第七話 王は殺されなかった
修道士ギベールの手記
最初に人々が口にしたのは安堵であった。
「その国の王は殺されていない」
それは祈りの後に添えられ、噂話の締めくくりとして繰り返された言葉だ。
王が生きている。
それは、秩序がまだ残っている拠り所のように思われた。
だが、私はその言葉に言いようのない不安を覚えた。
なぜなら、「なぜ殺されなかったのか」を誰も説明できなかったからだ。
東から来た修道士が、ある夜、炉のそばで語った。
彼はやせ細り、外套は擦り切れボロボロだった。
だが、言葉だけは明晰だった。
「異教徒たちは、その国の王と対したが、王としては扱わなかった」
その言葉の意味を彼はそれ以上説明しなかった。
苦悶の表情だった。
私はその夜、長く眠れなかった。
ーーー象徴を残すということーーー
後に伝え聞いた話では、
ある地の王は、敗北の後も玉座に座り続けたという。
彼は殺されなかった。辱めも受けなかった。
衣服も冠もそのままであった。
ただ、その王の発する言葉の重さが変わった。
彼の言葉は、臣下や民に対する命令ではなく、伝達になった。
内容は簡潔で実務的。感情を含まなかった。
「税を納めよ」「人夫を出せ」「女を差し出せ」「モンゴルに逆らうな」
王はそれを読み上げた。
だが誰もその声に心の中では従おうとはしなかった。
なぜなら、従うべき相手が王の上にいたからだ。
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フランス王ルイ
フランス王ルイは、この話を聞き長く沈黙した。
彼は椅子に深く腰掛け、指を組み、視線を床に落とした。
「王が生きているのに、王でなくなる」
彼はそう呟いた。
その声には、恐怖と理解が含まれていた。
彼は敬虔な王であった。
王権は神から授かるものだと信じていた。
ならば、神が王を残したまま権能だけを奪うことはあり得るのか。
王権の意味が崩れるということは、神という存在そのものの...
彼は答えを出せなかった。
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皇帝フリードリヒ二世
フリードリヒ二世は、この統治の形を冷静に分析した。
彼は地図の前に立ち、長い指で都市を指し示した。
「象徴を壊さぬ方が支配は容易になる」
彼はそう言い、一瞬、口を閉ざした。
それは賛美でも非難でもなかった。
ただの事実の認識であった。
彼は理解した。
この支配は憎悪を生まない。
だからこそ抵抗も生まれにくい。
この方法は帝国の歴史の中にも存在した。
それを異教徒がこれほど徹底して用いることに彼は言葉を失った。
大変なことになる...
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
修道士ギベールの手記
その国の王は生きていた。司教はそれまでと変わらずに語り、教会も健在だという。
それでも何かが決定的に変わった。
その国から来た商人が言った。
人々は王が存在していても期待を寄せなくなった。
司教の説教を聞いても心に響かなくなった。
民は判断を自分で抱え込むようになった。
それは自由ではなかった。重荷であった。
忌まわしき異教徒が王を殺せば憎めただろう。
司教を処刑すれば殉教に涙することができた。
だが、そうはならなかった。
民は知りたかった。
なぜ従うのか。なぜ王は、騎士は、司教は抗わないのか。なぜ生き延びるのか。
自分たちはどのように生きれば神の御心に適うのか...
その問いに誰も明確な答えを持てなかった。
王は殺されなかった。
だが、王である意味は静かに剥がされていった。
私はギベール。
この章を書き終えた夜、初めて神にこう祈った。
「主よ、もしこれが罰であるのなら、どうか敵を憎む力をお与えください」
だが、その祈りに答えは無かった。
憎むべき悪が、もはやはっきりしなかったからである。




