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複数世界のキロ  作者: 氷純
第一章 クローナの世界

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第二十四話  騎士団の捜査資料

「ははは、それは災難だったね」


 膝を打って心の底から楽しそうに笑いながら、アンムナがキロとクローナの話に同情した。

 巨大な毛虫に追いかけられた話のどこが琴線に触れたのか、アンムナはしばらく腹を抱えて笑う。

 アンムナの隣は相変わらず揺り椅子に座ったまま動く事のない女性の姿、アシュリーがあった。

 アシュリーが入った透明なガラスケースに寄りかかって笑うアンムナの姿は、どこか狂気染みて見える。

 ひとしきり笑ったアンムナは目元に浮かんだ笑い涙を拭い、それにしても、と続けた。


「グリンブルの骨が崖の上の洞窟にあったというのは、奇妙だね」

「やっぱり、そう思いますか」


 キロとクローナも森から帰る途中で不自然さに思い至り、意見を交わしたのだ。

 毛虫の魔物の動きは鈍く、グリンブルを仕留められるとは思えない。よしんば、毒で倒したのだとしても、崖の上まで引きずり上げるほどの力が毛虫にあるのだろうか。

 動作魔力を使えば可能だが、毛虫の動きは動作魔力で補佐していたにしては鈍かった。


「君達が出会った毛虫の魔物だけど、毒に頼るから動作魔力を使わないんだよ」


 アンムナの言葉は、キロの予想を裏付ける。

 残された可能性はグリンブル自らが崖に上ったか、毛虫以外の何者かに運び込まれたかだ。

 しかし、クローナと共に辺りを探索した結果、グリンブルが崖の周囲を縄張りにしていた形跡はなかった。

 それどころか、崖の周囲を縄張りにしている魔物自体が確認できなかった。毛虫が根城にしているくらいなのだから当然かもしれない。

 では、何者かがグリンブルを運び込んだのか。

 ――どんな理由で?

 考え込むキロとクローナだったが、唐突にアンムナが手を打ち合わせて注意を引く。


「さぁ、考えるのは後にして、遺物潜りについて教えようか」


 本来の目的を忘れていた事に、キロとクローナはばつの悪さを感じて視線を泳がせた。

 特に小言を口にせず、アンムナは説明を始める。


「まず、遺物潜りに必要な物は普遍魔力と渡る世界への道を繋ぐ媒介の遺品。死者の念と遺品の記憶から世界を特定し、道を繋ぐ魔法だからね」


 昨日聞いた基本を復習しながら、アンムナは小物入れからインク壺を取り出した。


「遺品には異世界へ送る人数の容量があってね。どんな物でも四人が限度なんだけど、君達二人くらいなら大丈夫だろう」


 アンムナがキロとクローナを順に見て、一つ頷いた。

 キロはメモを取りつつ、疑問を口にする。


「遺品ならどんな物でも使えるんですか?」


 キロにとってはかなり重要な事柄だ。

 せっかく元の世界の品を手に入れても、遺品でなければ発動しないというのに、遺品であっても他に条件があるならば媒介の入手は非常に困難を伴うだろう。

 キロの願いとは裏腹に、アンムナは無情にも首を振った。


「物は人の手を渡る物だからね。一番強い念が優先されるから、異世界から流れてきたものでもこの世界の所有者の念を宿して使い物にならなくなる場合もある。それに、死者が必ずしも念を込めるとは限らない」


 発動させてみればわかるけどね、とアンムナは続けた。

 念が込められているかどうかを調べる方法は発動させる以外にもあるらしく、後日教えてくれるとの事だった。

 クローナが一杯一杯になっているが、キロがメモを取っている事もあってアンムナは容赦なく説明を続ける。


「遺物潜りは世界を渡った後、遺品に込められた念を何らかの形で晴らす事で帰還の道を開く事が出来る」


 アンムナの言葉に、クローナがぴくりと反応を示す。


「この世界に帰って来れるんですか?」


 身を乗り出し勢い込んで訊ねたクローナに、アンムナが思わず仰け反る。


「帰って来れるよ。例えば、お墓に花を供えて欲しい、という念が遺品に込められていたなら、墓を建てて花を供えてあげれば帰還の道が開く。そういう風に、この魔法陣を組み立ててあるからね」


 アンムナはそう言って、魔法陣が描かれた一枚の紙を取り出した。

 何本の線で構成されているのか分からない複雑怪奇な魔法陣だ。

 キロとクローナは魔法陣を一目見て、戦慄する。


「……まさか、その魔法陣を覚えないといけない、なんて事は――」

「あるよ」


 当然だろう、とばかりにアンムナはにっこりと微笑んだ。

 異世界行きの扉に掘られた文様は努力しない者を拒む方針らしい。

 キロ達は仕方なく、魔法陣習得のための書き取りを始めるのだった。



 礼を言って翌日の訪問許可を取ると、キロとクローナはアンムナの家を後にした。

 まっすぐ宿に向かう事も考えたが、少し道を逸れて騎士団の詰め所に向かう。

 行方不明者についての情報が欲しかったのだ。


「宿代をギルドが負担って、高待遇ですよね」


 クローナがしみじみと言う。お金の心配から解放されて嬉しそうだ。

 キロ達は森での調査報告をギルドにした際、オールバックの受付からギルドが宿代を負担すると聞かされた。

 無論、ただでそんな高待遇を受けられるはずもない。


「危険手当みたいなものだろ。それに、下手な宿に泊まられて口封じされるより、完全に居場所を把握しておいて誘拐された直後から捜査を開始できる体制を整えたほうが、ギルドにとっても都合がいい」


 いうなれば、キロ達は囮なのだ。

 待遇を見るに、調査にあたっていた冒険者が消えた事実はギルドに重く受け止められているらしい。

 キロの推理はなかなかの説得力を持っていたが、クローナのお気に召さなかったらしい。

 不服そうに唇を尖らせて、クローナがキロを横目に睨む。


「もっと好意的に受け止めましょうよ。ギルドの予想以上の早さで調査を終えた私達の有用性が評価された、とか」

「確かにクローナのおかげで迷わなかったから調査は早く済んだけど、調査が時間の大部分を占めてるんだから誤差の範囲だろ」


 キロは真っ当な意見を口にするが、クローナの機嫌をますます損ねるだけだった。

 もういいです、とそっぽを向くクローナに、キロは頭を掻く。

 ――好意的に捉えて周りへの警戒が薄れるよりはましか。

 クローナへのフォローはせず、キロは目の前に見えてきた騎士団の詰め所を観察する。

 歩哨に立つ鎧を着込んだ騎士は勇ましく、ともすると厳めしい。

 だが、道に迷ったらしいお婆さんに地図を提示して道順を教えている姿は親しみやすさを覚える。

 日本でいう所の交番のような役割があるのかもしれないな、とキロは自身の感覚に照らし合わせる。

 お婆さんが騎士へ礼を言って道を歩き出したのを見計らって、クローナが騎士へ声をかける。


「ギルド所属の冒険者です。連続失踪事件に関しての情報を閲覧したいのですが、構いませんか?」


 冒険者カードを提示すると、すんなりと詰め所の中へと通された。

 ギルドとの連携は案外しっかりしているのだろう。

 詰め所の中の一室に案内され、分厚い資料を目の前の机にどさりと置かれる。

 難解な魔法陣の書き取りをした後だ。キロ達は資料を見ただけで目がちかちかしてくる。

 資料の盗難を防ぐためなのか、キロ達の対面の椅子に初老の騎士が腰を下ろす。

 白い顎鬚を蓄えた老騎士は紳士的な手振りで資料の閲覧を促した。

 ここまで来て帰るわけにもいかないため、キロ達は資料を捲り、目を通す。

 クローナから少しずつこの世界の文字を学んでいるキロと欠かさず日記をつけているクローナの読む速さには雲泥の差があった。

 見かねた初老の騎士がキロのために資料を読み上げてくれる。


「――それで、何か気付きましたかな?」


 資料をいくらか読み終えて、初老の騎士がキロ達の意見を訊く。

 資料の大半は失踪者達の暮らしぶりや交友関係だ。


「聞いた限りでは失踪する動機がなさそうですね」


 クローナが資料をぺらぺらとめくりながら呟く。

 キロも同じ意見だった。

 生きていれば悩みの一つや二つある物だが、逆に楽しみの一つや二つもある物だ。

 失踪者は皆、深く思い悩んでいたようには思えない。


「お二人もそう思われますか」


 初老の騎士もまた、キロ達の意見に賛同する。

 キロは資料を捲り、カッカラの地図に赤い線が書き込まれたページを開く。


「失踪した冒険者の足跡が妙ですよね」

「普通に捜査しているだけに見えますけど?」


 キロが赤い線をなぞりながら指摘すると、初老の騎士へ通訳した後でクローナが首を傾げた。

 しかし、初老の騎士は心当たりがあったらしく、腕を組んで頷いた。

 キロは初老の騎士と基礎事項を摺合せつつ、クローナにも理解できるように言葉を選ぶ。


「失踪した冒険者は、一連の失踪事件から殺人の可能性を除外して捜査していた節があるんだ。でも、この段階ではまだ失踪か誘拐か、はたまた殺人と死体遺棄なのか、判断する材料が足りなかったはず」


 キロは赤い線上のいくつかの点を指先で叩く。


「この時点では森の調査もろくに行われていなかった。なのに、冒険者はどうしてかパン屋への集中的な聞き込みを行っている」


 キロが叩いた場所は全てパン屋だ。カッカラは人口が多いだけあって、パン屋も複数存在している。

 死体が食べ物を必要とするはずもなく、食べ物屋への重点的な聞き込みは失踪者が生きていると冒険者が考えていた事を窺わせる。

 キロが冒険者の思考を推理すると、クローナが片手をあげて発言を求めた。


「可能性を一つ一つ潰していたのかもしれませんよ?」

「それにしては無駄が多い」


 キロは最初の失踪者の家を指差す。

 キロが二番目の失踪者の家を指そうと場所を探すと、初老の騎士が先にここだ、と指を置いた。

 どちらの家も、冒険者が失踪当日に聞き込みをしていた道の上にある。


「なんで冒険者はこの二軒に立ち寄って聞き込みをしなかったんだろうな」


 そう、冒険者は失踪事件を捜査していたにもかかわらず、失踪者の家に訪問していないのだ。

 クローナは少し考えた後、口を開く。


「騎士団の聞き込み報告を見れば十分だと思った、とか?」

「それはないよ。家族から話を聞く手間を惜しむような人なら、路地裏のパン屋まで足を伸ばしたりはしない。捜査は足で稼ぐもの、って考え方を地で行ってるんだ、この人は」


 キロが言うまでもなく、地図上の赤線を見れば冒険者のマメさがよく分かる。

 カッカラ中のパン屋を巡る旅でもしているのかと思うほど、あちこちに足を伸ばしていた。

 初老の騎士が面白い物を見るような目をキロに向ける。


「捜査は足で稼ぐもの、ですか。なかなかお詳しいですな。罪を犯した経験がおありで?」

「……普通、捜査に加わった経験の方を聞きませんか?」


 悪趣味な冗談を飛ばす初老の騎士に、キロは白い目を向ける。

 キロの視線をまるで意に介さず、初老の騎士は楽しげに口元を綻ばせた。


「何かほかに気付いた事はありませんか?」

「何でパン屋だけを調べていたのか、ですね」


 初老の騎士の質問に答え、キロは地図に視線を落とす。

 誘拐しても、生かしておくためには食事が必要だ。主食としてのパンを調べるのは理に適っている、ように見える。

 だが、生かしておくだけならばパンである必要はない。豆のスープでも食べさせておけば、金もかからず栄養の補給をさせる事が出来る。

 仮に栄養状態を気にしているなら、パンだけでなく肉や野菜も食べさせるのが自然だろう。

 失踪した冒険者の調べ方にはムラがあるのだ。

 しかし、キロはカッカラに入る前にクローナから聞いていた。

 カッカラの人口を支えている食料の大半は周辺に発生する魔物である、と。


「失踪したこの冒険者、連続失踪の真相は冒険者による誘拐事件で、犯人は被害者へ与える肉や野菜を周辺地域の魔物を狩る事で賄っている、と考えていたのでは?」


 キロの推察にクローナが眉を寄せ、初老の騎士が大きく首を上下させる。

 だが、キロはここまでの推理に大きな穴がある事にも気付いていた。

 キロが言及する前に、クローナが口を開く。


「なぜ、失踪した冒険者は犯人が被害者の栄養状態を保っている、と考えていたのでしょうか?」


 台詞をクローナに奪われた形になったが、キロは気にせず初老の騎士を見る。

 いま目の前に提示された資料から読み取れる範囲からできる推理はここまでだ。

 もし、推理が正解ならば、失踪した冒険者の考えの根幹にある情報を騎士団が秘匿しているのではないか、とキロは邪推していた。

 初老の騎士は「参ったな」と肩を竦める。


「実は、捜査資料は……これがすべてでしてね」

「隠してはいない、と」

「えぇ、失踪した冒険者がまとめていたであろう資料さえ、ここにはありません。犯人が持ち去った、と考えるべきですな。誘拐事件の可能性が高い事はまだ他言無用に願います」


 初老の騎士が嘘を吐いているようには見えなかった。


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