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水も滴る好い黒柴

こんにちは!梅雨模様が続きますね。

前回は、家族の幸せな朝について書きました。鈴花はのびのびと育っているようです。

ポピーは相変わらずマイペースですね。でも幸せなんじゃないかな。

今回は、PV的にご好評?な、雄一の回です。新キャラも登場します!!

少し長いですが、どうぞお付き合いくださいませ。


 深夜の会員制ワインバーには、古風なジャズが流れていた。

カウンター席に隣りあう男女を後ろから見つめつつ、畑中英人(はたなか えいと)は内心で冷や汗をかいていた。


「ね、ダメかしら……」

 ビロード張りの丸いスタンドチェアに、くにゃりと腰掛けた黒髪の美女が、甘い吐息が混じった声で囁いている。小さなキャンドルに照らされた長いまつ毛、艶やかに火照った頬が、危ういばかりの色香を放つさまに惹き込まれて、どこか映画でも見ているような気分だった。

 雑誌でインタビュー記事を目にしてから、密かに憧れていた女性が眼の前にいて。ワイングラスに移ったルージュを、パール感が煌く指先で、すい、と拭い取った。


(赤い、くちびる)

 このように美女をまじまじと見つめていられるのは、英人が彼女から通路をはさんだ席に座っているからだ。もしカウンターで隣り合い、しなだれかからんばかりの近さだったとしたら。想像するだけで耳が熱くなる。正に今、彼女の隣に座っている男……先輩の自制心には、まったく尊敬するばかりで。

「……いいですよ。もちろん」

 女の熱い問いかけに、落ち着いた低い声で答えたのは、雄一だった。



 それは先週の月曜だった。なんとなく重い足取りで定時に出社した雄一は、営業部フロアに入った途端、ちょっとした視線を感じた。あ、やっぱりな。

籍を置く営業課連携係のデスクに鞄を置くなり、後輩の英人(えいと)が声をかけてきた。

「先輩!九条夏音(くじょう かのん)先生の取材に同行して接待を任された、って本当ですか?!」

 一瞬、周りの空気が落ち着く。


「あー、うん」

「いいなぁ!九条先生と言えば、今一番注目されてる若手ハードボイルド作家じゃないですか!しかも美人!俺も、お近づきになりたいです!!」

 英人は自分の両肩を抱きしめるようにして、悩ましげな様子をアピールしていた。どう見ても、まるで踏まれた猫じゃらしのようにしか見えなかったが。しかし、この絶妙にポンコツな風体が刺さる取引先は案外と多く、若いながらも彼は法人営業1課の中堅どころなのだった。


「……お前も来るか?」

「いいんですか!?やった」

 英人は大げさにガッツポーズを決めた。

聞き耳を立てていたのだろう、フロアの空気がさざなみを立てた。


 この差配は、東京本社の出版事業部長、榊原(さかきばら)さんのご指名だ。地方支社から抜擢され、今や出世街道を快走している有能な元上司は、雄一が出世ルートから逸れつつあることを、何かと気遣ってくれている。昨年度、北海道に左遷(させん)されるかもしれないと思った時に、何はともあれ挨拶だけはしておこうと、連絡を取ったのだったが。

「……さすが。地方支社の人間関係まで、お見通しとはなぁ」

「何か言いましたか、先輩?」


 有望な作家とのパイプは、出版部門を抱える本社はもちろん、広告やイベントを取り扱うこの地方支社にとっても不可欠だ。今回の接待を成功させれば、営業部内にうっすら漂う「連携係は雑用係」という目線も変わらざるを得ないだろう。雄一は正直なところ、接待自体は億劫だったが、この配慮には感謝しか無かった。

「いや、なんでも無い。ちゃんと課長の許可はもらっておけよ。今週の金曜な」

「もっちろんです!万難(ばんなん)を排してお供いたします!」

 張り切る英人の後ろから、盛大に振られるフサフサの尻尾が見えるようだった。



 金曜は、雄一の内心を表したかのような曇天(どんてん)だった。湿気はあるが、さほど暑くも無いのが助かった。九条夏音の取材先リクエストは、この地方の名所のうち、家族連れが好むようなところへ行きたいとのことだったので、日中から散策を中心に予定を組んである。

 まずは紫陽花(あじさい)が美しいと評判の寺院を散策する。

最寄り駅まで車で迎えに出た雄一と英人は、彼女が現れた瞬間、改札口が別世界になったような印象を受けた。九条夏音(くじょう かのん)は噂に違わず美しく、たおやかな女性だった。そしてちょっと変わった人だった。例えば、今も。


「まぁ。見事な紫陽花(あじさい)ですわね」

 朝方に降った雨が残る鮮やかな緑の葉を、筋に添って、ほっそりとした白い指がたどっていく。見上げるような小高い斜面にある石段に沿って、何十株もの紫陽花がちょうど見頃になっていた。青や赤、白と様々な色が、寺院や山の緑を借景にして迫ってくる。

「まるで人間の血を吸い上げたような、深い赤をしていますわね。栄養の行き届いた大輪をたくさん咲かせているところも、また素晴らしいですわ。土が、良いのかしら」

 満足気に語る内容が、なぜか閑静さとは程遠い。ここに住職が居なくて良かった。


「うーん、さすが夏音(かのん)先生。お言葉にセンスがお有りですね!」

 カメラマンを拝命した英人が、スマホで紫陽花やら寺院やらをバックにした九条を何十枚も撮影しつつ、満面の笑顔で褒め称える。

 こいつ分かりやすい奴だな、と思いながら、雄一は尋ねた。

「ところで先生、今回の取材のテーマは何でしょうか?」

「夏音とお呼びになって。丸一日、お世話になるのですから。わたくしも雄一さんとお呼びして宜しくて?」

「あ、はい。どうぞ」

 夏音が濡れた石段を登るのに合わせて、雄一も1段後ろを歩く。


「家族ですわ。それも幸せな、普通の、家族の過ごし方」

 作品のイメージと違う単語に驚き、流行作家の横顔を見やる。至って真面目そうな、涼やかな眼差しだ。

「雄一さんは、休日はどのように過ごされてるの?」

「ま、なんとなくですね」

夏音は微笑(ほほ)んだ。

「あら。それじゃ、さっぱり分からないですわ」

「俺はですね」

「エイトくん、聞いてないわ……」

 そんなこと言わないでくださいよ、と英人がしょぼくれた。雄一は垂れた耳が見えた気がした。


 それから先は、学校前や住宅街を通り抜け、近郊にある牧場が併設された市立公園や、(ひな)びた雰囲気の古民家カフェでの昼食、体験もできる染色工房の見学などを織り交ぜつつ、雄一と英人は夏音の興味の赴くまま案内した。

 夏音はときに楽しそうに、ときに難しそうな表情を見せ、疲れる様子もなく、ご機嫌に過ごしているようだった。

 やれやれ、この分だと無事に終わりそうだ。雄一はそんな期待を肩の凝りと一緒に隠しながら、夕食後に最後の予定である、ワインの品揃えの良いバーへとエスコートしたのだった。



 それは、運転係の英人はモクテルのシンデレラ、夏音と雄一はマスターおすすめの赤ワインを注文した後だった。夏音が化粧室へ立った隙に、男二人が一息つく。

 最初こそ、距離感の掴めない人だなと思っていたが、あれこれと質問攻めにあい、それに丁寧に答えることを繰り返すうちに、やがてこの女性は純粋に、興味あるものに妥協しない創作者なのだ、ということが分かってきた。これは油断してはいけない。


「先輩。夏音(かのん)先生、ちょっと可愛いところがありますよね。好奇心の塊っていうか」

「お前、まさか」

「いやぁそんな。むしろ先輩のほうがお似合いって感じですよ。正直、どうなんですか?」

「お前な。お客様だぞ」

「分かってますって!…あ、俺、席に戻りますね」

 人気の店によくあるように、ここも予約はできず、カウンターの2席と離れ席に別れたのだ。夏音はそれでもご機嫌そうだった。

 グラスに注がれた赤ワインの深い色あいを確認し、香りを楽しみ、丁寧に一口含んで、ゆっくりと味わう。ひとつひとつの動作が手早く的確で、そして板についていて優雅だった。


「……美味しいわ」

「夏音さん、ワインがお好きなんですか?扱いが、慣れてらっしゃるようで」

 もちろん雄一は、あらかじめ接待相手について、調べられるだけ頭に詰め込んである。迷いの無い所作を見る限り、夏音のジュニアソムリエの資格は、伊達では無いようだった。

 旅先でのワインとの出会いを楽しむように、そっとグラスを置いてから、美貌のバッカスは呟いた。


「雄一さんは、したことはある?ワインの香りを言葉で表現する遊び」

「はあ。私のような粗忽者(そこつもの)には、なかなかハードルが高いですね」

試すように、いたずらに寄越してくる目線から逃げる。が、あえなく捕まった。

「よく聞くような、常套句でも良いのよ?ほら、何かおっしゃって」

 雄一は腹をくくって、赤ワインの色を確かめ、香りを確認して飲んだ。動作だけでも真似をしてみたが、正直よく分からない。あー、何か、思いつくことはないか。こんな小難しいことより、俺はいま、ぶっちゃけ散歩に行きたい。


「……雨に濡れた仔犬の匂いがしますね」

 聞いた途端、夏音は盛大に吹き出した。といっても、どこまでも優雅だったが。

大輪の艶やかさを保ったまま、穏やかに大笑いするという高等テクニックを見せつけられながら、雄一は家で待つポピーを思い出していた。俺もいま、マロ眉が下がった顔をしているのかもしれない。


「うっふふ、雄一さんてば、やっぱり面白い方ね。榊原さんが推すわけだわ」

「え?」

「でもね、ダメよ。本当に、嗅いだことのある匂いと一緒なの?それは」

「いいえ、そういうわけでは。うちに黒柴はいるんですけどね。嗅いだかというと」

「ダメ、ダメ!そんなの、許されないわ」

 酔ったわけでも無いはずなのに、夏音が顔を近づけてきた。ほのかに甘い花の香りが鼻をくすぐる。ふたりだけの内緒話でもするように、そっと小声でつぶやく。


「実は、わたくしもね、知らないの。雨に濡れた犬の匂いって……何?」

いや、聞かれても。気にしたことも無かった人生なのだが。

「作家失格よね。このままじゃ」

「そんなこと無いですよ!」

 背後から英人の心配そうな圧を感じつつ、しなだれる夏音を、慌てて慰める。

「じゃ、調べてくださる?」

 間髪入れずに囁き返した美女に驚き、その瞳の奥に灯る光を、うっかり見てしまった。雄一は知っている。創作者のこれは、決して譲らないやつだ。彼らの魂に刻まれている、知らねばならないという欲望。


「ね、ダメかしら……」

「駄目、じゃないですが。そりゃ、私だって」

(ちょちょちょ、マジですか先輩!)

 静かだが満席のバーの中では、わずかな距離だが、離れたカウンターの会話が聞き取り辛い。英人は、吐息混じりに夏音が話し始めたときから、一言も聞き漏らすまい、とふたりの会話にありったけの神経を注ぎ込んでいた。だがいまひとつ聞こえないのがもどかしい。

 このふたり、昼間からいい雰囲気だと思ってたんだよ。でも確か先輩、結婚してたよな?自分の心臓の音がうるさい。

(どこからどう見て、聞いても、恋仲にしか思えないんですけど!?)


 そして、聞こえてきた返事が。

「……いいですよ。もちろん」

「嬉しいわ!約束よ」

赤い薔薇(ばら)のような笑顔を咲かせて、夏音がスッと身体を引いた。

英人は危うく、椅子から落ちるところだった。



 接待の翌日、土曜の夕方。おやつに茹でた、とうもろこしを食べ終わってから、雄一は、鈴花と美代子の3人で散歩に出かけた。まあまあ大粒の雨が降っていたが、仕方ない。窓辺に座るポピーが「3人とも家にいますね。お暇そうですね。散歩に行きますよね?」と強めの顔圧で迫ってきたからだ。ありがたいことに、お腹いっぱいに食べてしまった2人も、さほど嫌がらずに同行を申し出てくれた。


 夕方は、交通事故の発生率が一番高い時間帯だ。しかも雨。念のため懐中電灯を点けて、鈴花には黄色い雨合羽を着せ、車道と分離された住宅街の歩道を進む。

 ポピーは何も着ていなかったが、定期的にブルブルと身体を震わせて、雨粒を振り落とせば、それで十分らしかった。 

 全身に雨粒をまとったポピーが、首元に付けた小さなライトを赤く光らせながら、真っ直ぐ前を向いて歩いていく。四つ足がそれぞれチョコチョコと動いて可愛い。


「そういえば、昨日の接待でさ」

歩きながら雄一は、手短に、バーでの出来事だけを話した。あまり細かく一日の報告をすると、いろんな場所へおでかけしたことを鈴花に羨ましがられてしまう。

「えー、なにそれ面白い。でも分かるわ、先生の気持ちも」

「じゃあ、調べよう!」


 真剣に電柱の根本を嗅いでいるポピーの横にしゃがみこみ、鈴花がスンスンと耳元を嗅いでみる。ポピーがブルブルっと震えて、鈴花に雫が飛び散った。

「よく分かんない。草の匂いがする」

 顔に飛んだ雨粒を拭いながら、鈴花が正直な感想を述べた。

「そりゃお前、ポピーはいま忙しいだろ?それにこの周りは雑草が生えてるしな」

 ポピーはフンと鼻息をひとつ吐き、伝言板の確認を続けている。

良くも悪くも気にしていないようだ。

「そうね、すずちゃん。道路の途中じゃ危ないし、もうちょっと後でにしましょ」

三人と一匹は、いつもの散歩コースを進んでいく。


 住宅街から小高い丘の公園へ続く道を進み、斜めの坂を降りてスーパーの前を通り、用水の流れを見やる。梅雨に入って、水量が増えた。でも田んぼの季節になってくると、流れる先が増えるから、かえって水高は落ち着く。今日は雨だし、けっこう流れている。

 これが雄一の「いつも」。家族で過ごす、普通の毎日だ。


「ね、見て、雄一さん」

 美代子が懐中電灯でポピーを照らした。黒い毛皮の全身に付いた雨粒が光を反射し、ポピーが歩くたびに、キラキラと輝いている。雨は上がっていた。

「まるでディスコのミラーボールね。ほら」

 美代子が嬉しそうに“ダンシング・クイーン”を鼻で歌い始めた。片手で差した赤い傘が踊る。

「ちゃらっちゃ~、らら~」

鈴花も歌って、ぴょこぴょことステップを踏み出した。


「鈴花、おまえのそれ適当だろ、世代的に知らないくせに」

「いいの~!楽しいから!」

 ポピーは突然、奇妙な声と動きを発しだした家族2人に対して、「何ですか」という顔をしていたが、鈴花が楽しそうなのが嬉しいのか、はたまた飛びかかられる予備動作と誤解しているのか、ソワソワと黒い尻尾を振っている。お尻から尻尾にかけて入った白い筋が揺れる。そしてまた、照らされた雨粒が光った。


「その作家の先生に、ポピーに会わせてあげたいな」

「そうね。今度またお越しになったら、家にお招きしたら?」

「いやーそれは勘弁してほしいな」

 三人と一匹は、また歩き始めた。

すれ違った自転車が、こっそり微笑んでいく。


 すっかり日も暮れてきた頃。帰宅してから、改めてスンスン大会を開催した。

雄一は息の荒いポピーを抱え込み、撫でながら頭を嗅いだ。

草の匂い、柴の匂い、雨の匂い。いろんな匂いがする。けれども。

全員で代わりばんこに嗅いだ結果は。


「ポピーの匂いがする」

「うん、そうね…だけど…いい匂いは……しないわね」

「なんというか、うん、泥というか、汗というか、ホコリというか?」

 ポピーは群れと一緒に結構な距離を歩けたことに、満足しているようだ。

心なしか目を細めて、ハァハァとピンクの舌を長く伸ばしている。

 雄一は鼻をこすった。ソムリエの感覚は、よく分からんな。


「お風呂に、入っちゃいましょうか」

美代子はさっさと玄関を上がり、風呂場へと直行する。湯船にお湯を張る。

鈴花は雨合羽を脱ぎ、玄関に干す。まだ一人では上手にできないので、雄一が手伝った。


 お湯が溜まるのを待たずに、女性陣がポピーと一緒に風呂へ入っていった。

「おーい、早く上がってくれよ、風邪ひいちまうよ」

 そう言いながら、台所で冷蔵庫から麦茶を出し、一杯汲んで飲む。

とうもろこしを茹でた湯気の匂いが、まだ漂っている。風呂できゃあきゃあ騒ぐ声が聞こえる。


帰ってきた。


 なんだか少し、こそばゆくなって、雄一は服を脱いだ。

風呂のドアを開けた途端、ポピーが逃げ出そうとしたので、すばやく確保し、抱えて風呂場へ入る。黄色い叫び声がこだました。


 やがて週明けの月曜。他の営業メンバーから「九条先生の接待、どうだった?」と感想をせっつかれた英人は、頭の中で完璧に描いた美人作家と地方の既婚営業との危ういラブロマンスを、まるで既成事実のように語ってしまった。

 そして、そのおかげで営業課連携係は、雄一が期待したのとは少し違う毛並みで、一目置かれるようになったのだった。


お読みいただき、ありがとうございました!

わたしが小学校3年のとき、忘れもしない8月末。夏休みの宿題で書けなかった読書感想文。

原稿用紙3枚を埋めることができず、朝の3時まで悶え苦しんだのでした。

それが今回は、なんと6300字以上です。えらい、わたし。

お読みくださって、本当にありがとうございます。あの頃のわたしが成仏した思いです。


ところで、9月の文学フリマ大阪に出店することになりました!

黒柴のお話をまとめて本にします。

ぜひあなたにもお会いしたい。お礼を言わせてくださいね。

それでは、まずは次のお話でお会いしましょう!


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