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見難い火傷の子  作者: 清風
375/547

鉄道国物語(匠一篇 ジブラルタルゲート開通)

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子375




鉄道国物語(匠一篇 ジブラルタルゲート開通)




深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


開通という言葉は、たいてい完成より先に祝われる。


役人は式次第を作り、

軍は警備計画を引き、

商人はまだ通ってもいない荷の値を先に付ける。

新聞は地図を描き直し、

港は客の減り方を勘定し、

宿は次の冬の空き部屋を思う。

設備が本当に働き始める前から、

人は結果だけを先に祝う。

だが作る側にとって、

開通は完成ではない。

壊れずに動き、

止まるべき時に止まり、

余計なものを巻き込まずに済んで、

ようやく設備は設備になる。

祝辞はそのあとでいい。


ジブラルタルゲートの開通式は、

着工時よりずっと人が多く、

そのぶんずっと信用ならなかった。


北岸坑門の前には仮設の壇が組まれ、

各国の旗が風に鳴っていた。

風は相変わらず強い。

この海峡は、

人が何を祝おうが祝うまいが、

同じ顔で吹く。

そういうところは嫌いではない。

人間の都合に付き合わない地形は、

少なくとも媚びない。


坑門は地形に馴染ませてある。

見せびらかすための門ではない。

岩肌を切り、

緩く沈み、

短い地中通路へ入る。

起動していなければ、

ただ潜って、ただ出る。

起動している時だけ、

通過結果が対応先へ切り替わる。

海峡の下を長く走るわけではない。

だが利用者に残るのは、

海を越えたという結果だけだ。

技術というものは、

時々、正確な説明より便利な誤解のほうが

長く生きる。


開通前の最終確認は、

祝辞より先に済ませた。

起動系、

切替系、

非起動時の通常通過、

異常時の通常側復帰、

編成分断防止、

坑内排水、

保守動線、

外周警備。

どれか一つでも甘ければ、

開通式はただの見世物になる。

私は見世物のために門を売った覚えはない。


サディクは前夜からほとんど寝ていない顔をしていた。

それでも帳面は揃っている。

ああいう人間が一人いると、

設備は祝辞の重さで潰れずに済む。


「北岸側、最終確認完了です」

「南岸は」

「三刻前に完了。

沿岸警備と海軍の外周配置も予定通りです」

「予定通りほど信用ならん言葉もない」

「承知しています」


彼は疲れていたが、

返事は鈍っていなかった。

使える。


海軍の初期艦隊は、

式典の主役ではない顔で沖に出ていた。

それでいい。

あれは祝われるための船ではない。

資材船を護り、

小舟を追い、

灯を消す船を見失わないための船だ。

だが今日は、

開通式そのものを壊させないためにも要る。

便利さを祝う日には、

便利さを嫌う者もまたよく動く。


実際、

前日までに嫌がらせはいくつかあった。

港で流れる噂、

工区外で見つかる切断索、

招待客の馬車に投げ込まれた脅し文、

沖で灯を消す小舟。

どれも開通を止めるには足りない。

だが“止められるかもしれない”と思わせるには十分だ。

紛争というものは、

最後まで現場の神経を削る。

開通前夜だから静かになる、

などという都合のいい話はない。


私は式典の壇を遠目に見ながら、

坑門脇の保守通路を歩いた。

役人の声が風に千切れて聞こえる。

祝辞の文句はだいたい似ている。

未来、繁栄、友好、

新時代、連結、発展。

間違ってはいない。

だが、そういう言葉は

設備が人をこぼす時の音を消しやすい。

私はあまり信用していない。


開通式には、

港湾代表も来ていた。

着工時には露骨に嫌な顔をしていた連中だ。

今も本心では歓迎していないだろう。

だが来る。

来ないと、

次の勘定に入れなくなるからだ。

人は嫌いな未来でも、

儲けの匂いがすれば席だけは取る。

それは別に悪いことではない。

むしろ健全だ。

本当に面倒なのは、

嫌っているくせに勘定もせず、

壊すことだけ考える者のほうだ。


式の前に、

エルナンが軍服の襟を正しながら近づいてきた。

相変わらず靴がよく磨かれている。

現場の泥を嫌う男だが、

最近は少しだけ泥の値段を覚えた顔をしていた。


「本日、無事に終わるとよいのですが」

「終わるだろう」

私は答えた。

「無事かどうかは知らん」


彼は苦笑した。

「縁起でもない」

「縁起で設備は動かん」

「祝辞の前に言う言葉ではありませんね」

「だから壇に上がらん」


彼は肩をすくめた。

以前よりは、

私の言い方に腹を立てなくなっていた。

現場を一度でも長く見た人間は、

たいてい少しだけ祝辞を信用しなくなる。


最初の通過は、

儀礼用に短く組んだ試験編成だった。

客車ではない。

見栄えより確認を優先した。

役人は本当は飾りのついた列車を通したがったが、

断った。

最初に通すべきなのは、

祝われる列車ではなく、

壊れた時に困り方がよく見える列車だ。


起動前、

坑門前の空気が少しだけ張った。

人が多い場所では、

沈黙はかえって目立つ。

風の音、

旗の鳴る音、

遠くの波、

機関の低い唸り。

国境駅の夜に似ていた。

国境は昼より夜のほうが見えると思ったが、

開通もまた、

祝辞より沈黙のほうに本当の顔が出る。


「起動準備」

サディクの声が短く飛ぶ。

確認が返る。

切替系正常。

坑内正常。

南岸側応答正常。

外周異常なし。

異常なし、という言葉は好きではない。

異常が見えていないだけかもしれないからだ。

だが今は進めるしかない。


「起動」


列車がゆっくりと沈み、

坑門へ入る。

短い地中通路。

見ている側には、

ただ列車が岩の中へ消えたようにしか見えない。

だがその短い見えなさの間に、

海峡は運用上、短くされる。

長い海を、

短い結果へ折りたたむ。

門というものは、

だいたいそういう厚かましい装置だ。


数瞬ののち、

南岸側から通過完了の報が入った。

編成正常。

切替正常。

通常側復帰正常。

遅延なし。


壇のほうで歓声が上がった。

旗が揺れ、

役人が笑い、

誰かが拍手を始める。

私はその音を聞きながら、

ようやく一つ息を吐いた。

成功した。

少なくとも今この一回は。

設備にとって大事なのは、

一回目の成功そのものより、

一回目の成功で人が油断しすぎないことだ。

だがその願いは、

たいてい叶わない。


「お見事です」

サディクが言った。

「まだ早い」

「一応は」

「一応で祝うな」

「皆、もう祝っています」

「だろうな」


私は壇のほうを見た。

祝辞は続いている。

海峡の新時代、

物流の革新、

諸国の友誼。

どれも間違いではない。

だが、間違いでない言葉ほど、

こぼれる側の顔を見えにくくする。


この門が開けば、

助かる荷がある。

早く届く染料、

腐らずに済む食料、

季節を外さず売れる品、

途中で足止めされずに済む旅人。

その一方で、

途中で食ってきた町は痩せる。

風待ち宿は空き、

積み替えの人足は減り、

海峡の遅さに値をつけてきた者は困る。

便利さは、

いつも誰かの遅さを殺して進む。

それはラスボラスでも同じだったし、

ここでも変わらない。


違うのは、

ここではその便利さを守るために

海の上の手まで要ったことだ。

沿岸警備、

海軍、

護衛、

見張り、

検分。

門一つ開けるのに、

人はずいぶん多くのものを後から足す。

設備は単独では完成しない。

それを使い続けるための面倒まで含めて、

ようやく一つの開通になる。


式の終わり際、

沖の警戒艦から短い信号が入った。

不審船一、

接近後離脱。

私はそれを聞いて、

少しだけ笑った。

実に開通日らしい。

祝う者がいれば、

壊したがる者もいる。

設備が本当に働き始めた証拠としては、

むしろ正直なくらいだった。


エルナンがその報を聞いて顔をしかめた。

「やはり海軍は必要でしたね」

「必要だったろう」

私は答えた。

「だが喜ぶな。

必要な軍備は、

必要になった時点で半分負けている」


彼は少し黙った。

意味がわかったのか、

わからなかったのかは知らない。

だが別に構わない。

わかる者だけが、

次の面倒を少し早く怖がればいい。


夕方、

式典の壇が片づき始める頃、

私はもう一度坑門を見た。

岩肌に馴染んだ口、

緩い勾配、

保守通路、

見張りの影。

見た目は静かだ。

だが静かな設備ほど、

裏で多くの手間を食っている。

人は完成したものを見る。

作る側は、

壊さずに済ませるための手間を見る。

その違いは、

たぶん最後まで埋まらない。


開通という言葉は、たいてい完成より先に祝われる。

だが本当の開通は、

最初の列車が通った瞬間ではなく、

二本目も三本目も、

止まるべき時に止まり、

壊したがる者に壊されず、

助かる者と困る者の両方を抱えたまま、

それでも運用が続いていく時にしか来ない。

設備は祝辞で完成しない。

面倒を引き受け続けることでしか、

設備にはなれない。


ジブラルタルゲート開通。

帳面にはそう書ける。

だが私の頭の中では、別の言い方をしていた。


あれは門が開いた日ではない。

海峡を短くした結果に、

国も港も軍も商人も、

それぞれ自分の面倒を引き受け始めた最初の日だった。

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