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「……それでも俺たちはああした」

 かたくなな拒絶に、エドは何も言うまいと背中をむけた。理解を求めていたわけじゃない。そうじゃなければ、リンが落とされることもなかった。

「人間には過去で、これからああいう奴が増えるんだと理解していても、感情が納得できないんだ。条件反射と言ってもいい! 俺たちの傷は、深い。わかるだろ?」

 わかるわけがない。思考の中で一刀両断して、エドはかばんを握る手に力をこめた。あんなにも嬉しそうだったリンを思うと、怒りがこみ上げたのだ。何も知らないからこそ屈託なくいられたリンに、トリビトはどう映っただろう。

(とりあえず駅前に向かって、そこからもう一度探そう。虱潰しだ)

 駅の周辺は一通り確認したにも関わらず、エドは思う。無事でいて、とはもう祈れない。だけど、最悪のことを考えるには不確かなことが多すぎる。まだ、諦めない。まだ……。

(約束したんだ)

 リンを導いていくと。

 この列車を降りるまでは、一緒だね、と。

(約束をした!)

「多分もう、ここにはいない」

 エドの決意を聞いたように、トリビトの声が響いた。え、とエドが振りかえる。

「街を回ったけど、それらしい影は見なかった。あんたぐらいだ、動いていたのは。だからきっと、いるならこの下だ」

 たんたん、とトリビトは足を踏み鳴らした。エドが乾いた声を出す。

「この下って」

「そう。地上都市ロールエムだよ」



「こっちだ」

 ラッカと名乗ったトリビトはエドを待って指差す。彼らは翼があるので、障害物がない分エドよりも移動が速いのだ。翼があるって便利だな、と思ったら、街が見えたとき「いいなぁ」と呟いていたリンを思い出した。あのときは「これだから人族は」と憤慨したが、「便利だな」と「欲しいな」では意味が全然違うことに気がつく。

 リンは純粋にいいな、と思ったから口にしたのだろう。こうであればいい、という理想から夢は始まるのか。走りながら空を仰ぐと、ラッカがエドのトランク片手に手招きしている。僕だって足が遅いわけじゃないんだけど。

 白い街を二つの影が駆けていく。エドのふさふさのしっぽが揺れる。

 ラッカは地上都市までの案内を申し出てくれた。唐突な話にエドが訝ると、トリビトは苦い顔で少し笑んだ。

「手紙を出したい、と言っていたから」

「そのために街へ降りたからね」

 素っ気ない返事は「だからどうした」とばかりに先を促す。言いにくそうにラッカは言葉を続けた。先ほどあれだけ人間を否定しておいて、捜索に手を貸すのは変だと自覚しているのだろう。理由を考えるように、しばし沈黙が落ちた。

「泣きそうに、立ち尽くしていたんだ……。シエラも長い間あんな感じだったから。……俺は、あいつがどうなったのか知りたいだけなのかも」

「シエラって?」

 妹、とラッカは答えた。リンを突き落とした少女だ。ラッカもヒステリックな性格をしているが、突き落とすほどの暴挙に出たなら相当手ごわいだろう。不意に、エドは「妹」という言葉が引っかかった。

「シエラって、僕より小さい?」

「え? ああ。シエラは俺の胸辺りだから……大きさだけを言えば」

 会いたいなら準備がてらうちに帰るし、会わせられるけど、とラッカが言う。エドは遠慮などしなかった。準備しなければココから出られない、と前もって教えられている。少しでも急ぐなら従え、と白い少年は怒った。それからエドをなだめるように、落ちたのが地上都市ならあの人間は助かっているはず、と大真面目にうなずいたのだ。

 何を根拠にしたか不明だったが、少し気持ちが軽くなったのは事実だ。

 リンの笑顔を思い出す。トリビトに会えると喜んだのは妹が同じ種族だからだ、と言っていたリンを。

「わかりあうことは、本当に不可能かな。もう拒絶するしかないと思う? あいつは何も知らないんだ。それは罪かな。会話も、望めない?」

 案の定ラッカは不愉快になったようだ。答えを聞くまでもなく、その態度だけで回答は明らかだ。だけど、エドは訊かずにおれなかった。会話だけでもして欲しい。あいつを知りもしないで拒絶しないで欲しい。陽だまりのようなリンを。

「あんたなら、許せる?」

 知らないこと、忘れられたこととして、納得ができる? と、ラッカは静かにエドへ切り込む。時間の流れが人間よりも緩やかなトリビトにとって、今でも彼らにされたことは『少し前』のできごとなのだ。それは、このがらんとした街を見てもわかる。リンが現れただけで、この状態だ。列車から見た街は、空を舞うトリビトの楽園のようだったのに。

「俺には、もうシエラしかいない。父さんも、母さんも……姉さんも、連れて行かれた」

 エドは反論できなかった。ラッカが怒りを殺して言うから、なおさらだ。

「殴った相手忘れてさ、目の前で幸せですって笑われて、あんた、許せる? 納得ができる? 奴らはこんなことがあった過去さえ忘れようとしてる。私たちもボロボロなんです、これからはそんな過去など忘れて仲良くしましょう、なんて言われて我慢できる?」

 自分たちがした行いを忘れ、抜けぬけと平和を唱えられても信用できない。厚顔無恥も甚だしい。殴りつけた相手をさらに踏み潰しているのと同じ行為だ。

「あんただって奴らに侵略された種族だろ。それでいいって言えるのか」

 エドは即答できなかった。それでもいい、と答えられる自分自身に戸惑い、回答をためらったのだ。

(そうだ。僕はあいつを許すとか、許さないとか、そんな次元で見たことがない)

 憎んでいただろうか。

 訊かれて、初めて考えた。あれだけ一緒にいたのに、今頃その可能性に気がついた。エドにとっても憎しみの対象として、リンが映っていたかもしれないのだ。

(ちがう。僕は初めからそういう存在だとあいつを認識していなかった)

 どうでもいい、仕事上の付き合いだと割り切っていた。あいつはバカ正直で田舎者で、面倒くさくて、すぐに「アレなに?」と聞いてくる。いつだってにこにこして、そうじゃなければとろくさくて、手が焼けて、仕方がないから一緒にいたのだ。

(ああ、本当なら、僕もトリビトたちのようにアイツを見ても不思議じゃなかったのか)

 拒絶して、否定して。

 エドは、人族が正直なところ嫌いだった。大切なヒトを傷つけるだけの存在で、周りが涙を流す原因の多くは人族だったから。しかし嫌悪を面にださず、如才なく振舞うことはできた。感情を廃するようしつけられたエドだから、この仕事を任せられたのだ。

(僕が子どもだから、適任だったというのもあったんだろうけど)

 確かに、リンはすぐ打ち解けてくれた。出会うまでは、緊張と警戒、好奇心と期待がない交ぜになっていたものだ。そのせいで、リンの素直さと屈託のなさには驚愕と呆れが伴った。共に旅することの懸念が杞憂へ変わるのに、時間はかからなかった。

(最初の出会いが、あれだったから)

 もし、リン以外の人族と旅をしていたら、どう行動していただろう。

 感情的になって、車掌に噛みついて、必死になっただろうか。もしかしたら置いていったかもしれない。

 先行していたラッカが、ふと足元を見た。後ろを走っていたエドが立ち止まっていたからだ。首をひねって降りてくる。「どうかした?」とラッカが尋ねると、エドは瞳に迷いを宿しながら、

「僕は、人族が嫌いだ」

 きっぱり言い切った。ラッカが「へ?」と、ぱちぱち瞬きをした。

「無神経で傲慢で、おろかな種族だから。まだ飽き足らず、戦争を画策しようとしている奴らが嫌いだ。僕らを認めないあの頭の悪さが嫌いだ」

 そのために大切なヒトが泣いた。エド自身、あいつらのせいで、と何度恨んだか。あいつらさえいなければ、と喚いたか。それらの感情をすべて封じて、平然と振舞うよう求められてきた。だからといって、忘れられるものではない。

「でも、あいつと出会ったから、人族全てがそうじゃないと知っている。家族を失って、戦争を憎んで、和平を望むヒトがいることを知ってる。……あいつが、そのためにここにいるんだってことも」

 だから、僕もここにいる。そう思うと迷いは消える。

「あいつなら……、僕は僕でいられるんだ。変に作る必要もなくて、一緒にいて楽しいんだ。僕はあいつを許すとか許さないとか、考えない。知らないことへの怒りもない。逆に、知らないままでいて欲しいとさえ、思っていたんだ」

 至極まじめなエドに対し、ラッカはぽかんと口をあけた。

「もしかして――ずっと考えてた、とか?」

 あんなにも憤っていたラッカが、呆気に取られた顔でエドを見る。え、とエドのほうが戸惑うと、白い少年はぶぷっと噴出た。「まじめだな!」とけらけら腹を抱えて笑いだす。それまであった二人の壁がほどけてしまう程の笑いっぷりだ。わなわなとエドがふるえる目の前で、

「いや、だ、だって、まさかずっと考えてるなんて! あはははっ、すげ、うん、あんたっていい奴だなっ。ちょっ、堅苦しいけど」

 大笑いするラッカに、エドはそっぽを向いた。切り替えが早いな、このトリビトはっ。ちゃんと考えたのに! と、腹立たしさでいっぱいだ。なおもひぃひぃ笑う彼を恨みがましい目つきで、エドが睨む。

「いいだろ別に。ちゃんと考えたことなかったから、考えてたんだよ。悪いのか!?」

「いや、悪いなんて言ってないって」

 きりっとまじめに返事もらっても、腹を抱えて笑われた後だ。説得力がない。

「そういえば……だれか探してたけどもういいわけ?」

「え、今ごろそれ言うんだ? 俺が探してたのも、お前と同じなんだって気付いてるかと思ったのに。どうなったのか知りたいってさっきも言ったろ」

 すっとエドが軽く身構える。リンを仲間と吊るし上げるために探していたのか、と警戒したのだ。だがラッカはそんなエドなど感知せず『兄の顔』をする。少年としてのラッカではなく、どこか保護者めいた表情だ。

「妹が……シエラが、泣くんだよ」

 エドは、緑の目を意味深くラッカに向けた。

「自分からあの子を突き落としたくせに、俺にしがみついてぼろぼろ泣くんだ。自分のやったことを正当化できるとは、思ってないんだよ。だけどそうしないと、俺までいなくなるんじゃないかって……怯えて。怖がって。今は薬で眠らせてる。ちょっと前まであいつ、ろくに眠ることもできなかったんだ」

 この街も、そうだったのだろうか。

 白い街は、相変わらず物音一つしなかった。エドとラッカの会話だけが、響いていた。ここは今まで、びくびく怯えて、安らかに眠ることもできなかったのだろうか。人間がいなくなって、何年も、何十年も、時間が経ったのに。

 ラッカの妹は、そうまでして守りたいと願ったのか。この街の静けさを。列車の窓から見えた、あの世界を。自分の心を傷つけてまで。

 エドはなにか言葉を探すが、適当なものが浮かばず口をつぐんだ。気の利いた言葉が言えないのは、こんなときこそ悔しかった。するとラッカが苦い笑みを浮かべる。

「そんな顔する必要ないよ。シエラは大丈夫、俺が守るから」

 な、と慰められてエドは自分がひどく子どものように感じた。別に、そんなつもりじゃなかったのに。

「それで、地上をうろつく影が気になったわけだ。もしかしたらって思ったんだよ。そのときにここら辺は見渡してる。だから人間は地上都市だと言ったんだ。OK?」

 傍にいてやりたいだろうに。自分を責め続ける妹のためにも、リンの安否が気になったのだろう。妹の行為に責任も感じているのかもしれない。わかりあえないのか、と気軽に口にしたことを、エドは後悔していた。

(僕のわがままなのかな)

 しんみりした感情が広がったあと、エドはふと気になったことを尋ねた。

「ちょっと待って。僕を見つけてすぐ降りてきたの?」

「そうだけど? 移動早くて見失うし、手こずったけどな」

 どうかした、とトリビトが首を傾けた。なんでもないと返事をしながら、エドはそれとなく辺りへ視線を這わせた。首筋に、手をあてる。そこに視線が集中している気がした。

(見ていたのは、ラッカだけじゃ……ない?)

 ずっと誰かがエドを追いかけていた。絡みつく負の感情を感じていた。あの手の視線を察するのは容易い。移動が早くて、とラッカが言うなら、追跡者を見つけようと走り出してからではないのか。

「エド? 何やってんだ、行くぞ」

 一緒にいて、ラッカは大丈夫だろうか。いや、エドはネコ族だ。人間ほどに敵意をむき出しにされることはないはず。だけど、とエドは胸騒ぎがして、唇をかんだ。


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