第十五話 略年表と修道士ギベールの事績
◾️略年表
・1241:リーグニッツの戦い(史実)
・1241末:オゴタイ死去(史実)
→オゴタイ存命(本作世界)
・1242:モンゴル軍撤退(史実)
→西征継続(本作世界)
・1243–45:欧州再建(史実)
→帝国軍壊滅(本作世界)
・1246:欧州安定化(史実)
→神聖ローマ帝国服属(本作世界)
・1248:フランス、ブルゴーニュ公国降伏(本作世界)
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◾️修道士ギベールの年譜
―ブルゴーニュの地に生き、記した者―
生年:不詳(1190年頃と推定)
出身:ブルゴーニュ公国の地方の農村
身分:自由農民の子として生まれる
若年期
地方の修道院に入る。写本とラテン語教育を受ける。
史書、書簡、行政文書に関心を示す。
壮年期
大修道院に移り、書記、写本係として活動。
王侯の書簡の写しや公会議記録を扱う立場となるが、
自身は政治的役職に就かず。
侵攻前夜
東欧から届く噂と書簡の整理を担当。
「同じ報が、読む者によって異なる意味を持つ」ことに強い関心を示す。
モンゴル侵攻期
ブルゴーニュの修道院に留まり、逃亡の機会を捨て記録するために残ることを選択。
難民、巡礼者、脱走兵、司祭からの聞き書きを精力的に行う。
モンゴルの支配下で記録を継続。この時期に『手記』の原型が成立。
晩年
記録し続けることを最後の信仰として続け、『手記』は膨大な枚数となった。
葡萄を育て良いワインを作るのを愉しんだ。
敵を知るためと私家版のモンゴル語辞典を編纂。
モンゴル語の主な取材相手となったモンゴル軍の十人隊長とは、いがみ合いつつ長く良き友であった。
ブルゴーニュのお転婆な公女の相談役にもなったと云う。
ギベールのモンゴル語辞典は評判になり、後進の修道士達によりその写本が多数作られ、後世まで広く活用された。
死没年、墓所ともに不明。
次ページは、作者あとがきで、本作は完結となります




