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見難い火傷の子  作者: 清風
371/563

鉄道国物語(国境駅夜話)

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子371




鉄道国物語(国境駅夜話)




深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


国境というものは、昼より夜のほうがよく見える。


昼は人が多い。

荷が動き、役人が歩き、

商人が声を張り、

兵が立っている。

誰もが国境を仕事として扱う。

だが夜になると、

仕事の顔をしていたものが少し剥がれる。

灯りの届く範囲だけが国になり、

その外は急に曖昧になる。

私はその曖昧さが嫌いではない。


ラスボラスゲートの開通からしばらくして、

私は国境駅で一夜を明かすことになった。

予定していた南行きの接続貨車が遅れ、

次の編成は夜明け前まで出ない。

宿を取るほどでもない。

駅の控え室で椅子を借り、

ぬるい茶でも飲んで待てば済む。

そういう半端な時間だった。


国境駅というのは妙な場所だ。

通過する者にとっては途中でしかないのに、

途中であることそのものが商売になる。

切符を確かめる者、

荷札を書き換える者、

通行証の印を数える者、

積み替えの順番で怒鳴る者。

国境は線ではなく、

手間の集まりだ。


夜の駅舎には、

その手間の残り香みたいなものが漂っていた。

油、煤、濡れた木、

冷めたスープ、

人が長く座った椅子の布の匂い。

私はそういう匂いを嗅ぐと、

だいたい少し安心する。

人が働いた場所は、

完全には静かにならない。

その静かになりきらなさが、

夜を持たせる。


控え室には私のほかに四人いた。

帳場の若い駅員、

夜警の老兵、

南から来たらしい女商人、

それに、どこの国の訛りともつかない言葉で

独り言を言う痩せた男。

国境駅の夜としては、

むしろ整いすぎている顔ぶれだった。


若い駅員は、

帳簿を閉じてもまだ指先だけ仕事をしているような男だった。

紙の端を揃え、

インク壺の位置を直し、

誰も見ていないのに札の向きを揃える。

ああいう人間がいると、

駅は夜のうちに崩れずに済む。


老兵は暖炉のそばに座り、

片膝をさすっていた。

古傷だろう。

兵の古傷は、

だいたい天気と夜更けに口数が増える。

女商人は荷鞄を足に挟み、

眠る気はあるが眠る気を見せたくない顔をしていた。

痩せた男は窓の外を見ながら、

時々だけ笑った。

ああいう笑い方をする人間は、

たいてい少し遠くまで壊れている。


最初に口を開いたのは老兵だった。

「今夜は静かだ」

駅員が帳簿から目を上げずに答える。

「静かな夜ほど、朝に面倒が残ります」

「若いな」

「よく言われます」


女商人が鼻で笑った。

「面倒が朝に残らない夜なんてあるのかい」

「ありません」

駅員は即答した。

「だから静かなうちに帳尻を合わせます」


私は茶をすすりながら、

そのやり取りを聞いていた。

国境駅の夜は、

こういうどうでもいい会話から始まる。

どうでもいいことを話せるうちは、

まだ誰も本当に困っていない。


しばらくして、

外で貨車の連結音がした。

鈍い衝撃が床を伝う。

痩せた男が窓の外を見たまま言った。

「国境ってのは、音でできてるな」


誰もすぐには返事をしなかった。

変なことを言う男だった。

だが変なことほど、

夜には少しだけ本当らしく聞こえる。


「音?」

私が聞くと、

男は肩をすくめた。

「昼は旗とか印とか、そういうもので国境を見せるだろ。

でも夜は見えない。

だから音だけ残る。

連結の音、靴音、呼び止める声、

通していい荷と駄目な荷を分ける声。

ああいうので、ここから先は別だってわかる」


女商人が言った。

「詩人かい」

「まさか」

男は笑った。

「通される側だよ」


その言い方が少し気に入った。

通す側ではなく、通される側。

国境の本質は、

たぶんそちらに近い。

線を引く者より、

その線の前で待たされる者のほうが、

国境をよく覚える。


老兵が膝をさすりながら言った。

「昔はもっと面倒だった」

「昔は何でももっと面倒でしょう」

女商人が返す。

「違いない」

老兵は笑った。

「だが本当に面倒だった。

紙は足りん、印は違う、

役人は昼で帰る、

夜に着いた荷は朝まで腐る。

今は線路があるだけましだ」


駅員が小さくうなずいた。

「ラスボラスが開いてから、南回りの荷はかなり変わりました」

「儲かるかい」

女商人が聞く。

「儲かる人は儲かります」

「嫌な言い方だね」

「本当の言い方です」


私は少し笑った。

若いのに、よくわかっている。

便利さは全員を同じようには助けない。

早く着く荷が増えれば、

途中で食っていた町は痩せる。

国境駅だって例外ではない。

通過が早くなれば、

途中の商売は減る。

便利さは、

遅さに寄りかかっていた仕事から先に削る。


女商人は鞄の留め具をいじりながら言った。

「私は助かってるよ。

南の染料が早く届く。

季節を外さずに売れる。

遅れたら値が死ぬ荷ってのはあるからね」

「そのぶん、途中の宿は泣いてるでしょう」

と私が言うと、

女商人は肩をすくめた。

「泣くさ。

でも私が泣くよりはましだ」


正直でよろしい。

商売人はそのくらいでいい。

皆が得をする便利さなど、

たいてい役人の祝辞の中にしかない。


痩せた男がまた窓の外を見た。

「それでも、人は越えたがる」

「何を」

駅員が聞く。

「国境を」

男は言った。

「得になるから越える。

食うために越える。

追われて越える。

飽きたから越える。

理由は何でもいい。

でも一度越えると、

次からは線そのものより、

越える時の顔つきを覚えるようになる」


老兵が鼻を鳴らした。

「面倒な顔つきだろう」

「だいたいは」

男は笑った。

「通してくれるか、止められるか、

その半歩手前の顔だ」


私はその言葉を聞いて、

少しだけ昔を思い出した。

国境の前で待つ顔。

書類を出す手。

余計なことを言わないようにする喉。

人は国境を越える時、

自分が何者かより、

何者に見えるかを気にする。

あれはあまり気分のいいものではない。


駅員が帳簿を閉じた。

「私は越えたことがありません」

それは少し意外だった。

国境駅で働く人間は、

一度くらい向こうへ行っていそうなものだ。


「行きたくならないのか」

私が聞くと、

駅員は少し考えてから答えた。

「なります。

でも、ここにいると、

越える人の顔を毎日見ます。

それで何となく、

向こうにも同じような帳場と同じような夜があるんだろうと思ってしまう。

そう思うと、急いで見に行く理由が薄れます」


老兵が笑った。

「若いくせに枯れてるな」

「褒め言葉として受け取っておきます」

「褒めてない」


女商人が欠伸を噛み殺した。

「向こうに同じ夜があるとしても、

値段は違うよ」

「それはそうでしょうね」

「だから私は越える」

「健全です」

「生きるってのはだいたい健全じゃないよ」


それも本当だった。

健全という言葉は、

だいたい余裕のある側が使う。

食うために動く時、

人はもっと雑な理由で十分だ。


夜が深くなるにつれ、

会話は途切れたり戻ったりした。

外では時々、

機関車の蒸気が低く鳴る。

遠くで犬が吠える。

風が駅舎の隙間を鳴らす。

国境駅の夜は、

完全には眠らない。

眠らないが、

起きてもいない。

その半端さが、

妙に人を正直にする。


痩せた男が不意に言った。

「国ってのは、

人を守るためにあるんだろうな」

誰もすぐには答えなかった。

こういう問いは、

夜更けに出ると少し重い。


やがて老兵が言った。

「守るさ」

女商人が続ける。

「選びもする」

駅員が静かに言う。

「数えもします」


私は最後に言った。

「こぼしもする」


暖炉の火が小さく鳴った。

誰も反論しなかった。

国境駅にいると、

そのくらいのことは皆知る。

通す者、止める者、

待つ者、戻される者。

国は守る。

だが同時に選ぶ。

抱える。

だが同時にこぼす。

そのこぼれた側の話が、

夜には昼よりよく聞こえる。


女商人が立ち上がり、

肩を回した。

「嫌な話になったね」

「夜ですから」

駅員が言う。

「夜のせいにするには、

少し本当すぎるよ」


それからしばらくして、

夜明け前の編成準備が始まった。

控え室の空気が、

雑談から仕事へ戻っていく。

札が動き、

靴音が増え、

誰かが名前を呼ぶ。

国境はまた、

曖昧な夜から手続きの朝へ戻る。


私は立ち上がり、

冷めた茶を飲み干した。

窓の外はまだ暗い。

だが暗いままでも、

列車は出る。

そういうところが好きだった。

朝を待たずに動くものは、

少しだけ信用できる。


国境というものは、昼より夜のほうがよく見える。

昼は制度として見える。

夜は、人の顔つきとして見える。

通す顔、止める顔、

待つ顔、諦める顔、

それでも次の列車を待つ顔。

国境は線ではない。

その顔つきの集まりだ。


国境駅夜話。

帳面にはそう書ける。

だが私の頭の中では、別の言い方をしていた。


あれは夜話ではない。

国というものが、

昼の旗や印を脱いだあとで、

まだ何をしているかを確かめるための、

少し長い居残りだった。

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