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見難い火傷の子  作者: 清風
638/658

オケラ

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子638


オケラ


深淵ダンジョン第十七エリア、第四紀完新世層

鉄の時代

この地では、人を除く多くの生きものが八倍の大きさで生きている。


第一地下鉄線の開通は、都にたしかな変化をもたらしていた。


雨の日には駅舎へ駆け込む者が増え、暑い日には地下の涼しさを喜ぶ声が上がる。

役人や商人は少しずつ時間の読める足として使い始め、駅前には新しい茶屋までできた。

地下鉄はもう、ただの見世物ではなくなりつつある。


だが匠ーの目は、その先を見ていた。


一本通しただけでは足りない。

都を巡らせるには、線を増やし、つなぎ、網にしなければならない。

東西だけでなく南北へ。

市場から河岸へ。

職人街から役所へ。

外縁の宿場から都心へ。

そうしてはじめて地下鉄は都の血の巡りになる。


そのためには、今の工法では遅かった。


掘って、支えて、運び出して、確かめて、また掘る。

安全体制を整えたことで工事は以前より確実になったが、そのぶん手間も増えた。

必要な手間だと匠ーは分かっている。

だからこそ、その手間を削るのではなく、手間ごと抱えたまま速くする方法が要ると思っていた。


その日、匠ーは都の外れの水路で釣り糸を垂れていた。

休みというには落ち着かず、仕事というには手が止まっている。

考え事をするためだけに、水辺へ来ていた。


浮きは動かない。

風も弱い。

魚の気配は薄い。


匠ーは竿を持ったまま、水面を見ながら同じことを考えていた。


都を巡らせるには遅い。


人手を増やすか。

違う。

宿舎も警備も膨らむ。

工区を増やすか。

違う。

監督の目が散る。

支保を減らすか。

論外だ。

あれは削っていい手間ではない。


そのとき、足元の土がかすかにもぞりと動いた。


草の根のあいだから、黒褐色の小さな虫が姿を現す。

前脚だけが妙に大きく、土を掻き、押し分け、頭を差し込み、身体を潜らせていく。

掘るというより、土の中へ形を割り込ませていくような動きだった。


オケラだった。


匠ーはしばらく黙ってそれを見た。


前脚が土を崩し、頭が押し、胴が続く。

後ろでは穴の形が保たれている。

むやみに掻き散らしているようでいて、進むための形がある。

狭い土の中を、潰されず、埋もれず、前へ行くための形だ。


「……ああ」


小さく声が漏れた。


掘ってから支えるんじゃない。

先に支えながら掘ればいい。


その瞬間、匠ーの中で考えが一気につながった。

土に負けない殻を前へ出す。

前で土を崩し、その内側で掘る。

崩れない筒の中で進み、後ろから壁を組む。

そうすれば、地盤の悪い場所でも現場をむき出しにせず進める。


しかも前を探れる。

空洞、湿り、異臭、生体反応、卵塊。

危険があれば止まり、隔壁を閉じ、焼却管で処理する。

さらに探査結果をまとめる副脳を積む。

だが副脳は勝手に焼かない。

危険を見つけたらまず止まり、人に問う。


「前方に卵塊反応。焼却処理を推奨します。実行しますか?」


そこまで頭の中で聞こえたとき、匠ーはもう浮きを見ていなかった。


竿をその場に置き、紙片に丸い胴を殴り書きし、そのままソラへ戻った。


都の上空にあるソラの内部は、外の風や喧騒から切り離された空間だった。

その中ほどに設けられた無限倉庫は、

資材も試験機も図面棚も呑み込んだまま、静かに広がっている。

研究棟の白い壁の隣には、油と鉄粉の匂いがこもる試作工場があった。


匠ーはそこへまっすぐ入った。


入口脇に釣り竿を立てかけ、濡れた靴のまま作業台へ歩み寄る。

紙片を広げ、炭筆で丸い断面を一気に描いた。


「ここ、使う」


それだけ言って、あとはもう誰も見ていないような顔になった。


研究棟では研究員オートマタたちが静かな足取りで机のあいだを行き来し、

記録板を差し替え、図面を整理し、過去の坑道事故記録を照合していた。

工場ではゴーレムたちが無言のまま重量材を運び、

試験架台を組み替え、円筒の骨組みを支えている。


匠ーが紙片を叩きつけると、研究員オートマタの一体がすぐに過去の崩落記録を持ってきた。

別の一体はツチハンミョウ遭遇事例を抜き出し、さらに別の一体は空白の図面板を並べる。

工場側ではゴーレムが鉄材の束を運び込み、木製の仮組み台を据えた。


「丸い胴にする」

匠ーは言った。

「前を探る孔を付ける。隔壁も要る。焼却管はここだ。

副脳は探査のまとめ役にする。勝手に処理はさせない」


研究員オートマタが即座に記録を始め、ゴーレムが重い部材を持ち上げる。


それから匠ーは籠もった。


一日目は、ひたすら断面図だった。

丸い胴の厚み、前面の掘進輪、内側の作業床、後方へ続く覆工。

描いては消し、消しては描く。

円が少し歪んだだけで紙を丸めて捨てる。

研究員オートマタが清書した図面の上から、さらに炭筆で線を重ねる。

床には紙が積もり、作業台の端には木片の削り屑が山になった。


二日目には模型ができ始めた。

木で組んだ円筒の骨組みを、ゴーレムが両手で支える。

匠ーはその前面に刃の角度を何度も描き直し、探り孔の位置を変え、隔壁の閉じ方を試す。

焼却管を通す位置が少しずれるだけで、内部の作業床と干渉する。

副脳の搭載箱を置けば、今度は整備の手が入らない。

ひとつ通ればひとつ詰まる。


「違う」

「そこだと遅い」

「いや、焼却の前に閉じる順が先か」


独り言が増えた。


食事は運ばれてきたが、温かいうちに手をつけることはほとんどなかった。

椀の中身が冷え、茶がぬるくなってからようやく口をつける。

夜になっても工場の灯りは消えない。

ソラの内部では外の昼夜が薄いぶん、時間は作業台の上でだけ進んでいくようだった。


三日目、研究員オートマタが副脳用の危険照合表を持ってきた。

空洞反応、異臭、熱変化、生体密集、卵塊推定。

匠ーはそれを見て、しばらく黙り込んだあと、図面の端に短い文を書きつけた。


危険検知時、即時処理禁止。

必ず照会を挟む。


その下に、さらに書く。


掘進停止。

隔壁閉鎖準備完了。

焼却処理を推奨します。

実行しますか?


それを見た研究員オートマタが、無言で記録板へ転記した。


匠ーはようやく少しだけ息を吐いた。


機械に必要なのは、勝手な賢さではない。

止まるべき時を見落とさないための、第二の頭だ。


四日目には、工場の中央に木と鉄で組んだ奇妙な円筒が立っていた。

まだ試作以前の粗い模型にすぎない。

だが前面には掘進輪の位置があり、鼻先には探り孔が並び、

内部には隔壁と作業床の区切りが見える。

後方には覆工を継ぎ足すための余地まで取ってあった。


ゴーレムがその骨組みを支え、研究員オートマタが図面を並べる。

匠ーは煤と炭で手を黒くしたまま、その前に立っていた。

目の下には薄く影が落ちている。

だが目だけは、釣り場から戻ったときよりもずっとはっきりしていた。


工場の扉の外では、何人かが様子を窺っていた。

何を始めたのかはまだ分からない。

だが、また何かが形になりつつあることだけは伝わる。


匠ーは振り返りもせず、模型の前面を指で叩いた。


「ここで守りながら掘る」


次に探り孔を示す。


「ここで前を見る」


隔壁を示す。


「ここで止める」


最後に、副脳の搭載位置へ手を置いた。


「ここで問う」


それはまだ機械ではなかった。

だが、ただの思いつきでももうなかった。


水路のほとりで小さなオケラを見た瞬間に生まれた着想は、

ソラの中の無限倉庫、その研究棟隣の工場で、図面と模型と手順を与えられ、

都の地下を変える工法へと育ち始めていた。

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