第86話
「こんな時間にどこ行ってたんだ?」
「ちょっとね」
ゲイルの問いに答えるソフィアの声は弾んでいる。どうやらソフィアが出かけていた理由は、ウィッテン関連で間違いないようだ。
ソフィア自身が昇天を望んでいるのなら、ゲイルだってウィッテンの周囲をうろつくのは気にしない。だがソフィアは、それを望まないからゲイルと旅をしていたのだ。
むしろソフィアはこのまま霊として、ウィッテンとの関係を築いていきたいと思っている様子がある。
霊であるという現実を謳歌しているようなソフィアを、ゲイルは時々羨ましく思う。自分もフィオナと気軽に関われたらどんなにいいか。
しかし普通の生者と死者が長く関わりを持ったところで、そこから生者が得られるものなどなにもないとゲイルは考える。死者についての思い出は、いつまでも引きずり続けるものではない。
フィオナはまだ若い。彼女の人生はまだまだ続くのだ。その長い道のりの為にも、もうゲイルはいないのだという現実を受け止め、前を見てもらわなければならない。
フィオナの止まってしまった時間を動かすには、どうしたらいいのか。その答えが出ないうちは、ゲイルはフィオナのもとを去ってはいけない気がしていた。
ゲイルの魔術人形を作るほど思い詰めたフィオナのことだ。下手に自分がゲイルだと正体を明かせば、その存在に余計執着してしまうかもしれない。それだけは避けなければいけなかった。フィオナは人形使いかもしれないが本質は生者なのだ。死者に執着して関係を持ったところで、いつかどこかでそれが本当にフィオナ自身を幸せにするものではないと理解し、傷ついてしまうだろう。彼女にこれ以上辛い思いをさせたくなかった。
「……ン、アーウィン、ねえアーウィンってば!」
「え? あ? お、おう」
ソフィアの大声によって、ゲイルは現実へと引き戻された。
「どうした?」
「『どうした』、じゃないわよ。さっきからずっと呼んでるのにぼけーっとしちゃって。どっか悪いの?」
「んなわけねえだろ。俺はいつでも元気だ」
生前もゲイルは、滅多に体調を崩さない頑丈な体が自慢だった。死者も体調を崩さないわけではないが、その辺の者たちよりはずっと頑丈な自信が今もある。
「フィオナが呼んでるわよ。今日はアーウィンいないのかって」
「おう」
ゲイルはソフィアほど不器用ではない。それどころか、霊の中でも器用な方だ。そんなゲイルにとって声に念糸を混ぜて生者と会話するのは簡単だが、そうやってフィオナと会話をしたら、声で正体がばれてしまうかもしれない。ゆえに、ゲイルはフィオナと話す際は常にウィジャボードを使っていた。
ウィジャボードに置かれたコインで存在を報せると、フィオナが安心したような声を出した。
「アーウィン悪いんだけど、ちょっと料理運ぶの手伝ってくれない? 今日は給仕の子お休みなのよ」
ソフィアが不器用で手伝いができないのは、フィオナもとっくに知っている。この店に来た最初の頃に、ゲイルが伝えたのだ。だからフィオナは、ゲイルに頼み事をしてきたらしい。
それくらいの手伝いなら簡単だと、ゲイルが引き受ける。
酒場に霊がいるというのは、セーフェル教徒にとっては当たり前の日常だ。
ゲイルが自分の手に、青白く光る念糸を絡みつかせた。生者からしたらぼんやり青白く光る手だけがふわふわと浮いて見えるだろうが、そんな些細なもので生きている客たちは驚きもしない。それどころか、そんな手が料理を運んでくるのをちょっとしたイベントのように楽しんで受け入れてくれた。
「ねえ、アーウィン」
ひととおり配膳を捌き終えたところで、フィオナがカウンターに戻ってきたゲイルに話しかけてきた。グラスを拭きながら話しかけてくる彼女の表情からは、彼女にゲイルの姿が視えているかどうかは読み取れない。
「あなた、生きてた頃はどんな仕事をしていたの?」
傭兵と答えるべきか、否か。
少し悩んだ末に、ゲイルは素直に傭兵だと答えた。さきほど念糸を絡みつかせていた手は、手甲をはめている。それをフィオナも見ているはずなので、下手な嘘はすぐにばれてしまいかねない。
それに傭兵の霊くらい珍しくないと考えたのだ。実際今まで旅をしてきた中で、同業者の霊には何度も会った。
「傭兵ってことは、いろいろなところへ出かけたのよね?」
『おう』
ウィジャボードを使い、返事をする。フィオナの視線は、ゲイルが動かすコインを追っていた。
「どこかでゲイルっていう傭兵に会わなかった? 黒い髪に青い目で、こんがり日焼けしてて、軽鎧で、バスタードソートを使う、二十代から三十代くらいの子なんだけど」
『知らねえな。それにどっかで会ってたとしても、いちいち顔や名前まで覚えてねえよ。そんな見た目のやつはいっぱいいるぜ』
「……そうね、そうよね」
ゲイルの生存をいまだに信じてくれているようなフィオナの問いに、酷な答え方をしたという認識はあった。しかしここで知っていると答えて詳細を訊かれるような展開になるよりは、まだ彼女の為になる気がする。それにフィオナだって、店に来る霊たちと同じような会話をしたことはあるはずだ。
「ねえ、アーウィン」
『なんだ?』
「あなたって」
そこまで言いかけて、フィオナはため息をひとつついた。
「ごめん、やっぱりなんでもない」
『なんだよ、気になるだろ。最後まで言えよ』
「大したことじゃないの。忘れて」
『そんなこと言われてもなあ』
含みのある言い方をされては、ゲイルだって気になってしまう。もやもやとした気持ちを抱えるゲイルの前で、ウィジャボードを見たままのフィオナが悩んでいるような表情を見せた。営業中はいつも楽しそうな笑顔を浮かべている彼女にしては珍しい。
「気を悪くしたら申し訳ないんだけど」
前置きをして、フィオナが言葉を紡ぐ。
「あなたって、ちょっと私の知り合いに似てるなって思っただけ。それだけよ」
そう言い残し、フィオナは注文が入った料理を用意すべく厨房へと姿を消した。
やはりフィオナの目には魔力が宿っていて、こちらの姿が視えているのではないか。人形使いとしての力は使うのをやめても、魔術師としての魔力が残っているのでは。
嫌な予感がゲイルの中にじわじわと広がる。もしこの予感が的中しているのだとしたら、自分がこの場所にいてフィオナと関係を持っているのは、フィオナを余計に思い出に執着させるだけになってしまいかねない。
小さな店ではあるが、フィオナは酒場の主だ。もちろん知り合いもたくさんいる。決してゲイルとアーウィンを結びつけたわけではないと思いたい。
しかしその可能性は低いと、ゲイルが一番感じ取っている。
フィオナの止まった時間を動かす為にできることを探していたが、一番の方法はフィオナと少し距離を置くことかもしれない。
常連客がアーウィンを遊び相手に呼ぶ声も耳に入らぬまま、ゲイルはひとりカウンターで悩み続けていた。




