第9話 ワヌタの夜
「おいなにやってだ! 加護なしだぞ!」
「日が暮れるぞ、さっさと動け!」
『動かねぇんじゃねぇよ、動けねえんだよ!』
ジンクと対峙した男は周囲から浴びせられる汚いヤジを受けながらも、一歩も動けないでいた。
ジンクも同じく一歩も動かなかったが、その表情には余裕が滲み出ていた。
「お連れのお嬢さん、その、ジンクさんってあの……?」
受付嬢がセリシールにこっそりと話しかける。
セリシールはまるで自分が褒められているかのように、にんまりと笑い答える。
「想像通りだと思いますよ? ソリーデ王国騎士団の遊撃隊として味方の救援や敵陣強襲を行い、死者なしで完遂した、あのジンク隊長です」
大きい声ではなかったが、セリシールの凛とした声はよくとおり、ギルド内に響いた。
ジンクのことを知っていた者達は、身の程知らずな男を嘲るように笑う。
「誰に喧嘩売ってるんだ、我が国の救世主だぞ!」
「身の程をわきまえろ!」
もはやヤジも逆転し、男は周囲からさらなる重圧を受けることとなった。
重圧に耐えきれず、男は飛び出そうと地面を踏み締めるが、その瞬間ジンクの脇差がわずかに揺らめき、男の動きを止める。
「どうした、俺より強いのだろう?」
口元に笑みを浮かべ、ジンクは男を挑発する。
顔に怒りを浮かべ、男はジンクへ拳を振り下ろす。
その拳は容易に脇差で弾かれ、バランスを崩した男の腹に蹴りが入る。
「グェッ……」
衝撃が背中に突き抜けるほどの蹴りを腹に受け、男は膝から地面に崩れ落ちる。
男は胃から込み上げた酸味のある液体をなんとか飲み下し、顔を上げた。
その眼前には脇差の先端が突きつけられ、勝敗は誰の目にも明らかであった。
「勝負ありでいいな?」
ジンクは返事を聞くよりはやく、脇差を腰に戻した。
劇的な幕切れに男へ罵声を浴びせるもの、ジンクへ賞賛の声を上げるものでギルド内はおおいに賑わった。
その声を背にジンクはセリシールの元へ戻って行った。
「セリシー、お待たせ」
「お疲れ様、じゃあ行こう!」
まるでなにもなかったかのように2人は歩き出す。
「ふざけやがって……!」
痛みから回復したのか男は今度はセリシールに飛びかかろうとした。
細身の女1人くらい押し倒せるだろうという目論見は、男が1歩も歩くことなく地面に叩きつけられることで瓦解した。
チラリとセリシールが横目で見ただけで、まるで上からハンマーで殴られたかのように、地面に男の跡を作り、そのまま意識を失った。
ジンクすら見切ることのできなかった無詠唱の魔法に苦笑いを浮かべ、2人はギルドを出た。
セリシールは男を一瞥することもなかった。
男を一蹴するジンク、それを超える力を見せたセリシール。
底知れぬ実力に賞賛の声も消え、2人がギルドから出るまでシンと静まり返っていた。
ーーー
「よし、ご飯に行こう!」
宿をとったあと、2人はそれぞれの部屋で体を拭き、宿の前で合流した。
空はすでにオレンジから黒く染まりかけ、点々と白く輝いている星が見える。
少し肌寒い風の中、美味しい食事を目指して歩き出す。
「こういうときって、一部屋しか空いていないとかが定番じゃないのかな?」
笑顔でとんでもない定番を言い出し、ジンクはつまずきかける。
「セリシーもそんな本読むんだね?」
意外に思いセリシールに聞いてみると、セリシールはイタズラに成功したように、ニヤリと笑い答える。
「一緒に旅に出た神官ちゃんが教えてくれたの! そうやって冒険中に仲を深めていくんだって!」
楽しそうに話すセリシールだが、その表情には寂しさが垣間見えた。
セリシールのために帯同された3名。
貴族対応兼前衛である王国騎士団の重騎士、A級冒険者で旅の経験豊富な斥候、回復魔法が使えないセリシールの回復要員として女神官。
セリシールを合わせた4人は最初こそ順調な旅ができていた。
なにごともなければ最後まで4人で旅ができていたのだろう。
「そうか、じゃあ今度は一部屋で泊まるか?」
空気を変えるため冗談を言うジンクに、セリシールは顔を真っ赤にしブンブンと手と首を振る。
微笑ましい反応にジンクは口元の緩みを感じた。
それと同時に、さらに努力をすれば、使えるものを全て使えばセリシールと魔王討伐の旅に出れたのではないかと胸に後悔が広がる。
「あ、でも恥ずかしいだけで嫌じゃないからね!」
勘違いしないように!と、びしっとジンクに指を指し宣言するセリシールに、ついに笑いが堪えられなくなったジンクは小さく笑いながら食堂へ足を向ける。
セリシールはそんなジンクの顔を見て、満足げに笑いながらその横を歩いていった。
ーーー
少し歩き着いたのは、牧場の海という食堂だった。
外へ漏れ出す香りは、焼けた海鮮の香ばしい匂いと濃厚なチーズの匂いが混ざり合い、自然と唾液が溢れ出す。
「いい匂い……早く入ろう!」
われ先にと入っていくセリシールに続き、ジンクも店内へ入っていく。
「いらっしゃい! そちらのテーブルへどうぞ!」
案内されたテーブルに座ると、木板に書かれたメニューが目に入った。
様々な料理名が並ぶなか、ある料理がジンクの目に留まった。
「河牛の香草焼き……? 河牛って魔物だよね?」
同じくメニューを見ていたセリシールがジンクの方をみると、ジンクは本を1冊取り出しめくっていた。
それは街に着いた時に読んでいた本ではなかった。
『悪食の書』と書かれた簡素な本は、その見た目にそぐわないほどの魔力を内包していた。
「馬車の時とは違う本だよね?」
ジンクはニヤリと笑い、本を反転させ、ずいっとセリシールの前に出した。
『河牛』
生態
河の牛と聞くとケルピーのように河にいる牛を想像するかも知れないが、実態は2本の角が生えた巨大な魚。
気性が荒く、硬い頭と角で船に体当たりをしてくるため大変危険。
その肉質は魚というより肉に近く、しっかりとした歯応えが楽しめる。
生で食べると、クセのない牛のような味わいだが、脂が少ないせいか甘みが少ない。
火を通すと魚とは思えないほどの肉汁が溢れ出し、食欲をそそる。
「特級調理師、ヴェルム=カリーナが今もなお書いている、魔物、その他生物の生態調査兼調理本だ」
河牛のページには生態のほか、味や調理法が書かれていた。
所狭しと書き込まれた情報にセリシールは目を奪われるが、やがて1つ思い出し、ジンクに尋ねる。
「その人って、保護生物狩猟の疑いで指名手配されていなかったっけ?」
そう言われ、ジンクは無言で本を閉じた。
証拠がないため疑いにはなっているが、この本の中には保護生物であるユニコーンやカーバンクルなどの味にも言及されているため、間違い無いだろう。
売られておらず目にする機会がほぼないため、禁書にこそなってはいないが、表沙汰になれば間違いなく取り締まりの対象だ。
「……さあ、なにを頼むか決まったかな?」
ジンクの意外な一面に苦笑いを浮かべ、セリシールは再度メニューと向き合うのであった。




