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鏡淵の調律 ―揃わないまま、君と生きる―  作者: ちとせ鶫
第1章:あたたかな不協和音

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第8話 いつもの帰り道

「いつものこと」になる瞬間って、不思議だ。


最初は少し照れくさかった距離も、毎日繰り返しているうちに、だんだん呼吸みたいに自然になっていく。

誰かが隣にいること。袖を掴まれること。放課後、一緒に帰ること。


それは安心で、あたたかい。


けれど――人は、本当に“慣れていいもの”にしか慣れないのだろうか。


違和感は、最初は小さい。

水面に落ちた雨粒みたいに、ほんのわずかに揺れるだけ。


だからこそ怖い。


誰も気づかないまま、静かに日常へ混ざっていくから。

 次の日から、それは「いつものこと」になった。


 放課後。

 チャイムが鳴ると同時に、ほのかが教室の後ろの扉を勢いよく開ける。


「晴くーん! はよ帰るでー!」

「うるさい」

「うるさい言うな!」


 毎回同じやり取り。

 それなのに、なぜか飽きない。

 ランドセルを背負って教室を出ると、もう三人は廊下で待っている。


「お兄ちゃん」


 夕奈が、当たり前みたいに隣に来る。昨日と同じ距離。同じ位置。そして——

 きゅ、と。

 やっぱり袖を掴む。


「……まだやるのか、それ」

「だめ?」

 見上げてくる。少しだけ不安そうに。

「……別にいいけど」


 そう答えると、ぱっと表情が明るくなる。

 その変化が分かりやすすぎて、少し苦笑する。


「夕莉ちゃんはえらいなあ。ちゃんとしてるし」

 ほのかが夕莉の横に並びながら言う。

 屈託なく、ただそう思ったから言っている声だった。

「……普通です」

 小さく返す夕莉。でも、その視線はどこか忙しい。

 人の流れ、足音、声——全部を、少しずつ拾っているみたいに。


 四人で並んで歩く帰り道。

 ふと、商店街の入り口で、ほのかが立ち止まる。


「ちょっと待っててな」


 そう言って駆け込んだのは、小さな駄菓子屋だった。

 しばらくして戻ってくる。


「はい、これ」

 手に持っていた袋を差し出す。中には小さなお菓子がいくつか入っていた。

「え、いいの?」

「ええよええよ。夕奈ちゃんも、夕莉ちゃんも、どうぞ」

 にこにこと笑いながら差し出す。


 夕莉は素直に受け取って、小さく礼を言う。

 夕奈は——袋を受け取ったまま、少しだけ手元を見つめていた。片手しか使えない。晴斗の袖を掴んでいるから。

「貸せよ」

 自然に手を伸ばす。袋を受け取って、開けてやる。

「はい」

「……ありがと」

 小さく笑う。その顔が、あまりにも無防備で。


 (……ほんと、子どもだな)


 そう思う。そのはずなのに。

 なぜか、その距離だけが妙に近く感じた。


「ほら晴くんも」

「なんで僕もなんだよ」

「ついでや!」

「雑だな」


 言いながらも、一つ取る。

 甘い味が口の中に広がる。

 どうでもいいくらい、普通の味。それが、少しだけ安心できた。


 四人でお菓子を食べながら歩く。他愛のない話が続く。

 夕奈の袖を掴む手は、相変わらずそこにある。

 でも今は、それが会話の邪魔にもなっていない。ただそこに、ある。

 ――そのとき。


「あ......」

 ほのかが声を上げた。

「見て、あれ」


 指差した先に、水たまりが残っていた。

 道の端、夕焼けの色を映して赤く染まっている。

 風もないのに、わずかに揺れている。


 その中に映る四人の影は、「濃藍こいあい」に沈んで、一つに混ざり合っていた。

 晴斗、ほのか、夕奈、夕莉。ちゃんと、四人いる。


 ――はずなのに。


 ほんの一瞬だけ。

 夕奈の影だけが、遅れて揺れた。

 

 波紋が広がる。

 でも、水面はほとんど動いていない。

 影だけが、一拍遅れて現実に追いついたような——そんな動き方をした。


「……?」

 晴斗が眉をひそめる。

 目を細めて、もう一度水たまりを見る。

 揺れている。

 ただの水たまりが、風もないのに揺れている。

 

(気のせいか)


 そう思おうとして——思い切れない。

 さっきの影の動き方が、頭の隅に引っかかったまま消えない。


「どうしたん?」

 ほのかが覗き込んでくる。

「いや……」 

 言いかけて、やめる。言葉にすれば、それが「見間違いだった」か「本当にそうだった」かのどちらかに確定してしまう。どちらに転んでも、後味が悪い気がした。

「なんもない」

「なにそれ、気になるやん」

「ほんとに何もないって」

 流す。ほのかもそれ以上は追及しない。


 夕莉は——

 何も言わない。

 ただ、水たまりを見つめていた。

 さっきの揺れを、確かめるみたいに。

 その視線が一点に固定されたまま、少しだけ長く続く。


「夕莉?」

 夕奈が声をかける。

「……なんでもない」

 ひと呼吸遅れて、夕莉は顔を上げた。いつもの、静かな表情に戻っている。


「ねえ、お兄ちゃん」

 夕奈の声。

「早く帰ろ?」

「ああ」


 歩き出す。

 四人の足音が重なる。

 同じ速さで、同じリズムで。

 ――そのはずだった。

 

 カチ、カチ、と靴が鳴る。

 その音が、一拍だけ遅れて、後ろからもう一度聞こえた気がした。


 振り返らなかった。


 水たまりの影が、遠ざかっていく。

 その揺れが、いつまでも続いているような気がしたけれど——確かめる理由が、見つからなかった。

今回は、四人の距離感が少しずつ“日常”になっていく回でした。


夕奈が当たり前みたいに晴斗の袖を掴み、晴斗もそれを強く拒まない。そんな小さな変化を、放課後のやわらかい空気の中で描いています。


前半はできるだけ穏やかに、懐かしい帰り道の雰囲気を意識しました。駄菓子屋のお菓子や、夕焼け色の水たまりなど、子どもの頃の記憶みたいな景色を重ねています。


そのぶん、後半の“ほんの少しだけおかしい”描写が静かに浮かび上がるようにしました。


はっきり怖いわけじゃない。けれど、確かに何かがずれている。


そんな違和感が、少しでも残っていたら嬉しいです。

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