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見難い火傷の子  作者: 清風
377/542

鉄道国物語(匠一篇 ジブラルタルの怪物:シーサーペント)

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子377




鉄道国物語(匠一篇 ジブラルタルの怪物:シーサーペント)




深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


怪物という言葉は、たいてい陸で暮らす者が先に使う。


海で食っている者は、

もっと細かい名前で呼ぶ。

獲れる、

逃がした、

船腹を擦った、

網を裂いた、

脂が乗っていた、

骨が高く売れた、

今季は沖へ寄りすぎた。

そういう細かい勘定の積み重ねを、

陸の者はまとめて怪物と呼ぶ。


ジブラルタルでシーサーペントが獲れること自体は、

別に新しい話ではなかった。

この海峡は、

昔から境目の海だった。

潮がぶつかる。

風が変わる。

国が向かい合う。

海運が交差する。

そしてこの世界では、

現実と異界まで擦れ合う。

境目が多い場所には、

たいてい境目の生き物が出る。

シーサーペントもその一つだった。


長い胴、

硬い鱗、

水を裂く首、

時に船より先に潮を読む目。

陸の絵師は、

こういうものを描く時、

だいたい必要以上に恐ろしく描く。

牙を増やし、

目を光らせ、

尾を大げさに曲げる。

だが実物は、

もっと面倒な生き物だった。

恐ろしいだけなら話は早い。

厄介なのは、

危険で、

高く売れて、

しかも海峡の勘定に組み込まれていることだ。


肉は食える。

脂は灯にも薬にもなる。

皮は防水に向く。

骨は細工物にも武具材にもなる。

血や内臓まで捨てるところが少ない。

だから海峡の港では、

シーサーペントは災害であると同時に資源だった。

船を沈めることもある。

だが港を潤すこともある。

そういうものは、

たいてい長く生き残る。

人間が完全に嫌わないからだ。


ジブラルタルゲートの工事が始まる前から、

海峡の漁民と小船主は

季節ごとの蛇の寄り方を見ていた。

今年は北へ寄る、

今年は南へ深い、

若いのが多い、

大物が沖を回る。

そういう話は、

役人の海図よりよほど当たることがある。

海で長く食ってきた者は、

海そのものより、

海で起きる癖を覚える。

それは軍人より強い。


ただし、

強いからといって、

国家の都合と噛み合うとは限らない。


ジブラルタルゲート着工以後、

海峡の意味は変わった。

船だけが通る場所ではなくなった。

鉄道が海峡の遅さを削り、

港の勘定を書き換え、

海軍と沿岸警備が海の見方まで変え始めた。

そうなると、

シーサーペントもまた、

ただの海の怪物では済まなくなる。

航路安全の問題になり、

資源管理の問題になり、

海軍任務の一部になる。

怪物は、

国家が本気で海を使い始めると、

たいてい帳面の中へ入れられる。


鉄道国海軍が創設された時、

任務は最初から二つあった。

一つは人間相手の仕事。

輸送路防衛、

資材船護衛、

妨害船の追跡、

沿岸警備との連携。

もう一つは、

海そのものが寄越す面倒の処理だった。

その中で一番値がつき、

一番死人も出しやすいのが、

シーサーペントだった。


海軍は戦争のためだけの船ではなかった。

少なくとも鉄道国ではそうだ。

海峡の秩序を維持するなら、

相手が敵船だけで済むと思うほうが甘い。

灯を消した小舟も追う。

密輸船も止める。

資材船も護る。

そして必要なら、

航路へ寄りすぎたシーサーペントも獲る。

海軍が漁をするのではない。

海の面倒を引き受けた結果、

漁まで抱え込むだけだ。


最初に海軍の捕獲報告を見た時、

私は少しだけ昔を思い出した。

別の海、

別の国、

別の時代。

そこでも結局、

輸送路を守る船は

人間だけでなく海の怪物まで相手にしていた。

土地が違っても、

面倒の順番はあまり変わらない。

国はたいてい、

必要に追われてからしか船を持たず、

船を持てば、

今度は海そのものの癖まで管理し始める。


ジブラルタルのシーサーペント漁は、

昔から荒っぽかった。

小舟で寄せ、

銛を打ち、

曳き、

疲れさせ、

最後は何人かが怪我をする。

そういう種類の仕事だった。

勇ましいと言えば聞こえはいい。

だが実際には、

毎年誰かが帰らず、

帰っても腕や脚を悪くし、

それでも高く売れるから続く。

海の高値品は、

だいたいそういう顔をしている。


鉄道国海軍がそこへ入ると、

やり方が少し変わった。

艦は大きくなり、

曳索は太くなり、

見張りは増え、

出没海域の記録が残るようになった。

捕獲は少しだけ安全になり、

少しだけ効率が上がった。

そのかわり、

昔ながらの漁民は嫌がった。

国家が海へ入ってくる時、

たいてい最初に削られるのは

土地の勘と勝手だからだ。


「海軍に蛇まで獲らせるのか」

と港の古株が吐き捨てたことがある。

私はその時、

別に言い返さなかった。

気持ちはわかる。

海峡で食ってきた者から見れば、

鉄道は遅さを殺し、

沿岸警備は曖昧さを殺し、

海軍は最後に海の勝手まで殺しに来る。

そう見えるだろう。

実際、その通りの部分もある。


だが同時に、

海軍がいなければ

航路へ寄った大物を誰が処理するのか、

資材船を誰が護るのか、

漁船が襲われた時に誰が助けるのか、

という話もある。

海峡で生きる者にとって、

鉄道国海軍は厄介だった。

商売を締めつけ、

勝手を奪い、

海の作法を書き換える。

だが同時に、

略奪者も、

怪物も、

海が寄越す面倒も引き受ける。

敵であり、

守り手でもある。

そういうものは、

だいたい長く嫌われ、

長く必要とされる。


シーサーペントが本当に怪物らしく見えるのは、

海の上より、

むしろ港へ揚がった後かもしれない。

長い胴が解体台に載り、

鱗が剥がれ、

脂が桶へ落ち、

骨が並べられ、

肉が部位ごとに分けられる。

海で見れば災厄だが、

港で見れば勘定になる。

人間はそういう生き物だ。

怖がるものほど、

うまく切り分けられれば売り物にする。


ジブラルタル駅で売られる

シーサーペント寿司も、

そういう勘定の末に生まれた。

もとは港の荒っぽい食い方だった。

脂の強い身を酢で締め、

押し固め、

持ち歩けるようにする。

海の仕事は、

うまいものより先に傷まないものを求める。

だが鉄道が通り、

駅ができ、

旅人が増えると、

その荒っぽい食い物は

名物という顔を持ち始めた。

今ではジブラルタル駅弁の人気商品だ。

旅人は喜んで買う。

海峡で誰が怪我をして獲ったかまでは、

たいてい考えない。

それも別に悪いことではない。

設備というものは、

最後にはだいたい、

苦労を見えにくくして売れる形にする。


私は一度、

駅でその寿司を買って食べたことがある。

酢が強すぎず、

脂もくどすぎず、

よくできていた。

「悪くない」

とだけ言ったら、

売り子が少し得意そうな顔をした。

ああいう顔は嫌いではない。

設備が本当に土地へ根を張るのは、

役人の祝辞より、

ああいう顔が増えた時だ。


怪物という言葉は、たいてい陸で暮らす者が先に使う。

海で食っている者は、

もっと細かい名前で呼ぶ。

獲れる、

逃がした、

網を裂いた、

脂が高い、

今季は南へ寄った。

そういう細かい勘定の積み重ねが、

港を作り、

海軍を作り、

駅弁まで作る。

怪物は恐怖だけでは長く残らない。

利益と面倒の両方を持っているから、

人間の側が勝手に生活へ組み込む。


ジブラルタルの怪物、シーサーペント。

帳面にはそう書ける。

だが私の頭の中では、別の言い方をしていた。


あれは海の災厄ではない。

海峡という境目が、

人間に寄越してくる利益付きの面倒だった。

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