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今年もわに塚は待っていてくれるか?

 新幹線と名鉄に挟まれて一夜を過ごし、迎えた旅最終日。今日は特に観光の予定もなく、ただひたすら家を目指すのみだ。

 今日も朝から廊下の外でゴトゴト言っていた、名鉄のローカル電車に乗りこんで、まずは岐阜羽島を脱出。この支線は各駅停車がのんびり行き交っているだけで、走りっぷりものどかなもんだが、やがて着く笠松《かさまつ》駅で本線に乗りかえると一転、特急が快調に飛ばしていく。あっという間に名古屋に着いた。


 ここからは、高速バスの厄介になる。高速バスは鈍行と違って、席をゲットできさえすれば、降りるバス停までのんびり過ごせて快適だ。

 今日はひたすら家を目指すのみだっていっても、その道中をただぼんやりと過ごすのはポリシーに反する。校長先生のお言葉どおり、やっぱり家に着くまでが春旅。手元には地図帳を広げて、時折眺めながら車窓の景色を楽しんでいく。


 名古屋圏を出て山にさしかかると、萌黄の中にヤマザクラが浮かぶ眺めが目に優しいし、いったん岐阜に再突入してから長いトンネルを抜けて長野に入ると、標高を上げるにつれて季節をさかのぼっていく感じがおもしろい。そんなふうにして、春たけなわのただ中から春まだ浅き信濃路の高原まで登りきたところで、バスから電車へ乗りかえる。


 乗りこんだ中央線の鈍行は、その高原をひとしきり走りぬけると、いよいよ我が国山梨へ。するとこんどは季節を追いかけながら山景色の中をひたすら下っていき、おおかた下りきると、韮崎《にらさき》駅へ着いた。


 韮崎。

 山梨県北西部の中心都市にして、家からいちばん近い「町」だ。

 地元とここを結ぶバスがある関係で、旅の発着点になることも多い。初日に乗った土休日100円のバスも韮崎駅へ出るヤツだった。つまり、行きに旅立った駅へ戻ってきたことになる。足かけ2週間にわたる春旅の、その輪っかが閉じたっていうわけだ。


 そして、今日は奇しくも日曜日。またあのバスに100円で乗れるじゃないですか。

 他のバスと比べると、バス停から家までちょっと遠いのが玉にきずだが、これも縁だ。帰りの足はこのバスに決まり。駅周辺のスーパーで軽く買い物を済ませてから、そのありがたいバスに乗りこんだ。


 たしかにこのバスは、貧乏旅行者にはとってもありがたい乗り物だが、コイツを帰りの足に選んだのは、なにも安いからだけじゃない。この沿線に、毎年見てはいるものの、今年もぜひとも見たい春景色があるのだ。

 その名は、わに塚の桜。


 これをお読みの読者諸氏の中で、わに塚の桜を知っている人がどれくらいいるのか、アンケートでも取ってみたいところだ。知っている人がいるとしたら、かなりの山梨ツウか、でなければ桜ツウじゃないだろうか。

 韮崎の町はずれの農村地帯にたたずむ、樹齢300年を超える一本桜の巨木で、韮崎市の天然記念物になっている。ちょっと変わった名前の由来は、木が生えている小さな塚の形が、神社にあるワニ口に似ているからだとか。


 あたりは、普段なら農夫くらいしか見かけないところ、桜の時期には臨時駐車場ができたり仮設トイレが設えられたり、警備員が立っていたりするくらいだから、それなりに知られた名所なんだろう。かくいう私も、山梨に住むようになるはるか昔、旅の途中で韮崎駅から延々3キロくらい歩いて見にいったもんだ。


 この桜、とにかく枝ぶりが素晴らしい。

 はるか甲州の山並みと、七里岩っていう川沿いの断崖をバックに、その川へ向けて緩やかに下っていく棚田に囲まれて、遮るものない大空を我がものと、枝をこれでもかと広げつくしている。幹は、取り囲むにはいったい大人何人分の腕が必要かっていうくらいたくましく、そこから四方へ枝を分けていって、その末は、はるか高みから地面すれすれに至るまで、すき間なく小枝を広げて自らを覆いかくす勢いだ。


 下に立って見上げると、その枝が作りだす空間の広さに驚く。この木1本だけでひとつの森を作っているのだ。これがリトルフォレストってやつだろうか。


 で、このわに塚の桜は、ソメイヨシノより早咲きのエドヒガン。早咲きとはいえ、ソメイヨシノと比べると花持ちがいい種類なんだが、そのソメイヨシノの見ごろも過ぎようかというこのタイミング、咲き具合はどうだろう。もう見ごろ終わっちゃったか、まだ持ってくれているか……。それを確かめたいというのも、このバスを選んだ動機だったのだ。


 そんな思いを抱いた旅人を乗せて、バスは春の韮崎の町を抜け、釜無川っていう名の広い川を1本渡ると、ゆるやかな段丘を登りながら点在する農村集落ををたどっていく。車窓には、ときどき桜やら桃やらが登場して目に鮮やか。この旅でさんざん見てきた、寺社仏閣とか城跡なんかの桜もいいが、農村にたたずむ名もない桜や桃は、いくら名所を巡っても逆に求めえない、価値ある眺めだろう。


 それを楽しみながら、ひなびた集落を結ぶ細い道路をバスは進み、少しずつ、その瞬間が近付いてくる。そして、ひとつS字カーブを過ぎて視界が開けると、ついに、そのときがやってきた。さあ、その様はいかに?


 ……ああ、今年も待っていてくれたか!


 灰色した春の棚田のただ中でひとり見栄を切る、巨大な薄紅色の塊が目に飛びこんできた。ソメイヨシノなんかの盛りに比べるとだいぶ色褪せてはいるが、まだまだ枝いっぱいにその色をたたえている。

 毎年桜の時期に旅に行っちゃうもんだから、ジャストな時期に見に来れたためしはない。それでも毎年なんだかんだ楽しませてくれているのだが、今年も待っていてくれたようだ。このぶんなら、まだ何日かは楽しめるだろう。


 それにしても、あらためてバスの車窓から眺めて、やっぱり、かっこいいなあ……。

 そう、この桜、かっこいいのだ。能とか歌舞伎の役者か、じゃなければ日舞の家元か何かのように、足元、腰つき、腕の伸ばし具合から指先に至るまで、つくづく行き届いている。


 でも、べつに桜の木自身が、毎朝鏡に向かってせっせとヘアメイクにいそしむごとく、かっこよく枝を伸ばしてやろうと見栄を張っているわけでもないだろう。当のわに塚の桜ご本人も、自分がかっこよく見えるかどうかなんて、まったく意に介する様子はない。

 まわりに邪魔になるものが一切ない一本桜が、ただ花咲かせたり光合成したりすることだけ考えて、毎年闊達に腕を伸ばし続けた結果が、このほれぼれするたたずまいなんだろう。自然の造作こそ究極の美っていうわけか……。


 今すぐバスから降りていって見上げたいところだが、このバスは、まだ夕方なのに早くも最終なので、それはかなわない。今日のところは、車窓から遠く眺めて楽しんでおくことにしよう。バスも桜を横目で眺めながら、のどかな農道をのどかに進んでいって、この旅最後の花見が終わった。


 でも、わに塚の桜がまだ十分楽しめるのはよく分かった。明日あたりバイクで韮崎へ買い物に来るだろうから、ちょっと寄り道して存分に楽しむことにしよう。

 あのリトルフォレストを埋めつくす薄紅に酔うひととき……いやー、楽しみだなあ!


 地元は春の遅いエリアなので、むしろこれからが桜シーズンの本番だ。わに塚の桜を愛でたら、次はあの公園と、あのお寺と、あとあの並木も見にいかなきゃなあ……。

 この旅でさんざん桜を見まくってきたわけだが、旅は今日で終わっても、春はまだまだ続いていく。春旅のゴールは、身近な春を楽しむ暮らしのスタートだ。長旅を終えて帰ると、地元が妙によく見えたりするもんだしね。


 さあ、明日から、いっちょ地元の春を満喫しますか!


 完

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


春旅のハナシでありながら、夏の盛りも過ぎようかというこの時期までかかってしまいましたが、なんとか最後まで公開することができました。

もっとも、全編を通したテーマやストーリーがあるわけでもないので、どこで終えてもよかったようなもんですが、やっぱり家に帰るまでが旅、ですよね!


ご感想やご意見など、お気軽にお寄せいただけますと幸いです。

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