ゴレムさん編 帰るべき場所へ
見難い火傷の子559
ゴレムさん編 帰るべき場所へ
翌朝、ゴレムは宿を出る前に、いつもより少しだけ長く帳面を見ていた。
昨夜書き留めた言葉は、まだ乾ききっていないような気がした。
技術は単体ではなく、流れの中で意味を持つ。
何度も見返した一文だった。
軌道を見て、敷設を見て、保守を見て、人とゴーレムの役割を見た。
ホーネット幕府で得たものは多い。
想像していた以上に多かったと言っていい。
だからこそ、ゴレムは今、ひとつの区切りを感じていた。
「今日はどうするの?」 とテレースが聞く。
「現場へは行きます」 とゴレムは答えた。
「まだ行くのね」
「はい」
「でも、昨日と少し顔が違うわ」
「そうでしょうか」
「ええ。まだ見たい顔でもあるけど、決めた顔でもある」
「……鋭いですね」
「付き合いが長いもの」
宿を出て街道を歩きながら、ゴレムは周囲を見ていた。
朝の荷車。
資材置き場。
茶屋の支度。
作業へ向かう人々。
もう珍しいから見ているのではない。
ここでは何がどう流れ、何がそれを支えているのかを確かめるように見ていた。
「テレース」
「なに?」
「私は、そろそろ戻るべきだと思います」
「ゴーレムヨンドへ?」
「はい」
「……やっぱり」
「予想していましたか」
「してたわ」
「いつからですか」
「昨夜くらいから」
「そんなに分かりやすかったでしょうか」
「分かりやすいというより、あなたがちゃんと考えた時の顔だった」
ゴレムは少し黙った。
否定はできなかった。昨夜からずっと、自分の中で同じことを考えていたからだ。
「まだ見たいものはあります」 と彼は言った。
「ええ」
「現場を見ていると、新しい発見があります」
「それも分かる」
「ですが」
「うん」
「今の私が本当に知りたいのは、この現場の続きではありません」
「……オートマタ?」
「はい」
爆炎パーティから聞いたその言葉は、思っていた以上に大きく残っていた。
敷設メンテゴーレムに感動した。
だが、その先にある技術が別にあると知ってしまった以上、視線はもうそこへ向いている。
「ここにいれば、もっと現場は見られます」 とゴレムは続けた。
「でも、オートマタのことは分からない」
「はい」
「資料もない」
「少なくとも、私の手元にはありません」
「なら、戻るしかない」
「はい」
テレースは頷いた。
あっさりした頷きだったが、それがかえってゴレムにはありがたかった。
引き止めるでもなく、急かすでもなく、彼が自分で出した結論として受け止めてくれている。
「持ち帰るには十分?」 と彼女が聞く。
「十分、ではありません」
「へえ」
「ですが、十分でなければ戻れないということでもありません」
「……それ、前のあなたなら言えなかったかもね」
「そうかもしれません」
「前なら、全部見ようとしてた」
「はい」
「今は?」
「今は、次に進むために区切ります」
「うん」
「見たいものが残っていても」
「うん」
「それでも戻る価値があると判断します」
「立派になったじゃない」
「立派かどうかは分かりません」
「でも旅は上手くなったわ」
「……それは、少し嬉しいです」
現場へ着くと、朝の作業がちょうど動き始めるところだった。
人が配置につき、資材が運ばれ、ゴーレムが指示に従って動く。
昨日までと同じ光景のはずなのに、今日は見え方が違った。
終わりを決めた者の目で見ているからかもしれない。
ゴレムは一つ一つを確かめるように見た。
軌道の幅。
接合部。
荷の流れ。
点検の手順。
人の合図。
補給の間合い。
どれも帳面に書いた。
だが今日は、書き漏らすまいという焦りより、
持ち帰るべきものを選び取る意識の方が強かった。
「選んでるのね」 とテレースが横で言った。
「はい」
「前は見たもの全部を書こうとしてた」
「全部は持ち帰れません」
「そうね」
「なら、何が核かを考えるべきです」
「それが昨日からの変化?」
「たぶん」
「いい変化だと思うわ」
昼前、ゴレムは帳面を閉じた。
まだ作業は続いている。
見ようと思えば、午後も、明日も、その先も見られるだろう。
だが彼はもう、そこで無理に立ち止まろうとは思わなかった。
「決まりました」 と彼は言った。
「今日で終わり?」
「はい。ホーネット幕府での観察は、ここで区切ります」
「それで、ゴーレムヨンドへ帰る」
「はい」
「帰って何をするの?」
「記録を整理します」
「うん」
「それから、オートマタについて調べます」
「やっぱりそこに行くのね」
「行きます」
「相当気になってる」
「相当です」
テレースは吹き出した。
だがその笑いは、呆れよりも安心に近かった。
ゴレムがただ圧倒されて終わるのではなく、次に何を知るべきかを自分で掴んだからだ。
「じゃあ、帰り道も退屈しなさそうね」
「はい」
「頭の中でずっと考えてるんでしょう?」
「おそらく」
「でしょうね」
「ですが」
「なに?」
「帰るべき場所があるのは、良いことです」
「……ええ」
「持ち帰って、確かめて、次へ進める場所がある」
「そうね」
「それは、とてもありがたいことだと思います」
テレースは少しだけ目を細めた。
ゴレムが言っているのは、単に地理的な帰還先のことだけではないのだろう。
見たものを整理し、考え、次へ繋げるための場所。
彼にとってゴーレムヨンドは、そういう意味を持ち始めている。
二人は現場をあとにした。
背後では、今日も軌道が少しずつ伸びていく。
人とゴーレムが支える流れは、彼らが去ったあとも続いていくだろう。
ゴレムは一度だけ振り返った。
最初に見た時の驚きは、もうただの驚きではなかった。
理解の入口になり、次の問いを生むものへ変わっている。
「行きましょう」 と彼は言った。
「ええ」 とテレースが応じる。
ホーネット幕府で見たものは、ここで終わりではない。
持ち帰られ、整理され、次の技術への問いになる。
そしてその問いの先には、まだ見ぬオートマタがある。
ゴレムは街道へ向き直った。
帰るために進む足取りは、来た時よりも少しだけ確かだった。




