12.乙女ゲームヒロインのエンディング
思いを通じ合わせた二人は真っ先に宰相の元へと向かった。
アターシャの左手の薬指には先ほどハメたばかりのダイヤモンドの指輪がキラリと光っている。サイズを聞かれた記憶はないが、緩くもキツくもない。コンコンとドアを叩けば、すぐに入室の許可が返ってくる。まるでアターシャ達が来ることを初めから知っていたかのようだ。二人で並んで宰相室に入り、出されたお茶を楽しむよりも早く口を開いた。
「私達、結婚することになったの」
「上手くいったようで何よりです。それで、式の日取りや場所に希望はありますか?」
「他に言うことないの?」
祝福の言葉まがいのものをさっさと切り上げて結婚式の話題とは、どれほど切羽詰まっているのか。アターシャは思わず呆れてしまう。だが仕方のないことなのかもしれない。彼から急かされることはなかったが、来月でアターシャは30歳の誕生日を迎える。
あの口約束をするべく、結婚の準備を進めていたとかないわよね?
もしやと想像して、アターシャの背中には冷や汗が伝った。けれど彼は平然とカップを傾けて、まさかの事実を打ち明けた。
「あなたの気持ちは話を聞いていれば大体分かりましたし、クラウディオに指輪を渡してはどうかと提案をしたのも、サイズを伝えたのも私ですから。意外性は特にありませんね」
「はぁ?」
「宰相さんは俺の気持ちに気付いて、手伝ってくれて……」
「私が気付いたことに当の本人が長年気付かないんですから、ここはもうてっとり早くプロポーズをした方が早いでしょう」
どうやら気付かなかったのはアターシャだけらしい。
丸くした目をクラウディオに向ければ「ずっとアピールしてたんだけど、アターシャさんずっと気付かなかったから……」と遠くを見つめた。聞けば、部隊のメンバーはおろか、城勤めの使用人達にも気付いている者は多いらしい。というか最近のクラウディオは告白を断るのにアターシャの名前を出していたのだとか。なぜここまでされて気付かなかったのか、とアターシャは思わず頭を抱えてしまった。自覚した恋愛感情に蓋をした弊害だろうか。クラウディオがアターシャを諦めていたら、すれ違って結ばれることはなかっただろう。そう考えるとゾッとしてしまう。
アターシャがクラウディオの行動に感謝していれば、宰相は机の上に載せた置き型カレンダーをめくりだした。
「それで、式の場所や日取りはどうします? どんなに早くドレスを仕立てるにしても最低半年は用意期間が欲しいところです」
「別に式とかしなくても……」
「式は行うという約束で協力したので執り行ってもらいます」
「俺もアターシャさんのウェディングドレス見たい!」
「私達で日取りは決めて用意してしまうので、あなたはドレスの採寸と要人に出す手紙を書いてください」
「あ、はい」
アターシャの結婚式なのに、本人の意思は尊重されないらしい。これも癒しの聖女の宿命というわけか。状況をよく理解できぬまま、宰相が用意した王族ご用達の針子にドレスを仕立ててもらい、アターシャ達は他国の王族を筆頭にお偉いさん達へ出す招待状の作成に追われた。
「クラウディオ、ここにサインして」
「はい!」
思いを通じ合わせたというのに甘い空気はない。
大量の手紙の山を処理し、一部の書類にも目を通していく。これでも大部分を宰相である彼が引き受けてくれたのだ。そのことを理解しているからアターシャもクラウディオも文句一つ漏らさずに手を動かし続ける。
そしてクラウディオからの突然のプロポーズから半年と少しが過ぎた頃。
国をあげての盛大な結婚式が執り行われた。
カウロ王子とランカの結婚式以降に交流を持った国も多く、歴代で最も参加者の多い式になったらしい。
たかだか一人の宮廷医師と医療部隊員の結婚式とは思えない。
高い場所から人々を見下ろしながら、ああこんなシーン乙女ゲームで見たなぁ~なんて考える。確かあれはカウロ王子ルートのハッピーエンドスチルだったか。悪役令嬢の断罪後、晴れて二人は結婚することとなった。国の未来は明るい、みたいな終わり方をする。
そんなシナリオを夢見ていたのは、もう十年以上も前のことだ。
悪役令嬢はゲームとは違っていい人で、推しであったカウロ王子は彼女を愛していた。他の攻略者の設定も狂いに狂って、結ばれたのはゲームに登場すらもしないクラウディオ。なのに結婚式はゲームとほとんど同じだなんて笑ってしまう。
「俺、幸せです」
「私も」
けれどアターシャはゲームで得られた以上の幸せを胸に抱いている。
隣にいる愛おしい男に腕を絡めれば、彼は初心な少年のように顔を真っ赤に染める。けれどすぐにアターシャの手を撫で「愛しています」と恥ずかしげもなく愛の言葉を口にする。クラウディオはあの日から「好き」と伝えてくることはなくなった。代わりに「愛しています」と、ことあるごとに囁くのだ。
もう二度とすれ違わないように。
「愛しているわ、クラウディオ」
だからアターシャも同じ言葉を口にする。
ほっぺにキスをし、お色直しのために彼と分かれて部屋に入る。
するとそこには先客が一人。
銀髪が良く似合う彼女は、瞳と同じ色のドレスを身にまとい、当たり前のようにそこに鎮座していた。
「ランカ、様……」
置かれた椅子の一つに腰掛けていたランカは、アターシャの入室に気づき腰をあげた。そのままドアの方向へとゆっくりと歩く。そしてアターシャの前でピタリと止まると、極上の笑みで微笑んだ。
「ハッピーエンドおめでとう。やっとあなたのエンディングが見られたわ」
祝福の言葉にアターシャは目を丸くした。そして開いた目からはボロボロと雫が流れ落ちる。
「目、赤くなっちゃうわよ」
「だって、まさかあなたからお祝いの言葉を頂けるとは思ってなくて……」
「ずっとこの日を待っていたわ。もちろん仕事を頑張るあなたも好きだけどね」
おどけてみせるランカには、もうあの頃のような影はない。
カウロと思いを通じ合わせてからの彼女は随分と明るくなった。ヒロインの影に怯える必要がなくなったからだろう。
アターシャも、もっと早い段階で乙女ゲームの呪縛から解かれるべきだったのかもしれない。
歯車が狂ってしまって正常に起動していないことなど、ずっと前から分かっていたのに……。
だが乙女ゲームの世界に転生し、癒しの力を持っていたからこそ出会えた縁もある。
クラウディオだってその一人だ。
だから、これで良かったのかもしれない。
「私も、あなたみたいに幸せになるから」
胸元をぎゅっと押さえながら、アターシャは最大級の笑みを向ける。
こうしてアターシャ=ベンリルは12年越しのエンディングを迎えたのだった。
(完)




