13
ラッカも、人間に対してあれだけの反発をした。その妹はリンを街から突き落とした。他のトリビトたちは、どんな反応をする? エドはふと背後を振り返った。白い建物の続く路地の真下が、トリビトにとって本当の『街』だ。エドが見ているのは、この表層だけでしかない。
嫌な可能性に気づいて、前を進むトリビトを引きとめようとし――エドはやめた。リンとの出会いと同じに、杞憂かもしれないのだ。それにエドは、一刻も早くリンに会いたかった。
エドはラッカを追いかける。今はまだ、ラッカの助力が必要だから。
地上までどれぐらいあるのだろう。真上から地上都市を見下ろしているのに、その詳細がさっぱりエドにはわからなかった。模型のような景色が見えるのかと思ったが、それさえ目を凝らしてもわからない。真っ黒なかたまりがあるだけだ。日差しをさえぎる、巨大な天井都市の影だからか。
吹きすさぶ風は冷たく轟々(ごうごう)と音を立て、エドの着る薄いコートを翻した。この風に足をすくわれて落っこちたら、果たして死なずにいられるか……。ぶるり、と身体が震える。ただ見下ろしているだけなのに、くらくらした。しかし、目ははるか遠い地上を探してしまうのだ。じっと見ていると、高さを実感できなくなる。このまま真っ逆さまに落ちてしまったら――
「おい、身ぃ乗り出しすぎ」
ぐい、とベルトを引っ張られ、エドは眩暈のする高さから顔を引っこ抜いた。くは、と無意識のうちに止めていた息が出る。知らず身体が強ばっていた。高所恐怖症というわけじゃない。むしろエドは高い場所が好きだ。でも、こんなところをあいつが落ちたなんて!
「おい、あいつが無事だと言う根拠はどこにあるんだ。こんな高さなのに!」
顔と同じく引きつった声を、鬱陶しそうにラッカは追い払った。
「よく見たらわかるだろ」
「? よく見たらって――」
惑ったエドは、冷淡なラッカが指差した場所をよくよく見つめて目を見開いた。
「……くもの巣みたいじゃないか」
「そう。白の街は、落下物が多いんだよな。不要になったものはどんどん落としているし。それをふるいにかけるんだ。徐々に網の目は細かくなっていく。下の住民を守るための処置だよ」
だが、下手したら死ぬのではないのか。四肢を切断する可能性はないのか。首が引っかかって宙吊りになった場合、無事でいられるのか。
エドの不安を聞いたように、タイミングよく何かが白の街から落ちてきた。見ている前でそれはくもの巣に引っかかる。ぐいん、とゴムのように伸びるだけ伸び、ぷちん、とくもの巣は切れた。強度はそれほどないのか、ぷちん、ぷちん、と切断され、幾重も通過していくうちに、やがて止まる。それらは落下しながらある一点まで集められると、ゆっくりゆっくり、下の街へと落とされた。砂時計の砂のように、塊となって降っていくのだ。
適当に落としているわけではないのか。この網の先にリンが倒れている可能性も――
「衝撃は緩和されて、必ずあの網の上に落ちんだる。人間が落ちる設計はされてないだろうけど」
エドを安心させておいて、この言い草だ。ラッカは行くぞ、と重い足取りで、支柱につたのごとく絡まる階段を下りていく。エレベーターか何かで一気に降りるのだと思っていたエドは、この頼りないゆるやかな螺旋階段を下っていくのに不安を覚えた。どれぐらい回ったら地上に着くのだろう。ところどころサビが浮き、表面の塗装がはげた手すりと足元は、この階段の長い時間を物語っていた。いつからこのヘンテコな街はあったのだろう。
(落ちないだろうな、この階段っ)
風にさらわれないよう、エドは内側の手すりを両手でしっかりつかんで、一歩一歩慎重に進んだ。虚勢を張っているが、内心はおっかなびっくりだ。前を行くラッカに「意気地なし」だと思われるのが癪で、口を結んで必死に彼を追いかける。その白い少年は、どこか不機嫌だった。先ほど大笑いしていた彼とは一変して、無口で無愛想だ。後方のエドを振り返ることなくどんどん進んでいく。
(妹のシエラを見てから、ずっとああだ)
エドが出会ったラッカの妹は、眠りについたままだった。薄暗い部屋の窓から日が差していた。そこのベッドにいたのは小さな小さな眠り姫。おとぎ話にでも登場しそうな、ふわふわの髪をした、かわいらしい少女だ。しかし頬は青ざめていて、閉ざされた瞼からつう、と涙がこぼれていた。
ラッカは小さな手をぎゅっと祈るようににぎると、少女の額にキスをした。すぐ戻るから、と呟いているのが聞こえた。傍らで見ていたエドでさえ、どこか胸の痛くなる光景だった。
「地上都市へ行くには支柱の内部を通れればいいんだけど、あいにく俺たちはここへ入れない」
ラッカたちトリビトは、地上へ降りることを許されていない。それをあえて降りようと言うのだ。ずっと抱えている不安は、今も警報を鳴らし続けている。「これで良かったのか」と危惧しながら、エドは口に出せない。
(だってこの街のことなんか、知らないんだし)
この支柱へたどり着くまでも、相当大変だった。エド一人で彷徨っていたらどれだけ時間が浪費されたことか。ここまでの道のりを思い出して、エドはげっそりした。
白の街にある逆さまの建物から、二人は支柱へと徐々に近づいた。白の街の建物は、いくつもの回廊で結ばれている。建物同士で支えあっているのだ。トリビトたちはその間隙を縫うように、飛び回る。エドはそんなことができないから、ずいぶん大回りしてたどり着いた。
あれっ? おかしいな、この路であってると思ったのに。
何度ラッカがそう唸っただろう。そのたび、またか、いい加減にしてよ、とエドは文句を繰り返した。しかし、ラッカが首をひねるのも仕方がない。そもそも、トリビトに路など必要ないのだから。
そして二人は白の街の深部から、支柱に張り付いたのだ。いろいろすることもあって、時間がかかってしまった。
エドは懐中時計のふたを開けた。もう四時に近い。リンはすぐに見つからないだろうと覚悟していたが……本日中に見つけられるだろうか。早くしないと日が暮れてしまう。
途中、師中の内部に忍び込めるかもしれない、とのことだった。そうできたら地上まで一気に降りられるはずだ。
「うまくいくかな」
「無理ならこのままじゃね? そろそろアレ着ておけ。もう空気が汚れ始めてる」
エドは無言で、レインコートのような薄い上着から、マスクを取り出した。ここを降りる前に渡されたコートは、前を止めていても強風にもてあそばれている。これは装着者を汚れた環境からある程度守ってくれるものだ。エドにはサイズが大きくて、三回も袖をまくった。エドは知らなかったが、地上でリンも同じようなものを受け取っていた。
コートに加え、マスクも装着すると、不審者のできあがりである。フードもかぶると完璧だ。マスクは、息がこもって好きではない。「呼吸しにくいもんな」と笑ったラッカの装備は、エドのそれより厳重だった。まるでスペーススーツだ。全身を隙なく覆う薄いスーツは、やわらかくて頑丈だった。おまけに見た目ほど重くはないと言う。泡のような膜がラッカの顔と翼を包んでいる。エドには見慣れない装備だった。
「完全環境対策都市内部でも上と下じゃ全然違う。もう、この星は滅茶苦茶なんだ」
ぽつりと呟いたラッカが、印象的だった。ここまでしなければトリビトは生きていけない。彼らの身体は繊細で、地上の汚染に堪えられない。エドのように防護コートだけでは追いつかないのだ。気道以外にも皮膚や翼から毒素は身体へと浸入し、影響を与えるようだ。
軽やかに風と遊ぶトリビトには、まったく似合わない。
重石のような恰好だった。
(あれ、じゃああいつの義妹ってだいじょうぶなの?)
エドの知る限り、リンの住んでいた『フォーグル』は、戦争でずいぶん星の大地を汚したはずだ。そんな中を生きていられるのだろうか。
(もしかしたら……変異体、とか)
ごう、と吹く風が容赦なく子どもたちの身体を揺らす。考えごとをしている余裕はない。足を滑らせたらリンの二の舞だ。あのくもの巣が安全かどうか、その身で実証しようなどとは思わない。
「エトムント! あの扉!」
は、とエドが前方を見ると、ラッカはエドよりもずいぶん先を行っている。指差しているのは、少し下った場所にある分厚い扉だ。エドはぐっと手すりをつかむ力を込め、降りるペースを速めた。
「入れるのか!?」
「わからない! でもこれ、思ってた以上にキツイ」
扉にとりついたトリビトは、ああでもない、こうでもないと何やらいじっていた。エドと同じくここを降りるのは辛いらしく、わずかにホッとする。だが、ラッカの汗に胸騒ぎを覚えた。全力疾走をとげた直後のように、大量の汗が少年の顔を流れているのだ。
「くそ、やっぱ俺のIDじゃ開かない」
「ちょっと見せて」
エドがラッカを押しのけて扉を仔細に見る。まず目に入ったのは、200という数字だった。現在二百階ということだろうか。皿のようにシステムを見つめていくうち、エドの口元に笑みが浮かぶ。これなら――開けられるかもしれない。
そう確信したとき、ラッカの体がゆっくりと傾いでいった。エドが息を呑む刹那、がしゃん、という音がこだまする。倒れ込む寸前で、彼は手すりにしがみついたのだ。そのままずるずるとしゃがみこむと、ラッカは眉間に手を当て、かぶりを振った。駆け寄ったエドに「心配ない」と言いたかったのだろうか、もう片方の手が左右に揺れている。しばしの後、
「ごめん、やっぱ、キツイ。こんなとこまで来たことなかったから……。でも、休んだらいけると、思うから」
身体への影響が出ているのだろうか。荒い息遣いのトリビトを見ているうち、エドの顔から余裕が消える。
「この内部に入れたら、マシになれる?」
「わからない……」
「じゃあ、ここを押し通って、誰かに見つかったらどうなると思う?」
これの返事もわからない、だった。エドの決断は早かった。――ここを通る。
今は戦時中ではないし、ここは女王さまの領地だ。もし捕まったとしても、乗り越えられるはず……。ラッカの安全を優先したい。
システム自体は旧式で、エドの知らない文字が並んでいた。うかつに触ってエラーが起こったら厄介だ。単なる認証エラーならまだしも、セキュリティに引っかかるとたまらない。
エドはポケットに手を突っ込むと、カードブックを取り出した。ラッカの持つIDカードと厚さや形状は同じだ。案の定リーダー(認証機器)に差し込むことができた。浮かんだ文字は『ERROR』。エドのIDではやはりアウトだ。ここまでは、ラッカと同じである。
「大丈夫なのか」
「さあ。やるだけやってみる」
エドはさらに折りたたみ式の簡易パネルと、手持ちのコードを取り出した。トランクは手がふさがるのでラッカの家に置いてきたが、こういった器具はいくつか持ち歩いていたのだ。
カードブックと接続し、パネルに触れた。照合作業の後、使用者がエドであると認め、不透明なディスプレイが出現する。エドの指が、パネルを滑っていく。これはコンソール(操作卓)だ。立ち上げが面倒で普段の使用を控えているが、カードブックでは扱いが難しい場合、これが役に立つ。
「よし」
半透明のディスプレイに、大量の文字が現れた。目では追いつけないほどのスピードで流れていく。ウィンドウがいくつも出現し、目まぐるしく切り変わった。エドの指示に従い、リーダーの内容を読み取っているのだ。
(ラッカはこのまま外にいちゃいけない気がする)
エドの指は矢継ぎ早に動いた。セキュリティをどんどん突破していく。ここのネットワーク内部に直接介入するのが目的だ。
(ハッキングなんて、する羽目になるとは思わなかったけど)
芸は身を助くというが、嫌悪していた技術と知識が役立って、エドは苦笑した。ずっとゲーム感覚で教わってきた。凄腕ではないが、そこそこの腕前だと自負できるようになったころ、これが犯罪行為だと知った。正義感の強いエドは、ショックで怒り狂ったものだ。
以来、コンピューターとはカードブックを通じて接してきたが――こうして役立ってしまうため、なかなか縁が切れない。こくん、とエドは生唾を飲み込んだ。大丈夫。システムの破壊行為をしようというわけじゃない。ただ、誤認させるだけ。あとは……データの改ざんをすれば。
『お前にすっげぇ面白いもん教えてやるよ』
同じネコ族の、年上の友だちが気まぐれに教えてくれた。遊びだと思って、エドもどんどん吸収した。思えばワルイことばかり教わった気がする。これが犯罪だと知ったとき、怒髪天をつく勢いだったエドを笑ってなだめすかしてしまった、唯一の友だち。一人ぼっちだったエドを何かと気にかけてくれたあのヒト。今はどこにいるのだろう。
『覚えといて損はしない技術だぜ? いつか役立つさ、絶対に。だってお前は女王さまのために働くんだもんな』




