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第15話 光は空より降り注ぎ

 あれから、どれほど走り続けただろうか。


 助けを求める住民の声は、四方八方から絶え間なく届く。

 泣き叫ぶ声、怒号、祈るような呟き。それらが渦を巻くように耳へと流れ込んでくる。

 

 息を切らしながら王都の街路を駆け、倒れた民に肩を貸し、血を流す者には応急処置を施す。

 人々を襲う魔物を見つけては、剣で斬りつけて倒し、他にいないかと魔物の気配を探り続けていた。


 だが、時が経つにつれて、魔物の気配が離れていることに気づいた。


 長年の経験が、強い違和感を訴える。

 これほどの混乱が起きれば、血と恐怖の匂いに惹かれて、さらに多くの魔物が集まってくるはずだ。

 混乱は彼らにとって格好の餌場なのだから。


 それにもかかわらず、感じ取れる気配は驚くほど遠い。


 ――何かがおかしい。


「魔物が……減っている?」


 見渡す限り、前世のあの惨劇と比べても、明らかに魔物の数が少ない。

 それどころか、王都に到着した直後に目にした数よりも、確実に減少している。


 周囲の人々も異変に気づいたのだろう。

 あちこちで足を止め、戸惑いを含んだ声が交わされ始める。


 兄上が戦っている……わけはないか。


 乾いた笑いが、喉の奥で小さく鳴った。

 一瞬、そんな可能性が頭をよぎったが、兄上の死に際のあの姿が脳裏に蘇り、すぐに否定する。


 では、なぜだ。


 なぜ、これほど分かりやすく魔物が減っているのか。


 私は遠くへと視線を向けた。

 魔物の動きが感じ取れる、王都の外縁近くへ。


 そこでは、魔物たちが王都の中心部から離れるように、外へ外へと走っていた。

 方々で砂埃が幾筋も立ち上り、その規模が決して小さくないことを物語っている。


 まるで王都そのものから、逃げ出そうとしているかのようだった。


 魔物は本能のままに生きる存在だ。理性よりも衝動を優先する、野生の塊のような生き物だ。

 その彼らが、餌である人間に目もくれず、一斉に退却するなど――異常と言っていい。


「魔物が……逃げていく」


「戦いをやめて、王都から出ていく……なぜ」


 あちこちから戸惑いの声が上がる。

 誰もが理由を知らぬまま、答えのない疑問を宙へ投げていた。


 そのざわめきに包まれながら、私もまた状況を掴めぬまま、ただ立ち尽くす。

 胸の奥で、不安と期待が奇妙にせめぎ合っていた。


 そのとき。


「見つけましたわ」


 状況を飲み込めぬまま思考を巡らせていた私の頭上から、聞き覚えのある澄んだ声が降ってくる。


 周囲の人々も、はっと息を呑み、同時に空を仰いだ。


 どんよりと垂れ込めていた雲が、天そのものに裂かれたかのように割れ、眩い光が地上へと降り注ぐ。

 その光はただ照らすのではなく、祝福するかのように静かに世界を満たしていった。


 やがて、光の中心から彼女が姿を現す。


 羽衣にも似た輝きに包まれながら、重力すら従わせるかのように、ゆっくりと――しかし確かな威厳をもって、地上へと降り立つ。


 神々しい存在を前にしたかのように、私の全身が震えた。


 それは恐れではない。

 ――歓喜だ。


 私は無意識のうちに、ほころぶような顔で彼女を迎えていた。

 彼女もそれに応えるように、表情こそ変えないまま、どこか柔らかな気配を滲ませた。


「ここにいましたのね。もう少しで、魔物はすべて去りますわ」


 降り注ぐ光を受け、彼女の銀髪は一筋ごとにきらめき、光の粒を束ねたかのように揺れている。


 陶磁器のように白い肌は光を拒まず、静かな艶を帯びて輝いていた。

 見えぬ羽がその身を支えているかのように、優雅に舞い降りるその姿は、人の世に語り継がれる神話が、いまこの場に顕現したかのようで――。


「……天使……だ」


 誰かの呆然とした呟きが、張りつめた空気の中に溶ける。


 それは感嘆であり、畏怖であり、目の前の存在を人ならざるものとして受け入れようとする、半ば無意識の逃避でもあった。


 その言葉が耳に届いたのか、彼女はゆるやかに視線を向け、場の空気を正すように凛と告げる。


「天使ではございません。わたくしの名は、リュミエール・ノクタリアですわ」


 その名に反応するように、場がざわめいた。誰もが声を潜め、互いの表情をうかがい合う。


「侯爵の令嬢さまが、空から……?」

「リュミエール様が現れたら、魔物が逃げていった……?」

「もしかして……聖女様では……?」

「そうだ……! 聖女様だ……!」


 囁きはやがてうねりとなり、怒涛のように広がっていく。


 気づけば、その場は一斉に「聖女様」と呼ぶ声に包まれていた。

 興奮と崇拝が入り混じった叫びは、しばらく収まりそうにない。


 その様子に、私は腹の底が一気に冷える。


 ――まずい。


 人々は、今は聖女だと誤解している。

 しかし、彼女が魔物だと露見すれば――大変なことになる。


 無表情のまま戸惑っている彼女の腕を掴み、私はその場から離れるように走り出した。

 聖女と誤解している民衆の脇を抜け、伸びてくる手に捕まらぬよう、必死に駆け抜ける。


 やがて、民衆の矛先が変わった。


 私たちとは別の方向へ、人の波が集まり始める。


 どうやら、私の意図を察した彼女が、幻惑の魔法をかけたらしい。

 反対方向へ逃げる“私たちの幻影”を作り出し、人々の視線をそちらへ誘導したのだ。


 それでも油断はできない。捕まっては元も子もない。


 安全地帯へと走り続けながら、息も整わぬまま、私は先ほどから思っていた疑問を彼女へ問いかけた。


「少し前から魔物が逃げていきました。いったい何をしたんですか」

 

 その問いに、彼女は当然のことのように、淡々と答える。


「魔物を先導していた、王城付近の知能持ちを何体か叩いてきましたの。この場で、わたくしが最も強くなれば、敵わぬ下級の魔物は逃げ出しますでしょう?」


 なるほど、と胸の内で呟く。


 王都から魔物たちが潮を引くように退いた理由が、ようやく一本の線で繋がった。


「ついでに、ゾルドもいましたので、当分まともに動けないくらい殴っておきましたわ」


「あの魔物、かなり強いのでは……?」


 彼女は私を見つめ、口の端をわずかに上げる。

 その微笑はどこか嬉しげで、誇らしげでもあった。


「最近、わたくし、とても気分がよろしいのです。ですから、全力を出せましたわ」


 ほんの少しだけ。

 ――本当に、ほんの少しだけ。

 

 あの巨体の魔物に、心の中でそっと合掌する。


「ですが……なぜ、空から降りてきたんです。あれでは、かなり目立ちます。下手をすれば、あなたが魔物だと――」


 言いかけたところで、彼女はわずかにもじもじと身体を揺らし、居心地が悪そうに視線を伏せた。


 ほんの一瞬、ためらう。


 そして、上目遣いで私をちらりと見たあと、絞り出すように言葉を紡いだ。


「だって……早く、あなたの元へ戻りたかったんですもの」


 その一言で、胸の奥で何かが音を立てて崩れた。


 周囲の音が遠のき、世界が、薄い膜の向こうへと引き下がる。

 ただ、その言葉だけが何度も反芻されるように、脳裏に焼き付いて離れない。


 ――これは、いけない。


 感情を表に出さず、冷たく見えがちな彼女が。


 こんなにも甘やかな空気をまとってはいけない。


 ……ほら。


 私の視線は、完全に彼女に釘付けだ。


 もう、彼女から目が離せない。

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