第18話 重なる違和感
「気のせい」で片付く違和感は、たいていその場では名前を持たない。
けれど、重なった瞬間にだけ、それは輪郭を持ち始める。
第18話は、“ズレ”が初めて連なりとして意識される回です。
まだ壊れてはいない。けれど、確実に積み重なっている。
その曖昧な境界を、静かに描いています。
次の日も、
そのまた次の日も、
夕奈はキッチンに来た。
料理中だけではない。
宿題をしているとき、
テレビを見ているとき、
ほのかと話しているとき。
気づけばそこに夕奈がいる。
晴斗の袖を掴んで、
あるいは隣に座って、
あるいはただ近くに立って。
邪魔かと言われると、邪魔ではない。
おかしいかと言われると——おかしくない、と思う。
(思う、が)
晴斗は鉛筆を動かしながら、ノートを見る。
宿題の途中だ。
計算式が並んでいる。
隣に夕奈がいる。
同じように宿題をしている。
それだけなら、何も問題はない。
ただ。
夕奈の鉛筆が止まるたびに、晴斗の方を見る。
答えを求めているわけじゃない。
確認しているわけでもない。
ただ——晴斗がそこにいることを、確かめているような目だった。
(いつから、こうなった)
考えかけて、やめる。
「いつから」を辿ろうとすると、うまく掴めない。
最初からこうだった気もするし、最近こうなった気もする。
境目が、どこにあるのか分からない。
「晴くん」
ほのかの声がした。
放課後、いつも通り瀬戸家に来ていたほのかが、
リビングの入口から顔を出している。
「ちょっといい?」
「なに」
「……えっと」
珍しく、言葉が続かない。
「なんでもない」
すぐに引っ込む。
「ちょっと待て、なんでもないはないだろ」
立ち上がって廊下に出る。
夕奈の視線が、背中を追いかけてくる感触がした。
廊下でほのかと向き合う。
「なに」
「……最近さ」
ほのかは少しだけ声を落とす。
「夕奈ちゃん、ずっと晴くんのそばにおるよな」
「まあ、そうだな」
「それって……普通なん?」
問いかけ。
でも、答えを求めている声じゃなかった。
自分でも判断できないから、晴斗に聞いている声だった。
「……さあ」
正直に答える。
「さあって」
「分からない。でも、嫌がってるわけじゃないし」
「そやけど——」
ほのかが何か言いかけた、そのとき。
「お兄ちゃん?」
夕奈の声が、リビングから聞こえた。
ひとときの沈黙。
「ちょっと待って」
晴斗が返す。
「……うん」
返事は来た。
でも、その「うん」の中に、
待てない何かが混じっていた気がした。
ほのかはそれを聞いて、小さく息を吐く。
「……ええわ、なんでもない」
「ほのか」
「ほんまになんでもない。戻り」
背中を向ける。
その肩が、少しだけ強張っていた。
晴斗はリビングに戻る。
夕奈が、すぐに袖を掴む。
「どこ行ってたの?」
「廊下」
「なんで?」
「ほのかと話してた」
「……そっか」
それだけ言って、鉛筆を動かし始める。
何も変わらない。
何もおかしくない。
でも。
「そっか」の声が、少しだけ平坦だった。
感情が乗っていない、というより——感情を乗せることを、やめたような。
(気のせいか)
そう思おうとして——思い切れない。
さっきのほのかの肩の強張りと、
夕奈の「そっか」が、
頭の隅で並んで残っている。
どちらも、小さい。
どちらも、言葉にならない。
でも、確実に、積み重なっている。
この回は「ズレの累積」をテーマにしています。
単発の違和感ではなく、
・記憶の欠落
・空間の微妙な変化
・音やタイミングの不一致
それらが“重なり始める”ことで、初めて不安が質を変えていきます。
重要なのは、まだ誰もそれを「異常」と認識していないこと。
むしろ自然に無視できてしまう点が、いちばん危険な状態です。
ここから先は、「気のせい」が通用しなくなる段階へ入っていきます。




