オケアヌス・ブリタニクスゲート開通式
見難い火傷の子433
オケアヌス・ブリタニクスゲート開通式
深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
開通式の朝、海峡は珍しくよく晴れていた。
白亜の断崖の上に築かれた式典広場には、早朝から各国の旗が並び、
海からの風を受けて重たくはためいている。
眼下には、オケアヌス・ブリタニクスゲート。
ブリタニアとガリアを結ぶ巨大な門は、海峡の上にまっすぐ伸び、
朝の光を受けて鈍く白く輝いていた。
まだ新しい鉄の匂いがする。
石でも木でもない、時代そのものの匂いだった。
広場には各国の使節、商人、技術者、沿線都市の代表、
そして招待された一般客まで集まっている。
祝祭のざわめきはある。
だがその下には、誰もが理解している緊張もあった。
この門がただの建造物ではないことを、ここにいる者は皆知っている。
ダンは欄干から身を乗り出し、海峡の向こうを見た。
「……でかいっすね、やっぱり」
「書類で見てただろ」
隣で匠一が言う。
「見てましたけど、実物は別ですよ。
なんかもう、橋っていうか、時代そのものが通る道って感じで」
「だいたい合ってる」
匠一はそれだけ言って、式典導線の方へ視線を移した。
来賓席、警備配置、列車進入時刻、風向き、上空の飛行経路。
祝賀の朝でも、見ているものはいつも通りだった。
「見てくださいよ、あれ」
ダンが空を指す。
「ほんとにやるんですね、特別飛行演舞」
海峡上空、高度を取った青空の中に、小さな影がいくつも見えた。
やがてそれは編隊の形を取り、陽光を受けてきらめきながら旋回する。
ハーピーズ48特別飛行演舞。
ブリタニア王国がこの日のために招いた、祝祭飛行隊である。
海峡の風を読み、白亜の崖沿いの上昇気流を使って舞うその姿は、
単なる余興というより、新時代の空に捧げる祝詞のように見えた。
「風、少し強いですね」
キールが言う。
「崖沿いは持ち上がる。中央は流される」
匠一は短く答えた。
「先導隊、少し高めに取ったな。悪くない」
「そこ見るんだ……」
ダンが呆れたように笑う。
だが匠一にとっては、演舞もまた運用の一部だった。
列車進入と干渉せず、観客の視線を乱さず、事故も起こさない。
それで初めて、祝賀演出として成立する。
やがて式典開始を告げる鐘が鳴った。
ざわめきが静まり、広場の正面壇上へ視線が集まる。
ブリタニア王、ガリア側代表、鉄道国関係者、各国使節。
その中央に立ったブリタニア王は、海峡の門を背にして群衆を見渡した。
「本日、我らは一つの門が開く瞬間に立ち会う」
王の声は大きくない。
だが海風の中でも、不思議とよく通った。
「この門は、海峡を越えて物を運ぶための門である。
人を結び、交易を育て、飢えを減らし、時を縮める門である。
だが同時に、国の在り方を問い直す門でもある」
広場は静まり返っていた。
誰もが、その言葉の重みを理解している。
「ゆえに余は、ただ祝うだけではなく、見届ける。
何がこの門を通り、何がこの門によって変わるのかを」
王はそこで一度言葉を切り、海峡の彼方へ目を向けた。
その視線の先、ゲートのブリタニア側起点に、一両の小型機関車が待機している。
深い青の車体。
小柄だが、低く詰まった重心。
飾り気は薄いが、現場の手に馴染む顔つき。
トマスだった。
広場のあちこちで、ざわめきが起こる。
巨大な旗艦機ではない。
豪奢な王室専用列車でもない。
最初にこの門を渡るのは、ブリタニアの工廠で生まれた、小さな実務機だった。
王はその姿を見て、わずかに口元を緩めた。
「海峡を越える最初の車輪のひとつが、我が国の工廠で生まれたことを、余は喜ぶ」
その一言に、ブリタニア側の工廠関係者たちの顔が変わった。
誇りと緊張が、同時に走る。
「大いなる門は、それだけでは国を動かさぬ。
門を抜けた先で荷を運び、人を運び、日々を支える足があってこそ、
時代は初めて前へ進む。
ゆえに余は祝おう。ブリタニアの機関車トマス、その初通行を」
拍手が起こった。
最初は控えめに、やがて広場全体へ広がっていく。
工廠長は目を見開き、整備主任は腕を組んだまま鼻を鳴らし、
若い職工たちは顔を紅潮させていた。
エリス・ウェインは少し離れた位置で立ち尽くし、
その青い機体をまっすぐ見つめている。
匠一はその様子を見て、特に感慨を表に出さなかった。
ただ懐中時計を開き、時刻を確認する。
「定刻だ」
「それだけですか」
ダンが言う。
「遅れてないなら十分だ」
「いや、もっとこう……あるでしょ。感動とか」
「走ってからでいい」
その直後、開通の合図旗が振られた。
トマスの汽笛が、海峡へ向かって高く鳴る。
短く、だが芯のある音だった。
白い蒸気が立ちのぼり、朝の光の中で風にほどけていく。
ゆっくりと、トマスが動き出した。
最初の一回転。
次の一回転。
鉄輪が新しい軌道を噛み、海峡の上へ進み出す。
その後ろには、祝賀用に整えられた軽貨車と観測車が連なっていた。
見せびらかすための豪華列車ではない。
あくまで、この門が本来何のためにあるのかを示す編成だった。
「……いいっすね」
ダンがぽつりと言った。
「なんか、すごくいい」
「そうだな」
匠一は珍しく、すぐに否定しなかった。
トマスは海峡の上を進む。
白亜の崖を背に、青い海を下に、巨大な門の中央へ向かって。
その瞬間、上空で待機していたハーピーズ48が一斉に編隊を変えた。
空に花が咲くようだった。
先導隊が高く弧を描き、中央編隊が海峡の軸線に沿って流れる。
後続の隊が色布と発光粉を散らし、白と青と銀の軌跡が空に重なった。
歌うような飛翔音が風に乗り、海と崖と鉄の門を包み込む。
観衆が歓声を上げる。
トマスの汽笛。
群衆の拍手。
上空の飛行演舞。
海峡を渡る風。
そのすべてが重なり、オケアヌス・ブリタニクスゲートは、
ただ完成しただけの構造物ではなく、
本当に“開いた”のだと誰の目にもわかる瞬間になった。
王はその光景を見つめたまま、低く言った。
「警戒は消えぬ。だが、恐れて立ち止まる国に未来はない」
その言葉を、近くにいた重臣だけが聞いた。
そして誰も口を挟まなかった。
トマスはついに門の中央を越える。
海峡の真上。
ブリタニアとガリア、その間に横たわっていた隔たりの上を、
小さな青い機関車が、自分の仕事をするように淡々と走っていく。
匠一はその姿を見て、ようやく小さく言った。
「悪くない」
「出た」
ダンが笑う。
「最高評価だ」
「脱線してないからな」
「基準が現場すぎるんですよ」
だがその声も、今は祝祭の中に溶けていく。
海峡を越える最初の車輪。
それは兵でも王でもなく、一台の機関車だった。
ブリタニアの工廠で生まれ、現場に名を与えられ、
そして今、新しい門を最初に渡る足となった。
トマスが対岸へ近づくにつれ、拍手はさらに大きくなる。
ガリア側の観衆もまた、その小さな機関車へ惜しみない歓声を送っていた。
彼らも理解しているのだ。
今ここを渡っているのは、ただの一両ではない。
時代そのものの最初の足取りなのだと。
オケアヌス・ブリタニクスゲート開通式。
それは海峡に門が架かった日であると同時に、
ブリタニアの鉄が、自らの意志でその門を渡った日でもあった。
そして時代は、汽笛と歓声と飛翔の軌跡を残しながら、
もう後戻りのできない場所へと進み始めていた。




