ある日。森の中。
気づいたら、僕は森の中で寝そべっていた。
木々に生い茂る葉の隙間からこぼれる陽光が顔にちらちらと差し込んできて、まるで宝石が輝いているかのようにまぶしくて。
僕は身を起こそうとした。すると途端に全身に激痛が走る。
「うっ・・・!?」
呻き声をあげる。それだけでも小さな痛みが生じる。どうやら僕は全身をけがしているようだ。
そう思って僕はゆっくりと顔と目を動かして体を見ようとする。腕を動かそうとするよりもまだ痛みは少ないだろうと思ったからだ。
しかしそれでも首あたりに鋭い痛みが走ってまた呻き声をあげる。それでも右肩から手にかけてみることができるところまで顔を動かすことができた。
服は着ている。が、何かでめった刺しにされたのか、ズタボロになっているようだ。全身を見ていないからまだ何とも言えないけれど、このぶんだとおそらく全身ズタボロ状態だろう。
しかし、僕の予想に反して、腕や手にはこれと言って傷のようなものや打ち身の痕などは見受けられなかった。
試しに手を動かそうとするが、しかし途端にひどい痛みが生じて力を抜く。
怪我はない。けれど痛みはある。そんな不思議な状態だった。
なぜこうなったのか?
それを思い出そうとして記憶を遡ろうとしたときにやっと気づいた。
僕には気が付く前の記憶がないということに。
焦る。現状がわからない。名前すらも思い出せない。あったはずのものが、まるで霞がかったかのように。その上僕の全身は異常な痛みに蝕まれている。
恐怖。
何もわからないという恐怖が襲い掛かる。
そのとき、今まで感じていた痛みよりも格段に強い激痛が全身を襲い、声をあげることもできずに意識が飛んだ。
「お父さん。」
「そんな浮かない顔をするな。まだ仕事が終わっていないのだろう?」
「けど・・・。」
「心配しなくても俺はまだ死なんよ。治療もうまくいっているんだ。」
「・・・わかったわ。明日また来るけど。何かほしいものある?」
「リンゴを一つ持ってきておくれ。久しぶりに食べたくなった。」
「それだけでいいの?」
「退院したらたらふくうまいものを食うんだ。それに今はほかに食べたいものもないしな。」
「じゃあリンゴ一つね。必ず持ってくるからね。」
「そんな力強く言わなくてもいいだろう。明日を楽しみにしているよ。」
頭痛がする。
それもかなり酷いものだ。
音が頭の中で反響しているかのように、グワングワンという耳鳴りが聞こえる。
今さっきまで夢を見ていたみたいだったけれど、ほとんど忘れてしまった。
ただ、すごく穏やかな夢だった気がする。何の根拠もないけれど。ほとんど忘れてしまったけれど。さっきまで恐怖に鷲掴みされていた僕の心臓は、すごく静かな鼓動を鳴らしている。気を失うまでとはまるで真逆だ。
頭痛が収まるのを待って、目を開けてあたりを見渡す。どうやらさっき寝転がっていた場所から動いていないようだ。
そしてふと体を動かそうとする。しまった!と思って痛みに耐えようとする。しかし痛みは全くやってこなかった。
僕はゆっくりと体を起こしてみる。すると気を失う前の激しい痛みが嘘のように問題なく体を起こすことができた。
あたりは明るいが、どことなく暗くなってきているような気がする。もしかすると先ほどからかなり時間がたっている可能性がある。さっきまでの痛みが急に引いたのも、長い時間安静にしていたからかもしれない。
何はともあれ、動けるようになったのならば、現状把握に努めなければならないだろう。なにせ今の僕は記憶喪失の状態なのだから。
内心冷静にはなれていないが、今がとんでもない状況であり、かつ一度気を失ったことで逆に心が落ち着いたのだ。
まずは自分の体の調子を確かめる。やはり痛みは全く感じないし、傷跡も見受けられない。気を失う前の痛みは何だったのだろうか。あの痛みから考えても相当な深手を負っていたとしても不思議ではない。だいたい気を失ってしまうほどの痛みだったのだ。まったく痕がない体のほうが異常なのではと考えてしまう。
けれど衣服は真逆でかなりボロボロだ。無事ではないところを探すほうがよほど難しいと思えるほどだ。
まるで自分の体の傷を背負ってくれたかのように、衣服は切り刻まれていた。
不思議な気持ちでいっぱいだったが、これ以上考えても仕方のないことと割り切り、再び現状把握のために今度は周りを観察してみる。
目に映るものは木、木、木。うっそうと茂る木々や草花しか見つけられない。さらに奥のほうを観察しようとしても、あいにく木の葉が太陽の光を遮っているためか暗すぎてよく見えない。どちらの宝庫でもそれは変わらなかった。これでは森から出ようとさまよっても迷って出られないだろうと思う。
それから今自分が倒れていた場所を確認する。
ここは例外的に日の光が差し込んでくる場所のようで、色とりどりの花が所々に咲いていた。そして直径3メートルの円に沿って木が生えているという状態で、円内には木が一本として生えていなかった。
まるで人為的にこの場所が作られたような周りとは隔絶された場所となっている。
いったいなぜこんな場所に僕は倒れていたのだろうか。
次に自分の持ち物を確認する。周りを確認しているときに気づいたのだが、腰には細身で少し古びた片手剣を帯びていた。さらに小さめのズタ袋が近くに置いてあったので、これも僕のものであると思う。
最初に片手剣を抜いてみる。
長さは柄も合わせて腕一本分ほどで、見た目よりも少し重い。刃は少し欠けていて、両刃ではあるものの片方は完全に潰されていた。おそらく打撃を与えるときのためにあえて潰しているのだろう。少々さびているところもあったがまだ使えるのではないかと思う。
試しに少し振ってみる。剣を扱った記憶はないのだが、体が覚えていたためかそれほど苦も無く扱える。よほどのことがない限り使うつもりはないが、ある程度の自衛問題なくできるだろう。
片手剣を納刀する際に剣の腹をちらっと見ると、そこには何かしら文字が書かれていることに気づいた。何かの手掛かりになるのではないかと思ってよく見てみるが、あいにく僕が知っている文字では無いようだった。
少し期待していた分少し気を落としたがすぐに切り替え、次にズタ袋の中身を確認する。
中には飲み物が入った瓶と干し肉、固めのパン、調理用の小さな鍋とおたま、鉄の板と黒い石を入れた小さな袋、このあたりを記しているのであろう簡易地図が入っていた。
僕はさっそく飲み物が入った瓶を開けて匂いをかいでみる。ほのかに酒のにおいがする。おそらく葡萄酒だろう。さっそく一口飲んでみると、葡萄の味わいがたまらないアルコール度数のかなり低い酒であることが分かった。
もう少し飲みたいという気持ちを抑えて瓶に栓をした。寝起きでかなりのどが渇いているのだが、それでもいつ飲み物が手に入るかわからない現状で欲望のままに消費してしまうのは危険だろう。まだ残りも瓶の半分ほど残っているようで、少しずつ飲めば3日はもつだろう。
固めのパンも少しかじった程度にとどめてズタ袋の中にしまう。パンは相当固く、表面だけで言えば小枝程度の強度では全力でぶち当てても多少傷つく程度でむしろ枝が折れてしまうほどの強度を誇っていた。
なぜここまで具体的な説明なのかはご想像にお任せする。とりあえず歯が丈夫でよかったとだけ言っておく。
次に小さな鍋だが、最近買ったかのように新品同然だった。余程手入れをきちんとしていたのかそれとも本当に買ったばかりなのかは定かではないが、とりあえず食材がない現時点では使い物にならないだろう。しかしここは森の中。いざというときは獣を狩って調理することもあるかもしれないので壊さないうちにズタ袋の中に収納。
お次は鉄の板と黒い石が入った小さな袋。最初は何に使うのか全く分からなかったけど、試しに鉄の板と黒い石と軽く打ち合わせてみた。すると小さな火花が散ったような気がしたので、今度は少し強めに打ち合わせてみる。カン!という音を立てながらさっきよりも派手に火花が散った。これは火打石というものだろう。鍋で調理をするときや、これから夜になる今の状況では篝火をつける際にも活躍するかなり重要な道具だ。すぐに使うことになるが、なくさないようにこれもズタ袋の中に一旦しまう。
最後にこの中で一番重要となってくる簡易地図を広げる。地図はかなり大まかではあったが、現在地らしきところもちゃんと記載されており、位置関係を簡単に理解する分には十分利用できるものだった。
そして問題のその現在地と思われる部分だが、大きな森の中心部分に小さな円が書き込まれており、そこにメモ書きで「聖地。安全地帯。」と書かれていた。
なるほど確かに神聖な空気が流れている気がする。と、自分でも何を言っているかわからないことを考えたが、重要なのはそこではない。
「安全地帯」つまりこの森はこの聖地以外の場所は危険であるということを示している。自分の服がボロボロになっており、激しい痛みを負っていたのはこれが関係しているのではないだろうか。確定ではないが、何らかの事情でこの森を訪れ、危険に陥ったためにこの生まで逃げてきて、果てはここで力尽きて意識を失った。その際に何らかの影響で記憶を失ったのではないだろうか。
なんとなくここまでのいきさつが見えてきた。それにこの地図には森のそばに村が記載されていた。もしかしたらここに僕を知っている人がいるかもしれない。知っている人がいれば自分のことについて教えてもらえるだろうし、なによりそれで記憶を取り戻すかもしれない。
希望が見えた気がした。周りの木々の奥のように真っ暗で何も見えないような状況に突然に日の光が差したような気がしたのだ。僕は少し安堵の域を漏らし、次にこの森からでる方法について考えようとした。
と、その前に。僕は周りに落ちていた細い木の枝と少し太めの木の枝を周りから集め、聖地の中心にその枝を組んで篝火の土台を作り始めた。周りに燃え移らないように篝火の周りは石で囲み、特に燃えやすそうな綿上になっている木の皮を組んだ木下のほうに備える。
ちゃんと燃えてくれるように祈りつつ、ズタ袋から火打石を取り出し、木の皮の付近で火花を散らせる。何度か鳴らしては火花が飛び散り、息を吹いてうまく燃え移らず、また何度も火打石を鳴らす。失敗を繰り返すこと十数回。あたりが暗くなってきてあまり周りが見えなくなってきたところでようやく火がともった。
慌てないように、慎重に。そう心で何度も唱えながら徐々に徐々に火を大きくしていく。やがて全体にうまく燃え移ったのを確認してやっと深いため息とともに全身の力を抜いてリラックスした。
やはり火を扱った記憶もないということで、このまま火をおこすことができないのではと心配していたが、運よくついてくれて助かった。今後は先ほどの感覚を思い出して行えば今回よりも早く火をつけることもできると思う。日が沈んで気温も低くなってきたところ。服もこれほどズタボロでは寒さをしのぐこともできない。日中はまだ涼しい程度で収まっていたが、この状態で暖をとれないと体に支障をきたす恐れがあったため、火打石を所持していたのは幸運だったと言わざるを得ない。こんなどこにいるかわからない状況でもし風でも引こうものならそのままのたれ人でいた可能性だってあり得るのだから恐ろしい。
ともかく危機的状況を乗り切ったことで少し心に余裕が生まれた。
篝火の火が消えぬよう適度に木の枝をくべつつ今後の方針を考える。
まず、第一に森から出ることを目標にして動く。これはもう決定事項だ。そのためには安全地帯である聖地を出なければいけない。森の中は真っ暗で、おそらく日中でも近くの距離しか見渡せないだろう。それだけでもかなり危険だけど、わざわざ聖地のことを安全地帯と書かれていることから何かしら危険な生物が潜んでいる可能性がある。その森はこの簡易地図通りならそれほど広くなく、直線で進み切ることができれば歩いても夕方ごろには森を抜けることができるはず。けれどもしこの地図に載っている以上の大きさがあるのなら。かなり危険ではあるけど地図に記されている川や食材がとれる場所を経由して二日ほどかけて進むほうがいい。どちらにせよ先頭になる可能性があるか・・・。
僕は片手剣を着ている服見て少しため息をつく。
片手剣は古ぼけていて多少使う分には問題ないだろうが、本格的な戦闘を行うとなると少し心もとない。それに衣服はこの森で襲われた際の過酷さを教えてくれる。
そもそも記憶があった頃の僕でも太刀打ちできなかったと思われる森の脅威に対して安全に逃げおおせながら森の外に出るなどできるのだろうか?
不安で息が詰まる。
しかしこのままここにいても飢えて死ぬだけ。
ならば少しでも可能性のあるほうにかけるだけだ。
ある程度大きな木を篝火にくべた僕はさっさと寝てしまうことにした。起きていたら暗闇のせいで悪いことばかり考えてしまう。それならいっそ寝てしまってあ明日に備えたほうがよっぽどいい。
僕は目を閉じて横になった。
ズタボロになった衣服の隙間から触れる草花は湿っていて冷たかったが、同時にまだ生きていることが実感できて、心は温まった。