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見難い火傷の子  作者: 清風
657/659

第三幕:正体見破り

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子657


第三幕:正体見破り


深淵ダンジョン第十七エリア、第四紀完新世層

鉄の時代

この地では、人を除く多くの生きものが八倍の大きさで生きている。


夜が明ける前から、詰所の灯りは消えていなかった。


香蘭がまとめた帳面、医務所から上がった症状札、解体場と荷役小屋の聞き取り、

宿場役の宿帳の写し。

昨夜まで机の上で散っていたそれらは、張良が返した統一書式に従って朝までに書き直され、

ようやく「比べられる形」になっていた。


郭羽はその束を前にして、まず黙った。


発症地。

従事業務。

負傷の有無。

摂食内容。

水場利用。

同行者の異常。

獣への影響。


別々だったはずの不調が、同じ升目の中へ並べられると、急に違う顔を見せる。

腹痛と発熱だけならどこにでもある。傷の悪化だけでも珍しくない。

だが、解体場従事者と荷役人夫と見回りの冒険者、

その三つに共通して

「傷が妙に化膿する」

「腹を刺すように痛がる」

「高熱が続く」

という列が並ぶと、もう偶然の薄さではなくなる。


「南の解体場が起点に近い」 と郭羽が言った。


香蘭は机の向かいで頷く。

「発症の早い者ほど、そこに近いです」

「荷役小屋はその次。宿場は散っているが、流れた荷に沿っている」

「見回り班の傷の悪化は?」

「負傷箇所のある者ほど早い。荷を触った、獣を介した、水場を使った――そのどれかだ」


張良が朝一番で詰所へ顔を出したのは、その時だった。

役所勤めらしい整った衣のまま、

ほとんど眠っていない顔をしているのに、目だけは冴えていた。

後ろには書記が二人、札束を抱えている。


「揃いましたか」 と張良が言う。


郭羽は机上の束を押し出した。

「散り方の癖が見えてきました」

「見せてください」


張良は書面をめくる手が速かった。

読んでいるというより、並びを見ている手つきだ。

発症時刻と場所の順、荷の通過、解体日、宿泊記録。

その視線が二、三度行き来し、やがて一点で止まる。


「同じ鍋を食べて無事な者がいる一方で、別の場所で似た症状が出ている。

食餌のみを原因にできない」

「はい」 と香蘭が答える。

「ですが、完全に無関係でもありません」

「ええ。荷を介した汚染か、処理段階の汚れが複数箇所へ飛んだか」

張良はそこまで言って、視線を上げた。

「医務所の見立ては」

「病名まではまだ」と郭羽が言う。

「ただ、普通の腹下しにしては傷口の悪化が嫌だと」

「蘇静殿を入れましょう」


その名が出た時、部屋の空気がわずかに締まった。


蘇静は医務と検分の両方に通じた女で、病を「かわいそう」で済ませず、

原因と経路にまで切り込む。

感情ではなく手順で動く人間だ。

面倒な案件ほど彼女向きだった。


「解体場も見せるべきですね」 と香蘭が言う。

「隠したがるでしょう」

「隠させない」 と張良があっさり答えた。

「韓鋭殿にも話を通します。

工区と荷線の記録を照らすなら、現場も押さえなければ意味がない」


昼前には、簡素な調査班が組まれた。


張良が書類と命令を束ね、郭羽が現場の冒険者を出し、蘇静が医務側の必要を決める。

南の解体場の検分には石魁も入った。

土、水、排水、作業台――人間ではなく「場」の異変を見る目が要るからだ。

香蘭は窓口を離れられないが、拾った記録の説明役として写しを持たされた。


匠一の側にも、その段でようやく明確な声が届いた。


補給係が持ってきた帳面には、一見どうということもない偏りが記されていた。

二つの宿場で薬草粥の注文が増え、ある駅では乾燥塩と湯沸かし炭の消費が急に跳ね、

別の場所では運搬獣の代替が欲しいと申し出がある。

さらにワイバーン隊の拾った噂が重なった。


南の解体場で、内臓の臭いがおかしかった大物魔物がいた。

その日のうちに処理の甘い荷が一部回った。

荷役人が腹を壊した。

傷持ちの冒険者が化膿した。

獣が弱った。


匠一は帳面の上に指を置いたまま、しばらく何も言わなかった。


「物が先だな」 と、やがて彼は言った。


補給係が首をかしげる。

「人ではなく?」

「人の症状は遅れる。

だが荷の偏りは先に出る。

誰かが倒れれば、薬が増え、水が増え、代わりの獣がいる。

流れの崩れは嘘をつかん」


その言葉は、郭羽たちが別口で辿りつきつつある結論と同じ場所を向いていた。


午後、南の解体場は思った以上に嫌な臭いをしていた。


血と脂の染みついた土床。

洗い流したはずなのに残るぬめり。

排水溝の脇にたまった濁り水。

蘇静は中へ入るや、まず袖を縛らせ、口元を布で覆わせた。

石魁は無言で排水の流れを目で追い、作業台の裏、桶置き場、

内臓を一時置きした場所まで順に見ていく。


「最近、大物が入ったそうですね」 と蘇静が場長に言う。


場長は明らかに顔をこわばらせた。

「山側から一頭……ですが、もう処理は済んでいます」

「済んでいるかどうかは、こちらが見て決めます」


蘇静の声音は平板だったが、その平板さがかえって逃げ道をなくす。

郭羽の配下が帳面を押さえ、張良の書記が荷渡しの札を改める。


若い解体手の一人が、ついにぼそりと漏らした。


「腹を開いた時、変だったんです」 場長が睨んでも、もう止まらない。

「臭いも変だったし、腸の周りが……何か糸みたいに絡んでて」

「糸?」 と蘇静が即座に向き直る。

「白い、細い……動いたようにも見えました」


場がしんとした。


蘇静は何も言わず、作業台の裏に回った。

石魁が桶のひとつをひっくり返す。

底にこびりついた黒赤い汚れの中に、乾ききらず残っているゼリー状のものがあった。

さらに排水溝の脇、日陰にたまった泥を棒でかき回した時、石魁の眉が初めて動いた。


「これか」


彼の棒の先に、細く白いものが絡みついていた。

糸より太い、虫とも管ともつかない不快な形。

生きているのか死んでいるのか判然としないが、ただの血の筋ではない。


香蘭がその場にいたなら息を呑んだだろうが、

ここにいるのは顔色を変えても手を止めない者たちだった。


蘇静はすぐに油紙を広げさせ、採取を命じた。

「作業台の汚れ、包丁、排水、内臓を捨てた穴。全部分けて取る」

「そこまで必要か?」 と場長が言いかける。

蘇静は視線だけで押し返した。

「必要です。必要でなければ、あなたのところから何人も熱を出していません」


張良の書記はその場で記録を取り、荷札と日付を照合していく。

いつその魔物が入り、誰がばらし、どの仲買へ回り、どの荷役小屋へ移ったか。

ぼやけていた線が、帳面の上で少しずつ輪郭を持ち始めた。


その頃、医務所では別の一致が見つかっていた。


蘇静が先に指示していた通り、腹痛と発熱の患者だけでなく、

「傷の悪化」で来た者も洗い直されていた。

すると数人の傷口に、ただ膿んでいるだけではない、奇妙な変化が見えた。

赤く腫れた縁。白くふやける皮膚。

深くないはずの傷なのに、妙に熱を持ち、治りが遅い。


「内部に異物感を訴える者がいる」 という札が、午後遅くに詰所へ届いた。


郭羽はそれを読んで、無言で机に置いた。

腹から来た者、傷から来た者。入口は違っても、出口が似すぎている。


夕刻、調査班が戻った時には、机の上の札の意味がもう昨日とは違って見えた。


張良が持ち帰った採取物、蘇静の所見、荷札の写し、解体場の証言、

荷役小屋の発症順、宿場の宿帳。

そこへ匠一側から届いた物資消費の偏りまで重なると、

ようやく「推測」と「証」の境目が狭まる。


「発端は南の解体場に入った大物魔物」 と張良が言った。

「その処理過程で何らかの汚染が発生し、一部が荷と共に流れた」

「水場にも回ってますね」 と石魁が低く言う。

「排水が甘い。あの脇の溜まりなら、桶洗いで広がる」

「傷持ちが悪化するのも説明がつきます」 と蘇静が続けた。

「手傷に汚れが入った者ほど早い。腹の症状が出る者は経口か水経由かもしれません」


郭羽は腕を組んだまま、全員の言葉を聞いていた。

「つまり」 と彼が言う。

「ただの食あたりでも、ただの流行り病でもない」

「ええ」 と蘇静。

「魔物由来の寄生性汚染と見るのが最も自然です」


その場の空気が、そこでようやく固まった。


寄生虫。


言葉にした瞬間、これまで曖昧だった嫌さが、はっきりした輪郭を持つ。

見えないが、いる。

人にも獣にも入り、荷にも水にも紛れ、傷口からも食からも忍び込む。

しかも最初はただの腹痛や熱に見える。


香蘭が後からその報告を聞いた時、真っ先に思い出したのは、

朝一番に受付へ来た若い冒険者の青白い顔だった。

あれが始まりではない。

だが、始まりを見つける側の最初の一人だった。


夜、匠一もまた同じ結論を受け取った。


説明を聞き終えたあと、彼は地図の上を指でなぞった。

南の解体場。

駅裏の荷役小屋。

宿場。

水場。

見回りの詰所。

外苑路線に沿って、汚染の経路は決して一直線ではない。

それでも一本の流れの中にある。


「どこを止めるかだな」 と彼は言った。


それは、正体を見破った次に来る問いだった。


敵の名が分かっても、それで終わりではない。

むしろ、ここからが始まりだ。


何を焼くか。

どこを閉じるか。

どこまで止めずに守るか。

誰を隔離し、何を流し続けるか。


正体は見えた。

だからこそ、もう見過ごせない。


見えない災厄は、ようやく名前を持った。

次に必要なのは、その流れを断つことだった。

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