蟲追われの素兎《しろうさぎ》
――あるところに一匹の妖怪兎がおりました。
クチバシのある、白いこの兎は植物ばかりか、鳥のように虫をも喰らう雑食の兎です。兎は当然植物を食べに来る虫も美味しくペロリといただいていました。
そんなある日、虫が兎に怯えながらも会話をしようと近づいて来ました。兎はその怯えようが面白く感じたので、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて「食べようか、どうしてやろうか。話を聞いてやろうか」と迷う素振りを見せます。そうして、気が変わらないうちに話してみよと促された小さき虫が話し始めました。
曰く、食糧を盗むつもりはない。ほんの少しだけ分けてほしい。それか、自分達を襲うのはやめてほしい。そんな二つの要求を一匹の虫の代表がしたのです。
これに対して兎は嘲笑いました。
「わしのほうが体も大きく強いのじゃ。お前達なんぞいくら束になったところで勝てようはずがない。もし、わしを出し抜こうとするならば数を集めて、ここらの植物を食らおうとするわしより先に食糧を食い尽くして見せるが良い。そしてわし自身にも勝利してみせよ。お前達かよわき者ではできんだろうがな!」
古今東西、兎というものは驕り昂るものです。そして、ついでに油断してしてやられるというのもまたお約束。
クチバシのある兎はその次の日となると、遠くからやってくる羽音に身震いさせられることとなったのです。
どこからか、兎が嘲笑った虫の仲間と思われる大軍が押し寄せ、そしてあっという間に兎が食糧としていた一帯の植物を食い尽くしてしまったのです。
これには兎も困りました。食糧がなければ移動しなければなりません。虫を喰らおうにも、逆に大軍に集らられば兎自身もやられてしまうに違いありません。
仕方なく遠方へ移動した兎は安心して草を食みましたが、しばらくするとあの悪夢のような数の羽音が近づいてくるではありませんか!
そう、虫達は嘲笑われたことを忘れてはいません。その屈辱を晴らすために、勝負を続行したのです。
これにたまらず、兎は逃げ出します。
そしてそれ以来、このクチバシを持った兎は延々と虫の大軍に追われ続けることとなってしまったのでした。
この事実を客観的に観測した結果「クチバシ兎が現れると虫の食害が出る前兆」と言われるようになったのです。
◇
「こ、これで経緯は全部でぇ! 勘弁してくれい!」
じたばたと手足を動かし、暴れるのは頭部に兎の耳を揺らす十歳程度の少女である。着物に似た、しかし違う前掛けのようなものがついた橙色の導師服に、鉄でできた口元だけの仮面をつけ、頭部からは白くてふわふわな兎の耳が生えている。
神社内の柱に縄で縛りつけられ、必死に己のことを話しながら許しを乞う姿に、真白は「どうしようかしらね」とわざとらしく溜め息を吐いた。
死んだふりをしている兎を捕まえた際に、なんと兎は木の葉を舞わせながら人型に化け、逃げ出そうとしたのである。真白がこの兎の行先の地面に簪を投げ、驚いて足を止めた隙に首元に手刀を入れて捕らえたのが今の状態である。
本当に気絶をした兎を俵を持つように担ぎ上げて運び、あやかしなのだろう彼女を神社の柱に縛り付けた。家鳴り達は真白に招かれているうえに慣れているので問題ないが、なにも知らないあやかしが神社の敷地内にいるのはあやかしにとって、かなり恐ろしいことだろう。
「確かにわしの自業自得だ! でもな、これでも困っているんじゃ! あやつらしつこすぎて本当に困っているんじゃ! わしを殺してもあやつらはきっと止まらんぞ! だから酷いことしないでくだせぇ!」
幼い顔で年老いたような話し方をする兎に真白が眉を顰める。
彼女が兎を殺すつもりは毛頭ない。心外だとばかりに。
そんな三人を遠巻きに、座敷童の遊幸や家鳴り達が覗き込んでいる。好奇心旺盛な彼女達は真白が連れてきた兎耳の少女に興味津々なのだ。
それから、ことの次第を見守っていた破月が口を開く。
「ふむ、真白。どうやらこいつを捕らえただけでは解決しそうもない。この辺の植物があやかしイナゴに食い尽くされる前になにか対策をせねばなるまいて」
「ええ、そうね。大丈夫よ。私に少し考えがあるわ」
「ほう? それは本当か。ならば言ってみるがいい」
対策があるという意味で言った彼女に、破月が返す。
しかし真白は首を振って「けれど、その前にもう少し話したいことがあるわ」と言った。
「時間はもう少しあるだろう。好きにすれば良いと思うぞ」
「そう、ありがと」
短いやりとりを終えて真白は兎に近づいていく。
表情を変えずに近づく彼女に兎は「ひっ」と短く悲鳴をあげるが、彼女はまったく気にもせずに縛られた彼女の肩に手を乗せる。
「あんた、名前は? あるんでしょう?」
「わ、分かった分かった! 名乗るよ」
慌てたように兎が言って、上目で真白を見つめた。
「わしの名前は優梅。虫に追われている哀れな兎じゃ。お願いだから巫女さん、わしを助けて!」
兎鍋を回避したばかりだというのに、彼女――優梅は無遠慮に真白へと嘆願するのだった。




