鉄道国精鋭航空隊、削る砂嵐へ
見難い火傷の子401
鉄道国精鋭航空隊、削る砂嵐へ
深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
砂もまた例外ではなかった。
王都外縁の観測塔が最初に拾ったのは、嵐そのものの姿ではなく、風紋の消失だった。
砂海の表面を規則正しく走っていた巨大な波模様が、ある一線を境にふつりと途切れ、
その向こう側だけが鈍く白んで見えたのである。
遠眼鏡を覗いていた観測士は、最初それを陽炎の類だと思った。
だが次の瞬間、青銅の鏡板に似た観測盤の上で、外縁風速計の針が跳ね上がった。
遅れて、塔の外壁を叩く乾いた音が来た。
雨ではない。
砂だった。
しかも、ただ流れる砂ではない。
壁材を削り、硝子を曇らせ、露出した金具を白く摩耗させていく、刃のような砂であった。
王都上層軌道管理局では、最初の報は局地的な砂圧上昇として処理された。
砂漠側からの季節風に、塔間を抜ける下降流が重なっただけ。
通常部隊で十分対処可能。
そう判断した者たちは、
まだこの嵐が都市の機能そのものを削り落とす種類の災害であるとは理解していなかった。
だが、第二報、第三報と続くうちに、報告の質が変わり始める。
西塔域外縁信号機、視認不能。
保守通路第七節、外板損耗。
門間連絡索、振動過大。
停止車両一編成、乗客二十七名、換気効率低下。
通常救助艇一機、風防損傷により後退。
通信は短く、途切れがちで、どの声にも砂を噛んだようなざらつきが混じっていた。
その時点で、彼女はまだ格納庫にいた。
鉄道国精鋭航空チーム、通称ブルーシグナルの隊長ナブー・エテル。
出動待機のまま壁面図を見上げ、王都上空に重ねられた風向図と軌道網の変化を黙って追っていた。
誰よりも早く異常に気づいたのは、彼女が特別に勘が鋭かったからではない。
ただ、数字の乱れではなく、乱れ方の癖を知っていたからだ。
局地災害なら、障害は点で出る。
だが今、報告は線で潰れていた。
西から東へ、外縁から中層へ、削られたように順番に死んでいく。
これは事故ではない。
面で来る災害だ。
「通常隊、二番艇後退」
副隊長ベル・ザキルの声が背後で告げた。
彼女は振り返らない。
「理由」
「風防全面曇化。前方視界喪失。機首外板に研削痕。継続飛行は危険」
「三番艇は」
「第九保守梁で足止め。要救助信号あり」
「乗員数」
「二」
短い応答のあいだにも、壁面図の上では青い光点が一つ、また一つと黄変し、やがて赤に落ちていく。
通信可能、要支援、応答不安定。
色の意味は単純だったが、その単純さがかえって残酷だった。
彼女は数秒だけ目を閉じた。
閉じたところで、消えた光点が戻るわけではない。
「ブルーシグナル、出す」
副隊長ベル・ザキルが一拍置いた。「全機ですか」
「第一、第二。第三は後詰め。第四は地上待機。西塔域から門間軌道までを切る」
「了解」
命令は短く、声は平坦だった。
感情を抑えているというより、感情を挟む余地がなかった。
格納庫の防砂扉が開き始める。
外から吹き込んだ砂が床を走り、照明の下で白く光った。
整備員たちは顔布を押さえながら機体固定具を外し、搭乗員たちは無言で風防の縁を拭った。
拭ったそばから、細かな砂がまた薄く積もる。
誰もそれを無駄だとは言わない。
無駄でもやるしかない時がある。
彼女は搭乗前、最後に壁面図へ目を向けた。
停止車両一編成、乗客二十七。
保守通路第七節、作業員三。
通常隊三番艇、乗員二。
外縁歩廊、民間通行者不明数。
全部は拾えない。
その事実だけが、もうはっきりしていた。
副隊長ベル・ザキルがヘルメットを差し出す。
「優先順位を」
彼女は受け取りながら答えた。
「停止車両を最優先。次に保守通路。通常隊は生存信号が続く限り後順位で拾う」
「了解」
「外縁歩廊は」
「位置が散っています」
「切る。今は追うな」
副隊長ベル・ザキルは何も言わなかった。
ただ記録端末にその命令を打ち込み、各機へ送った。
切る。
たった二文字で済む命令だった。
だが、その二文字の向こうに何人いるのかを、彼女は考えないようにはできなかった。
考えれば遅れる。
遅れれば、もっと多くが落ちる。
発進した機体は、王都上空へ出た瞬間に嵐の質を知った。
砂は舞っているのではなかった。
流れていた。
巨大な生き物の群れのように、一定の層を保ったまま都市の輪郭に沿って走り、
塔の角で砕け、橋梁の腹を削り、露出した軌道桁を白く曇らせていく。
風防に当たる音は連続した雨音ではなく、無数の細い針で叩かれるような硬い擦過音だった。
視界は黄褐色に濁り、遠方の灯は滲み、信号の青でさえ砂膜の向こうで鈍く沈んで見えた。
「第一より隊長ナブー・エテル。西塔域進入。視界三割」
「第二、門間軌道へ。停止車両を取れ」
「了解」
「第三はまだ出すな。地上で待て」
「しかし」
「待て」
返答は短く切れた。
若い声だった。
出たいのだろう。
助けに行けるなら行きたいのだろう。
彼女にもその気持ちは分かった。
分かったうえで、出さない。
今この砂に機数を増やせば、救助対象ではなく損耗対象が増えるだけだ。
西塔域外縁に近づくにつれ、機体の振動が変わった。
乱流ではない。細かな衝撃が外板全体に散っている。
計器の端で、表層装甲の摩耗率がじわじわと上がっていく。
長くは保たない。
彼女は進路をわずかに下げ、塔の陰へ機体を滑り込ませた。
直撃を避けられる場所は限られている。
だが限られているからこそ、そこに救助対象も集まる。
「保守通路第七節、視認」
砂の幕の向こう、軌道梁に張り付くようにして設けられた細い保守路の一部が見えた。
外板は半ば剥がれ、手すりは片側が消えている。
三人いるはずの作業員のうち、見えるのは二人だけだった。
一人は通路支柱に命綱を巻きつけてうずくまり、もう一人は倒れたまま動かない。
「応答」
『……こちら、第七節……二名確認……一名、流された……』
「歩けるか」
『一名は……可能……もう一名は脚部損傷……』
彼女は一瞬だけ計器を見た。
後方では第二が停止車両へ接近中。
車内酸素残量は減り続けている。
通常隊三番艇の生存信号はまだ点いているが、弱い。
ここで時間をかければ、向こうが落ちる。
だがここを切れば、この二人も落ちる。
「第一、回収は一名ずつ。歩行可能者を先に上げろ」
『負傷者が先では』
「歩ける者を上げれば、次の一手が早い。従え」
『……了解』
命令を出した瞬間、喉の奥に砂とは別のざらつきが残った。
負傷者を後に回す。
理屈は正しい。
だが正しいことと、楽に言えることは違う。
彼女は機体を通路の陰へ寄せ、回収索を下ろした。
歩ける作業員がよろめきながら索にしがみつく。
引き上げる。
次だ。
だがその時、通信に別の声が割り込んだ。
『第二より! 停止車両、扉変形! 一括回収不可、車内から順次移送に切り替える!』
「残数」
『二十七、うち幼体四!』
「換気」
『悪化中!』
幼体。
彼女の視線が一瞬だけ止まる。
止まったのは感情のためではない。
優先順位が再計算されたからだ。
多数、閉鎖空間、換気低下、幼体含む。
最優先は変わらない。
変えられない。
「第一、負傷者は固定だけして離脱。第二支援へ回れ」
『まだ一名残っています!』
「固定しろ。生存信号を残せ。今は車両だ」
『隊長ナブー・エテル!』
「命令だ」
その一言で、通信は凍った。
反論の余地を与えない声だった。
彼女自身、その声がどれほど冷たく聞こえたかを理解していた。
理解していて、なおそうするしかなかった。
負傷した作業員の荒い呼吸が短く通信に乗り、それが砂音に掻き消される。
彼女はそれを聞いた。
聞いて、切った。
第二が停止車両の側面に機体を寄せ、緊急搬送口をこじ開ける映像が共有回線に流れる。
車内は薄暗く、乗客たちは顔布や衣服で口元を覆い、互いに身を寄せ合っていた。
幼い者を抱えた大人、座席に伏した老人、窓の曇りを拭こうとして無駄に終わった手の跡。
彼女はその映像を見ながら、同時に通常隊三番艇の信号が一段階弱まるのを確認した。
『三番艇より……こちら……第九保守梁……風防喪失……帰投困難……』 若い男の声だった。
息が荒い。
背後で警報が鳴っている。
『民間二名、保護済み……だが……』 通信が砂に削られるように途切れる。
副隊長ベル・ザキルが別回線で言った。
「三番艇、今ならまだ拾えます」
彼女は答えなかった。
答える前に、停止車両からの搬送人数を数えた。
三。
四。
まだ足りない。
保守通路の負傷者は固定済みだが、長くは保たない。
三番艇は仲間だ。
だが仲間だから優先するわけにはいかない。
優先してはいけない立場に、彼女はいる。
「第二、搬送継続。第一は車両支援。私は三番艇へ寄る」 副隊長ベル・ザキルが息を呑む気配がした。
「隊長ナブー・エテル」
「拾えるなら拾う。だが民間優先は変えない」
「了解」
機体を反転させた瞬間、塔間風が横腹を打った。
砂の層が一段濃くなる。
風防の表面に走る細かな傷が、外光を乱反射させて視界をさらに悪くした。
彼女は計器飛行に切り替え、信号の残滓だけを追って第九保守梁へ向かう。
そこにあったのは、半ば削られた梁の陰に身を寄せる通常隊三番艇と、
その脇にうずくまる二人の民間人だった。
三番艇の風防は失われ、操縦席の乗員は顔布を血で濡らしていた。
『……来るな、隊長ナブー・エテル』 通信機越しの声は掠れていた。
『こっちは……まだ持つ。先に車両を』
「黙れ。生存者は拾う」
『だったら民間を先に』
彼女は返事をしなかった。
その必要がなかったからだ。
回収索はすでに民間人へ向けて下りている。
三番艇の乗員はそれを見て、短く笑ったようだった。
砂で歪んだ映像の中で、その表情はよく分からない。
ただ、彼もまた優先順位を理解していた。
理解しているからこそ、言えるのだ。
民間人二名を引き上げる。
次に三番艇の後席乗員。
前席の操縦士は最後だ。
最後にしたのは、彼が一番長く持つと判断したからだった。
だが、その判断が正しかったかどうかを確かめる時間はなかった。
停止車両の残数はまだ多い。
保守通路の負傷者の信号は細い。
外縁歩廊からの断続的な救難発信は、すでに半分以上が消えていた。
嵐が王都を横断しきるまでの時間は、記録上では四十七分だった。
だが彼女にとってそれは、順番を切り続けた四十七分でしかなかった。
誰を先に上げるか。誰を固定だけして残すか。
どの機をどこへ回すか。
どこを切るか。
どの声に応じ、どの声を後にするか。
そのすべてを彼女は自分の口で命じ、そのたびに一つずつ何かを内側へ沈めていった。
やがて砂圧が落ち始め、塔の輪郭がぼんやりと戻り、
王都上空に鈍い夕光が差した時、ブルーシグナルの機体は一機ずつ格納庫へ帰ってきた。
外板は白く曇り、風防には無数の細傷が走り、回収索にはまだ砂がこびりついていた。
整備員たちが駆け寄り、医務官が待機し、報告端末が次々に差し出される。
彼女は着地の衝撃が完全に消える前に拘束具を外したが、立ち上がった瞬間、足元がわずかに揺れた。
疲労ではない。
まだ身体のどこかが、あの砂の流れの中にいる。
「隊長ナブー・エテル、医務室へ」 副隊長ベル・ザキルの声はいつも通り事務的だった。
「後でいい」
「駄目です。吸入、角膜、聴覚、全部見ます」
「報告が先だ」
「報告は私がまとめます」
彼女はそこで初めて副隊長ベル・ザキルを見た。
相手は視線を逸らさなかった。
慰めも同情もない。
ただ、ここで止めると決めた者の顔だった。
彼女は何か言おうとして、やめた。
代わりにヘルメットを外す。
内側からこぼれた砂が床に落ち、乾いた音を立てた。
その小さな音に、胸の奥がひどく冷えた。
助かった者の数は報告書に残る。
助からなかった者の数も残る。
だが、どの順番で切ったかは、彼女の中にしか残らない。
保守通路で後に回した負傷者。
外縁歩廊で追わなかった発信。
停止車両の幼体を先に抱き上げた隊員の腕。
三番艇の操縦士が最後に見せた、砂に削られた笑いのようなもの。
彼女はそれらを忘れないだろう。
忘れないまま、次の出動にも立つのだろう。
彼女は、傷つかないから強いのではない。
命の重さを知っているからこそ、救えなかった者を切り捨てず、
自分の内に抱えたまま立ち続けることができる。
失われるものの痛みを理解し、それでもなお次に救うべき命のために判断を下し、前へ進む。
その強さは、感情を持たない冷たさではなく、傷つくことを引き受けたうえで責任を果たす意志にある。
彼女は壊れないのではない。
壊れたものを抱えたまま、なお指揮を執れる人間なのだ。
その日、王都の軌道は辛うじて落ちなかった。
だが、削られたのは設備だけではなかった。
砂嵐は青銅の梁を削り、硝子を曇らせ、信号を潰し、
そして一人の隊長ナブー・エテルの内側にも、目には見えない細かな傷を無数に刻みつけて去っていった。




