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幸運値に極振りしてしまった俺がくしゃみをしたら魔王を倒していた件  作者: 雪下月華
第十五章

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歪ー1





 エルドルンを離れた魔導帆船は、ヒァルナール街道を東へと突き進んでいた。


 背後に残してきたのは、数万人の命が魔族の手によって無惨に食い尽くされた無人都市。


 だが、街道を進むにつれて景色は岩がちな荒野から穏やかな平原へと移り変わり、空気からは潮の香りが消えていく。


 一行はまず四街道の合流点であるヴェストリスを目指し、そこからクレモント領を経由するクブン街道を経て王都へと入る最短ルートを辿っていた。


 やがて、以前バラマール領からエルドルンへ向かう際にも通過した要衝、ヴェストリスの街並みが地平に見え始めた頃、街道に異様な光景が混じり始めた。


 エルドルン方面へと向かっていたはずの商船馬車や荷馬車の列が、力なく反転し、ヴェストリスへと引き返してくるのだ。


 御者たちの顔には困惑と焦燥が張り付き、彼らが運ぶはずだった物資は行き先を失ったまま荷台で揺れている。


 エルドルンが沈黙したという報せはまだ全土には広まっていないが、こうして現場の末端から確実に染み出し始めていた。


 そんな逆流する人の波を掻き分けるように一行は再びヴェストリスへと到着したが、そこにあったのは以前のような活気ではなく異様な重苦しさだった。


 グロスター領の主要都市の一つであるこの場所も、今や合流点として栄えていた面影はなく、行き場を失った馬車が列をなし、商人たちの怒号があちこちから聞こえてくる。


 「……ひどい有様だな」


 ハンス公が苦々しく街を見下ろして呟いた。


 それに応えるように、ラフィテアが不安げに頷く。


 「エルドルンから逃げてきた人たちの話で情報は混乱しているようですね」


 ハンス公が厳しい表情のまま言葉を継いだ。


 「ああ。物流も止まってしまったからな。だが、エルドルンの人々が皆殺しにされたという情報が伝われば、こんな騒ぎでは済まないだろう。今はまだ、本当のことを知らないからこそ、この程度の混乱で収まっているのだ」


 二人の会話を、ヴェルは黙って聞いている。


 彼女は少しだけ眉を下げて、俺の袖をそっと引く。


 彼女はこの場に漂う不穏な空気を感じ取り、ただ隣にいる俺のことを案じているようだった。



 「――ハンス公、今日はここで一泊しませんか。王都まではまだ距離があります。この先も長い旅路になるでしょうし、一度休息は必要です。それに……俺としてはシャルティア公に会って、今回の件を直接話しておきたい。ネージュ・ロアについて聞いておきたいこともありますし」


 「……シャルティア公にか。確かにそうだな。ギルドの本部が機能不全に陥った以上、各都市で混乱が広がるのは避けられん。混迷を防ぐためにも、彼女には協力を仰がねばなるまい」


 ハンス公は深く頷き、俺の提案を受け入れた。


 「幸い、シャルティア公が滞在している都市オブシリスは、ここから王都へ向かう道の途中にある。明日、そこへ向かうことにしよう」



 その夜、俺たちはヴェストリスの宿で久々に揃って夕食を取ることにした。


 魔導帆船の船内には常に張り詰めた空気が漂っていたが、今は皆、泥のように重い心身を休める場所を求めていた。


 「おぬし! エールを樽で一つ。喉が渇いてかなわんのじゃ。なるはやで頼むぞ!」


 ドワ娘が豪快に机を叩き、給仕を呼び止める。


 隣ではユシルも「私も同じものを。ってか、肉料理とかも片っ端から運んでちょうだい」と、少しだけ奔放な口調で目を輝かせていた。


 二人は溜まった鬱憤を晴らすかのように、ここぞとばかりに酒を浴びるように飲み始めた。


 俺はその様子に苦笑しながら、給仕にいくつかの料理を注文した。


 だが、返ってきたのは申し訳なさそうな声だった。 「……大変申し訳ありません。そちらの料理とお酒は、今ちょうど品切れでして」


 「そうなのか?」


 「はい、なんでもエルドルンの方から入ってくるはずの荷が、さっぱり届かないらしいんですよ」


 王都方面から川を使い荷物を一度海洋都市へと運搬し、そこからバラマール領やリヒテンシュタイン領に流通させるのがこの大陸の主要な交易ルートの一つだった。もちろん陸路も使われてはいたが、水路に比べればその運送量は微々たるもの。物流の要であるエルドルンが沈黙したことで、現場には確実にその歪みが現れ始めていた。


 給仕は申し訳なさそうに会釈すると、テーブルの空いた皿を下げて足早に立ち去っていった。


 エルドルンがあの状態では、荷が届くはずもない。


 各都市で広がるであろう混乱は、今はまだ、こんな日常の小さな欠落として現れるに留まっていた。



 俺は届いたばかりの少し濁ったエールを口にし、隣に座るハンス公に尋ねた。


  「ハンス公、明日向かうオブシリスというのは、どんな場所なんですか?」


  「オブシリスか。あそこは『静謐の都』とも呼ばれる美しい街だよ。建国当初の技法を今に伝える、緻密な木組みと石の調和が取れた街並みが特徴でな。まるで古い書物の背表紙が整然と並んでいるような、格式高い邸宅が軒を連ねている。伝統を重んじる気風も相まって、歩くだけで背筋が伸びるような独特の気品がある場所だ」


 ハンス公は一度言葉を切ると、窓の外のヴェストリスの喧騒を見やった。


 「学術都市としての顔が有名だが、あそこには文武を司る古くからの名家も多く残っていてな。ネージュ・ロアの生家であるロア家がそうであるように、あの街の誇りは歴史と血筋によって支えられている。中継地点であるこのヴェストリスは商人の活気で騒がしいが、オブシリスはそれとは対照的に、常に思索を妨げない穏やかな静けさに包まれているのさ」


 ハンス公は声を低め、前を見据えた。


  「だが、この街で物資が滞り始めている以上、あちらも何時までも無事では済むまい。シャルティア公は聡明な女性だ。彼女に事態を伝え、混乱が本格化する前に連携を深める必要がある。我々が手を取り合うことが、この王国を支える楔となるはずだ」


 揺れる杯の向こう側で、ハンス公の決意に満ちた言葉が、静かな夜の空気に重く響いていた。



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