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見難い火傷の子  作者: 清風
369/598

鉄道国物語(亡命者のひとりごと)

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子369




鉄道国物語(亡命者のひとりごと)




深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


亡命という言葉は、立派に聞こえる時がある。

だが実際には、立派さより先に、置いてきたものの数で重くなる。


国を捨てたのかと聞かれれば、

半分はそうだと答えるしかない。

国に捨てられたのかと聞かれれば、

それも半分はそうだろう。

人が国を離れる時というのは、たいてい片側だけの話では済まない。


私は鉄道国の生まれではない。

海の向こう、もっと風の乾いた土地で育った。

石の白い町で、冬になると水瓶の縁が朝だけ薄く凍る。

子供の頃は、その薄氷を指で割るのが好きだった。

割れると、下にまだ水がある。

世界というものは、見えている表面のすぐ下に別の顔があるのだと、

あの頃から何となく思っていた。


そんなことを思ったからといって、

賢い子供だったわけではない。

腹が減れば機嫌が悪くなったし、

殴られれば泣いた。

ただ、物の仕組みを見るのは好きだった。

井戸の釣瓶、荷車の軸、門の蝶番、

壊れたものを直す職人の手つき。

人は言葉で嘘をつくが、

道具は壊れ方でしか嘘をつけない。

そこが好きだった。


最初に国を出たのは、追われたからではない。

食えたからだ。

若い頃の移動理由など、だいたいその程度で十分だ。

港へ行けば仕事があると聞き、

船に乗れば別の町があると知り、

別の町へ行けば、また別の壊れ方をする道具がある。

それで十分だった。


だが、移動を繰り返しているうちに、

人はだんだん、自分がどこに属しているのかを

説明しづらくなる。

生まれた土地の言葉は残る。

だが訛りは薄れる。

昔は当たり前だった食べ物が、

いつの間にか懐かしいものに変わる。

帰れる場所がなくなるのではない。

帰っても、前と同じ顔では迎えられなくなる。


それでも私は、長いこと、

自分を亡命者だとは思っていなかった。

流れているだけだと思っていた。

流れて、働いて、食って、寝る。

国境は役人にとって大事でも、

日銭で生きる人間には、

越える時に面倒な線でしかない。


亡命者になったのは、

紙にそう書かれた日からだ。


紙というものは不思議だ。

昨日まで雇い人だった男を、

今日から異邦人に変える。

昨日まで通行証だったものを、

今日から監視対象の印に変える。

人の身の上は、案外、紙の都合で決まる。


私がいた国では、その頃、

役人が急に未来を怖がり始めていた。

新しい輸送路、外から入る技術、

国境をまたいで動く商人、

そういうものを便利だと言っていた口で、

今度は危ないと言い始めた。

便利さを欲しがるのも国なら、

便利さに怯えるのもまた国だ。

どちらも珍しくはない。


珍しくなかったが、

巻き込まれる側にとっては、

珍しくないことなど慰めにならない。


私はある工区で働いていた。

大した地位ではない。

図面の端を読み、

荷の数を合わせ、

現場の人間が余計な怪我をしないように

怒鳴る程度の役だ。

そういう役は、上から見ればいくらでも替えが利く。

だが現場では、替えが利く人間ほど

一人抜けると面倒が増える。


ある日、役所から人が来た。

書類を見せろと言う。

誰がどこから来たか、

誰が何を知っているか、

誰がどこへ手紙を出したか。

そういうことを、急に細かく聞き始めた。

私は正直に答えた。

正直に答えるのが一番面倒が少ないと思ったからだ。

たいていの人間は、

面倒を減らすために正直になる。

高潔だからではない。


だが、その時は違った。

正直に答えた結果、

私は“知りすぎているかもしれない外の人間”になった。


笑える話だ。

知っていることの大半は、

荷車が何台遅れたとか、

石工が昼前から酒臭かったとか、

そういう現場の埃みたいな話ばかりだった。

だが役所は、埃の中に混じった一粒の火種だけを見る。

そして火事を恐れて、

埃ごと外へ捨てる。


最初は異動で済むと言われた。

次は事情聴取だと言われた。

その次は、しばらく町を離れるなと言われた。

その順番まで来ると、

たいてい先は長くない。

私は賢くないが、

役人の言葉がだんだん柔らかくなる時ほど

中身が固くなることくらいは知っていた。


だから逃げた。


逃げたというと、

何か劇的な夜を想像する者がいる。

追っ手、雨、血、裏切り、

そういうものを勝手に足したがる。

実際には、もっと情けない。

腹が減る前に出ただけだ。

捕まってからでは飯がまずくなる。

それが嫌だった。

人は案外、その程度の理由で国を出る。


国境を越えた時、

私は自由になったとは思わなかった。

ただ、昨日までの面倒が

別の面倒に変わっただけだと思った。

通行証の色が変わり、

宿で書かされる名前が増え、

言葉の端で出自を測られる。

異邦人というのは、

歓迎される時でさえ、

歓迎の理由を疑って生きる癖がつく。


鉄道国へ流れ着いたのは、

仕事があったからだ。

結局そこへ戻る。

人は思想で移動することもあるが、

長く生きるには賃金のほうが強い。


鉄道国は、線路の匂いがする国だった。

鉄と油と、濡れた木材と、

人が急いでいる時の足音の匂いだ。

私はあの匂いが嫌いではなかった。

急いでいる現場には、

まだ未来を諦めていない人間がいる。

諦めていない人間は面倒だが、

面倒なだけ、まだ動く。


ここでは、出自を聞かれないわけではない。

聞かれる。

だが、出自より先に

何ができるかを見られることが多かった。

それはありがたかった。

ありがたいという感情は、

だいたい屈辱と少し似ている。

助けられた側は、

助かったことを喜びながら、

助けられなければ立っていられなかった自分も知るからだ。


私は亡命者と呼ばれるようになった。

最初はその言葉が嫌だった。

大げさだからだ。

私は英雄でも思想家でもない。

ただ、役所に長く捕まるのが嫌で逃げた

現場上がりの男にすぎない。

だが何度も呼ばれているうちに、

人は他人の言葉を自分の皮膚になじませる。

今では、半分くらいはそう名乗ってもいいと思っている。


半分、というのが大事だ。

全部ではない。

亡命者という言葉は、

置いてきたものを一つの理由にまとめすぎる。

実際にはもっと散らかっている。

仕事、金、恐れ、意地、偶然、

少しの運の悪さと、

少しの運の良さ。

人が国を離れる理由は、

たいてい一言では片づかない。


ラスボラスゲートの開通を、

私は少し離れた場所から見ていた。

招かれたわけではない。

ただ、見える場所にいただけだ。

新しい設備が動く時、

現場上がりの人間はつい見てしまう。

うまくいくかどうかより、

どこが最初に嫌な音を立てるかを考える。

職業病というやつだ。


列車は坑門へ入り、

そして向こう側に現れた。

見物人は沸いた。

役人は胸を張った。

商人は頭の中で日数を金に換えた。

ああいう顔はどこの国でも同じだ。

便利さが生まれた瞬間、人はまず

自分の取り分を計算する。

健全なことだと思う。

健全だからこそ、

その計算からこぼれる者も必ず出る。


私は拍手をしなかった。

感動しなかったわけではない。

むしろ逆だ。

感動すると、人は少し黙る。


あの門は、海峡を消したのではない。

海峡が障害であるという事実を、

金を払える者に限って短くした。

それは立派なことだ。

立派だが、優しいわけではない。

技術はたいてい、

優しさより先に選別を運んでくる。


私はそういうものを嫌いになれない。

嫌いになれない自分も、

あまり好きではない。


亡命者は、国を失った人間だと思われがちだ。

だが実際には、

国の見方を失った人間なのかもしれない。

どこへ行っても、

この国もいつか同じことをするかもしれないと考える。

親切を受けても、

それがいつまで続くかを数える。

仕事をもらっても、

明日には紙一枚で異邦人のまま外へ出される想像をやめない。


それでも人は住む。

食うためだ。

眠るためだ。

たまに笑うためだ。

大きな理由だけで生きている人間は少ない。

小さな都合を積み上げて、

結果として遠くまで来てしまう。

亡命も、たぶんその一種だ。


鉄道国は、今のところ、

私のような人間にも仕事をくれる。

それは善意かもしれないし、

ただの人手不足かもしれない。

どちらでもいい。

働いた分の飯が食えて、

夜に戸を叩く役人の数が少ないなら、

人はその国を少し好きになる。

少し好きになるというのは危険だ。

離れる時に痛むからだ。


だから私は、

この国を愛しているとは言わない。

言えない。

だが、嫌ってもいない。

線路の匂い、油の染みた手袋、

朝の工区に立つ白い息、

そういうものの中に混じって生きるのは、

今のところ悪くない。


亡命という言葉は、立派に聞こえる時がある。

だが実際には、

置いてきたものの数と、

まだ持っているものの少なさを

毎日数え直す暮らしに近い。


それでも、たまに思う。

国を出たのではなく、

国というものの正体を少し早く知ってしまっただけではないかと。

国は守る。

だが同時に選ぶ。

抱える。

だが同時にこぼす。

そのこぼれた側に回った時、

人は初めて、自分がどこに立っていたのかを知る。


ラスボラスの海風は、今日も強い。

潮の匂いがして、

遠くで汽笛が鳴る。

あの音は、国境を知らない。

線路の上を走る車輪も、

紙に書かれた身分までは読まない。

だから私は、

人より少しだけ道具のほうを信用している。


道具は壊れる。

壊れるが、壊れ方には筋がある。

国や役所や人の都合より、

その筋のほうが、まだ付き合いやすい。


鉄道国物語。

そう呼ぶには、私は少し外側にいる。

だが外側にいるから見えることもある。

線路は国を強くする。

同時に、国からこぼれた人間にも

別の居場所を運んでくる。


それが救いかどうかは、まだわからない。

わからないが、

今日も列車は走る。

走るもののそばでは、

立ち止まった人間も、少しだけ前へ引きずられる。


亡命者のひとりごと。

帳面にはそう書ける。

だが私の頭の中では、別の言い方をしていた。


国を失った話ではない。

国の外に出ても、

まだ食って眠って働けると知ってしまった人間の、

少しばかり困った独り言だ。

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