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第4話 桜の紋章

扉が開いた。


正式な司法官装束。

濃い色の長衣に、司法局の紋章。


長い銀髪が、高い位置でひとつに結い上げられている。

歩みに合わせて、白い房が肩の後ろで揺れた。


緑色の瞳が、正面を見据えていた。


アウラ・ロングスモンスは、審問廷の中央を歩き、主任審問官の席へ向かった。


主任席を務めるのが本件の主任捜査官であること。

そして、その捜査官が勤務二年目であること。


そこまでは、審問廷の通知ですでに伝えられていた。


ただし、氏名は伏せられている。


ウィリディスは、最初、彼女を見ていなかった。


若い司法官が入ってきたこと自体には、驚く様子もなかった。


彼の視線が彼女の顔へ移ったのは、席の前で足を止めたときだった。


銀髪。

高く結った銀髪と、緑の瞳。

その視線が、止まった。


アウラは、その変化を見逃さなかった。

あの夜、倉庫の吊り灯の下で、この男が一度だけ見た組み合わせだ。


「……貴様は!」


声は、押さえる間もなく出たように見えた。


審問廷が静まった。


ブルの顔から、血の気が引いた。

メリックスは、口を半開きにしたまま彼女を見ていた。


アウラは、席に着いた。


姿勢を正し、正面のウィリディスを見下ろした。


「おや?」


アウラは静かに言った。


「殿下は先ほど、その女とは一度もお会いになっていないと証言されましたが」


ウィリディスの顔が、もう一度揺れた。

だが、それは一瞬だった。


彼は口元を引き締め、ゆっくりと椅子に背を戻した。


「――聴取で、銀髪の使用人がいたと聞いていた。それで驚いただけだ」


低い声で言った。


「私は倉庫には行っていない。その者の顔など知らん」


アウラは、それ以上を突かなかった。


失言一つで、人は裁けない。


彼女は、司法書記へ頷いた。


「開廷します」


司法書記が、審問廷の構成を読み上げた。


「主任審問官、アウラ・ロングスモンス捜査審問官」


その名が、ウィリディスの表情をわずかに硬くした。


続けて、事件の概要が読み上げられた。


エイティゴ商会関連施設の捜索。

押収物。

被審問人三名。

そして、本件の主任捜査官が管理屋敷へ潜入捜査を行い、秘密倉庫の摘発に至った経緯。


司法局側の証拠説明席には、アーレス・ブロウも着いていた。


読み上げが終わるのを待たず、ウィリディスが口を開いた。


「異議がある。この者が主任審問官を務めることに、異議を申し立てる」

「理由を」


陪席の一人が尋ねた。


「第一に、この者は本件の潜入捜査を担当した捜査官本人である。捜査を行った者が、その捜査の審理を主宰するのは公正ではない」


彼は指を一本立てた。


「第二に、この者は司法局長官の娘である。長官の下で、その娘が皇族を裁く。政治的な捜査だという疑いを、拭えるものか」


二本目。


「第三に、この者は勤務二年目の若手にすぎない。皇族を裁く経験も資格も、あるとは思えない」


三本目。


それ以上は、言わなかった。


「私を見た人物だから」とは、一言も口にしなかった。


自分は倉庫にいない。

アウレリアには会っていない。

その供述を、彼はまだ維持している。


アウラは、何も言わなかった。


反論もしなかった。


「異議について、制度上の確認を行います」


司法書記が立ち上がり、綴りを開いた。


「第一の点。主任審問官アウラ・ロングスモンスは、帝国司法局の正式な捜査審問官資格を有しています。帝国司法制度において、重大事件の主任捜査を担当した捜査審問官が、特別審問廷の主任席を務めることは、制度上の慣例です」


「第二の点。本審問廷の判断は、主任審問官一名によってではなく、三名の審問官の合議によって行われます。司法局長官ブラオン・ロングスモンスは、審問官席には着いておりません」


「第三の点。捜査審問官の資格に、勤務年数による制限は設けられていません」


陪席の二人が、顔を見合わせた。


「異議に理由なしと認めます」


一人が言った。


「審理を続行します」


もう一人が言った。


ウィリディスは、椅子の肘掛けを握った。


若さと家柄を理由にした異議は、退けられた。


今この場で家柄を持ち出しているのは、彼の方だった。


◇


「証拠台へ」


アウラの声で、証拠担当が前へ出た。


その手には、封印紙に包まれた小さな箱。


「帝国司法局認証・桜花記録章。本件の潜入捜査において、主任審問官アウラ・ロングスモンスが使用した司法用記録魔導具です」


司法書記が、鑑定結果を読み上げた。


「使用者認証、アウラ・ロングスモンス本人。記録開始時刻、秘密倉庫摘発当夜。記録後の改竄は認められず。映像および音声は連続しており、司法局の正式規格に従った記録であることを確認」


封印紙が開かれ、中の銀の桜が姿を見せた。


ウィリディスの視線が、そこで止まった。


倉庫の灯りの下で、メイドの胸元にあった小さな銀の花。


「――記録……魔導具」


ブルが、掠れた声で呟いた。


アウラは、箱に手を触れなかった。


「本証拠の採否については、記録者本人である私は判断に加わりません。陪席審問官二名の判断に委ねます」


彼女はそう言って、椅子の背に体を預けた。


陪席の二人が、鑑定資料を確認した。


陪席審問官の一人が、被審問人席へ向き直った。


「証拠採用について、異議があれば述べてください」


ウィリディスは、口を開いた。


「記録者は、そこに座っている主任審問官本人だ。本人の装置を、本人の審問廷で採用するというのか」


陪席審問官は表情を変えなかった。


「その点は、すでに主任審問官が判断から外れると宣言しています。真正性の鑑定に疑義があれば、具体的に」


ウィリディスは、黙った。


具体的な疑義は、一つも口にしなかった。


ブルは、何も言わなかった。


「異議に理由なしと認めます」


陪席が言った。


「桜花記録章を、本件の証拠として採用します」


◇


証拠担当が銀の桜を取り出し、アウラへ差し出した。


アウラはそれを受け取った。


手のひらに収まる、小さな徽章。


あの夜、メイド服の胸元にあったもの。


彼女は、それを持ったまま、ウィリディスへ正面から向き直った。


ウィリディスの視線が、銀の桜からアウラの顔へ移った。


そして、もう一度桜へ戻る。


アウラは、静かに言った。


「この桜の紋章を、忘れたとは言わせません」


審問廷が、完全に静まった。


身分を明かすためではない。


あの夜、装飾品にしか見えなかったものが、犯罪の現場とこの審問廷をつなぐ司法証拠だった。それを、本人の目の前で明かすためだった。


アウラは、桜を証拠台へ戻した。


「記録を再生します」


◇


記録担当が、桜花章を再生装置へ収めた。


必要な箇所を、順に再生していく。


審問廷の壁に、映像が浮かんだ。


薄暗い倉庫の通路。

荷箱の陰から、男たちの声が拾われている。


「人の荷に混ぜろ」

「同じ馬車か?」

「同じ馬車だ。積み方はいつも通り」


映像が動く。


商談区画を上から見下ろす視点。


恰幅のいい男が、帳面をめくっている。


「今夜の人員は?」

「四です」

「四か。先方は五で聞いている」


ブルが、席の上で身を固くした。


「引き渡しは?」

「先方の船が明後日には」

「支払いは前と同じ形でいい。半分を先に」


映像が、しばらく静かになった。


そして――


外套を揺らしながら、長身の男が歩いてくる。

護衛が四人。


壁に映ったのは、被審問人席にいる男と同じ顔だった。


「次の分を急がせろ」


審問廷に響いたのも、同じ声だった。


「例の荷は、まだ揃わんのか」

「手配は進めております」

「都合など聞いておらん。あちらへの支払いを止めるな。止めれば話が流れる」

「予定を遅らせるつもりはない。私は、いつまでも待てる立場ではないのだ」


「今月は、予定以上に回しております」


ブルの声。


「ただ、便を早めた分、現場に少々無理が出ておりまして」

「構わん。急がせろと言ったのは私だ」


音声は続いた。


「兄上は、私を飾りだと思っておられる」

「私が立てば、諸侯は動く」


そして、騒ぎ。


映像が揺れる。

銀の髪が、画面の端をよぎる。


「――何事だ」

「あの女は誰だ」

「殿下、ここは危険です。裏口へ」


護衛の声。


記録の端で、外套の背中が遠ざかっていく。


そこで、映像は倉庫の通路と、短棍を構えた大男の姿へ変わった。


記録担当が、再生を止めた。


「以上です」


記録担当は、桜花章を再生装置から外し、証拠台の箱へ戻した。


審問廷の誰も、しばらく声を出さなかった。


アウラは、司法書記へ言った。


「事前供述との照合を」


司法書記が綴りを開いた。


「被審問人ウィリディス殿下の供述。問題の夜、秘密倉庫には行っていない。同夜、ブル・エイティゴとは会っていない。アウレリアと名乗る者には会ったことがない――」


彼は綴りを閉じた。


「いずれも、ただいま再生された記録と矛盾します」


◇


ウィリディスは、長い沈黙のあとで口を開いた。


「――倉庫へ行ったことは、認めよう」


声は、まだ崩れていなかった。


「商会への正規の投資について、確認しに行っただけだ。荷とは、商会が扱う正規の商品のこと。支払いとは、投資先への通常の送金のこと。急がせたのは、事業の進捗に関してだ」


アウラが問うた。


「『私が立てば諸侯は動く』というお言葉は?」

「政治的な比喩にすぎない。皇族が政治を語ることのどこが罪か」


「人身売買と違法薬物については?」

「知らなかった。ブルが勝手にやったことだ。私は投資家にすぎん」


アウラは、頷いた。


「では、殿下のお言葉が何を指していたのか、一つずつ確認いたしましょう」


彼女は、机の上の綴りを開いた。


「一つ目。令嬢たちが、奉公ではなく、本人に隠された目的で移送されていたこと」


◇


証人席へ、カリーナ・リンドが入った。


栗色の髪。

真っ直ぐに伸ばした背中。


その手は、震えていた。


だが彼女は、顔を上げてウィリディスとブルを見た。


「証人。あなたが商会から受けた説明を、話してください」


カリーナは、話した。


家の債務を減らすための奉公だと言われたこと。

奉公先を、出発前まで教えてもらえなかったこと。

給与の額を、最後まで知らなかったこと。

手紙は、商会の者へ預けるしかなかったこと。

先に出た令嬢たちから、返事が一通も来なかったこと。

出発が、予定より突然早められたこと。

倉庫の小部屋で、外から閂を掛けられたこと。


声は途中で何度か細くなった。


だが、止まらなかった。


アウラは、証言が終わるまで、一度も遮らなかった。


それから、二枚の書面を証拠台へ並べさせた。


「証人が署名した奉公契約です。奉公先は『商会指定先』。賃金と、債務の返済についての記載があります」


「こちらは、エイティゴ商会が国外の取引先と交わした書面です。同じ日付。同じ人数。同じ船便。記されているのは、身柄の引き渡しと、その対価です」


「証人は、前者に署名しました。後者の存在を、証人は知らされていません」


アウラは、ブルへ視線を向けた。


「被審問人ブル。あなたは、令嬢本人が契約に同意していたと主張しました」


ブルは、すぐに答えた。


「同意しています。署名がある」


アウラは、二枚の書面へ視線を落とした。


「署名があるのは、奉公契約です。本人に隠して、別の目的の契約を第三者と結ぶことは、本人の同意ではありません」


ブルは、口を閉じた。


アウラは、さらに一枚を出させた。


屋敷から押収された予定表。


「カリーナ・リンドの出発予定は、この予定表に記された日付でした。ところが、実際にはその日付より前倒しされ、摘発当夜に移送されています」


彼女は、記録の一節を読み上げた。


「被審問人ブル。『便を早めた分、現場に少々無理が出ておりまして』」

「殿下。『構わん。急がせろと言ったのは私だ』」


アウラは、ウィリディスを見た。


「殿下のご要求が、この令嬢の移送日を現実に動かしました」

「――投資の進捗を急がせただけだ」

「その『進捗』の中身が、令嬢の移送でした」


彼女は、もう一枚の綴りを開いた。


「ブルが、殿下側への報告として保管していた書面です。今月の便。人数。利益額。符号は裏帳簿と一致します。この報告に記された送金額と、殿下側の入金記録が一致します。殿下の指示書面は、この報告の内容へ応答する形で書かれています。以上から、実際に殿下側へ報告されていたと判断できます」


ウィリディスは、答えなかった。


◇


「二つ目。ブルが、現場任せではなく、事業を主体的に管理していたこと」


「被審問人ブル。あなたは、令嬢の細かな移送先は現場に任せていたと供述しました」

「そうです」


「記録では、あなた自身が、人数を確認し、引き渡し日を確認し、船便を確認し、支払いの方法を指示しています」

「――通常の輸送業務です」


「裏帳簿には、あなたへ入る利益が、令嬢の番号の隣に記載されています」

「帳簿は読んでいなかった。会計担当が」


「あなた自身の手による報告書があります」


アーレスが、立ち上がった。


「ただいま確認した、ブル・エイティゴ本人による皇弟殿下側への報告書です。取引の金額。ご自身の取り分。便数を増やせるという提案。取引先を増やせば収益が上がるという見込み」


彼は、一枚を掲げた。


「移送人数、引き渡し日、船、支払い、利益。すべてを把握していたのは、現場責任者ではなく、商会長です」

「――」


「加えて、被審問人メリックスの供述です」


司法書記が読み上げた。


「俺は命じられたから運んだだけだ。商会長だ。屋敷の見張りも、夜の移送も、全部な。普通の奉公じゃねえことくらいは、こっちも知ってた」


メリックスは、席で不機嫌そうに黙っていた。


「現場は、勝手に逸脱してはいません」


アウラが言った。


「命じられて、そう動いていた」


◇


「三つ目。秘密倉庫の荷が何であり、どの輸送網で運ばれていたか」


鑑定担当が、結果を読み上げた。


四十七包。

帝国法上の禁制薬物。


「包みに付された番号は、裏帳簿の記号と一致します。同じ記号は、秘密輸送便の記録にも存在します。被審問人ブルの報告書には、同じ番号に対応する売上があります」


アウラは、記録の一節を再び読み上げさせた。


「人の荷に混ぜろ」

「同じ馬車だ。積み方はいつも通り」


「『いつも通り』という言葉は、今回だけの偶発ではなかったことを示唆します。ただし、この一言だけで過去のすべてを立証はしません」


彼女は、輸送記録を指した。


「過去の便の記録と、裏帳簿の記号が、複数の日付で一致しています。違法薬物は、現場職員が勝手に持ち込んだものではありません。商会の物流と会計に、組み込まれていました」


ブルは、その指摘には何も返さなかった。


◇


「私は、皇弟に逆らえなかった」


ブルが、ようやく口を開いたのは、そこだった。


「指示は、すべて殿下から来ていました。私が司法局へ提出した資料が、それを証明しています」


ウィリディスが、椅子から身を乗り出した。


「――偽造だ」


声が、初めて荒れた。


「その商人が、自分の罪を私になすりつけるために作った書面だ。私の名を使ったのは、そいつだ」


「筆跡鑑定では、殿下の公的文書に残る筆跡との一致点が複数確認されています。ただし、筆跡だけでこの書面の意味まで証明できるものではありません」


アウラは、二つの綴りを並べさせた。


「殿下側からの指示書面に使われている符号と表現。『次の分』『例の荷』『あちらへの支払い』『予定』。記録に残る殿下ご自身のお言葉と、同じです」


彼女は、一枚ずつ照合していった。


「指示された額と、実際の送金額が一致します」

「指示された期限と、便の前倒しの日付が一致します」

「ブルからの報告に記された送金額と、殿下側の入金記録が一致します」


アウラは、ウィリディスを見た。


「これらすべてを、商人一人が、殿下の声まで含めて偽造することはできません」

「したがって本審問廷は、書面の内容と、実際の送金、便の前倒し、桜花章の記録との一致を併せて判断します」


ウィリディスは、拳を握った。


アウラは、次にブルを見た。


「被審問人ブル」

「……はい」

「あなたが提出した資料には、殿下からの指示だけではなく、あなた自身の取り分、増益の提案、便数と人数の増加案が残っていました」


ブルの顔が、強張った。


「殿下を売れば、ご自分だけは助かるとお考えになったのでしょう」


アウラは言った。


「ですが、そのために残した記録には、あなたご自身の商売ぶりまでよく記されていました」


ブルは、目を閉じた。


少なくとも、ただ強制されて従っただけの者の記録ではなかった。


利益を計算し、増やし方を提案し、積極的に事業を運営した者の記録だった。


◇


「四つ目」


アウラは、アーレスへ視線を向けた。


「殿下が、どこまで犯罪を認識し、金を何に使っていたか。証拠説明を」


アーレスが、資料を証拠台へ広げた。


「人身売買と違法薬物によって得られた利益の額。裏帳簿から算出しています」


「そのうち、殿下側へ送られた額。ブルの報告書と、資金移動の記録から確認しています」


「殿下側へ入った資金の、その先」


彼は、三つの流れを指した。


「一つ。武器商への支払い。護衛の装備としては、量が説明できません」

「二つ。傭兵団への前金」

「三つ。複数の協力者候補とみられる宛先への、名目の曖昧な送金」


アーレスは、そこで言葉を区切った。


「三つ目について、補足します。金を受け取った者はいます。ですが、受け取った側が反乱への参加を認めた記録は、どこにもありません。殿下が協力者を獲得しようとした、という形跡です。それ以上のことは、この資料からは言えません」


ウィリディスが、口を開いた。


「武器は護衛の強化のためだ。皇族には敵が多い」

「傭兵は、私的な警備の契約だ」


ウィリディスは、なおも言葉を重ねた。


「送金は政治活動の一環だ。皇族が諸侯と交わるのは当然だろう」

「私が立つ、というのは比喩だ」


アウラは、記録の一節を読み上げた。


「『例の荷は、まだ揃わんのか』」

「『あちらへの支払いを止めるな。止めれば話が流れる』」

「『予定を遅らせるつもりはない。私は、いつまでも待てる立場ではないのだ』」


「指示書面に記された『例の荷』の期限は、武器商への注文期限と一致しています。『あちらへの支払い』として指定された額と期日は、傭兵団への前金と一致しています。そして、その日付は、倉庫での殿下ご自身のご発言とも一致します」


「憶測だ」


「資料の日付と、ご発言の日付と、支払いの日付が一致しています」


アウラは、静かに続けた。


「購入された武器の量。秘匿された資金の経路。傭兵への前金。協力者獲得のための送金。そして、殿下ご自身の『私が立てば、諸侯は動く』というお言葉。これらを総合すれば、護衛の強化とも、私的な警備とも、政治活動とも説明がつきません」


アウラは、証拠台に並ぶ資料を一つずつ見渡し、最後にウィリディスへ視線を戻した。


「反乱軍が、完成していたわけではありません。ですが、その準備が、犯罪の収益によって進められていたことは、資料が示しています」


ウィリディスは、そこで口を閉ざした。


◇


「すべて、ブルが仕組んだことだ」


ウィリディスが言った。


「殿下のご命令です」


ブルが言った。


二人は、互いを見なかった。


アウラは、どちらの言葉も採らなかった。


「本審問廷は、被審問人のいずれか一方の供述に依拠して、他方の責任を認定することはしません」


彼女は、証拠台の上を見渡した。


「桜花記録章は、あの夜の会話を記録しています」

「ブルの提出した資料は、指示の内容を示しています」

「裏帳簿は、利益を示しています」


アウラは、証拠台へ並べられた綴りを順に見渡した。


「資金の記録は、その利益の使途を示しています」

「押収された薬物と、証人の証言は、犯罪の実体を示しています」


「メリックスの供述は、現場の認識を示しています」

「これらは、それぞれ独立して集められ、互いに一致しています。どちらか一方が沈黙しても、事件の全体は崩れません」


ブルは、席に沈み込んだ。


ウィリディスは、まだ背筋を伸ばしていた。


◇


「私は皇弟だぞ」


ウィリディスは、立ち上がった。


「私にはまだ支持者がいる」

「諸侯が黙っていると思うな」


声は大きかった。


だが、審問廷の誰も動かなかった。


傍聴席の立会人は、黙って座っていた。


アウラは、アーレスへ視線を向けた。


「資金記録に残る宛先と、捜査上、協力者候補として浮上した者について、司法局は照会を行いました」


アーレスが答えた。


「送金を受けた者の中に、反乱への参加を認めた者はおりません。自らを殿下の『同志』だと認めた者もおりません。実際の軍事協力が成立した形跡は、確認できませんでした。本審問廷に、殿下を公然と庇うため証言を申し出た有力貴族も、おりません」


ウィリディスは、立ったまま、審問廷を見回した。


誰も、彼を見返さなかった。


アウラは、記録の中の彼の言葉を、ゆっくりと読み上げた。


「『今も私のもとへ人が来る。挨拶に、進物に。――皆、待っているのだよ』」


彼女は、綴りを閉じた。


「挨拶や進物を、忠誠の誓いとお読みになったのは、殿下だけだったようですね」


ウィリディスは、その場に立ち尽くした。


司法局の照会に、反乱への参加を認めた者はいない。

この審問廷にも、彼を庇うため名乗り出た有力者はいなかった。


少なくとも、彼が口にしたほどの支持は、どこにも姿を見せなかった。


ウィリディスは、椅子に腰を落とした。


それきり、何も言わなかった。


◇


「審理を一度区切ります」


アウラの声で、審問廷は休廷に入った。


三名の審問官が、別室で証拠を確認した。


アウラは、自分の意見を最初には言わなかった。


陪席の二人が、罪状ごとに証拠を並べ、それぞれの認定について意見を述べた。


彼女はそれを聞き、最後に自分の見解を加えた。


三名の意見は、一致した。


◇


審問廷が再開された。


アウラは、主任審問官として、判断を読み上げた。


「被審問人ウィリディス殿下について。人身売買および違法薬物取引による犯罪収益の受領。その収益を用いた武器調達、傭兵雇用の準備。協力者の獲得を図った反乱計画。以上を認定する」


「なお、本審問における『秘密倉庫には行っていない』『ブル・エイティゴとは会っていない』『アウレリアという女には会ったことがない』との供述は、証拠と矛盾するものと認める」


「被審問人ブル・エイティゴについて。本人に真の目的を隠した奉公契約を利用した人身売買事業の運営。違法薬物の輸送および販売。犯罪収益の管理と分配。殿下への資金供与。以上を認定する」


「なお、これらを現場職員の独断とする供述は採用しない」


「被審問人メリックスについて。令嬢の監視。秘密移送。逃亡の阻止。潜入捜査官への暴力。犯罪の実態を一部知りながら実行へ加担したこと。以上を認定する」


彼女は、綴りから顔を上げた。


「殿下は、皇族としてのご身分を理由に、本審問廷の判断を退けようとされました」


ウィリディスは、顔を上げなかった。


「皇族であることは、法の外に立つ理由にはなりません」


審問廷は、静かだった。


「本審問廷は、以下を決定する」


「ウィリディス殿下の身柄の確保を命じる」

「ブル・エイティゴについても、身柄拘束を継続する」

「同時に、商会資産を保全する」

「エイティゴ商会の営業を停止する」

「被害者救済に向け、商会の財産調査を行う」

「メリックスについては、実行犯として身柄拘束を継続する」


アウラは、一拍置いた。


「ウィリディス殿下の、皇族としての身分および権限に関する処分については、本審問廷の権限の外にある。したがって、本認定を添えて、司法局長官より皇帝陛下へ上申する」


壁際で、ブラオンが小さく頷いた。


「被害者救済について」


アウラは続けた。


「カリーナ・リンドほか三名へ提示された奉公契約は、詐欺的な説明、本人へ隠された身柄引き渡し契約、違法な目的を理由に、その有効性を認めない。エイティゴ商会が各家へ課した債務のうち、不当に上乗せされた部分について再調査を命じる」


カリーナが、証人席で、小さく息を吐いた。


「なお、本件以前にエイティゴ商会を通じて移送された者について、司法局は移送名簿および船便記録に基づき、国内外への所在調査を継続する」


アウラは、綴りを閉じた。


「閉廷します」


◇


被審問人が退廷し、証人席も傍聴席も空になっても、アウラはしばらく席を立たなかった。


証拠台の上に、銀の桜が残っていた。


証拠担当が、封印のために脇で待っている。


彼女は、それを手に取った。


小さな徽章。

手のひらに収まる、銀の花。


あの夜、メイド服の胸元にあった。


倉庫の灯りの下で、身を翻したとき、ウィリディスが見た。


そして今日、この場で、あの夜の嘘を崩した。


アウラは、桜を掌の上でしばらく見ていた。


高く結った銀髪が、窓からの光を受けて、白く光っている。


それから、彼女は桜を証拠担当へ返した。


この審問廷で、桜花章が果たす役目は終わった。


事件は、終わっていない。


◇


司法局長官室。


ブラオンは、机の向こうで書類を読んでいた。


アウラが入っても、顔を上げなかった。


「潜入中の判断には、改善すべき点がいくつもある」


それが、最初の言葉だった。


「メリックスに警戒されていると分かっていながら、商談区画で背後を取られた。周囲確認が甘い」


「それと、棚へ叩きつけられたのは、間合いの見誤りだ」


「まず成果についてお話しいただいても?」


アウラは言った。


「成果は審問廷で出た。改善点は、審問廷では出ん」

「では、改善点を伺ったあとで、成果を」

「聞く気があるのか」

「あります。ただ、順番が」


ブラオンは、ようやく顔を上げた。


「――相変わらずだな」

「どちらがですか」


彼は答えなかった。


代わりに、机の引き出しから一枚の書類を取り、アウラの前へ置いた。


司法局長官の印。


エイティゴ商会を通じて国外へ送られた者について、所在調査および救出のための捜査を継続する――という命令書だった。


担当は、主任捜査官アウラ・ロングスモンス、および捜査官アーレス・ブロウ。


「まだ終わっておらん」


ブラオンは言った。


「名簿には、まだ行き先の分からん者が残っている」


アウラは、命令書を手に取った。


褒める言葉は、一つもなかった。


だが、事件の続きを自分へ任せる命令書だけは、ここにある。


ウィリディスを追わずカリーナたちを守った判断も。

桜花章だけで断定しなかったことも。

正体と記録を審問まで伏せた戦術も。


少なくともアウラは、それを父なりの評価として受け取ることにした。


「――承知しました、長官」


アウラは、頭を下げた。


ブラオンは、もう書類に目を戻していた。


◇


第三捜査室。


机の上に、命令書と、被害令嬢の名簿が並んでいた。


名簿には、まだ多くの名が残っている。


カリーナ・リンド。

エルナ。

リーゼ。

ミレーネ。


四つの名の隣には、「保護」の印が押されている。


だが、その上には――ミーナ、ソフィを含め、半年のあいだに屋敷を出た十人を超える名が、印のないまま並んでいた。


一部には、船便の記録から、国外の行き先が書き添えられている。


一部には、まだ何も書かれていない。


アウラは、名簿を閉じなかった。


窓からの光が、机と、彼女の銀の髪を照らしていた。


ウィリディスの嘘は崩れた。

ブルの商会は止まった。

管理屋敷と秘密倉庫は押さえられた。

国外へ向かう秘密輸送便も、違法薬物の流れも、皇弟への資金経路も断ち切られた。


少なくとも、エイティゴ商会の同じ仕組みで送り出される者は、もういない。


それは確かだ。


だが、すでに送られた者は、まだ帰っていない。


桜の記録は、あの夜の嘘を崩した。


そこへ帳簿が重なり、契約が重なり、資金の記録が重なり、証言が重なった。


そうして、契約の陰に隠されていた人々の名が、もう一度、法の下へ戻ってきた。


すべての名が帰るべき場所へ戻るまで、捜査審問官アウラ・ロングスモンスの仕事は終わらない。

『捜査官令嬢』、これにて全4話完結です。


身分ではなく、事実と証拠によって悪を裁く。

銀髪の捜査官令嬢と、桜の紋章の物語を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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