第二十五話 宿の夜
初老の騎士に礼を言って、キロ達は騎士団の詰め所を出た。
すでに夜更けと言っていい時間である。
すっかり出来上がった酔っ払いに絡まれそうになりつつ、キロ達は宿に到着した。
昨夜と同じ宿だが、今回の料金はギルド持ちである。
入り口を潜ると、宿の娘が振り返った。
キロとクローナを視界に収めるや否や、宿の娘は待ってましたとばかりに厨房へ声をかける。
「キロ君とクローナちゃんだよ!」
宿泊者名簿を見て名前を覚えたのだろう、娘は厨房にいる宿の主へ伝えた。
娘はキロとクローナに向き直り、その珍しいほど長く美しい腕を伸ばす。
「聞いてるよ。ギルドが宿代負担してくれるって? 大物だね!」
すでに連絡が届いていたらしい。キロ達は調査を終えて戻ってきた夕方頃にギルドで聞かされたが、その前から準備そのものは進んでいたのだろう。
宿代を踏み倒される心配はなく、失踪事件の調査が終わるまでは宿に泊まる上客だ。娘がキロとクローナに向ける視線は獲物を逃がすまいとする肉食獣のそれだった。
「部屋の準備するからさ、なんか食べちゃいな。サービスするよ」
娘はキロとクローナの腕を取り、食堂へと引っ張り込む。
夜も遅い時間だけあって、残っている客は少ない。おかげで座る席には事欠かないが、キロは手前のテーブルに知った顔を見つけた。
「……シールズさん?」
パスタをフォークに絡めていたシールズがキロの声に顔を上げる。
キロの姿を目に留めると、おぉ、と小さく感嘆するような声を漏らした。
「キロ君か。この宿に泊まるとはお目が高い。というより、良い舌をしているね」
パスタを口に持っていくシールズとキロを見比べて、娘が意外そうな顔をする。
「なになに、キロ君とクローナちゃんってシールズさんの知り合い?」
「昨日、ギルドで少し話した程度です」
クローナが娘の問いに答える。まだシールズを警戒しているのか、わずかに声が硬かった。
クローナの様子には気付かなかったのか、娘はほほぅ、とわざとらしく感心するような声を出す。
「ギルドの有望株同士、惹かれあうものがあったわけだね。これも似た者同士ってくくりに入るのかな?」
娘はシールズに視線を移した。正確には、シールズが食べているパスタを見ていたようだが、何かを企むようにニンマリと笑う。
「似た者同士、食べ物の趣味もあうかもしれないね。シールズさん、キロ君とクローナちゃんにお薦めを教えてあげてよ」
「そんな事を言って、キロ君たちに付き合うために僕が追加の料理を頼むのを期待しているんだろう?」
「ばれたか」
シールズが楽しげに企みを見抜くと、娘は笑顔で肩を竦めた。
企みを見抜かれようとお構いなしで、娘はシールズの隣の席へキロとクローナを案内する。
シールズは笑いながら娘の行動を見守りつつ、キロとクローナに壁のメニューの一つを指差して見せる。
「美味しい魚が入っているそうでね。僕のお薦めはムニエルだよ」
娘の企みに乗って見せるつもりらしい。
昨夜は選ばなかった料理でもあったので、キロとクローナはムニエルを二人分頼み、スープとパンを追加した。
娘がキロとクローナの注文をメモし終えたのを見計らって、シールズが声をかける。
「僕はサラダを貰おうかな。後、明日の朝食にしたいから持ち帰りで何か作って欲しい」
「シールズさん、そろそろ料理を覚えたら? まぁ、儲かるからいいんだけど」
「君が作りに来てくれると嬉しいかな」
「――娘はやらん。俺が作りに行ってやろう!」
シールズが娘を軽い調子で口説くと、厨房から怒鳴り声が飛んだ。
「やっぱり遠慮しておくよ。ここに来ないと君の顔を見れないらしいから」
シールズが肩を竦めると、食堂に残っていた客が一斉に笑う。
娘が注文を伝えに厨房へ消えると、シールズがキロに視線を移す。
「相変わらず、綺麗な髪に珍しい肌の色だね。日に焼けているわけでもなさそうなのに」
皿に残ったパスタを食べながら、シールズがキロの外見に言及する。
異世界から来たことを暴露する羽目になりかねないため、キロは別の話題に逸らしてしまおうと口を開いた。
「この宿にはよく来るんですか?」
「顔馴染みではあるかな。一昨年に家を買った時、引っ越し祝いにどこかで食べようと思って立ち寄ったのが切っ掛けだよ」
親しみやすい笑みを浮かべてシールズは答え、一昨年に買ったという家がある方角を指差す。
よかったら今度遊びに来てくれ、というシールズにキロとクローナは愛想笑いを返した。
シールズとしても社交辞令の一種で口にしたのだろう、無理に誘う事はせずパスタを食べきる。
直後、シールズのテーブルにサラダと包みが置かれた。
「はい、追加だよ。こっちは明日の朝食ね」
娘がウインクして、キロとクローナの前にもパンとスープ、ムニエルを置いた。
「それじゃ、私は部屋の準備をしてくるよ」
ビシッと片手を挙げ、冗談めかして宣言した娘は階段に向かう。
その背中に、クローナが声をかけた。
「あの、部屋は二つお願いします」
娘の足が止まり、不思議そうな顔でクローナを振り返った後、キロに視線を移す。
しばし逡巡した後で、娘は何かに気付いてわずかに目を見開く。
娘は踵を返し、キロの近くに歩み寄ると耳打ちした。
「フォローするからさ。喧嘩したのか、失敗したのか、どっちか教えて?」
「――どっちも違う」
キロの呟きを、クローナが首を傾げつつも翻訳して娘に伝える。
娘は顎に手を当てて考えた後、ひらめいた、という顔をして再びキロに耳打ちする。
「使い物にならなかったの?」
「――宿の人間ってそういう事ばっかり考えてんのか?」
「キロさん、何の話をしてるですか?」
困惑顔でクローナが問うと、娘はニンマリと笑った。
「部屋で教えて貰いなよ」
フォローするどころか思いっきり投げっぱなしにして、娘はキロの呼び止める声を無視して階段を上がっていった。
蚊帳の外に置かれたクローナが不満そうに唇を尖らせる。
「何の話をしてたんですか?」
「……部屋は一つでいいのか、俺の意見を聞かれたんだ」
視線を逸らしつつ答えると、クローナは疑うような目を向けてくる。
しかし、徐々に疑うような目つきが何かを思案するようなものに変わった。
キロが視線を逸らし続けていた事で何か裏があると感じ取ったのだろう。
キロとしては奥手なクローナに配慮して言葉を濁したため、あまり深く考えて欲しくはないのだが……。
――あぁ、あの顔は気付いたな。
クローナの顔が見る見るうちに朱く染まるのを見て、キロは内心ため息を吐いた。
その時、隣のテーブルでサラダを突いていたシールズが声を上げる。
「僕はそろそろ帰るとしようかな。キロ君達も捜査の方、がんばってね」
シールズはキロの肩を親しげにポンと叩き、包みを持って食堂を出ていった。
キロはクローナと共にシールズの背中を見送り、ふと湧いた疑問に首を傾げる。
「シールズさんが持っていた包み、大きすぎないか?」
「三人前くらいあるように見えましたね」
キロとクローナが首を傾げていると、食堂に残っていた客の一人が酒を片手に説明してくれた。
なんでも、明日の朝食と言いつつ、昼食も含んでいるらしい。
「シールズの奴、いつも森へ狩りに行くんだが、朝早くに出かけるせいで昼食を取らない事が多いんだと。それで、心配した宿の親父さんが多めに作って渡してるんだ。ああすれば、食べきれなかった分を弁当に出来るだろ」
キロは手元の料理を見る。
「頼めばお弁当を作ってくれたりしますかね?」
明日は失踪した冒険者の足跡を辿る事に決まっており、カッカラの外に出る予定はない。
どこかで見つけた屋台で何かを買う事も考えていたが、目の前のおいしい料理を作る宿の主謹製の弁当にも興味があった。
キロが対面に座るクローナに相談しようとした時、すでにクローナは席を立って厨房を覗いていた。
「お弁当って、作ってもらえますか?」
「おう、前払いで頼むぞ」
クローナは厨房から出てきたエプロンの似合う宿の主に銀貨を一枚渡し、二人前を頼んで席に戻ってきた。
相変わらず素晴らしい行動力だ、とキロは感心する。
明日の弁当を楽しみにしているのだろう、上機嫌のクローナは階段から降りてきた宿の娘のセリフに硬直する。
「ベッドは一つでいいの?」
すでに引いていたはずの朱色が、クローナの顔に戻ってくる様子に苦笑しながら、キロは二つ用意して貰えるように頼んだ。
濡らした布で体を洗った後、キロは部屋へ戻った。
結局、部屋は一つのままだ。
ギルドが宿代を負担してくれている以上、あまり贅沢をするのは良くないという事と、失踪した冒険者の二例目にはなりたくないという理由からだ。
理由を二つともクローナが言い出した事にキロは少し驚いたが、朱い顔で微塵の余裕もないクローナをからかうのは控えた。
どの道、クローナに手を出す気はないのだ。
元の世界に帰る目的がある以上、クローナに手を出しても責任が持てないのだから。
「クローナ、入るぞ」
部屋の扉をノックして、キロは中へ声をかける。
少し時間をおいて、クローナがどうぞと返事をした。
扉を開けて部屋に入る。
「もう寝るのか?」
キロは後ろ手に扉を閉めつつ、クローナに問う。
クローナが、大事にしているモザイクガラスをあしらった髪飾りを外していたからだ。
しかし、外された髪飾りはクローナの手元にあった。
クローナは髪飾りをランプの光にかざし、モザイクガラスの色を楽しんでいる。
「キロさんの世界にはどんなアクセサリーがあるんですか?」
「あんまり詳しくないな。ピアスとか、腕輪とか、指輪とか、マニキュア……は化粧の一種か」
キロが大雑把なくくりで羅列すると、クローナは興味を惹かれたように顔を向けた。
「似たような物はどの世界にもあるんですね。私の指輪、見てみますか?」
質問口調で言いつつ、クローナは鞄の中から小箱を取り出した。見せびらかす気満々らしい。
――司祭が言っていた、クローナの母親の指輪か。
クローナが小箱を開けると、中には緑色の石がはめ込まれた指輪が鎮座していた。
石の奥には色の濃い部分があり、美しさという点では劣るものの洒落た華やかさがあった。
カットの仕方や台座のデザインも単純な物で、恐らくあまり価値のある指輪ではない。
しかし、大事そうに指輪が収まった小箱を両手で包むクローナの笑顔は、指輪の値段など些細な物だと感じさせてくれる。
「いつの間にか無くなっていた母の指輪とそっくりなんですよ」
「無くなってた?」
キロがおうむ返しに問うと、クローナは頷いた。
「母が亡くなってすぐ、パーンヤンクシュの群れが襲ってきて、その時のゴタゴタで無くなってしまったんです」
――という事は形見その物ではないのか。
司祭の言葉と食い違うと一瞬考えたキロは、形見とは一度も言っていないと気付く。
キロの早とちりだったらしい。
「その指輪はどうやって手に入れたんだ?」
「髪飾りの冒険者さんから貰いました」
モザイクガラスをあしらった髪飾りを指差し、クローナが答える。
キロは時系列を整理して、首を傾げた。
クローナの母が亡くなった後、パーンヤンクシュの群れが村を襲い、パーンヤンクシュを撃退した冒険者が髪飾りと指輪をクローナに渡した。
髪飾りはともかく、指輪は冒険者が何らかの理由でクローナの母の指輪を手に入れ、クローナに返したように思える。
キロの反応から考えを察したのだろう、クローナは首を振る。
「冒険者さんは母の指輪が無くなる前に同じ指輪を持っていましたよ」
つまり、クローナの村にはその当時、そっくりな指輪が二つ存在していた事になる。
――まさか、な。
キロは取り留めのない考えを浮かべた自分に苦笑した。




