第十一話 試着
試作品が完成したのは、依頼を受けてから四ヶ月後のことだった。
若田さん一人分。上半身の肌着二枚。
見た目は地味だった。生成り色に近い白。縫い目はほとんど見えない。飾りも、ロゴも、何もない。
でも、手に取ったとき、私はしばらく置けなかった。
重さがある。でも、重くない。布がそこにある、という感触だけがある。
「持ってみて」
ヨシコさんが言った。私は両手で受け取った。
「……何も、主張しませんね」
「そう。それでよか」
若田さんが試着のために工場に来た。
更衣のスペースは、工場の奥に仕切りを作って用意した。サチコさんが布を張って、簡単な衝立を作ってくれた。
五分後、若田さんが出てきた。
何も言わなかった。
一分くらい、立ったまま黙っていた。
「若田さん」
城島さんが声をかけた。
「……あ、すみません」
若田さんは少し頭を振った。
「考えていました」
「着心地はいかがですか」
若田さんはゆっくりと腕を上げた。左右に。胸の前で交差させた。背中に手を回した。
「わかりません」
城島さんが少し困った顔をした。
「わからない、というのは」
「着ているかどうか、わからない。でも……確かに、ある」
若田さんは自分の胸の上に手を当てた。
「着ていないみたいなのに、触れると、ある。その感じが、不思議で」
ヨシコさんが若田さんの周りを歩いた。いつもの観察。でも、今日は少し違った。生地の動きを見ている。
「腕を上げて。もう一度」
若田さんが上げる。布が、身体に沿って動く。縫い目が引っ張られていない。
「肩甲骨を動かして」
若田さんが動かす。布がついてくる。
ヨシコさんが小さく頷いた。
試着が終わって、若田さんがヨシコさんに言った。
「一つだけ、聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「どうやったら、こういうものが作れるんですか」
ヨシコさんは少し考えた。
「あんたの体を、覚えたけんよ」
「覚える、というのは」
「触らんでも、目で見て、体が動くのを見て、どこが疲れとるか、どこが緊張しとるか、どこが眠っとるかを覚える。それに合わせて縫う」
若田さんはしばらく黙った。
「宇宙に持っていきます」
「持っていって、向こうで着てみて。地球で着るのと、何が違うか教えて」
「帰ってきたら、ちゃんと報告します」
ヨシコさんは頷いた。
それだけで、約束が成立した。
その日の夜、私は祖母のノートを開いた。
着ていることを忘れてしまう布を作ることができたら、それは本当に皮膚の続きになる。でも、忘れるためには、まず確かにそこにあることが必要だ。存在しないものは、忘れられない。
存在しないものは、忘れられない。
若田さんが言った言葉と、同じことだった。
着ていないみたいなのに、触れると、ある。
祖母は、その答えをもう知っていた。
私はノートを閉じて、窓の外の星を見た。
了
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