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見難い火傷の子  作者: 清風
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195/525

幕府都に来襲、巨大ワイバーンの群れ

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子195


幕府都に来襲、巨大ワイバーンの群れ


――青銅の時代。

深淵ダンジョン第十六エリア、第四紀完新世層


この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


空が暗かった。


雲ではない。

影だった。


重い羽音が幾重にも重なり、地を震わせる。

見上げた先、空を埋めるように巨大ワイバーンの群れが飛んでいる。


一体でも災害。

それが、群れだった。


「……隊列を維持しろ!」


貴族学校の校庭に、指揮官の怒声が響く。


だが、その命令に意味はなかった。


恐怖は、規律を食い破る。


足が止まらない。

視線が散る。

呼吸が乱れる。

整っていたはずの列が、あっけなく崩れていく。


ジギルはその光景を見て、即座に理解した。


(これは……戦ではない)


訓練でも、演習でもない。

名誉を競う場でもない。


(生き残るかどうかだ)


低空へ降りる影。

叩きつけられるような風圧。

巻き上がる砂塵。


誰かが叫ぶ。


「来るぞ――!」


次の瞬間、校庭は阿鼻叫喚に変わった。



襲われる生徒。

逃げ惑う市民。

悲鳴。怒号。破裂するような羽音。


鉄の匂いが、校庭に沈んでいた。

風が止むたび、血の匂いが濃くなる。


ジギルは剣を抜かなかった。


膝をつき、倒れた生徒のそばへ滑り込む。


「動かすな。ここ、押さえる」


声は低く、短い。


上腕に親指を当てる。

止血点。

布を裂く。

巻く。

結び目は二度。強く。緩めない。


「痛いか」


「……だ、大丈夫です」


「嘘だな。でもいい。喋っていろ」


指先に伝わる脈は速い。

だが、戻りがある。


――生きる側の速さだ。


「次、足。裂傷が深い。布をくれ」


差し出されたのは、誰かの制服の袖だった。

上等な織りは、あっという間に血を吸って黒く変わる。


ジギルは迷わない。


巻く。

押さえる。

結ぶ。

確認する。


反復。

呼吸。

確認。

次へ。


肩を押さえて座り込んでいる市民の男がいる。

鎖骨の位置が不自然だった。


ジギルは目線を合わせ、短く頷くと、そのまま処置に入る。


「腕を上げるな。ここで固定する」


巻く。

支える。

結ぶ。

また確認。


同じ動作の繰り返し。

だが、その繰り返しが人を繋ぐ。


遠くで、鈍い音がした。


肉が落ちる音だった。


ジギルが顔を上げる。


そこでは、バビロンの留学生たちが巨大ワイバーンの一体を相手取っていた。


巨体が地を打ち、翼が土を抉る。

だが彼らは騒がない。

叫ばない。

取り乱さない。


ただ、位置を取る。



「散開」


短い声が飛ぶ。


バビロン組が動いた。


走らない。

無駄に急がない。

それぞれが、最初から決まっていた場所へ戻るように動く。


まるで――狩りの準備だった。


一体の巨大ワイバーンが、地表すれすれまで降りてくる。

長い首。

分厚い鱗。

嘴のように尖った顎。


その質量だけで人が死ねる。


だが、ハリセンが一歩踏み込む。


「今だ」


それだけだった。


踏み込み。

崩し。

叩き落とす。


轟音。


巨体が地を打った。


貴族学校の生徒たちが、息を呑む。


何が起きたのか、見えなかった者すらいる。

だが結果だけは明白だった。


災害が、地面に転がっていた。


沈黙。


そして、その沈黙を破ったのは、ひどく淡々とした声だった。


「……解体するか」


誰かが、そう言った。


冗談ではなかった。


血。

肉。

翼。

骨。

内臓。


バビロンの留学生たちは、手際よく巨大ワイバーンを処理し始める。

恐怖もない。

興奮もない。

誇示もない。


ただの作業だった。


もはやそれは戦いではない。

食料調達だった。


脂が焼ける匂いが漂い始める。

血の鉄臭さに、肉の熱い匂いが混ざる。


「……あれは、食べるためだ」


誰かが呆然と呟く。


ジギルは手を止めないまま、低く答えた。


「そうだ。食べる。生きる」


包帯の端を歯で引き、結び目をもう一度締める。


「傷は閉じる。命は続く。同じことだ」


自分で口にしてから、その言葉が妙に胸に残った。



足元に、白い羽根が落ちていた。


中空の羽軸。

驚くほど軽い。


ジギルはそれを拾い上げ、二つに折って、無意識のままポケットに入れる。


軽い。

だが、その軽さは、指に残る血の重さを消してはくれなかった。


「運べる者は運べ」


ジギルが短く言う。


「声が出る者は呼べ。手が空いたら、これを押さえてろ」


それは命令ではなかった。

手順だった。


列は崩れている。

隊形もない。

制服も乱れている。


それでも、人の流れは生まれた。


運ぶ。

押さえる。

巻く。

繋ぐ。


形は不揃いでも、機能は通る。


その瞬間、ジギルははっきりと理解する。


規律は、形ではない。

手順だ。


人は、手順で助かる。


視線を上げると、少し離れた場所にハイドが立っていた。


影のように静かに。

だが確かに、すべてを見ている。


一瞬だけ、視線が合う。

言葉はない。


けれど、ジギルには分かった。


ハイドもまた見ているのだ。

整った列ではなく、乱れた中でなお通る機能を。


ジギルは血で濡れた手袋を外し、素手で次の結び目を作る。


止血点に置く親指の圧が、なぜかあの“崩し”の瞬間の圧とよく似ている気がした。


命を奪わず、戦意を奪う。

命を繋ぎ、痛みを奪う。


形は違う。

だが、重さは同じだ。


「大丈夫、助かる」


それは嘘ではない。

確信でもない。


ただ、今ここで必要な音だった。



夕暮れ。

空は赤く染まり、校庭の血もまた赤く光っていた。


巨大ワイバーンの処理を終えたバビロンの留学生たちは、もう帰り支度をしていた。


誇るでもなく、語るでもない。

ただ、当たり前のことを終えたような顔で。


彼らにとって、あれは武勲ではない。

生活だった。


生き残るための技術であり、

食い繋ぐための手順であり、

恐怖を現実へ変える作業でしかない。


ジギルは立ち尽くしていた。


視線の先には、その背中がある。


振り返らない。

説明もしない。

教えを垂れることもしない。


ただ、生き残る形を見せつけて去っていく。


(あれが……)


喉がようやく動く。


(あれが、現実か)


かすれた声で、彼は呟いた。


「……何なんだ、あいつらは」


誰も答えなかった。


だが、その問いは確かに残った。


規律とは何か。

守るとは何か。

そして、何を学ぶべきなのか。


空にはまだ、羽音の残響があった。

地には血の匂いが残り、遠くでは肉を焼く熱気が最後まで漂っている。


世界は、綺麗な形では生き残らない。


その現実を、幕府都はこの日、巨大ワイバーンの群れと共に思い知らされた。


そしてジギルの中で、何かが決定的に変わり始めていた。

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