第5話「勇者は約束を果たす」
渇きから水を求める体を無視して、加納里桜は自宅へと走った。
辺りはどろりと濁った瞳の町人がうろうろしていて、剣呑極まりないが、今戻るわけにはいかない。
(……ママ!)
自称勇者の内輪揉めに巻き込まれた時、里桜は母が発作を起こす姿を見た。
母は持病があり、痙攣をおこした時、薬を飲めば普通に生活できるのだが、万一手元に薬がないと、命に係わる可能性もある。
また彼らの賢しい幻かと思ったが、もしそれが事実だと思うと、確認に向かわずにはおれなかった。
里桜にとって母は、ダメ恋愛の中毒患者だ。いつもろくでもない男に引っかかっては破綻してやけ酒を食らっている。
母のような無様な生き方はしないと、どうしたら賢く立ち回れるかと思って生きてきた。
それでも、女手一つで自分を育ててくれた優しい母なのだ。
それに、勇者だのなんだのは信じられない。
自分たちの安寧を壊しておいて、お前を守ると言われても今更な話だし、菅野学が奴らの仲間でない保障などありはしないではないか。
アパートのドアを開けた時、出迎えたのは静かに寝息を立てる母だった。
どうやら、あの幻はガセだと知って、安堵の息を吐いた。
「ほら、勇者だの魔法だの、下らない」
吐き捨てた独り言に、「そうでもありませんよ」と返事を返され、振り返る。
白衣の男性だった。顔に付けた赤い仮面はどう見ても普通ではない。
「どうやら菅野学と仲間たちは間に合わなかったようですね。まあ、こちらの目的はかく乱ですし、あなたを跡形もなく消滅させれば、彼らはいなくなったあなたを探し続けるでしょう」
仮面の裏で、男の表情が愉悦に歪んだ気がした。
里桜は絞り出すように「……どうして?」と言葉を吐き出した。
「どうして? そうですね。貴方がたはそう言う感覚なのですね」
男の声色が、喜色から怒りの色を帯びたものに変わってゆく。
「おじさんの娘はね。お嬢さんみたいなのに虐めを受けて失声症になってしまってね。唯一の希望だった異世界の知識も、心の傷は治せないそうだよ。君にわかるかい? 自分の娘の危機に気づかなかった結果、『お父さん』と呼んで貰えなくなった情けない父親の気持ちか」
この男は何を言っているのだろう?
心が彼の言葉を受け入れる事を拒否する。だが、吐きかけられた怒りの言葉は、里桜の精神を蝕んでゆく。
「〔隊長〕の奴も同じさ。小学生の弟さんが階段から突き落とされて大けがをした。関係者は知らぬ存ぜぬだったそうだ。君たちは言うだろうね。『そんなつもりじゃなかった』と。でも、こちらは君たちが『どんなつもり』かはどうでもいいんだ。つけられた傷の大きさだけが問題なのさ。だからねぇ。おじさんがちょっと天罰を進呈させてもらおうじゃないか」
悲鳴を上げて逃げ出そうとして、自分の後ろには母親がいることに思い至る。
ここで逃げたら、母がどうなるか分からない。でもどうしたら。
「ほう、他人は虐げる癖に、自分の身内は大事にするんだねぇ」
誰か! 誰か、助けて!
大声で叫んだ時、ベランダでとん、と音がした。
「おう、”助けに来た”ぜ!」
里桜の後ろから、大きな銃を構えた菅野学がゆっくりと入ってきて、仮面の男との間に割って入る。
「『他人を虐げるくせに、自分の身内は大事にする』それはおじさん、あんたの自己紹介かい?」
超然と見返す学に、男は苛立たし気に言葉をぶつける。
「あなたも、彼らのせいで大切なものを奪われかけたそうじゃないですか。そんな人間を命をかけて守るのですか? 随分お優しい。理解に苦しみますな」
「俺が壊したのはスクールカーストだ。中の人間は壊すんじゃなくて救出の対象なんだよ。確かに俺は手も汚すが、〔破壊の勇者〕の役目は人を不幸にするものをぶっ壊すこと。人そのものを壊すのは本当に最後の手段だ」
「偽善者が!」
「そうだよ。こちとら命がけで偽善者やってるんだ。見境なく第三者に怒りをぶつけるクレーマーさんとは違うんでな」
煽るような学の一言に、激高した男は右手を掲げ、何かつぶやいた。
右手からまばゆい光がほどばしる。
学は素早く里桜を抱え上げ、ベランダから飛び出した。
「ママが!」
空中で叫ぶ里桜に、「心配ない」と返事が返ってくる。
着地した菅野学に続いて、褐色の肌の少女が、母を抱えて飛び降りてきた。
「ちょっと菅野学、人使い荒いわよ!」
悪態をついた少女は、クラスに殴りこんで自分たちを人質に取ったあぶない奴だった。
「あー、こいつは大丈夫だ。とりあえずは」
何が大丈夫なのだろうか?
頭が混乱する。こいつらは何? なんでこんな危険の中に飛び込んでゆくのだ?
「あんたは、何なのよ?」
畏怖と戸惑いから発した言葉に、学はウインクして見せた。
「言ったろ? 俺は〔破壊の勇者〕。約束した以上、お前を脅かすものはぶっ壊してやるよ。勇者だからな」




