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見難い火傷の子  作者: 清風
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マケドニア禍 第七話 王の使者

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子479


マケドニア禍 第七話 王の使者


深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


昼過ぎ、ラスボラスゲート後背の仮設指揮所に、白布を掲げた騎影が現れた。


最初に見つけたのは高空のオートメガネウラ隊ではない。

低く外縁を舐めていたワイバーン隊だった。

門前の死地を避けるように、しかし逃げるでもなく、まっすぐこちらへ向かってくる単騎。

槍も寝かせ、旗も伏せ、ただ白布だけを風に見せている。


報せはすぐに上がった。


「マケドニアより使者」


セドリックの声は平板だった。

驚きも高揚もない。

記録係として、来るべきものが来たと読み上げているだけの声だ。


匠一は地図から目を上げた。

広域図の上には、敵工兵線、補給再編中心、別働探索線、

そして王旗の推定移動域が重ねられている。

そのどれもが、朝より狭くなっていた。


「そうか」


それだけ言った。


ダンが腕を組む。

「来ましたね」


「来る」

匠一は答えた。

「来ないと損が増える段階に入った」


ニールが口元を上げる。

「言い方がひどい」


「事実だ」

匠一は平然としている。

「門前突破は失敗。工兵線は削った。補給再編も宿場跡ごと押さえ始めてる。

別働も通れない。続けるほど遠征の形が悪くなる」


ノクスが補足する。

「敵にとって、ここから先は勝敗より採算の問題です」


「王様相手に採算って言うんだ……」

ポンが小さくつぶやいた。


「王でも腹は減るし、道がなければ進めない」

ユキが低く言う。

「そこは平等」


仮設指揮所の空気は、張ってはいるが荒れてはいなかった。

誰も油断していない。

白布を掲げたからといって、それで敵意が消えるわけではない。

だが同時に、ここまで積み上げたものが、ようやく別の形で返ってきたことも全員わかっていた。


セドリックが確認する。

「通しますか」


「通せ」

匠一は言った。

「武装は門前で預からせろ。随員は二名まで。記録を取る。席は用意するが、歓迎はしない」


ダンが少しだけ笑う。

「いつも通りですね」


「使者だろうが王だろうが、線路は直らない」

匠一は答えた。


やがて使者は門をくぐった。


若くはない。

だが老いてもいない。

軍装は上質で、泥と埃をかぶってなお整って見える。

ただ、その顔には長距離を急いで来た者の乾きがあった。

後ろに従う随員は二人。どちらも武装を預け、目だけを鋭くしている。


門上からキールが見下ろし、ルナ隊が外縁を固め、ノクス隊が通信線を維持する。

白布の単騎を通したからといって、防衛態勢が緩むことはなかった。


使者は仮設指揮所へ通されると、まず一礼した。

深すぎず、浅すぎず。

屈服ではなく、礼式としての角度だった。


「マケドニア王の名において、使節として参上した」


声はよく通った。

疲れてはいるが、崩れてはいない。


匠一は座ったままそれを聞いていた。

立って迎えない。

威圧のためではない。必要がないからだ。


「用件は」


短い問いだった。


使者は一瞬だけ間を置き、言葉を選んだ。


「これ以上の損耗拡大を避けるため、戦端収束に向けた協議を求める」


ダンが横で目を伏せる。

降伏とは言わない。

停戦とも言い切らない。

だが意味は明白だった。


匠一は表情を変えなかった。


「条件を聞きに来たんだな」


使者の眉がわずかに動く。

言い換えの余地を残した文面を、一息で実質へ落とされたからだ。


「……王は、双方にとって無益な消耗を望まれない」


「こっちは最初から望んでない」

匠一は言った。

「望んでないのに門まで来たのはそっちだ」


空気が少しだけ硬くなる。

随員の一人が息を詰めた。

だが使者は崩さない。


「その点についての弁明をしに来たのではない」

「知ってる」

匠一はうなずいた。

「弁明で補給は戻らない。工兵線も生えない。だから条件を聞きに来た」


セドリックの筆が静かに走る。

ノクスは無言で全体の気配を見ている。

ダンは壁際に立ったまま、いつでも前へ出られる位置を崩さない。


使者はようやく本題へ入った。


「王は問われる。

この戦を収めるため、貴殿らは何を求めるのか」


匠一は少しだけ黙った。

机上には広域図、補給線の記録、工兵線の推定図、門前損耗の一覧。

どれも、ここまでの戦いが“勝った負けた”ではなく、

“続けられるかどうか”の問題になっていることを示していた。


「まず確認する」

匠一は言った。

「そっちはまだ王旗を立ててる。軍も残ってる。

だからこれは、王を討たれた側の命乞いじゃない」


使者は黙って聞く。


「だが、進めない」

匠一は続けた。

「門は止めた。工兵は削った。補給は詰まり始めてる。

別働も通れない。続けるほど遠征の形が悪くなる。だから使者が来た」


使者は否定しなかった。

それが何より雄弁だった。


「その通りだ」

やがて彼は言った。

「王はなお戦える。だが、戦えることと、戦を続けるべきことは同じではない」


ニールが小さく笑う。

「賢い王だね」


「だから厄介だった」

匠一は言った。

「でも助かる。話が通じる」


使者の目が、初めてわずかに匠一を測る色を帯びた。

目の前の相手が、勝利に酔って条件を吊り上げる類ではないと見え始めたのだろう。


「条件を示していただきたい」


「いい」

匠一は即答した。

「講和は受ける。ただし、一度止まっただけで終わったことにはしない」


使者の視線が鋭くなる。


「どういう意味だ」


「王を殺しても次が来る」

匠一は言った。

「軍を焼いても、また編成される。だから必要なのは、一回の敗北じゃない。

二度と同じ遠征を成立させないことだ」


仮設指揮所の空気が、さらに静かになる。

ここから先が、ただの停戦条件ではないと全員がわかった。


「条件は輪住」

匠一は言った。


使者の眉が、今度ははっきり動いた。

「……輪住」


「王、または王族・執政級の者を、定期的にこちらの管理圏へ滞在させる」

匠一は淡々と続ける。

「滞在中の政務継続は認める。通信も認める。だが軍の大規模再編、遠征準備、

工兵の集中的運用、補給線の再軍事化は監視対象に置く。

随員数、護衛数、持込物資も制限する」


使者は黙っている。

その沈黙は、理解できないからではない。

理解したからこその沈黙だった。


「……人質か」


「違う」

匠一は即座に否定した。

「政務は続けさせる。国も残す。王も殺さない。だが、征服者の自由は残さない」


ダンが目を細める。

その言い方は、冷たいが正確だった。


「さらに」

匠一は続ける。

「街道と宿場の再建負担。補給路修復への協力。不可侵。工兵運用の事前通告。

再侵攻兆候があれば、通行、補給、接続、全部止める」


使者の後ろで、随員の一人がわずかに顔色を変えた。

重い。

だが、滅亡ではない。

そこが最も厄介な条件だった。


「王は……」

使者がゆっくり言う。

「王は、そのような条件を、征服者に対する屈辱と見なされるだろう」


「そうだろうな」

匠一はあっさり認めた。

「でも死ぬよりはましだ。国も残る。民も残る。政務も続く。遠征だけが終わる」


使者は言葉を失わなかった。

それだけで、この男もまた相当の器量だとわかる。


「なぜ、そこまで制度にこだわる」


匠一は少しだけ視線を上げた。

門の向こう、まだ遠くにある王旗の方角を見るように。


「一人のアレキサンダーを見たら、三十人いると思え」

彼は言った。

「王が一人でも、遠征の中には王のやり方が三十ある。

正面突破、工兵、補給、別働、再編。だから王一人を止めても足りない。

王のやり方ごと止める必要がある」


使者は、その言葉を黙って受けた。

意味は十分に伝わったはずだった。


「……返答は、王に持ち帰る」

「そうしろ」

匠一は言った。

「ただし、時間は長くやらない。こっちは止める手をもう持ってる。

話がまとまらないなら、そのまま続けるだけだ」


脅しの口調ではない。

事務連絡のような声だった。

だからこそ重い。


使者は深く息を吸い、静かにうなずいた。


「もう一つ、確認したい」

「何だ」


「この輪住は、我らだけに課されるものか」


その問いに、ダンがほんの少しだけ口元を動かした。

来ると思っていた問いだった。


匠一は即答しなかった。

代わりにノクスへ視線を送る。

ノクスは一枚の文書を机上へ置いた。

封印付きの写し。

ローマとカルタゴの受諾文書だった。


「先例はある」

匠一は言った。

「ローマもカルタゴも、広域秩序維持のための輪住を受け入れてる」


使者の目が、初めて明確に揺れた。


「……他の大国も、か」


「お前だけが特別だと思うな」

匠一は言った。

「強国を勝手にさせないための枠だ。今回はそこにお前が入るだけだ」


その言葉は、慰めではなかった。

だが同時に、恣意でもなかった。

マケドニアだけを狙い撃ちした条件ではない。

すでに運用されている秩序の中へ編入する。

その事実は、使者にとって重く、そして否定しにくいものだった。


「……わかった」

使者は言った。

「王に伝える」


「伝えろ」

匠一はうなずく。

「講和は受ける。だが、終わらない王はそのままにはしない。

終われない遠征を、制度で終わらせる」


使者は一礼した。

来た時より、わずかに深い礼だった。

屈服ではない。

だが、相手を“ただの門番”とは見なくなった角度だった。


退出のために踵を返したその背に、ダンが小さくつぶやく。


「来ましたね。ほんとに」


「来たな」

匠一は言った。

「ここからは戦場じゃない。条文で殺す」


ポンが目を丸くする。

「言い方」


「でも合ってる」

クロが笑う。

「王のやり方を殺すんだろ」


「そうだ」

匠一は答えた。

「門で止めた。次は制度で止める」


使者の騎影が再び門を出ていく。

白布はまだ掲げられている。

だが今、その白は単なる停戦の印ではなかった。

遠征が、初めて自分の終わり方を探し始めた色だった。


ラスボラスゲートの上を、乾いた風が吹き抜ける。

王旗はまだ遠くにある。

軍もまだ残っている。

だが、戦いの形はもう変わっていた。


門を止めた次に来るのは、王の使者。

そして使者の次に来るのは、署名だ。


《爆炎》はようやく、マケドニア禍を“勝つ戦い”から“終わらせる戦い”へ移し始めていた。

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