1-8 活気あるエインツ祭準備
「今、アンケートをとってるんですけど、先生は、喫茶店のメニューは何がお好きですか?」
その日、黒衣の魔術師が『魔術師学(神領・近世)』の講義を終えて、授業で用いた荷物をまとめていると、女子生徒の一人が近づいてきた。
エインツ祭まで残り二週間ほど。エインツ祭の日程期間中において、ハルバーツ学園でも、催し物が開かれる。一介の私立である前に、王立学園であるハルバーツ学園のそれは、例年、活況を呈していた。ハルバーツ学園における催しものも、一般的な祭と同様に、食べ物屋などが中心であったが、なにぶん、王城の前という立地と、十分な広さを持つという点において、集客力はあった。
「喫茶店のメニューでございますか……ハンバーガーは好きでございますね」
そう言うと、女子生徒が笑った。
「田臥先生と同じことを仰るんですね。でも、わかりました。男性はハンバーガーが好きだ」
そう言いながら、女子生徒が手にした紙にメモをする。
「今度の喫茶店は、普通の喫茶店じゃないんですよ」
女子生徒は、魔術師に対して宣伝を始める。
「そうなんでございますか。どのような喫茶店なのでございましょうか?」
タカオは、素直に訊ねた。
「はい、今年は、エインツ祭百年の年にあたるわけじゃないですか?」
女子生徒は意気込んで言った。その女子生徒は、更に、タカオの返答も聞かずに、言葉を続けた。
「そして、その百年という区切りの年に、私達の学園に、『ニゴールの魔術』こと エインツ=ハルバーツ=ユグオンドルド=モレスラ=タカオ=ニゴール=マジック 様が来てくださった。これは感動するべきことです」
タカオはそれを聞いた後に言う。
「来週は、その『マシル三国の外憂』について講義します。ところで、その本名は長いので、エインツ先生と呼ぶように、と最初に申し上げたと思います」
女子生徒は、やはり、自らの教師といえども、古の英雄に緊張しているのか、更に早口になった。
「はい、エインツ先生。例年は、喫茶店が行われたとしても、一般的な給仕の服装で接客をさせていただくのです。ところが、今年は、その『マシル三国の外憂』から百年経ったのを記念して、ですね」
早口で話す女子生徒を遮って、タカオは、言った。
「それで、特別な喫茶店をするのでございますね? 少し落ち着いてください」
女子生徒は、ゆっくり話すように努める。
「つまり、私達は、今年は、一般的な給仕の服装ではなく、他の服装で接客をしようと考えているのです」
「それはどのようなものでございますか?」
タカオは愛想良く応対する。数瞬、女子生徒は、少し、考えるように下を向き、意を決したように、タカオの方を向いて言った。
「はい、それは、先生の黒衣です!」
「……はぁ?」
お互いに少し沈黙した。そして、タカオは、自分の黒衣を示して問い直した。
「これ、でございますか?」
女子生徒は頷く。
「知っているか、わからないのでございますが、これは、この世界の品ではございませんよ? つまり、この衣服に使われている繊維を入手することは不可能なのでございます」
黒衣の魔術師は、冷静さを取り戻して、女子生徒を諭した。自分の格好をした人間が何名も同じ場所に存在する、それはとても恥ずかしい。
「その辺りは、他の繊維で代用します。デザインと色合い、そして、その光沢をまねすることができれば、それで構いません」
女子生徒は、楽しそうに躍動している。タカオは、額に手をやった。
「そうですか、頑張ってください」
努めて、冷静さを心中に保持しながら伝えた。タカオは、まとめた荷物を手に持った。
「そこで、ですね!」
女子生徒が、その手を止める。
「はい? なんでございますか?」
タカオは、とても嫌な予感がしていたが、仕方なく、女子生徒の声に反応をした。女子生徒は、ついに言う。
「先生の黒衣を、是非、貸していただけませんか?」
女子生徒は、その言葉と共に、タカオの前に、笑顔で、頭を下げた。それにつられて、黒衣の魔術師も頭を下げる。
「申し訳ありませんが、それは不可能でございます」
タカオは、その依頼を断った。しかし、女子生徒は、それに食い下がる。伝説の魔法衣を借りようというのだ。そう簡単に借りられる、とは思っていない。
「デザインを確認したいだけなのです。一日二日でお返ししますから!」
女子生徒は、頭を下げたまま、黒衣の魔術師に再度頼み込んだ。
「無理でございます」
タカオは、それに対して、更に断る。
「しかし、どうしても、先生の魔法衣が、縫製に必要なのです。たしかに、大まかなデザインはわかります。でも、どこをどう縫い合わせているのか、ということがわからなければ、衣服を作ることができません」
女子生徒が言っていることは、全うである。更に言えば、それがこの世界に一点しかない以上、黒衣の魔術師自身に魔法衣を借りることができなければ、実際に、モノを確認することができない。女子生徒も、おそらくは、彼女自身の意思というよりは、寧ろ、喫茶店の運営をする生徒全体を代表している。タカオは逡巡した。この間を、押しどころだ、と判断した女子生徒は、更に、依願する。
「是非に、エインツ喫茶 黒衣の魔術師 を成功させたいのです。先生が来てくださったら、全員でおもてなししますから!」
タカオは、その店舗名に、苦笑した。
「とにかく、この黒衣を貸すことはできないのでございます。申し訳ありませんが、その点について、ご協力することはできないのでございます」
女子生徒は、黒衣の魔術師の手を掴んだ。
「先生、それでは、その魔法衣のみをお借りすることについては、諦めます」
タカオは、もっと嫌な予感がした。まだ、黒衣を貸した方がマシだったような、そんな気がしていた。
「先生、今日、この後、ご予定は? 授業はないですよね?」
僅かな間の後、タカオは正直に答えてしまう。既にして、タカオは、女子生徒の勢いに飲まれてしまっている。
「なにもないですが……」
女子生徒は、タカオの手を掴んだまま、歩き始めた。
「では、美術室を借りていますから、先生が来ているその魔法衣のデザインを描かせてください。先生は、それを着たままで構いませんから! お時間は、それほど、とらせません! 今日一日あれば終わると思います!」
そう宣言して、タカオの意思を確認することもなく、女子生徒は、黒衣の魔術師を、手をつかんだまま、美術室へと連行していった。
※ ※ ※ ※ ※
「聞いたぜ! 昨日は、一日中、美術室で絵のモデルをしていたんだって? 脱がされなかったか?」
一寸の黒さもなく、頭を剃った、ごつごつした物体が、タカオに対して、そう言った。
「それは、大丈夫でございましたが……」
酷く疲れた顔をしながら、タカオは、教員室の自分専用に与えられた机に突っ伏している。
「ガッハッハ! うちの奴らも中々に、エインツ祭に対して、熱心だろう?」
田臥が笑いながら、タカオに言った。その声は、教員室中に響いている。
「熱心すぎますよ」
美術室での拘束は、確かに、その日のうちに終わった。しかし、徒歩五分ほどで帰ることができるタカオの住まいに着いた頃には、日付が変わっていた。その間、ひたすらに、大勢の女子生徒によって、微に入り、細に穿って、睨め回され続けたのである。タカオは、肉体的に、というよりも、精神的に疲れていた。
「それだけ、誰もが、『黒衣の魔術師』に対して、尊崇の念を抱いている、ということだろう。全く、羨ましいぜ! ガッハッハ!」
筋肉が、その全体を上下に動かしながら、大笑した。
「そうなので、ございましょうか」
その前向きな意見に対して、タカオは、勿論、疑念を持っていた。これ以上、黒衣スケッチに関する話題をすることは、更なる疲労を呼び込みそうであったので、タカオは、話題を変えた。
「そういえば、田臥さんは、何かするのですよね?」
田臥が答える。
「ああ、魔法の実演をする。一種のショーだな。俺や生徒が、俺の世界の楽器を使って、演奏する。それに合わせて魔法が発動する。派手なのをいくつかぶちかます予定だ!」
タカオは、以前から、田臥の魔法に対して、大きな期待を持っていた。しかし、それがどのような魔法であるのか、わかるのがエインツ祭当日では、遅すぎる。
「楽器というのは、この世界と、転生前の世界では同じなのですか?」
タカオが問いかけた。
「いや、俺は、自衛隊っていう、元いた世界の軍隊、厳密には軍隊ではないんだがな。そこの楽譜室と一緒に、この世界に召還されたんだ。その部屋は、楽譜だけでなく、軍楽隊で使っている楽器類も保管していたからな。俺の世界の主要な楽器は、それも豊富な数が揃っているぜ」
田臥が楽しそうに言った。
「そうなのですね」
タカオが相槌を打つ。田臥は、その説明に補足した。
「楽譜も揃っているからな。俺の世界の有名な音楽を何本かやる予定だぜ」
タカオは核心に触れる。
「一体、どのような魔法なのですか? 転生者の魔法と言うことは、他の方には使えない、田臥さんに固有の魔法なのですよね?」
田臥は、十分な間を持った後、タカオにそれを伝えた。
「ああ、簡単に言うと、俺の世界である程度の知名度を持った音楽を俺が演奏すると、その曲でイメージされるものが、その演奏中のみ具現化するんだ」
イメージしきれなかった黒衣の魔術師は、田臥に具体的な説明を求めた。
「はぁ……それは、どういう?」
「そうだなぁ……たとえば、俺が、ドラゴンに関する音楽を演奏すると、俺が演奏している間だけ、ドラゴンが現れる」
田臥は、具体例を説明した。タカオは驚愕する。転生者の魔法は、この世界の魔法使いの常識からすると、極めて異常であることが多い。タカオが転生者であった曾祖父から受け継いでいる魔法も、一般的な魔法使いからすると十分に異常である。田臥が説明を続ける。
「まあ、ただ、少し条件があってな。知名度が無いとダメなんだ。俺も、大量の饅頭が食べたくて、自分で、饅頭に関する曲を作って、演奏したことがあったんだが、饅頭は出てこなかった」
「それにしても、十分に便利でございますね」
タカオがその魔法を賞賛した。
「あと、重要な条件がもう一つあってな。俺が召還されたのは、俺の世界で、2011年、その時点で、著作権が切れていない、とダメなんだ。つまり、作曲者や作詞者などが1961年以前に死亡した音楽にしか、発動しない。これによって、俺がよく歌っていた最近の曲は、全てダメだった」
タカオが感想を漏らした。
「そうなのでございますか、それでございましたら、あまり使うことができる魔法にレパートリーは無いのでございますか?」
タカオは、百年前、シャムセン寺院に引き籠もった時点において、その五十年以上前の音楽は一曲として知らない。田臥も五十年以上前の音楽を知らないはずであるし、五十年以上前の音楽など知名度はないだろう。しかし、田臥は、その感想を、頭を振って否定した。
「いや、軍楽隊っていうのは、昔の音楽を演奏する機会は、結構多いところだったから、楽譜室には、そういう音楽の楽譜も結構あった。それに、俺のいた世界では、そういう昔の音楽を『クラシック』と呼んで重要視していたから、結構知名度のある曲も多いぜ」
タカオは、その言葉に息を飲んだ。
「つまり、俺は、結構、色々なモノを出現させることができるぜ」
田臥は、大胸筋を天に向けて反らせて宣言した。タカオは、心から呟いた。
「是非、一度、見たいものでございます」
その言葉に田臥が反応した。
「エインツ祭で演奏するぜ? 見に来いよ? 俺が指揮をして、生徒が演奏する、すると、色々なものが出現する。結構、面白いぜ。耳でも、目でも楽しめる」
タカオが、その誘いに、残念そうに答えた。
「いえ、エインツ祭の日には、用事があるのでございます。非常に残念ではございますが……」
「ああ、そういえば、そうだったな。わかった。今度、俺の魔法を見せてやるよ。普段は、あまり、使わないんだが、他ならぬ、タカオに一度見せておきたい」
田臥が軽く言った。
タカオは喜ぶ。
「いいのでございますか?」
田臥は力強く言った。
「普段は、世界への影響が大きいから使わないようにしているんだが……今回だけは、特別だ。いいぜ。見せてやるよ!」
そう言った田臥は、極めて、わかりやすい笑顔だった。