審査結果と再見積り
見難い火傷の子623
審査結果と再見積り
深淵ダンジョン第十七エリア、第四紀完新世層
鉄の時代
この地では、人を除く多くの生きものが八倍の大きさで生きている。
見積書の叩き台がまとまったのは、夜もだいぶ更けてからだった。
長机の上には紙が幾重にも重なり、木札には区間、深度、人員、資材、
警備条件が細かく書き分けられている。
正門駅より禁中駅へ至る地下鉄構想。
その未来は、もはや夢想としてではなく、数字と工程と責任の束として机上に積み上がっていた。
だが、匠一はそこでようやく筆を置いたわけではなかった。
むしろここからが本番だった。
「出す前に潰すぞ」
短い一言に、場の空気が変わる。
ノクスが最初の紙束を手に取った。
彼の視線は速い。
だが流し見ではない。
距離、断面、支保、排水、換気、搬出、交代要員――
一つひとつを追いながら、必要な箇所で迷いなく指を止めていく。
「試験線、標準構成案。工期が攻めすぎています」
「どこだ」
「掘削そのものではなく、支保と確認です。
この世界側の職人を混成で入れる前提なら、手順の擦り合わせに日を食います。
加えて、地下作業に不慣れな者が出れば、崩落防止の確認回数は増やすべきです」
匠一は紙を引き寄せ、数字を追った。
「……確かに短いな」
「はい。
爆炎側主体なら回せます。
ですが、それをそのまま宮廷へ出せば、
“では全部そなたらだけでやれるのだな”という話にもなりかねません。
今回は帝都側へ渡していける計画として見せるべきです。
ならば、工期は保守的に積むほうがよろしいかと」
「通る案に直す」
匠一は即断した。
「標準構成、工期を一段伸ばす。
確認工程を増やせ。
教育と手順共有も別項で立てる」
「承知しました」
次に口を開いたのは周蓋だった。
彼は警備別紙を見て、露骨に眉をひそめている。
「搬入口が多い」
セレスが顔を上げる。
「多すぎますか」
「多い。
便利だが、その分だけ穴になる。
正門側、外廷側、資材仮置き場側――三つも常用搬入口を置けば、監視兵の目が散る。
試験線の段階なら二つでよい。
いや、一つでも回せるなら一つに絞るべきだ」
匠一が地図を見直す。
「一つだと詰まる」
「詰まってよい」
周蓋は即答した。
「詰まる不便より、紛れる危険のほうが重い。
禁中に近づく案件で、効率を理由に出入口を増やすのは悪手だ」
その言葉に、執政官も静かにうなずいた。
「陛下も同じことを仰るだろう。
速さより統制。
少なくとも提出段階では、その姿勢を明確に見せたほうがよい」
「分かった。搬入口は絞る」
匠一は木札を一枚外した。
「試験線は主搬入口一つ、非常用一つ。
常用は一つだけだ。
搬出入の遅れは工期側へ吸わせる」
「それでよろしいかと」
周蓋は短く答えた。
行道尚書は、今度は上申用の要約文へ目を落としていた。
しばらく黙っていたが、やがて紙を軽く叩く。
「この“禁中駅”という語、今はまだ強すぎますな」
匠一が視線を向ける。
「強いか」
「強い」
行道尚書ははっきり言った。
「構想としては分かります。
だが、提出文面の表にこの語が出れば、
読む者によっては“禁中の直下へ異邦の路を通す話が、すでに既定である”と受け取る。
陛下はそこまで仰っておられぬ。
ここは“禁中方面延伸構想”あるいは“中枢接続案”程度に留めたほうが、
反発を減らせましょう」
セレスがすぐに筆を走らせる。
「正式件名はどういたしますか」
行道尚書は少し考えた。
「“正門駅起点地下鉄試験線計画ならびに中枢方面延伸概算”――このあたりが穏当でしょう」
「長いが、通りはいいな」
匠一が言う。
「夢を削って通すなら、それでいい」
セレスはうなずいた。
「では本文中も、“禁中駅”は構想内部の便宜名としてのみ残し、提出文面では表に出しません」
「そうしてくれ」
ノクスは別の紙束を見ていたが、そこでまた指を止めた。
「予備費がまだ薄いです」
「まだか」
「はい。
地盤不明、地下水不明、換気効率不明。
不明が三つ重なる案件で、この率は低すぎます。
見栄えは悪くなりますが、ここを削ると後で必ず苦しくなります」
執政官がその言葉を受ける。
「削るな」
全員の視線が向く。
「安く見せて通した後、追加で積み上がるほうが心証が悪い。
最初から“未知ゆえに余裕を見る”と書いてあるほうが、むしろ宮廷は扱いやすい。
少なくとも私は、そのほうが陛下へ上げやすい」
匠一は小さく笑った。
「全員、同じこと言うな」
「同じ穴に落ちたくないだけです」
セレスがさらりと返し、場にわずかな笑いが落ちる。
張り詰めた空気の中で、それはむしろ集中を保つための小さな余白だった。
「よし」
匠一は紙束を揃えた。
「再見積りだ。
標準案の工期延長。
教育工程追加。
搬入口削減。
警備条件強化。
件名修正。
禁中駅の表記は引っ込める。
予備費増し。
他にあるか」
しばし沈黙が落ちる。
今度の沈黙は、未知への戸惑いではない。
出してよい水準に達したかを測る、実務の沈黙だった。
やがてセレスが静かに口を開く。
「一点。
上申文の結びですが、“帝都の未来を支える”だけでは少し広すぎます。
陛下が今お求めなのは、夢の大きさではなく、試す理由の明確さかと」
「どう直す」
「“平時の流通安定、非常時の中枢維持、
その両面に資する試験として”――このように、試験実施の理由を先に立てたほうが、
裁可の文脈に沿います」
行道尚書がうなずく。
「よろしい。
それなら反対する者も、“なぜ今これを試すのか”に答えを見いだせましょう」
「採用」
匠一は即座に言った。
「未来を語るのは後でいい。
今は試す理由を通す」
筆がまた走り始める。
削られた語。
足された日数。
増やされた予備費。
減らされた搬入口。
未来はここで少しだけ不格好になった。
だがその不格好さこそが、宮廷を通るための現実だった。
やがて再見積りがまとまる。
最初の案より遅い。
高い。
厳しい。
だが、そのぶん崩れにくい。
匠一は最後の紙を見下ろし、低く言った。
「……こっちだな」
ノクスがうなずく。
「はい。
最初の案は作れる案。
こちらは出せる案です」
その言葉に、誰も異を唱えなかった。
見積もりは、ただ数字を並べればよいものではない。
通る形に削り、守れる形に直し、責任を負える形へ整えて、初めて提出に値する。
正門駅より禁中駅へ至る地下鉄構想は、この夜ようやくその段階へ達した。
未来は、少しだけ遠のいた。
だがその代わり、初めて本当に近づいたのである。




