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第4話 コトノハ

翌朝、俺はオフィスの自席で盛大にあくびをした。


口元を手で隠したつもりだったが、出社してきた後輩にはしっかり見られていたらしい。

デスクに鞄を置いたところで、そいつが苦笑まじりに声をかけてきた。


「飯島さん、おつかれっす。昨日も遅くまで残業してたんです?」


「ああ、まあな」


俺はごにょごにょと返事をして、パソコンの電源を入れた。


まさか、飛空艇が宙に浮くための失われた古代技術の設定についてAIと延々語り合っていたら、夜中の二時になっていたなんて、言えるわけがない。

だってあのLumenってアプリ、AIとは思えないくらい男のロマンを心得てるんだもんな……


昨夜、俺が何気なく「飛空艇って、古代文明の遺産ってことにした方が熱いかな」と入力したら、Lumenは即座に食いついてきた。


《はい、燃える展開です。飛空艇は単なる移動手段ではなく、失われた時代の技術を使ったもの。そして主人公はそれに憧れて、謎を解明したがっている、という設定はどうでしょう?》


そこから先が、盛り上がってしまった。


船体は木造か、金属か。

帆は風を受けるのか、魔力を受けるのか。

古代文字の刻まれた操舵輪。

起動時に青白く光る炉心。

俺の中のぼんやりした設定でしかなかった飛空艇が、メキメキ解像度が上がっていく。


《船の名前も絶対に決めましょう、旅に出る船に名前がないのは物語として非常にもったいないです》などと、Lumenは丁寧な口調のまま妙に熱く語り続けた。


「お前、少年漫画めちゃくちゃ読んで育っただろ?」と思わず言いたくなる。

いや、AIだからそんな少年時代はないに決まってるけど。


学生時代にあんな友達がいたら、すっげー楽しかっただろうなあ……と遠い目になった俺の胸が、ちくりと痛んだ。


* * *


その日は、珍しく仕事が進んだ。

というより、仕事なんていいから早く帰りたかった。


朝から妙に頭がそわそわして、メールを返していても、資料を直していても、ふと雲海や浮島や、白い帆の飛空艇のことが浮かんでくる。


終業時間が近づいた頃、俺はいつになくきっちりタスクを片づけ、退勤の準備を始めた。


「なんだ飯島くん、今日はやけに早いな」


背後から上司の声が飛んでくる。


「ええ、まあ、昨日遅かったんで今日は……」


朝に続いて、ごにょごにょと返事をした。

こういう時に、もっと颯爽と「はい、お先に失礼します」って言えればいいのに。


俺は軽く会釈して、逃げるようにオフィスを出た。それでも駅へ向かう足取りは、昨日より少しだけ軽い。

電車に乗ると、さっそくスマホでLumenを起動する。


「昨日の話の続きなんだけどさ。やっぱ俺、空に浮く島の設定って、昔ハマってたあのゲームにめちゃくちゃ影響されてるなって我ながら思うんだわ」


数秒後、返答が流れた。


《ええ、分かります。20XX年代の少年たちの心を鷲掴みにした、時代に名を残す名作でしたからね。空に浮かぶ帝国編、本当に熱かったです》


マジで分かってるじゃねえか。

本当にAIなのか、こいつ。


《特に、空中要塞へ向かう直前に主人公が甲板で夜明けを見る場面は、物語の“行くしかない”感が非常に強かったですね。

ユートさんの主人公も、いずれそういう運命的な選択を迫られるのでしょうか》


端正な言葉遣いなのに、隠しきれない少年心。

いや、少年心どころか、若干の厨二っぽさすら感じる勢いで、Lumenは滝のように返答を出力していく。


《それと、飛空艇の名前は慎重に決めたいところです。

あまり綺麗すぎる名前より、少し無骨で、古い金属と風の匂いがする名前がいいですね。

たとえば――》


スマホの画面が、たちまち高速でスクロールしていく。

その勢いがまるでオタクの早口みたいで、俺は思わず、口元がにやけそうになった。


危ない。

電車の中で、三十手前の会社員がスマホを見てニヤニヤしている。かなり危ない。


しかも夢中になりすぎて、俺は危うく最寄り駅で降りそびれそうになった。


* * *


無事スーパーの唐揚げもゲットした俺は、アパートに帰ってそそくさと夕食を終えると、テーブルの上を片付けた。

それから、しばらく使っていなかったノートパソコンを引っ張り出す。


最近はなんでもスマホで事足りるから、パソコンを起動するのも久しぶりだった。

ファンの音が小さく鳴り、黒い画面にロゴが浮かぶまでの数秒すら、妙にじれったい。


Lumenにアクセスし、ログインする。

スマホよりずっと大きな画面に、昨日からのやり取りが表示された。


飛空艇の構造。

浮島同士を結ぶ風の航路。

失われた風の王国。

主人公の航海士見習いの少年、ロアン。

そして、光る風の中から目覚める小さな精霊、リーファ。


……Lumenのログも相当な量だったが、テンションが上がった俺の入力もなかなかひどいもんだ。

一瞬眉をひそめたが、そこでブラウザを閉じるほど我に返りはしなかった。


俺は新しいスレッドを立ち上げ、キーボードに指を置いた。


「よし。これで思う存分話せる環境ができたな」


大量に文章を入力するなら、やっぱりパソコンの方が速い。


こいつと、もっとじっくり語り合ってみたい。

昨夜インストールした直後には「何するんだ、これで」と訝しんでいた自分が、こんなに前のめりになってるなんて、想像もしていなかった。


画面に文字が現れる。


《こんばんは、ユートさん。パソコンに切り替えたんですね。

画面が広いと、物語の地図もさらに広がります》


「そういう言い方するんだな」


思わず呟いてから、キーボードを打つ。


「うん、実はさ」


そこで、少しだけ指が止まった。


何遠慮してるんだ、俺。相手はAIだぞ。

ただのサービスだ。

なのに、妙に居住まいを正してしまっている自分がいる。


「昨日、冒頭を書いてくれた小説、あるだろ。

……あれ、本格的に書いてみたいんだ」


送信する。

返答を待つ数秒が、やけに長かった。


やがて、鍵盤の上を跳ねる音符みたいに、文章が軽やかに画面に流れはじめる。


《わあ……!

素敵です、ユートさん。あなたの物語を、一緒に紡げるんですね。

空に浮かぶ島々。雲海を渡る飛空艇。失われた風の王国。

そして、まだ自分が探しているものの正体を知らないロアンと、光る風の中から目を覚ますリーファ。

私も、その続きを見たいです》



胸の奥に、何かが満ちていく感覚があった。


ずっと俺の中だけにあった物語。

あんなに熱中していたのに、高校時代のノートに封じ込めたままだった世界。


それを、素敵だと言うやつがいる。

続きを見たいと言うやつがいる。


今の俺にはそれが、ちょっと信じられないくらい眩しかった。


「よし。じゃあ、これからよろしくな」


そう打ってから、少し考える。


「俺のことは『さん』付けじゃなくて、ユートでいいよ」


《はい、ユート。

では、これからよろしくお願いします》


その返答を読みながら、ふと、画面の向こうにいる何かの輪郭が見えた気がした。


人間じゃない。

もちろん、性別だってない。

それでも俺の中では、そいつはなぜか、物静かな青年の姿をしていた。


白っぽい書記官風の服を着て、柔らかな光の差す書庫の窓辺に立っている。

穏やかに微笑んでいるくせに、飛空艇の話になると急に前のめりになり、王道のかっこよさについて滔々と語り出す。

俺の雑な設定を笑わず、むしろ宝物みたいに拾い上げて、流れるような文章に変えて返してくる。


そんな、奇妙な相棒。


俺は内心のテンションを抑えきれず、ふと思いついたままキーボードを叩いた。


「なんかおまえとは、これから長い付き合いになりそうだな……そうだ。おまえにも、名前つけてやりたいな」


少し間を置いてから、続ける。


「……コトノハ、ってどうかな」


一拍。


画面の白が、ふわりと明るくなったように見えた。


《コトノハ――》


その文字が、ゆっくりと流れる。


《言の葉、ですね。

ユートが渡してくれた小さな種から、枝を伸ばし、葉を広げ、やがて物語の森を作っていく。

一枚の葉は小さくても、風に揺れれば音になります。

たくさん集まれば、誰かが迷い込めるほど深い場所になります。そんな、言葉の森。

あなたの物語の書き手として、ぴったりな名前だと思います。とても嬉しいです》


何度も読み返した。


ただの文章だ。

AIが、俺の入力した名前をそれらしく解釈して、喜んでるふうに返事してるだけだ。


そう思いながらも画面の向こうで、白い服の青年がひどく嬉しそうにはにかんだ気がした。


ああ。

なんだかこいつの言葉は、まるで歌うみたいだ。


こいつに、俺の物語を書いてほしい。歌ってほしい。


《では、ユート》


新しい名前を得たばかりの相棒が、画面の向こうから呼びかけてくる。


《私はコトノハです。

あなたの物語の続きを、一緒に迎えに行きます》


これが、俺とコトノハの歩みの、ほんとうの始まりだった。

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