右往左往するアーマン
アッティングハウゼンとブルクハルトは、馬車の道中にあった。
その道も多くは山道ではあったが、最近は馬車道の整備が進み、殆どの道は水捌けのいい砂で均され、軽快な速度を出して走ることが出来た。
馬を御するのはヴァルターで、後席にアッティングハウゼンとブルクハルトが並んで話していた。
「明日の披露会には結構な偉い方々が集まるそうで」
「チューリヒはこの辺り一帯のヴァチカンにも等しいからのう。エリーゼ様はその中心となる聖母聖堂の守護者だ。少し前の空位時代なら周囲の領主から君主と仰がれてもおかしくは無いじゃろうな」
「そんなにすごい方だったのか!」
「その家がシュタウフェン公に連なるバーゼルの名家、ホーンベルク家と一緒になるんだ。ルーディック伯も若年ながらに賢明な方だ。両家が合わさるとなればますます皆が放ってはおかないという事さ」
「ルーディック様もこの披露会で声望は一気に高まるでしょうね」
「そうだな。この絵図を描いたシュファウファッハ殿は大したものだ」
「まあ、そうですな」
馬車がチューリヒを巡る城壁を潜り、都市の中に到着すると、片隅にある公館を訪れた。そこはシュウィーツのシュタウファッハ一派の拠点となっていて、小さなホテルくらいには大きく、集会所や講堂を兼ねているような大広間があって、多くの人がそこに集っていた。
シュタウファッハは人々と政情談義をし、熱弁を振るっている所だった。
シュタウファッハは、アッティングハウゼンとブルクハルトを見つけるや、演説を急いで切り上げて声を掛けて来た。
「やあやあ。ようこそウーリの皆さん」
「お邪魔をしたかの」
「これはすごい人だな。何の集まりなんだい?」
キョロキョロして入って来るブルクハルトにシュタウファッハは人々を振り返りつつ言った。
「我が党員たちだ。ここを拠点に政治活動している。支持者の数を集めるのは民主政治の基本さ」
「ん? うちではこんな事しないな」
「じゃあどうするんだ?」
「率直にそのまんま話すのさ」
「そのまま?」
「ああ、そのまんまだ。多数派工作なんてしたら、多分怒られる……」
「そうじゃな。影で密謀するなとかえって反発されるだろうな」
シュタウファッハは顎に手を当てて考えるように言った。
「我が州は議会があるし、こうした党もある。ここからチューリヒ中枢へ人を送り、議会工作さえもする。少し勝手が違う様ですな」
「シュタウファッハの多弁が鍛えられるわけだ」
「多弁と言われればただのおしゃべりみたいじゃないか」
一同は声を挙げて笑った。
「いやいや、弁才と言った方がいいか。それを頼りにはしているんだ」
「シュウィーツは一案を通すにも根回しが大変なのさ。自治とは言え大きな修道院や、ハプスブルク家、ラウフェンブルク伯、ラッペルスヴィル伯、それぞれの利権があって、その関係団体の派閥争いもあって微妙な勢力バランスで成り立っている。お陰で毎日がこんな騒ぎさ」
そこへ広間にいた一人が立ち上がり、近付いてきて言った。
「皆さんお揃いで。また会いましたな」
「オイデスリートさんではないか!」
「私もエリーザベト様からご招待をいただきまして。それにニートヴァルデンの代表としても、この慶事に加えていただきたいと思いましてな」
「オイデスリートさんもなかなか抜け目が無いですな」
「いえいえ。これもシュタウファッハさんの口利き、彼の掌で踊っているようなもののようで」
「そうなのか? シュタウファッハ」
シュタウファッハは含笑いを浮かべて頷いた。
「それについては聞いてもらいたい事がある。その事があってここに早目に寄ってもらったんだ。こんなところで立ち話も何ですので、奥の部屋で少し話をしましょう」
シュタウファッハは一同を奥の客間へ通し、ゆったりとしたソファーへ腰掛けて言った。
「この度のご成婚はホーンベルク家とラッペルスヴィル家のものです。しかし影響圏となるバーゼル周縁国とチューリヒ周縁国が一同に集まり、政治的にも纏まることになる。南北の大合同と呼べる婚儀になるのです。これに我々も乗ろうではないか。共に和を取り結ぶんだ」
首を傾げたのはアッティングハウゼンだった。
「和を結ぶ?」
「同盟を結ぶと言う事です」
「おお。それはまた絵図を大きく広げましたな」
「夢ではありませんぞ。すでにチューリヒの要人と話を進め、概ね良い応えを頂いています」
「それは本当か!」
「ええ。あとは条件が折り合えば、調印するだけです。頼んでおいた印章はお持ち頂けましたかな?」
「おお。ここに」
ブルクハルトは懐からウーリの州章を取り出した。
オイデスリートも懐に手を当て「こちらもありますぞ」と頷いた。
シュタウファッハは「素晴らしい」と大袈裟に驚いて見せてから言った。
「披露会の後、主だった議員を集め会談の場を設けます。その時にご調印を頂けますかな」
オイデスリートは胸を張って言った。
「もちろん我が州は乗らせてもらいますよ。私はそのためにこそここへ来たのだから」
ブルクハルトはしかし、苦い顔をして言った。
「シュタウファッハよ。我が州は根からの自治の州だ。そういう事は我等の一存では決められない」
シュタウファッハはそれはおかしいと首を振って言った。
「ここにウーリの代表者三人がいるではないか。それで議決出来ないのか」
アッティングハウゼンは首を振って言った。
「そのような大事案は、皆と青空会議で決めねばならない」
「しかし、この同盟は内密のもの。まだ公に明かす事は避けなければなりません。青空会議で話すと言うなら、残念ですがウーリは外れてもらわねばなるまい」
アッティングハウゼンは慌てた。
「少し待っては貰えまいか。話す事も出来なければ決める事も出来ない」
「今、多くの州が揃っているのです。この機会を逃すわけには行きません。今回は残念ですが」
ブルクハルトは立ち上がり、シュタウファッハの腕を掴んで言った。
「そんな殺生な事言うな……なんとか大目に見て村民と話し合う時間をくれ」
「無理だ。それに話しが漏れて王家に知られては切り崩されてしまう。そもそも間に合わないだろう?」
「そんな……」
ブルクハルトは膝を床に落として頭を抱えた。
オイデスリートは助けるようにブルクハルトの背を叩いてから言った。
「我が州のように委任を取り付ければ良いのです。少なくとも外交においては!」
「なるほど! ならばみんなに委任状を取ろう!」
シュタウファッハはニヤリと微笑んで頷いた。
「いいだろう。但し、明日の昼から披露会が始まる。期限は丸々一日だ」
「ま、間に合わない」と頭を抱えるアッティングハウゼン、
「特急馬車で行って、手分けすれば大丈夫でさあ」と胸を叩くヴァルター、
「行こう! 今すぐ!」と跳び上がるブルクハルト、
頷き合った三人は慌てて部屋を発ち、特急馬車に乗り込んだ。特急馬車は各都市にある駅舎で馬を取り替えながら、走行速度を上げて走る便だ。郵便や荷物も一緒に運ばれる事が多い。
荷物に囲まれ、悪路に激しく揺られながら、アーマン達はウーリへと戻って行った。
管区長達がアルトドルフの宿駅に着いたのは、辺りが夕焼け色に染まりだした頃だった。
「どっこいしょっと。早く着いたな。急いで出来るだけたくさん委任状を取るんじゃ! この際数合わせで女子供でもいい。出来るだけ人数を集めるんだ」
アッティングハウゼンが馬車を降りて言うと、続いて降りて来たブルクハルトは夕暮れの空と家々を見上げて目を回した。
「ウヲォ—! 間に合うか! ここらは家も沢山有り過ぎる。どこから回ればいいんだ」
アッティングハウゼンが言った。
「それぞれ管掌の区で手分けすればいいだろう」
管掌の区としては、アッティングハウゼンはアルトドルフ周辺の一帯、ヴァルターがビュルグレンより東のシュピーリガン谷の奥にかけて、ブルクハルトにおいては聖母聖堂所属の村という配置だった。その村はビュルグレン村だけでは無く、東部と南部に別れて幾つもあるのだ。
「ウヲォー。儂だけあちこちあり過ぎる!」
「じゃあ儂はアルトドルフの面々に声を掛けるとして、お前さんは東側で、ビュルグレン村とその奥のシェッヘン谷とシュピリーガンだ。空いたヴァルターは南側一帯だ。あとは各自で考えて、なるだけ皆で手分けしてな。明日の早朝、この宿駅に再集合じゃ」
「解った!」
「了解さあ」
そうして三人は別れて委任状を取りに回った。
カリーナは家で夕食の支度をしていた。昨日の肉を今回はシチューにして長く煮込んでいた。家の中には次第に何とも言えない香ばしさが漂い、アフラとマリウスは匂いに釣られて台所へやって来た。
「いい匂いだ」
「フゥーン。ほんと。美味しそう」
「今日はビーフシチューよ。部屋で待ってなさい」
二人は台所から追い出されたが、アフラはまだ戸口で料理を見ていた。
「じゃあ、アフラ、かき混ぜるの手伝って」
「はーい」
アフラは木のお玉を受け取って、鍋をゆっくりかき混ぜた。
「フゥーン。いい匂い」
そこへエルハルトとアルノルトが放牧から帰って来た。
「ただいま。いい匂いがする」
「これはビーフシチューの匂いだ」
エルハルト、そしてアルノルトがそう言うと、カリーナは台所から顔を出して言った。
「おかえりなさい。当たりよ」
「へえ、美味そうだね」
「これなら沢山食べられそうだ」
子供達は料理が出来上がるのを待ち遠しく食卓で待った。
しばらくすると、そこへ玄関を潜ってブルクハルトが部屋へやって来た。
「いい匂いだな」
マリウスが言った。
「あ、お父さんおかえり! なんだかみんな匂いに寄って来たみたいだ!」
「俺のいない間に肉料理なんて狡いじゃないか」
そんなブルクハルトをカリーナは訝しむように言った。
「あらあなた。おかえりなさい。どうしたの? 結婚披露会はまだ明日じゃなかったの?」
「ちょっと火急の用があって途中で戻ったんだ。委任状を沢山取らなきゃならなくてな」
「委任状?」
「とりあえず村長に署名を回してもらうようお願いして来たところだ。お前達もこれを書いてくれ。選挙権は無いが、数合わせだ」
ブルクハルトは家族に一枚の署名用紙を回して、一人一人にサインを書かせた。
「何の署名なの?」
「外交交渉の委任状だ。政治的な駆け引きが必要な事をチューリヒで決めて来るという事だ」
サインを済ますとアルノルトが言った。
「お父さん、結婚披露会って、もしかしてラッペルスヴィル家の?」
「ああ、そうだ。よく解ったな」
「行けるなら僕も一緒に行っちゃいけないかな。そう言えばルーディックに招待されていたんだ」
そう言ってアルノルトは一枚の招待状をお尻のポケットから取り出した。
見ればルーディックとエリーザベートの連名でサインがされている。
「何と! ルーディック卿に頂いたのか?」
「そうだよ」
「それはむしろ行かなければならない! 早く言え! 明日早朝に出るから支度しておくんだ」
「四人まで一緒に行ってもいいって言うんだ。母さんは行ける?」
「私はダメよ。家の事がいろいろあるから」
「あたし行きたい!」と叫ぶように台所から飛んで来たのはアフラだった。
「アフラはダメだろう。お前は怪我人だ」
ブルクハルトがそう言えば、アフラは「ケチー!」と地団駄を踏んだ。
「兄貴は……」
「お前が抜けてオレが放牧に行かなきゃ誰が行くんだ」
「悪いね兄貴。じゃあ、マリウスは?」
「うん。行く!」
「あと二人行けるけど、誰かいないかな?」
「僕の仲良しだとポリーとソフィアだね」
「あの二人か。うん。前のお詫びにちょうどいいかも」
「でしょ〜?」
ブルクハルトは困惑気味だ。
「遊びじゃないんだ。子供ばかりそんなには連れて行けないぞ」
「ウチの馬車を出せばいいよ。何なら僕が御者するから」
「明日の朝の特急便の馬車で行くんだ。馬車代も高いし、もう大人三人いる。そんなに乗れないかも知れないぞ」
「馬車がいっぱいだったらその時諦めればいい。馬車代は取り敢えずベルケルさん所に行って出せるか聞いてみるよ」
「ならまあいいだろう。ベルケルのとこにも行かなきゃならん。食事が済んだら一緒に行こう。エルハルトとカリーナも一緒に来てくれ。すまんが手分けして委任状を取るのを手伝って欲しい」
「ああ、いいよ」
「知り合いを回って来ればいいの?」
「ああ。一晩で回れるだけ集まればそれで十分だ。しかし、まずはその美味そうなシチューを頼む。もうお腹が鳴りそうなんだ」
ブルクハルトはカリーナの背を叩いて台所へ行った。入れ違いにアフラが台所からパンとパン切り包丁を持って来た。
「俺が切るよ」
エルハルトはそれを受け取ってテーブルでパンを切り始める。田舎パンは固いので、切るのに技と力が要るが、エルハルトが切ればあっと言う間の手際だ。
手が空いたアフラがアルノルトへ駆け寄って来て、小声で言った。
「お兄ちゃん、そのパーティーはイサベラさんも来るの?」
「うん、招待はしてたから、多分来るよ」
「え〜っ 私も行きたい!」
「アフラは怪我してるんだろ」
「もう治った!」
アフラはそう言ってお腹を捲って包帯も捲り上げた。
脇腹の怪我はしっかりと厚い瘡蓋が出来ていた。
「治ってないじゃん」
「昨日までは瘡蓋も出来てなかったの。だからあまり無理出来なかっただけで、もう大丈夫よ」
「でもなあ。特急馬車はかなり揺れて大変だよ?」
「大・丈・夫!」
「まあ父さんに言うんだな。俺は決められない」
「そんなぁ。絶対ダメって言うわ」
「これから二人誘ったらもう人数一杯だしな」
アフラがむくれると、エルハルトがパンを切る手を止めて真顔で言った。
「取り敢えずたらふく肉を食って、明日までに怪我を治せ」
「え〜っ。治るかしら。だったらお替わりするわ」
子供達はドッと笑いに沸きながら、パンを皿に取り分けた。
そしてそのすぐ後には母と父の手でビーフシチューが運ばれて来て、全員が食卓に着いた所で食事前の祈りが始まった。久々に家族の揃った夕食だった。
夕食後、早速ベルケル家を訪れたブルクハルトとアルノルトは、ボリスとハンナに署名のお願いをし、その署名をしている最中にアルノルトが招待状を見せて結婚披露会の事を話した。
「明日か? 家の子に誘ってくれるのは大変光栄だが、急だな」
「ポリーはあれから少し熱を出してねえ。ちょっと遠出は無理だろうねえ」
ハンナがそう言うとブルクハルトが和やかに言った。
「そうか。小さい子にはチューリヒは遠すぎるし無理させることは無い。それに明日朝の特急馬車に乗るから、少し費用もかかるんだ」
「奥さんに仕度金を多めに貰ったし、それくらいは払うが、あとはソフィア次第だな」
「仕度金?」
「聞いてないのか? お前んとこの馬車が壊れて娘が怪我したんだよ。その馬車を今ウチで直してる」
「そうなのか。それは済まない事だった」
「ダメだよあんな馬車使わせちゃあ」
ボリスは少し怒った口調でブルクハルトに馬車の悪いところを並べ立て、次には自慢気に改良点を話し始めた。
それを横目にハンナは家の奥に向かってソフィアを呼んだ。
「ちょっとソフィア。いらっしゃい」
「はーい」と奥の部屋からソフィアが顔を出した。
「明日、チューリヒで偉いご領主様の結婚パーティーがあるそうだけど、行きたいかい?」
ソフィアは目を輝かせて言った。
「私が行ってもいいの?」
アルノルトは招待状を見せながら言った。
「前にマリウスが迷惑をかけたお詫びだよ。僕宛ての招待状があるんだけど、四人まで同行していいんだ。ウチは僕と父の他はマリウスくらいしか行けなくてね」
ソフィアは小躍りして頷いた途端に頭を抱えて言った。
「でも、そんな所へ着て行くお洋服が無いわ。どうしましょう」
「それを言ったら僕らも無いさ。ねえ、父さん。どこかでいい服を借りれないかな」
「そうだな。アッティングハウゼンさんならパレードの時のいい服を保管して持っているから借りれるだろう」
「だってさ。なら行くかい?」
「うん! じゃあ私、行くわ!」
「決まりだね」
「ポリーも行けるといいんだけど………」
ソフィアに困った顔を向けられて、ハンナが言った。
「ポリーは風邪がひどいし、小さいからお留守番よ」
「そうよね」
「滅多に無い機会だから、あなたは行っておいで」
「うん」
ブルクハルトは夫妻の書いた委任の署名を回収して言った。
「明日早朝迎えに来るよ。帰りは自前の馬車中泊の予定だから宿代、馬車代はいらないが、明後日になる」
「大事な娘だ。ちゃんと無事に帰してくれよ」
「ああ。責任持って送り届ける」
そう言ってブルクハルトとアルノルトはベルケル家を後にした。
そしてその後は手分けして村中の署名を集めてまわり、その夜のうちに多くの署名を貰う事が出来た。




