美しき神様の、通い宮廷料理人になる
うっすら透ける御簾の向こう。白地の布らしきものに奇妙な文様が描かれた蔵面をつけ、一際豪華な着物を纏った、もはや人かどうかも怪しい男が座している。
御簾のこちら側には、武装した男たちがずらりと並び、物々しい。御簾の一番近くにいる武器を下げた男は警戒心たっぷりにこちらを睨みつけてくるし、美しい着物を纏って扇子を広げる燐鳳は虫けらでも見るような視線で俺を見下している。
「その人? 料理を作ってくれたの」
不意に御簾の向こうから、澄んだ鈴の音が響くような透き通った声が聞こえた。
「ええ。人界から迷い込んで来ていたようで、阡が連れて参りました」
燐鳳は、俺に向けていた視線など嘘のように、御簾の向こうに柔和に微笑んだ。
「詳しく調査させましたが、怪しいところはないようですので、ご安心を」
阡に変なお茶を飲まされて、朦朧とした意識のなかで尋問まがいのことをされたのを思い出す。もしもあの時、変なことを口走っていたら、今頃どう処分されていたか分かったものではない。
「え、勝手に連れてきちゃったの?」
「いえ、合意の上です」
(……まあ、合意と言えば合意だけど、選べる道なんてなかったし)
「手荒なこと、してないよね?」
御簾の向こうからの声に、燐鳳はゾッとするほど美しく笑みを深めた。
「御心配なく」
余計な事を言うなとばかりにチラッと向けられた射抜くような視線に、全身が粟立つ。俺は必死にコクコクと首を縦に振った。
「これで、奏太様に人界の御料理を、いつでも気兼ねなく召し上がっていただけそうですね」
「いつでもって、妖界に留まらせるってこと? ダメだよ、ちゃんと人界に帰してあげなきゃ」
「しかし、奏太様も、故郷の味だと喜んでいらっしゃったではありませんか」
燐鳳は声に少しだけ憂いを混ぜる。
「それは、そうだけど……」
そう聞こえたかと思えば、御簾の向こうの男が仕方がなさそうに立ち上がった。内側から御簾が払われ、やや小柄で細身の、豪奢な着物を纏った蔵面の主上が出てくる。
「奏太様」
燐鳳の咎める声。主上は蔵面を揺らして振り返った。
「本人に意思確認しないと。燐は本人の希望を無視して強引に決めちゃうだろ」
主上の言葉に、燐鳳は僅かに顔を顰める。しかしそれ以上に、燐鳳の後方に控えていた阡が顔を引きつらせたのが目に留まった。
しずしずとこちらに歩み寄る主上の後ろには、厳しい顔をした大柄な護衛がついてくる。こちらを値踏みするような目が怖い。ついでに、得体の知れない蔵面が近づいてくるのも怖い。
視線を床に落として緊張していると、不意に目の前で主上の足が止まったのが見えた。
「あ、そうか。この面をつけてるから、怖がらせちゃってるんだ」
そう言いつつ、主上は手を頭の後ろに回してパサリと面を外すと、俺の目線に合わせるようにしゃがみ込んだ。
そこにあったのは、この世のものとは思えないほど神々しく、息を呑むほどに美しい少年の顔。
「ごはん、すごく美味しかったです。ありがとう」
ニコリと屈託のない神聖で無垢な微笑みに、心臓が止まりかける。
そこへ、ヒラリと青く透き通る美しい蝶が舞い、天の使いの如き麗しの少年の肩に降りた。それは、まるで聖画のような光景。
しかし唐突に、蝶から少女の鋭い声が響いた。
「奏太様! 不用意に面を取ってはなりません!」
「怒鳴るなよ、汐。怖がらせたら悪いと思ったんだ。御礼を言うのに面を着けたままっていうのも失礼だろ」
たじろぐ姿まで麗しい。もはや、周囲の目など気にしている場合ではなかった。
「お、俺、ここで仕事します……!」
恐怖も、警戒も、家に帰りたいという思いすら、一瞬で頭から消し飛び、気づけば、そう声に出していた。
「貴方の食べる料理を作るんですよね? 俺、やります! 何でも好きなもの、お作りします!!」
衝動的に、目の前にあった手を両手に取って、ぎゅうと握りしめる。
主上が目を丸くしてこちらを見た、その瞬間。
別の場所から伸びた細く長い指に骨がきしむ勢いでギリギリと手首を掴まれた。更に、首筋に氷のように冷たく鋭いものが当たる感触も。
「穢らわしい手で触れるな、下郎が。切り落とされたいか」
見れば、美しい顔に青筋を立て表情を完全に消し去った燐鳳が俺の手首をこれでもかというほどきつく握り締めながら見下ろし、先ほど主上の直ぐ側で護衛をしていた男がギラリと光を反射させる刀の切っ先を俺の首に突きつけていた。
「今すぐ、その手を放せ」
低く地を這う二つの声音に、一気に肝が冷える。恐る恐る手を離し、犯罪者よろしく両手を見えるように上げて青ざめ震えていると、主上は困ったように眉尻を下げた。
「やめろって、燐、亘。悪気があったわけじゃないんだから」
「しかし、奏太様」
「燐、手を離してやって。亘も、刀しまえって。危ないから。あと、分かってると思うけど、こんなことで処分とかしちゃだめだからな」
主上の言葉に、燐鳳は苦々しげに奥歯を噛み、親の敵のように俺を睨んだ。
俺はこれからどうなるのかとブルブルと小刻みに震えていると、主上がそっと俺の肩に軽く触れた。
「怖がらせてごめんなさい。みんな、ちょっと過敏になってるだけなんだ」
どこが『ちょっと』なのかと思わなくもないが、こんな物騒な世界で、こんな風に優しくされると泣きたくなってくる。涙が零れそうになるのを堪えていると、先ほどの青い蝶がひらひらと俺の周りを舞った。
「それで、この者はどうなさるおつもりです?」
「どうって……。あの、どうします? 何も無かったことにして帰れますけど……」
この心優しい少年は、本当に神様だろうか。いや、神様とか主上とか、どうでもいい。こんな奴らの中にいるのに、擦れずにこれほど真っ直ぐでいられるのだ。きっと、天使か何かなのだろう。
ニコリと微笑みかけてくれる主上の目を、俺はじっと見返した。視界の端で燐鳳が目を細めているが、それも無視だ。
「……あの、俺、店が潰れて……働く場所もなくて、途方に暮れてて……」
そう。帰ったところで、生きる術を失ってしまった。帰ればまた、生きる意欲も失ったまま途方に暮れてしまうだろう。それならば、しばらくの間、この心優しく美しい天使の為に飯を作るのも、悪くないのではないだろうか。
「ここで、雇ってもらえますか? お好きなもの、いくらでも作りますから」
俺が言うと、目の前の天使は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「もちろん。人界の料理、楽しみにしてます」
主上の言葉に、突然、パンと近くで大きな音がした。見れば、燐鳳が扇を広げて口元を隠しこちらを見据えている。
「え、燐、何で怒ってるの?」
「いいえ、怒ってなどおりませんよ」
燐鳳は主上に目を向けると、その目を柔らかく弧にする。しかし、再びこちらに向いた目は全てを凍りつかせるような色味を帯びていた。
「奏太様の御慈悲故、此度は赦してやるが、次はないと思え。それから、地下に寝食できる牢——部屋を用意してやる。奏太様の御為、昼夜身を粉にして働くように」
(……今、牢屋って言いかけましたよね?)
そう思っていると、主上は深い深い溜め息をついた。
「……囚人じゃないんだから、せめて、人界から通いにしてあげてよ……」
こうして俺は、妖が生きる異世界で、天使のために通いの宮廷料理人をすることになった。主上以外を虫けらとしか思っていなさそうな男の視線に、背筋を寒くしながら。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
勢いで書いたこの短編。
ひとまず一区切りとして完結設定にしていますが、もし「慎也の通い料理人生活の続きが読みたい」と思っていただけましたら、ブックマークや★評価、感想などで教えていただけると大変励みになります。
それから、この作品は、主上である奏太の物語(本編)のスピンオフでもあります。
「主上の正体」や「燐鳳の過去」など、この世界の裏側に興味を持っていただけましたら、ぜひ本編も覗いてみていただけたら幸いです。
▼ 不完全な神様は主従の箱庭で白日の夢に微睡む
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※本編はシリアスダークファンタジー(ブロマンス)となります。だいぶ重めの世界観、ストーリーのため、ご注意ください。




