臨時診療
修道院への帰り道、クヌフウタが大事そうに抱えていたボウルを、ペルシタが「持ちます」と言って受け取って、医療鞄と一緒に脇に抱えた。ペルシタはクヌフウタの付き人であり、かつ医療の助手であり、生活を共にする相棒でもあった。
「あのお母さん、しっかりお医者さんへ行くかしら?」
アフラはさっきのリリアの態度に疑問を覚えて言った。
クヌフウタは真っ直ぐ前を見て歩きつつ言った。
「たぶん行かないでしょうね。と言うよりも行けないのです。ホスピタル騎士団に所属する医師は貴族しか診ないことも多いですから。庶民が診て貰うには貴族から紹介して貰うお金がさらに必要です」
「そんな。じゃあトビーの怪我がしっかり治らないんじゃあ?」
「そうですね。このまま放ってはおけませんね。本来お金の事は手を出せないのですが、一つ考えがあります」
クヌフウタは修道院の前の広場まで歩いて来て、立ち止まった。
見渡せば、杖を突いて歩いている人や、咳き込んでいる人がいた。
「ペルシタさん。これから教会の前を借りて診療をしましょう。医者に困っている人は他にもいるでしょう。寄付も募れることですし」
ペルシタはそれで全て判ったというように、「はい」と頷き、大きな声で言った。
「臨時診療を致しまーす! 病や怪我の方はいらっしゃいませんか?」
ペルシタは持っていた木のボウルの底を叩き、乾いた音を響かせながら声を上げ続けた。
その声は言い慣れているようで、物怖じも無く、良く通った。
「病や怪我にいい薬がありまーす! そこの方如何ですか?」
周囲の人は何が始まったかと思い、それを遠巻きにして見ていたが、ペルシタのその格好が汚いせいもあってなかなか寄って来なかった。
礼拝堂からは何の騒ぎかと、修道女が出て来て言った。
「あなた達、修道院の前で一体何を始める気ですか?」
クヌフウタがそれに答えて言った。
「私、医療の心得がありまして、無料診療をさせていただきたいと存じます。お邪魔でしょうか?」
「それは結構な事です」
「軒先をお貸し頂いてもよろしいでしょうか? それに、少々ご寄付を募らせて頂いても?」
「はい。フランチェスコの方ですもの。ご協力致しましょう。ここでは通行の邪魔になりますから、向こうの建物の玄関先を使って下さい」
そう言って修道女は集まっている人々に言った。
「フランチェスコ派の方がいらっしゃっています! 皆さん、無料の診療だそうですからどうぞー!」
見知った修道女がそう言うと、遠巻きにして見ていた人々が集まり出した。
「女性のフランチェスコは初めて見た」
「私、どうも膝が痛くてね」
「いやあ、風邪が治らないんだ」
「皆さんこんにちは。基本的には無料ですが、お気持ちだけご寄付をお願い致します。では、向こうへ参りましょうか」
クヌフウタはそう言って向かいの建物の玄関先を陣取り、診察を始めた。
するとすぐに噂が広まって、人々が集まり、いつの間にか行列が出来上がった。
「すごい……」
それを見ていたシュッペル家の兄弟達は、その人の集まりの早さに呆気に取られたまま立ち尽くしていた。
「診療の方はこちらに並んで下さーい! あなた達! 見てるなら、集落の方々にも伝えて来てくれないかしら?」
ペルシタにそう言われ、エルハルトが頷いた。
「そうですね。行こう!」
エルハルトに連れられ、アルノルトとマリウスは集落の方へ歩いて行くが、アフラは何か逡巡して言った。
「先に行ってて」
エルハルトは手を上げた。
「判った」
アフラがクヌフウタの近くへ行き、小さな声で話しかけた。
「ゴメンなさい。先生の講義が聞けなくなってしまって……」
「実は講義は微かに聞こえていたのよ。煙突で繋がっていたから。それに私はこの短い時間しか診療が出来ないと気が付きました。こちらの方が大事な事だと、そう気付かせてくれたのはあなたです。むしろ感謝します」
「私も何かお手伝い出来ますか?」
「あなたこそ講義に行って来た方がいいのではなくて?」
「私も隣の窓から聞いていたんです。それに、ここの方が大事な気がして来ました」
「では、一つお願いしたい事があります。木のボウルを持って、寄付を募って貰えますか? 私達はお金に関わる事は禁じられているのです」
「承知ですとも」
アフラは足下に置いてあったボウルを抱え、クヌフウタの隣で診療を終えた人に寄付を呼び掛けた。少額ではあるが寄付が溜まっていった。
集落へ出て行ったエルハルトとアルノルト、そしてマリウスは、通りを歩き回って診療が始まった事を大声で伝えて歩いた。
アルノルトが少し路地を曲がると、庭先に座って日向ぼっこをしている老婆がいた。
「今、教会で無料診療中でーす!」
そう聞いて老婆は家から出て来て、乳母車を押しつつ、かなり辿々しい足取りで歩き出した。そしてすぐ道の途中で疲れて立ち止まってしまった。思わずアルノルトは手を貸した。
「どこかお悪いんですか?」
「あたしゃ心の臓が悪くてね。もう持病さ」
「それは大変ですね。でも、そんな重病治せるかな?」
「患者が不安になる事を言うもんじゃないよ」
「すいません……」
老婆は少し歩き出すが、しばらく歩くと息も苦しそうに休憩をしてしまった。
「大丈夫かい? じゃあ、これに乗れる?」
アルノルトは老婆を乳母車に乗せ、その車を押して通りを歩いた。そしてだんだん早足になって、道がいいとほぼ駆け足になった。そこから道はほぼ真っ直ぐ、着くまではあっと言う間だった。老婆には別の意味で心臓に悪かったかもしれない。
修道院の広場まで行ってみると、かなりの行列が出来ていた。
「お婆さん、少し待つけど、ここに並んで待って下さいね」
「ああ、ありがとよ」
老婆を列まで案内すると、アルノルトは行列の先へと歩いて行った。診察の様子を覗いてみると、その端にはアフラがいて、ボウルを持って立っている。アルノルトはアフラに言った。
「アフラはそこでぼーっとボウル持って何してるんだ?」
「ひどい! これでも寄付を募るっていう大事なお仕事なの!」
「そうか。じゃあ……」
アルノルトはポケットから少し余ったコインを出して、ボウルに入れた。
「あんまり無いんじゃ格好が付かないし」
「ありがとう! なんだかとてもいい人!」
「お世辞はいいから。まあ他の人にはその調子で頑張れ」
「うん。あ、終わりました? こちらへご寄付をお願いします」
診療が終わった人がアフラの所へ来て、ほんの少しだが寄付金を入れてくれた。
「え? これだけ? お薬もいただいてたのに?」
「しっかりしてるなー嬢ちゃん。仕方無い」
その人は寄付金を足して入れてくれた。アフラは会心の笑みで言った。
「ありがとうございまーす」
「同じ症状の方」とクヌフウタが聞きつつ一遍に薬草を処方するような方法もあって、診療はかなりペースが早い。薬もどこでも採れて風邪や炎症の万能薬とも言えるカレンデュラの花を渡すだけの事もしばしばだ。それでも多くの場合、薬草の見本をしっかり見せてくれるので、その人はその形を覚えて次は自分で採って来る事が出来た。トエス修道院の修道女はそれがとても勉強になるので、ずっと隣に付き添って見ていた。そうした見物人が幾人も周囲にいて、アルノルトもいつしかそこに加わっていた。
しばらくすると心臓病の老婆に順番が回って来た。
クヌフウタは手首の脈を取り、「あまり良く無いようですね」と呟いた。
「最近一度胸が痛くなって、倒れてねえ」
「そうですか! それはいけませんね。手足が冷たいでしょう」
「ええ、そうね。冷たいわ」
クヌフウタはその手を擦りつつ、ペルシタに足のマッサージを頼んだ。
ペルシタは老婆の靴を脱がせて冷たい足をマッサージした。
「ありがとう。ああ、気持ちがいいね。ここの所調子が悪くてねえ。治るかねえ」
「いいお薬がありますよ。一手間かかりますが」
クヌフウタは薬草の標本を入れた瓶から見本を取り出した。
「このホーソンが薬になります。この辺りならたくさん生えてるでしょう?」
クヌフウタはセイヨウサンザシの赤い実を老婆に渡した。
「ああ、これなら庭の生け垣に生えてるよ」
「この実をこのまま一つ食べてもいいのですが、効き目はもう少しです。家にワインと蜂蜜はありますか?」
「ああ、もちろん」
「薬の作り方は、この実を少しつぶしてワインと蜂蜜に一週間漬け込んで、飲む前に一度火を通すんです。それを毎日グラスに半分くらい飲んで下さい。それを続ける事で効果が出て来ます」
「ワインは好きだし、それなら続けられそうだ。飲み過ぎちゃうかねえ」
クヌフウタは加えて瓶からパセリを取り出した。
「このパセリもあると尚いいです。細かく切って加えて下さい。ホーソンは今の時期はまだ実が生りませんから、花や葉を漬け込んでもいいんです。乾燥させて、お茶にして飲んでもいいですね」
「それはお金が掛からなくて嬉しいねえ。でも、お医者さんは商売あがったりだねえ。倒れた時は薬を出しただけでもホスピタル騎士団に一財産持って行かれたもんだが。本当にお金を取らないのかい?」
「ええ。薬草は自然の中に神様が用意しておいてくれたものです。儲けるためのものではありません。それにホーソンは聖なる木です。春の女神の木とも言われてメイポールに飾られますし、イエスが十字架に掛けられた時、頭に被っていた茨がこの木だと言われています。その時付いたイエスの血のために赤くなり、心臓を護ってくれるという伝説もあるのだそうです」
「有難いねえ。有難いこと」
ペルシタがマッサージを終えて靴を元通りにすると、老婆はしきりに「有難い有難い」と言いながら、ゆっくりと歩き出し、アフラの出したボウルに貨幣がたくさん入った皮袋を袋ごと入れて歩いて行った。
「えっ? こんなに? ありがとう!」
アフラは思わずお礼を言った。
それを見ていたアルノルトは、老婆の手を取り、帰りの道も乳母車に乗せて送って行った。
老婆の家に着き、庭の生け垣を見ると、少ないが所々に白い花が咲いている。
「これだね、お薬は。もう咲き終わりだが、毎年可愛い花を咲かせてくれるよ」
老婆は花の付いた枝を折って、乳母車に乗せて行った。
「一つ貰ってもいいかい?」
「ああ、いいよ。お礼にいくらでも持って行くといい」
アルノルトは植木から花の付いた枝を一本だけ折った。
「誰にあげるんだい?」
「それはもちろん、クヌフウタさんだよ」
「そりゃあいい。じゃあこれも持って行って」
老婆は自分が乳母車に取り置いた花をアルノルトに手渡した。
「でもこれは……」
「まだ裏にもあるし、いくらでも咲いて来るわ。お役に立たせておくれ」
「ありがとう。じゃあ、クヌフウタさんに届けます。お大事に」
アルノルトはホーソンの花束を抱えて、そこを立ち去った。
アルノルトが路地から通りに戻って歩いていると、後からエルハルトとマリウスが追って来た。
「何処行ってた。探したぞ。そんな花なんか持って!」
「女の子みたいに花なんか持ってー!」
マリウスは前にそう言われたのを言い返したようだ。
「少し体の悪いお婆さんがいてね。送ってたんだ。今戻って来て、これ貰った」
「そうか。花なんて貰ってもなあ」
「ただの花じゃないよ。これ、心臓の薬になるんだって」
「へえー。高く売れそうだ」
アルノルトはクヌフウタの口調を真似て言った。
「薬草は誰かが儲けるためにあるんじゃなく、自然の中に神が用意しておいてくれたものなんです……って」
「誰だそれ?」
「クヌフウタさんがそう言ってたよ。これはクヌフウタさんにあげるんだ」
「クヌフウタさんに? オレに渡させてくれ……」
「あれ? 兄さん、クヌフウタさんに渡してどうするつもり? 怪しいなあ」
「いいから!」
エルハルトはアルノルトから、少し強引に花を受け取った。
「痛っ」
花をしっかりと抱え込んだ手にトゲが深く刺さって、エルハルトは花を落としてしまった。
「茨の一種だから気を付けてね」
「先に言ってくれ……」
そう言いながらエルハルトは今度は慎重に花を拾った。マリウスとアルノルトもそれを手伝った。
そして、修道院前の広場に戻って来ると、その頃には患者の列も少なくなっていた。
その人の診療も見ている間に終わり、クヌフウタは大きく息を吐く。
「お疲れ様です。これをどうぞ」
エルハルトはそう言って、クヌフウタに持っていた花を渡した。
「まあ!」
クヌフウタが薬草を見る時にはいつも異様に目が輝いた。エルハルトはそれが見たかったのだ。そしてその輝く笑顔はエルハルトにも向けられる。
「これは! ホーソンの花ね」
しかし、花の名を聞いていなかったエルハルトは慌ててアルノルトを見た。
すかさず、アルノルトは言った。
「はい。さっきのお婆さんの所で貰って来たんです。役立たせて下さいって」
「まあ! 有難いこと」
クヌフウタはそう言って、標本の瓶の中に一つの花を入れた。他は布にくるんで持った。
そしてクヌフウタは立ち上がって、「さあ! 行きましょうか」と言った。
「どちらへ?」とペルシタは首を傾げた。
「さっきの家です。名前は何といったかしら? リリアさん!」
そんなクヌフウタにアフラは全て判ったというように「トビーの家ですね!」と頷き合って、木のボウルを手に抱えたまま歩いて行った。
アルノルトは迷った。
「僕らはどうすれば……」
「待ってよう。さっきみたいにお母さんを驚かしちゃいけない」
そう言うエルハルトに、アルノルトは頷いたが、その隣をマリウスはトコトコと歩いてアフラを追って行った。
「マリウスは聞いてないし。まあいいか……」
トビーの家に行ったのはアフラとマリウス、そしてクヌフウタとペルシタの四人だった。ドアをノックする音で出て来たのはエルズだった。
「こんにちは。お母さんはいますか?」
「うん。おかあさーん」
呼ばれて出て来たリリアは、今度はあまり驚かなくて済んだが、それでも少し驚いていた。
「あなた達! どうしてまた?」
クヌフウタは小さく礼を取って言った。
「借りたボウルを返しに来ました」
「ああ。そうでしたね」
クヌフウタが振り向きつつ道を空けると、そこへアフラが進み出て、木のボウルを差し出した。そこにはさっき寄付して貰ったお金が入っている。
「まあ! こんなに寄付が集まったんですね! 少しはお役に立てましたかしら?」
驚くリリアにクヌフウタが言った。
「私達はお金に触れる事を禁じられています。ですのでこのままどうぞお受け取り下さい」
「まさか! 修道女の方からそれをいただくわけには!」
「手を触れないまま貴女のこのボウルに集まったので、私からという事でも御座いません。寄付はこの子が呼び掛けたものです」
アフラはニッコリ笑って、さらに進んで言った。
「このままどうぞ」
「そんなにしていただくわけには……あなた方の方でお使いになって」
そう行ってリリアは受け取ろうとしない。アフラは方向を変え、ボウルをエルズに渡した。
「これでトビーの怪我を治してあげて。私達からのお願いです」
「うん」とエルズは頷いた。
「なんて有難いこと……でも……」
リリアは溢れる涙をこらえつつ膝を折り、その場に座り込んだ。そしてアフラを見て言った。
「でも……私もベギン会ですから、この浄財を独り使うことは出来ません。ベギン会に多くを預けさせていただく事になりますが、いいですか?」
「ベギン会って何ですか?」
リリアが言った。
「ベギン会というのは、結婚した人でも修道的な生活が出来るような集まりの事です。夫が十字軍に行ったり、先立たれたりした人の為にあったんですが、今ではこの辺りの人は沢山入って糸紡ぎなどの手仕事をする生活互助組合になっています。手仕事の利益もそうですが、戴いた金品は分け合う決まりになっています」
「トビーがお医者様にちゃんと行けるなら、それでも大丈夫です。これで足りるかも私には判りませんし」
「ありがとう。ベギン会に交渉して、医者には必ず連れて行きます。誠にありがとうございます」
リリアは深々と礼を言った。クヌフウタにもそう礼を言ってから、リリアは聞いた。
「すっかり遅くなりましたが、どちらの方でしょうか?」
「私はボヘミアの聖アネシュカ修道院から来ました、クヌフウタです。こちらは同じくペルシタさんです」
「ウーリのアフラ・シュッペルです。こっちは弟のマリウス」
「マリウスです」
「ウーリの? じゃあサビーネさんをご存知?」
「ええ。私のお婆ちゃんです」
「まあ奇遇だわ。サビーネさんのお孫さんだなんて!」
「お婆ちゃんを知ってるんですか!」
「ええ。ベギン会ではよくお世話になって。宜しく言っておいて下さいね」
サビーネは夫に先立たれているので、ベギン会に入っていてもおかしくない。しかし、サビーネの顔の広さには驚かざるを得なかった。




