それぞれの天秤
ランパード冒険者ギルドの最上階――そこは、街全体を睥睨するかのように高く構えた、権威の象徴だった。
分厚い扉を押し開けると、外の喧騒が一瞬で遠ざかり、代わりに重厚な静寂が私を包む。
大きな暖炉には深紅の炎がゆったりと揺れ、薪が時折ぱちりと音を立てた。
室内の空気には古い木と革の香りが満ちており、壁際の本棚には、数えきれぬ古文書や武具が整然と並ぶ。
その中心に鎮座する黒檀の机――まるでこの部屋そのものの心臓部のように、揺るぎない存在感を放っていた。
その机の向こうに、ひとりの老人が腰掛けている。
分厚い胸板に鎧のような筋肉を備え、雪のような白髪と長い髭を丁寧に編み込んだ、堂々たるドワーフ――グラハム。
この迷宮都市を束ねる冒険者ギルドの支配者である。
「改めて歓迎するぞ、リィア殿」
低く、岩を擦るような声が響いた。片手にはエールの入ったジョッキ。だが、その金色の瞳は酔いなど一欠片もなく、溶鉱炉の底で燃える炎のように鋭く私を射抜いていた。
「先ほどの広場での立ち回り――見事だった。あの魔槍士を言葉だけで止めるとは、なかなかできることではない」
私は椅子に腰掛け、落ち着いた笑みを返す。
「さて……単刀直入に聞こうか」
グラハムはジョッキを机に置き、その両手をゆっくりと組んだ。
「『古竜殺し』の実力者が、なぜ一人でこの迷宮都市に? お主の目的は何だ?」
暖炉の炎が、私の銀髪に赤い光を落とす。
問いに込められた圧は強い。だが私は瞬き一つせず、用意していた答えを口にした。
「私の在籍している学院では、二年間の自由研究期間のようなものが与えられるんです。もともと国の外は気になっていましたし…。いわゆる旅人というやつです」
「……旅、か」
グラハムの目がわずかに細くなる。
「ええ。退屈を嫌う性分でして。あちこち歩き回らねば、苔でも生えてしまいます」
軽く肩をすくめて返すと、彼は鼻を鳴らし、ジョッキをもう一口傾けた。
「ふむ……いいだろう。ならば、その探求心をくすぐる話をひとつしてやろうじゃないか」
そう言って彼は机の引き出しから一枚の古びた羊皮紙を取り出した。
それは、大迷宮の地図。褪せた色の中に、鮮やかな赤で一つの階層が印されている。
グラハムは羊皮紙を机に広げ、そのごつい指先で一か所をこん、と叩いた。
「ここだ……第20階層」
赤い印が刻まれた部分は、まるで地図そのものが警告を発しているかのように、不穏な色合いをしていた。
「そこはな、厄介な代物によって守られておる。力自慢のパーティが何組も挑んだが……全て返り討ちだ」
老人の声には、長年の経験から来る苛立ちと興味がないまぜになっている。
「物理攻撃はほとんど通らん。魔法も効果が薄い。何より、あやつは侵入者の戦術を即座に学び、次には通用せぬ」
「……随分とお利口な番犬ですね」
私は地図を覗き込みながら、口の端をわずかに吊り上げた。
「となると、力押しより頭脳戦が要る、というわけですね」
グラハムの目が、愉快そうに細められる。
「ヴェリスのギデオンからの報告書を読ませてもらったぞ。お主、アルバレス卿の屋敷で原因不明の呪いを解いたそうだな。力だけでなく、解析能力でも抜きん出ている――そう書いてあった」
「……おや、噂というものは、いつもこうも広がりが早いのですね」
私は肩をすくめるが、その目には好奇の光を宿す。
「そこでだ」
グラハムは背もたれに体を預け、大きな手を組んだ。
「第20階層の調査と、可能であればその防衛機構の排除――それが依頼だ。見返りはギルドの全面的な支援と、破格の報酬を用意しよう」
暖炉の炎が、羊皮紙の上で揺れる。
それは私にとって、この街での地盤を固める絶好の機会だった。
「お引き受けいたします」
迷いはなかった。
グラハムの白い髭が、満足げに揺れた。
「ただし――条件があります」
私が続けると、彼は眉を上げる。
「私のやり方で、私のタイミングで進めます。それでよろしければ、喜んでお力添えしましょう」
一瞬の沈黙。
だが次の瞬間、老人は腹の底から笑い声を響かせた。
「クハハハ! やはりお主は“規格外”だ! いいだろう、その条件、呑もう!」
暖炉の炎がぱちりと弾け、部屋の空気が一気に熱を帯びた。
こうして、私と迷宮都市の支配者との間に、奇妙な協力関係が結ばれたのだった。
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同じ頃――。
ランパードの宿屋の一室は、夜にもかかわらず重苦しい空気に支配されていた。
結城大和のパーティが集まり、ギルドでの出来事を振り返っていたのだ。
「ゴールドランク、“古竜殺し”……情報がどれも規格外すぎるわ」
静かに口火を切ったのは高坂静流。腕を組み、怜悧な瞳を細める。
「もし彼女の目的が本当に『旅』だとしても……この実力者がたった一人で行動しているのは不自然よ。普通なら、腕利きの仲間を引き連れているはずだわ」
大和は短く息を吐き、苦い顔をする。
「それだけじゃない。彼女から……何かを感じた。敵意ではない。だが、こちらとは決して交わらない何か……そんな距離感だ」
「……あなたにそう思わせる存在なんて、そうはいないはずよ」
高坂の言葉に、大和は無言で視線を落とす。
「いずれにせよ、彼女が敵か味方か、早めに見極めるべきね。手遅れになる前に」
その冷静な提案に、全員が頷いた。
「まずは情報ね。ヴェリスのギルドとの繋がりを探って、徹底的に調べるわ」
暖炉の火が揺らめく部屋に、決意の空気が満ちていった。
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一方その頃、酒場の奥まった個室。
葛城隼人は、エールのジョッキを叩きつけ、荒く息を吐いていた。
「古竜殺し? 笑わせるな……!」
唇は笑っていたが、その奥の瞳は冷たい憎悪に染まっている。
「俺だって、このダンジョンで鍛えれば――」
言葉の途中で、握った拳が白くなる。心の奥では理解していた。あれは、自分と同じ土俵に立つ相手ではない。本物の強者。
「……あの女、必ず俺たちの邪魔になる」
葛城は仲間を見回し、低く命じる。
「あのエルフの素性を洗え。依頼、行動、接触する人間……すべてだ。必ず弱点はある」
蛇のような声に、取り巻きたちは青ざめながらも頷いた。
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私はギルド最上階にある特別室にいた。
豪奢な机の上には、ランパード大迷宮の詳細な地図。暖炉の火が赤く揺れ、その光が階層図を妖しく照らす。
「……第20階層、かぁ」
私は、地図をなぞる。
未知の領域が暗い海のように広がった。
(ギルドマスターが“手を焼く”ほどの何か……)
思わず唇の端が上がる。
「……これは、面白くなりそうです」
火の粉がぱちりと弾け、静かな部屋に小さな破裂音を残した。




