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往路復路



 ビュルグレン村を見下ろす共同牧場の高原に朝日が昇ろうとしていた。

 薄暗いうちから起き出して、アフラは書き置きを書いていた。

 昨日の夜、アフラは父と一緒に最終の特急便馬車に乗って、夜半にウーリに着き、二週間ぶりに家に帰って来た。久しぶりに母とマリウスに会えたのは良かったが、勝手に家を出て行った事を母に怒られ、思い詰めたような顔のまま、話したい事を何も話す事が出来なかった。

 話せなかった事をせめて手紙にとしたためたが、かなり長くなり、つい時間も掛かって遅くなってしまった。

 そしてアフラは静かに玄関の扉を開け、朝靄漂う草原へと出て行った。荷物は殆ど無く、父に返した後に残ったコインを握りしめていた。帰る時に教会に置いた荷物を取りに行けなかったので、そのまま宿泊棟に忘れて来ていた。手紙に書いた口実は、その荷物を忘れて来たから取りに行くというものだった。

 人に会わないように道に出ないで草原を選んで歩いていると、後ろからアフラを呼び止める声がした。


「お姉ちゃん、何処行くの?」


 振り向くと少し後にマリウスが歩いている。


「えっ? マリウス……いつからいたの?」


「玄関をそーっと出て行ったから、そーっと付いて来たよ」


「早起きなのね」


「お父さんもお母さんも、もう起きてたよ」


「シッ! 聞こえちゃったかも?」


「多分ね。それで、内緒で何処行くの?」


「内緒だけど、チューリヒへ行くの」


「またあ? 昨日帰って来たばっかりなのに?」


「うん。教会に用事を残して来たの。しばらくはお父さんとお母さんには内緒よ?」


「歩いて行くの?」


「アルトドルフまでね。そこからは馬車」


「僕もそこまで送って行くよ」


「結構あるわよ?」


「誰か馬車が通ったら乗せて貰おうよ」


「行って帰ってしたら、朝ご飯食べれなくなっちゃうわ?」


「まあ、お腹空いたらお婆ちゃん家に駆け込むよ」


「まあ、お腹空いたら途中で引き返したらいいわ」


 そう言って歩いて行くと、ビュルグレン村の広場へと着いた。


「お婆ちゃん家通り過ぎるよ?」


「うん……起きてるかな」


 二人が家の窓を覗き込むと、サビーネの姿が見え、思わず目が合った。

 サビーネは玄関から出て来た。


「どうしたんだい? こんな早くから。アフラはようやく帰ってきたのね。怪我は治ったのかい?」


「うん。すっかり。でも、これからまた行くの」


「またって、何処に?」


「うん……同じ所」


「同じ所って、チューリヒかい?」


「そう。忘れ物をしたのと、大事な講義があって……」


「それは大変だねえ。マリウスも行くのか?」


「僕は送るだけ」


「そうかい。往復の馬車代よりも大事なものなのかい?」


「うん、先生の講義の方が私には大事なの。エックハルト先生って言うすごい方なの」


「エックハルト先生? どっかで聞いた事あるね」


「ホント?」


「ああ、これだこれだ」


 サビーネは一紙の会報を取り出した。


「この辺りだわ。エーテンバッハ修道院の開園に先立って、初めの講演が行われた。シュトラースブルクから来たエックハルト牧師の講演は、満員の聴講者を魅了した」


「エックハルト先生が出てるの!」


 アフラはその会報にかじり付き、続きを読んだ。


「その教説は、キリスト教の初期よりの歩みからヨハネの黙示録までを語り、スコラ哲学を取り入れた見解で、神の在処を言葉の上で証明し得た! その通りだわ! すごいすごい!」


 アフラは会誌を持って飛び跳ねた。


「すごい先生なのは本当のようだ」


「この方の講演をもう一度聞きに行くの!」


「でも、馬車代が馬鹿にならないだろう?」


「うん。お小遣い集めてもギリギリしかないの」


「それは心許ないね。じゃあ、これで何かお土産買って来ておくれ」


 サビーネはそう言って、少しのお小遣いをアフラに渡した。


「いいの? ありがとう!」


「せっかく行くんだ。お土産くらい無いとね」


「買ってくる! お婆ちゃん大好き!」


 そう言っていると、そこへ村長が通り掛かった。


「やあやあ、お揃いだ。お早う」


「おはよう、村長さん」


「村長さん! いいところに通ったよ。この子をアルトドルフまで送ってくれないかい?」


「ああ。儂もアルトドルフへ荷物を出しに行く所じゃ。構わんよ」


 アフラは手を上げて喜んだ。


「私も一緒の場所行くの! ラッキー!」


「ああ、ラッキーじゃ。乗るがいい」


 アフラは村長の馬車に乗り込み、続いてマリウスも乗った。

 そして馬車は下りの坂道を行き、アルトドルフの宿駅へと入って行った。


「着いたぞ」


「ありがとう村長さん」


 アフラとマリウスは馬車を降り、宿駅のベンチに座った。まだ朝も早く、周辺には誰も人はいなかった。

 村長も届ける荷物を馬車から降ろし、所定の置き場に置くと、まだ少し時間があるのでベンチの方にやって来た。


「二人して何処へ行くんじゃ?」


「私だけチューリヒに行くの。マリウスは一人帰ってお留守番」


「お留守番? ヤダァ」


 マリウスが愚図るのを余所に村長が続けた。


「またチューリヒか。余程気に入ったようだな」


「うん! チューリヒは楽しかったぁ。綺麗だし、食べ物は美味しいし」


 アフラが頬を押さえてそう言うと、マリウスも言った。


「いいなー。美味しいタルトが山ほどあったもんね」


「そうねー。タルト食べたくなってきたわ。何処かで食べようっと」


「ずるーい!」


 村長がアフラの軽装を見て言った。


「しかし、一人でチューリヒか。よくブルクハルトが許したのう」


「え? それは……」


「まさか、親御さんの許し無く、勝手に行こうとしているのか? だったら村長として見逃せんぞ?」


「ま、まさか。ちゃんと知らせて来たわ。お婆ちゃんに……」


 村長は膝を叩いて笑った。


「ハッハッハ。サビーネだったらしょうが無い。ここは見逃してやろう」


 アフラは苦笑いしつつ胸を撫で下ろした。

 そうしていると始発の特急馬車が到着し、御者は村長の荷物を馬車に積み込み、アフラは乗車料金を払い、ステップを上がって後席に乗り込んだ。

 御者はアフラに聞いた。


「そこの子も乗るのかい?」


 ステップに手をついてマリウスが恨めしそうに馬車を見上げている。


「一人で留守番ヤダァ」


「マリウスは行かないでしょ。下がって」


 そう言うと、マリウスは駄々っ子が愚図るように言った。


「僕も行きたい……タルト食べたい……」


「そんな事言っても、遠くまで行くんだから、しばらく帰って来れないのよ?」


「またずっと一人……ヤダァ……」


「そんな事言っても、馬車代無いと乗れないのよ?」


「うう……」


 マリウスは泣き出しそうな顔で地べたに座ってしまった。

 またかという顔をしつつ御者が言った。


「子連れなら二人で同じ料金だ。君らなら二人乗っても構わないが?」


「二人で同じ料金? そうなの?」


「ああそうだ」


「乗るー!」


 マリウスは馬車に飛び乗り、それを見た御者は鐘を鳴らし、そしてすぐに馬車を発した。


「ほ。行ったか……」


 村長はそんな馬車を見送りつつ、一つ溜息を漏らした



 エーテンバッハ教会の広場にはラッペルスヴィル夫妻と、修道士達、そしてクヌフウタ達修道女が集まっていた。クヌフウタ達は昨夜は訪れた修道院に泊めて貰ったようだ。

 そこへユッテの白亜の馬車がやって来た。ユッテは宿を引き払って来たので荷物も多く、馬車が二台あり、女中や護衛騎士も引き連れているので少し大所帯だ。護衛騎士に支えられ、白亜の馬車から降りて来たのは、ユッテとイサベラだった。


「おはようございます、姫! 今日も朝のスミレのようにお麗しい」


 ルーディックはイサベラに恭しい挨拶をした。

 イサベラはそんな大袈裟な修辞にも慣れたように微笑んで「おはようございます」と返した。今日のイサベラは濃い青紫の余所行きのシュールコー姿だ。ユッテはお気に入りのピンクの服だった。


「ユッテ王女もおはよう御座います」


「おはよう。お揃いのようね」


 ユッテもそんなルーディックのイサベラ贔屓にも慣れたように挨拶を返し、周囲を見回した。

 しかし、まだアルノルトとエルハルトが来ていなかった。

 ルーディックはキョロキョロ辺りを見回して言った。


「アルノルトがまだなんです。遅いな。すぐ近くに泊まってると言ってたんですが」


「まあ! 私を待たせるなんて、いい度胸だわね」


 ユッテは少し怒ったようなフリをして笑っている。

 ルーディックは周辺の建物を見回して言った。


「呼べばすぐ現れるくらいすぐ近くなんて言ってたから、ここから見える所かもしれませんよ」


「じゃあ、大きな声で呼べば聞こえるかしら?」


「あの向かいのあたりに呼んでみましょう。アルノルトー?」


「それじゃ声が小さいわ」


 ルーディックは大声が修道院に聞こえるのを避けて、かなり前へと歩いてから言った。


「アルノルトー!」


 返事は無かったが、ユッテがさらに言った。


「じゃあ、もっと大きく皆で一斉に呼びましょう。イサベラも一緒に呼ぶわよ。私も言うから」


「え? 私も?」


「いっせーの。アルノルトー」


「アルノルトー!」


「アルノルトさーん」


 多少ばらつきながら、向かいの建物に向かってそう言ってると、すぐ横の方から声が聞こえた。


「ふぁい!」


 広場の奥に停まっていた幌馬車の後の幌が開き、そこからアルノルトが顔を出した。

 後にはエルハルトも居て、二人で朝食のパンを頬張っている。


「こらーっ!」


 ユッテはスカートをたくし上げ、その馬車へ駆けて行き、アルノルトへ躙り寄った。


「みんな待ってるのに、そんなところで何してるの?」


「何っへ、朝ご飯さ?」


「まさか、私の宿を出ておいて、こんなところに泊まってるの?」


「ああ。意外と快適なんだ」


「信じられない! 朝食はこっちに来てくれても良かったのに……」


 ルーディックも歩いてやって来て言った。


「やあ、そこにいたんだ。これで揃ったね」


「やあ、おはよう。もうお集まりのようだ。兄貴、貴族風にしっかり挨拶しないとダメだよ。光栄ですと言っておけば大体いいらしいよ」


「ああ。まずはパンを呑み込もう」


 アルノルトとエルハルトは慌ててパンを呑み込みつつ、馬車を降りた。

 そして皆が集まっている場所へと歩いて行った。


「皆さん、おはようございます。こちらは兄です」


「お待たせして大変失礼致しました。兄のエルハルトです」


 エルハルトは何時になく姿勢も良く、口調が丁寧だ。ホテルで鍛えられたのかもしれない。むろん領主一族や王族に挨拶をするのならこれくらいは普通で、アルノルトのフランクさの方が特殊と言えたが。


「あなたがエルハルトさんね。お噂は聞いておりましてよ」


 エリーザベトは手を差し出して握手を求めつつ言った。


「光栄です。本日はご一緒させていただきます」


 エルハルトは緊張した面持ちでその手を握り、続いてルーディックとも握手をした。


「裁判にお呼びいただき、ありがとうございました。ご一緒出来て嬉しいです」


「光栄です……」


「お祭りでは、お世話に……」


 イサベラとユッテがエルハルトの目の前に来ると、急に思い出したように言った。


「ああ、君達は! 牛祭りにいた……」


 二人は顔を見合わせて笑ってから、エルハルトに頷いた。


「ユッテです。またご一緒出来て光栄ですわ」


「光栄です。確か、王女様でしたね」


 と、言いながら、エルハルトは王女がアルノルトとかなり親密そうだった事が気になった。

 イサベラは少し迷ってから言った。


「アニエスです。牛小屋の件では大変お世話になりました。例の裁判も終わった所ですのよ」


「光え……いえ、牛の事はとても残念でした……裁判で決着が付いて何よりでした。ここにアフラも居れば良かったんですが。あいにく昨日父に連れられて帰ってしまったようで」


 ユッテが苦笑いで言った。


「見ていたので、存じてますわ。どちらかというとアフラがお父様を連れて行ったように見えましたけども……」


「はて? そうでしたか?」


「決して帰りたかった訳では無いので、アフラは今日来るつもりだと思うんです」


「ウーリへ帰って、またここに?」


「ここというより、ヴィンテルトゥールにです。それくらい聞きたがっていた講義でしたから」


「まさか、そこまでは……」


 エルハルトの声に、アルノルトが重ねて言った。


「そのまさかがありそうなんだ。アフラは来ると思って考える方がいい」


 考えながら、アルノルトが言った。


「ウーリから早朝出て、ここに着いてお昼前くらい。ヴィンテルトゥールにはさらに二時間程かかる。とすると……」


 ユッテが言葉を接いだ。


「一時からの講義には間に合わないわね」


「まあそれは途中から聞いても構わないだろう。それより、ここからヴィンテルトゥールに行く馬車が無くて立ち往生しそうだ。辻馬車に乗れる程お金は無いだろうし」


「それもそうね。じゃあ、レオナルド、ここに残ってアフラを連れて来て」


 ユッテは事も無げに護衛騎士にそう言った。


「……承知致しました」


 レオナルドはそれに即答だった。アフラが来るかは定かでないというのに、女中と荷物を載せたもう一台の馬車がここに残る事になった。

 イサベラとクヌフウタ達はユッテの馬車に乗った。一同が馬車に乗り込み、さあ出発しようという所で、クヌフウタともう一人の修道女がユッテの馬車から降りて来た。そして、御者台に座るエルハルトの方へやって来て言った。


「エルハルトさん。私達はこちらの馬車へ乗せていただく事は出来ますか?」


「ええ、構いませんよ。このような粗末な馬車ですから、乗り心地は向こうの方には敵いませんが」


「あちらは高貴な馬車ですから、少し合わないようで……」


「そうですか。どうぞどうぞ」


 アルノルトはクヌフウタと修道女のために、布団を畳んで毛布でくるんだベンチを作り、二人にはそこに座ってもらった。エルハルトとアルノルトは御者台の方に並んで座った。


「兄さん最近風呂に入ってる?」


「ああ、追放されて、しばらく入ってないな」


「少し臭うよ? 風呂をホテルで借りれば良かったね」


「そうだな。アルノルトも臭うんじゃ無いか?」


「僕は最近風呂に入れて貰ったから、大丈夫だよ」


「どこで?」


「ユッテの宿でさ」


「ふーん」


「あれ? こっちから匂いが?」


 言いながら、アルノルトとエルハルトが振り返ると、匂いは後から漂って来ていた。

 後の幌の奥では向かい合って座るクヌフウタと修道女が気まずそうにしていた。クヌフウタはまだしも、お供の修道女の修道服はひどくすり切れ、汚れている。

 フランチェスコ派の修道士は替えの服を持たないので、数ヶ月も同じ服を着ている事が多かった。遠出で無ければ、歩くのも裸足だった。私有財産を持たず、遠出でも殆ど何も持たないのだ。托鉢修道院と言われ、寄付を貰ったものだけで生き、その壮絶な清貧こそを勲章として支持を集めていた。とてもお姫様がやっていける修道院ではないのだ。

 そうした事を知っているエルハルトは、鼻に手を当てたアルノルトに、「気にするな」と言い、先導の修道院の馬車に習って馬車を発した。

 馬車は少し戻って市庁舎前の橋で川を渡り、町を抜け、城壁を抜け、麦畑の続く田園の道を行き、やがて馬車は森へと入った。そこからの道は木の根のせいで凹凸も多く、まだ道が悪かった。座っていると何度もお尻が跳ね上がり、痛くなったが、厚い布団のクッションがある修道女二人は意外に快適そうだった。

 緩やかな丘陵地帯に森は行けども続いていて、坂道を一時間も行くと、馬が疲れて足が落ち、エルハルトの御する一頭立ての馬車は次第に遅れた。

 しかし、程なくして清流沿いの下り道になった。遥か向こうには平坦な盆地が見えた。その広い平地には、森と麦畑が広がっている。

 川の流れるその先には低い壁に囲まれた小さな集落が見えた。先頭の馬車はそこへ入って行く。


「おっ、着いたかな?」


 エルハルトの声に、アルノルトが答えた。


「広い農園だ。いい村だね」


 馬車の一団は壁に囲まれた集落へと入って行き、修道院の前で馬車を停めた。


「着いたようだ」


 トエス修道院はこの小さな集落の中央広場にあり、家々は生活する家というよりも、紡績の仕事場として使われているものが多いようだ。

 一同が馬車を降りると、修道院のシスターが迎えてくれ、礼拝堂へ案内してくれた。

 礼拝堂の中は満杯に近く、始まるまでまだ一時間以上あるというのに一般の婦人達が多く詰めかけていて、あまり騒ぐことも無く静かに座っていた。この辺では女性のお喋りは悪徳と教えられていた。


「纏まった席がもうあまり有りませんわね」


 エリーザベトが席を探してそう言うと、案内の修道女が言った。


「申し訳ありません。会誌にも報じられて、エックハルト様は大人気でして。予定の方の席は確保していたのですが……」


「私と、アフラの分ね。多く来過ぎてしまったわ」


 そうしながらも修道女は席を詰めて場所を空けてくれ、一同の座る席は確保出来た。

 ユッテだけは予約されていた貴賓席へ行き、隣はアフラの為に一つ空けておいた。

 一応の席を取ると、まだ時間はかなりあるので、ユッテは皆を連れ出して、周囲の見学をして歩いた。修道院の周縁を一周し、食事が出来る場所を探したが、食べられるような場所は見当たらなかった。


「そろそろお腹が減ったわね」


「お昼を持って来るんでした」


 そう言っていると、一台の馬車が停まり、エックハルトが降りて来た。その後にはもう一人下りてきた年長の修道士がいた。エックハルトの師匠のようだ。

 そして迎えに出て来たシスター達とそこで話をし始めた。


「エックハルト様だわ」


 周囲にいた人々がそれを見て駆け寄って行き、周囲は人集りになった。前回の教説の評判が広まっていた事もあるが、甘い理知的な風貌で婦人達に大人気のようだ。


「やあ。エリーザベト達も来てくれたのか」


 エックハルトはエリーザベトの姿を見つけ、声を掛けて近付いて来た。

 エリーザベトも軽く礼を取り、嬉しそうに言った。


「こんにちは。ユッテ王女のお誘いにより、飛び入りで参加させていただきました」


 ユッテも小さく礼を取って頷いた。


「こちらがユッテ王女で?」


「ええ」


 エックハルトは腰を低く折ってユッテに恭しく礼をした。


「先日は王女とはつゆ知らず……遠い所をご来臨戴き、身に余る光栄です」


「いいんです。本当はもう一人、あなたの講義を聴きたいって言う娘がいたの。もしかしたら遅れて来るかもしれません」


「さては例の元気なあの子ですね?」


 エックハルトがニヤリと笑うと、ユッテも笑い返した。


「その子です」


 後に続くイサベラやアルノルト、エルハルトが頷き合って笑っている姿を見て、エックハルトはユッテに言った。


「あいにく今日は満員だそうで、立ち見が出る程なのです。大勢でいらっしゃっていることですし、皆さんには一般講義の後、時間を設けてもう一度別室で特別講義をさせていただくと言うことで如何でしょう?」


「私? 私でしたらそれで結構です。エリーザベト様は?」


「それはかえって助かります。高貴な方が多いですので」


「では、少々お待たせ致しますが、別室でお食事でも摂りながらお待ち下さい」


 そう言ってエックハルトは恭しい礼をしてその場を辞し、修道女は一同を別室へと案内した。

 隣の建物の細長い会議室のような場所へ通された一同は、そこでささやかな昼食にありついて、旅の疲れと空腹を落ち着けるのだった。



 その頃、アフラとマリウスは、エーテンバッハ教会に着いた所だった。アフラはまず宿泊棟へと顔を出した。


「こんにちはー」


 待ち合い室にいたフィオナは、アフラを見て跳び上がった。


「アフラ! どーしたのー? またいつの間にか居なくなっちゃってー」


「ごめんなさーい。父に無理矢理連れ帰られちゃって。荷物がまだ置いてあったので、取りに来ました」


「どうしようかと思っていた所よー? まだ部屋に残してあるわー」


「ありがとう。取ってくる」


 アフラが部屋のある二階へ駈け上がって行くと、後のマリウスも付いていこうとする。


「上は女の子だけなの。男の子はダメよー」


「ええ? そうなの? 前は入っちゃった」


 フィオナに止められたマリウスは、仕方無く待ち合い室の椅子で待った。


「アフラの弟さん?」


「うん」


「どこから来たの?」


「ウーリの山の方さ」


「そんな所から来たのー? まさか往復して?」


「うん。片道でも大変だったのに、お姉ちゃんは往復だよ」


「それは大変だったのねー」


 アフラが荷物を持って階段を降りてくると、フィオナが言った。


「副院長が一度探しに来ていたから、顔を出してあげてね」


「はい! すぐ行って来ます。ではフィオナさん。大変お世話になりました」


「どう致しまして。またいつでも立ち寄ってねー」


「ありがとう」


 アフラはフィオナと両手で握手をして、慣れ親しんだ宿泊棟をあとにした。

 そして礼拝堂へ入って副院長を探すが、そこには見つからず、そこにいた修道女に聞くと、写本工房にいるらしい。

 アフラはマリウスを礼拝堂に残し、そこから写本工房へと走った。既に時間が間に合っていないので、修道院をみっともなく走り回っていた。

 写本工房へ着くと、そこにいた副院長を見つけ、駆け寄っていった。


「副院長先生!」


「あらあら、アフラさん。修道院は走らないでね」


「あ、はい! 今日でここを離れます。いろいろお世話になり、ありがとうございました」


 アフラは副院長に深々とお礼をした。


「二週間は短いですが、貴女は良く学ばれましたね。良い生徒が去ることはとても残念です」


「私ももっとここで勉強したかったです」


「そういえば、貴女はエックハルト先生の講義に行く筈だったのでは無くて?」


「ええ。これから行くのですが、馬車が無くて困ってます」


「あらあら大変。ここから行った人達はもう朝方に出てしまったし……」


 そう言っていると、写字生がやって来て言った。


「渡した聖書は読めたかい?」


「あ、これ!」


 アフラは荷物から本を取り出して言った。


「最後までは読めませんでした。でも、もうここを離れてしまうので、お返しします」


「いや、君が全部読めるまでは持っていてくれていい。ウーリに行けばもっと読む人もいるだろう。ここでは同じ本が続々と出来るんだ。返すのはいつでもいいよ」


「ありがとう! では、お借りします」


 副院長は窓を覗いて言った。


「まだ馬車があるわね。来ている馬車に聞いてみましょう」


「そんな事が?」


「あの馬車の方が貴女を探していたんです。怪しい人で無ければいいのですが」


 副院長は広場へと歩いて行った。アフラは礼拝堂の前で待っているように言われ、そこでマリウスと様子を見守っていた。

 副院長は停まっている馬車のドアをノックした。

 すると馬車のドアからは、御者が出て来た。

 幾つかのやり取りをすると、御者は馬車を動かし始めた。そして、馬車を回して礼拝堂の前に停めた。

 副院長が歩いて来て、アフラに言った。


「あの馬車の方は、貴女を待っていてくれたそうよ」


「あっ!」


 そこでアフラは御者がレオナルドである事に気が付いた。

 御者台を降りたレオナルドは、馬車のドアを開けた。馬車の中にはセシリアとロザーナもいる。


「あなたはユッテさんの!」


 レオナルドはアフラの姿を見て、両手を広げた。


「はい。お待ちしておりました」


「私を?」


 レオナルドは片方の手を胸に当て、もう片方は馬車のドアへと送った。


「もちろん! 貴女をヴィンテルトゥールにお連れするよう、申し遣っております」


「まあまあ。なんていう計らいでしょう。良かったわね」


 副院長がそう言うと、アフラも感激して頷いた。


「なんて……なんて嬉しいことでしょう。心から感謝します」


「馬車が無い事を心配されたユッテ様のご厚意です。その感謝はユッテ様に捧げて下さい」


「この感謝を、ユッテさんに捧げます」


「もっともアルノルトが貴女がここに来る事や、馬車が無い事を見越していたという事もありますが……」


「兄さんもアリガトォー」


「では、急ぎましょう。お乗り下さい」


「はい!」


 アフラとマリウスは馬車に乗り込んで、馬車は一路ヴィンテルトゥールへ向かった。


 


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