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空の穴から天上を覗く

 次の日には汽車も平常運転に戻ったので、私たちはそれぞれ学校から帰ることになった。別に学校に居てもいいんだろうけど、また暫く休校になるし。……夏休みは潰れるんだろうなあ、きっと。


「ここからでも空の向こう側、見えるんだな」

 学校を出てすぐ、彼は空を見上げて零した。

 此処からでも、空に開いた穴は見える。

 前方には一昨日の。

 後方には最初の。

 どっちの穴からも空の向こうが覗いているけれど。

 ……これだけ離れていても、空の向こうが覗いている、とは。

「……空の厚さって、何キロだっけ」

「20km、って、言われてた、な」

 聞けば、彼も気づいたらしい。

「どう見てもそんなに無いよなあ」

 そんなに厚かったら、この位置から空の向こう側が見えるものか。

「……そもそも、空の厚さってなんで20kmだって」

「あ、それはな、残ってた記録とかを必死に集めた結果だったらしい。あんな位置にあるものを測る技術なんて……というか、あの位置じゃなかったとしても、宙に浮いた20km厚の板の厚さなんて測る技術、無いしなあ」

 空の厚みは憶測にすぎなかった、って事だ。

 勿論、できたての頃は20kmあったのかもしれないけれど、私はどうも、あれは年々薄くなっていっていたように思う。

 特に、ここ数年は。

 思い出せば、空が落ちて来る前、赤いはずの空が、何故か紫がかって見えた。

 今考えれば、それは、赤を透かして空の向こう側の青が見えていたから。

 そう考えればごく自然な……ごく自然な事かもしれないけれど、今まで誰も気づかなかった事だ。

 だって、その変化はあまりにもゆっくり過ぎた。

 ここ数年で急に薄くなった事は確かだろうけれど、それにしたって、2000年もあったものに今更興味を払う人がどれほどいるだろう。

 穴が開いた今こそ注目を集めてはいるけれど、これがこのままずっと続いて穴が開いた空が2000年続けば、やっぱりまた人はそれに慣れていって、もう1つ2つ穴が開いても気づかないでいるようになるのかも。

 そうして、そうしている間に空は消えていくんだろうか。

「今、どのぐらいだろうな。……えっと、穴のサイズと空落下地点が分かれば測れるよな」

 そういえば、数学でそんなことをやったようなやらなかったような。

「まず、空の高さからかあ。えーと、穴のサイズが……どのぐらいに見えるか、でいいか。ん。じゃあとりあえずここから空の向こうが見えなくなるギリギリまで後退して、その時の角度と空落下地点までの距離を測っといて……後は地図でいいか」

 ……彼は、つくづく暇らしい。




 彼は分度器で何かの角度を測ったり、目の前に定規をあてて空の穴のサイズを見たりなんだりし始めた。

 暇の使い方が私と違って凄いなと思う。真似する気にはならない。

 そして、地図を広げたりする都合で、馴染みのファミレスに彼と入って昼食にする。

 朝昼晩朝、と4食連続で乾パンだったので、そろそろ別の物が食べたかったし。

 別に、学校に居る間でもこうやってファミレスに来れば幾らでも違うものは食べられたし、そうする生徒もいたけれど、こう、折角なので、ということで乾パン生活を送ってみた。あれはあれで結構オツなもんだった、かもしれない。


「よし、出ました。出ましたよ空の厚さ」

 オーダーしてからご飯が届くまでの間、ドリンクバーにも手を出さず、彼は一心不乱に地図と計算式の書かれたノートでなんやかややって、そして遂にそんな喜びの声を上げた。

「はい、問題。厚さはどのぐらいだと算出されたでしょうか」

 嬉しそうに、得意げに、彼はノートを隠しつつ聞いてくる。

「10kmで半分になってた、とか?」

「外れ。答えはだいたい2.5kmでした!」

 大分薄くなってたんだなあ、なんて思った途端、オーダーしたご飯が運ばれてきたので私達はそっちに夢中になってしまった。

「乾パン生活を経て実感できる肉の美味さ!」

「乾パン生活を経て実感できるミートソースの旨味!」

 なんていったって、乾パンじゃない食事は丸一日以上ぶりなんだから、こうなってもしょうがない。

 乾パン生活のいいところは、それ自体のわびさびとその後に食べるご飯の美味しさだと思う。

 こういうのもなかなか新鮮でいいかもしれない。

「あ、これはやばい。メロンソーダが犯罪的に美味い」

「オレンジジュースの酸味がこんなにも素敵」

 お互いに感動を伝えあいながらご飯を食べ、(彼はハンバーグのセットメニュー、私はドリア単品だった)調子に乗ってデザートまでオーダーして(彼はティラミスで私はミルクジェラートだった)さらにはドリンクバーで散々遊んで、存分にファミレスを堪能してから店を出た。

 ここまで喜ばれるファミレスっていうのも珍しかったと思う。




「で、大分薄くなったんだね。ここ数年で、かな」

「……え?」

 ファミレスを出て、ご飯のインパクトに吹き飛ばされてしまったさっきの話の続きを口にすれば、彼が絶望的な表情を……。

「空の話」

「あ、髪かと思った。あ、びっくりした」

 私がびっくりした。

「……で、空だけどさ。ここ最近だと思う。こんなに薄くなったのって」

「ここ最近で急に空が薄くなって、そのせいで空に穴が開いた、っていうのは、うん、そこそこ筋が通ると思う」

 ただ、なあ。と、彼が空を見上げてぼやく。

「その理論で行くと、やっぱりさ。最近空の上で何かがあった、って事になっちゃうわけでさ……そうすると、こう、最近のニュースというと、もう1つ人類滅亡系のがあるじゃん」

 ああ、分かった。

「イザナギとイザナミの停止?」

「それそれ。……空の上で何かあったから停止した、って考えるのは、どうよ」

 空の上で何かあったからって、遠く離れた地上のオーパーツが停止したりするだろうか。

 ……こう、電波、みたいなもの使えば何とかなっちゃいそうな気がする。なんてったって、空の上の技術力は私達よりそうとう高いみたいだし。そういうことも可能かもしれない。

「でも、なんでわざわざ停止させたの?」

 別に、今更そんなことしなくても、とも思う。

 空の上は空の上で、空の下は空の下で、それぞれ生活している訳だし。

「うーん……えっと、空が薄くなるじゃん」

「うん」

 しかし、彼は微妙な顔のまま説明を始めた。

「そのまま薄くなっていったら、空の上に住んでられないじゃん」

 ……あ、そっか。

 いつ割れたり抜けたりするか分からないような所に住んでいられるわけがない。

「となると、移住しないといけないじゃん」

 ……そういうこと、なんだろうか。

 空の上で何かあって、空の厚さがかなり減ってしまった。

 そして、このままではいけないと思った空の上の人達は移住を決意する。

 空の上の人全員が移り住めるような広大な土地……つまり、地上へ、と。

「そのためにとりあえず地上人を滅亡させておこう、ぐらい考えてもおかしくなさそうで嫌だなー」

 空の上に移り住んだ人たちは何を考えていたんだろうか。

 そして、今、何を考えているんだろうか。

 予定より早く空に穴が開いてしまって焦っているかもしれない。焦るあまり、地上を制圧する為に攻めに出て来るかもしれない。

 もし、空の上の人達に会う事ができたりしたら、この退屈にも終止符が打たれるんだろうか。それとも、やっぱりいつかは平坦にならされて、単なる日常になってしまうんだろうか。




 結局、彼による楽しい予想は裏切られることになった。

 翌日の朝、ニュースを聞き流していると、イザナミとイザナギの稼働が確認された、と報じられた。

 慌ててニュースに齧りついたところで、今の所確認されたのは1人分だけだけれど、その内また運転を再開するだろう、という専門家たちの見解が示されてその話題は終わる。

 ……空の上の人達が攻めて来る可能性は低くなったかもしれない。

 安心した様な、残念なような。



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