルスヴィルのご夫妻ともずっと一緒の道中だったんですよ」

「いやいや、お二方は今もアインジーデルンには重要な人です。まさかお知り合いとは。そこからはまたローマの巡礼へ行かれると?」


 クヌフウタが晴れやかに頷いた。


「ええ。ガイドマップがとても参考になりそうです。良い写本をありがとうございました。帰りにはまたこちらへ寄らせていただきたいと思います」

「是非ともお立ち寄り下さい。今日はこんな素晴らしい方々に会えた。お引き合わせに感謝を」


 修道院長がそう十字を切って祭壇の方向へ祈ると、皆もそれに習った。

 そして一行は別れを言い、アインジーデルン修道院を後にした。

 馬車へ乗り込む時、イサベラの誘いでアフラはブルグント側の馬車へ乗り込んだ。


「修道院長はとてもいい人でしたねー」


 アフラは首を大きく曲げてそう言った。


「そうね。会派や信条が違っても快く受け入れてくれて、懷の広い方だったわ」

「エックハルト先生の支持者だそうですし、絶対いい人です」

「アルノルトさんを聖者と仰ってた」

「おかしい」と、アフラは大いに笑った。


「でも、判るわ。アルノルトさんの心は澄んでいるのよ。まるであの湖のようなの。感じないかしら?」

「兄さんが?」

「聖者って、そういう事じゃないかしら?」

「兄さんって意外とすごいのね」


 アフラは改めて兄を見直した。



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