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火傷になった
見難い火傷の子1
皆さん
見難いやけどの子ををご存じでしょうか。
昭和36年、
冬の暖を取るのに練炭火鉢を使っていた時期。
2歳の時、乗っちゃ駄目と言われたのに
母が便をするとて目を離したその時、乗ってしまった子供。
当時のナイロン製の衣服は瞬く間に炎が広がり燃えてしまった。顔は爛れ、首を失い、それでも息の合った子供。
母親は焼けただれた子供を抱えて病院を駆けずり回ったそうです。
インフラとしてまだ救急車が完備していなかったのかもしれません。
何処の病院でも、助けられないからと断られ、拒否のたらい回しを受けたそうです。
その時受け入れてくれたのが小牧組合病院。
当時は市民病院と言わず組合病院でした。
治療は施され、一週間の昏睡状態後目を覚ました子供。
14歳まで生きられないなと医師に伝えられる中、
母は生きたいかと尋ね、火傷を負ってしまった子供は
生きたいと答えた。




