↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
よむシリカ  作者: RiTSRane(ヨメナイ)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

24/24

第24章「魔人対魔人」

 魔人に弱点。


 レイラ誘拐未遂事件のとき、レイラがステラをバローに託す決断をした直後。最終局面に結局姿を見せなかったシリカは、レイラたちの捜索により茂みの中で意識を失った状態で発見された。


 近くにはキャラバンに届けられた補充の食料があり、そこにあった食品のいずれかの影響を受けたのではないかと推測されたが、一切の毒薬が効かないとされてきた魔人を無力化できる食品の存在は戦略上重要な情報であるため、その件に関しては厳重な緘口令が敷かれた。


 だが古来より”他人の戸口に戸は建てられない”と云うように


 この事件には関わった者の人数が多すぎ、或いはシリカの姿を直接目撃していない者にはその重要性がいまひとつ理解できていなかった。キャラバンに参加した騎士のほんの一部ではあったが家族や友人に対し比較的軽い気持ちでその夜の出来事を語ってしまう者がいて、このことは魔法学園に於いて分遣の騎士団長であるアランと彼を補佐するディーンの監督不行き届きとして、父王から厳しく叱責されることとなった。


「やはり隠し通すのは無理だったか。」

「国王の勅令が出るまで少し日数があったし、若い騎士には事の重大さをよく理解していない者も多かったからなぁ・・・」


 若いと言えば自分たちも同じなのだが、国政の中心に近い立場にいるせいでこの事態をより深刻にとらえていた。その彼らの元に最近、一部の生徒の間で魔人の餌付けが流行っているという情報がもたらされた。餌付けと言ってもお茶会と称して極々普通の菓子や甘味を提供し、魔人が誰の用意した品に最初に手を付けるかを競うという、社交というよりゲーム性の強い他愛もない物だ。女子生徒だれかが始めたらしいと言われているが、男子も時々加わっている。


 普段なら変なゲームが流行っている、で済まされる程度の事だが、魔人に何らかの弱点があり、それが食に関わると判明した少し後から流行り始めたというのが問題だった。


 単なる遊び、お茶会であってほしい、大部分は実際にそうなのだろうが、それがどこかの諜報員とつながっていたとしたら、機密保護の面では一大事である。そのためアランは提供された品と、それに対するシリカとレイラの反応を御庭番を使って調べさせていた。


 提出された報告書では数日の間に同じ菓子が重複して出されたりしていて、一見するとそれぞれの集まりの参加者の間で情報の共有はされていないようだった。だが、御庭番の少女たちは情報を集めるうちに一つの傾向を見出していた。


「彼女たちが言うには、魔人はケーキなどの焼菓子よりゼリーなどの生か半生菓子、或いは果物に好反応を見せる傾向があるらしいんだ。」

「生・・・ああ!」

「そうだ。あの時魔人が突っ込んだ荷に含まれていたのは調理前の食材、小麦粉に、野菜や果物だ。」


 それは偶然かもしれないし、あるいは魔人に食品の嗜好があっても不思議はないだろう。だが、魔人が魔法学園に現れて半年、既に”魔人ちゃん”呼びが定着して久しい。恐怖の象徴である「魔」を「ちゃん」という接尾語で緩くして、恐れられながらもどこか愛着を感じさせる奇妙な存在、少なくとも完全にレイラの管理下にあるうちは危険はなく、ただの珍しい獣人の少女として日常の一部になっていた。すれ違うときレイラだけでなく魔人にも挨拶をする生徒が珍しくなくなっていたが、それが却ってお茶会の流行を無視できない現象にしていた。


「外部の何者かが魔人に影響のあった食品を特定するのに利用している疑いがある。」

「いや、それは考え過ぎだろう。魔人の食の好みとか、誰だって気になるって。」

「だが、レイラの報告にあっただろう、魔人には本来、食べるという習慣が無かったように思える、と。」


 生物教師の依頼でレイラはシリカの身体を隅々まで観察し、陰部の中などいくつかの発見も含めて詳細な報告書を提出していた。その内容は学園の方針に従って(同時に王国の方針でもある)公開され、誰でも読めるようになっていたが、食習慣については

「魔人シリカは食事に関して好き嫌いの傾向は無いようだが、物を食べるという習慣自体が無かった可能性がある。これに関連して排泄行動、排泄物のどちらも確認できない。」

と報告している。


 当然、この情報は生徒の間でも知られることとなり、初期には供物として高級肉を捧げる生徒もいたが、短期間のうちに食べ物はあまり喜ばれないという認識が共有された。それでも何か供物になる物はないかと迷走した挙句、なぜか女子のパンツに行き着くという珍事まで発生したのだが、それが今になって食品に回帰しているのだ。


「皆、魔人に食品を提供しても意味が無いと知っているはずだ。お茶会自体も昔から日常的に催されていてそれ自体は何の不審も無い。ただ、今になって魔人を招き始めたというのが気になるんだ。」

「だが食べること自体は魔人もできるんだろう?」

「そう聞いている。」

「なら、やはりただのゲームじゃないのか?偶々最近誰かが考えついたっていうだけで別に怪しい所はないかもしれない。」

「だが食べることに執着の無い相手を・・・いや、狙いをレイラに変えてきたのか。」

「名馬が欲しければまず騎手を落とせってやつか?」


 シリカが学園内で単独行動をすることは以前なら即座に警備部が出動する事件だったが、最近ではそうした対応もかなり緩和されて独りでお使いに出る姿も見られている。とはいえ、主でなく召喚獣(魔人)をお茶に招くというのは非常識な行為なのだが、招待する相手をレイラにすることでこの問題は解決する。元々、政治的な理由でレイラとつながりを持ちたがる者は多かったが、レイラが招待を受ければ当然、従者であるステラも同行する。表向きベータとクリスタは存在しないことになっているので、部屋にシリカだけを残して置けないという理由で一緒に連れて行くことになる。もちろん、シリカ宛てに招待状が届くこともあり、その場合はシリカが粗相をしないよう見張るためにレイラがついてくることになる。結果的にどこへ行くにも3人一緒となるのだった。


 平和な時代において実戦の実績がほとんど無かったとしても、軍事組織に一体でも魔人を含むという事実の軍事的意味は大きい。その根拠は単なる物語や伝説ではなく、記録された事実である。魔人シリカは今はフォレスタル王国の手にあるが、他国であっても直接の主人であるレイラを手中にできれば同時に魔人も手に入るのではないか。そう考えた結果が先日のレイラ誘拐未遂事件である。魔人を自陣営の戦力にできなくても、相手方の戦力として使用できなくするという意味ではレイラ暗殺でも良かったのだが、その場合主人を害された魔人の反応が危惧され、殺すことなく身柄を確保するために虎の子のコカトリスと石化毒を繰り出したところ、コカトリスの石化能力がレイラに効かなかったというまさかの結末となった。


「だが、そんじょそこらの名産でレイラが釣れるわけがないし、まして好物なんて・・・あれは普通想像つかないだろう。」

「あれか?一時流行りはしたが、それ以前からあれが好きというのは確かに珍しいかもな。今では扱っている店も少ないらしいし、ステラが手作りするおかげでわざわざ買う必要もないからますます知られなくなる。」

「ああ、ステラが作るとレイラの好みに合わせるから辛いんだよな。」

「それに、好物だからと言ってあれでレイラが国を売るとはとても考えられない。」


 2人の間にしばし沈黙が流れた。



「プッ!www」

「ぶわはははwww」


 カップに入った透明な半生菓子に釣られるレイラを想像して爆笑に包まれるまで数秒だった。レイラの好物の菓子は確かに珍しい品だがそれは単に不人気という理由からで特段高級でもなく、むしろ庶民向けの駄菓子に分類されるような品だった。それも少し癖の強いフレーバーがお気に入りだ。レイラに取り入ろうとしてそれを献上する貴族の姿を想像すると


「献上品の経費が下がって大助かりだろうな。」

と笑わずにはいられなかった。


 ドアの警備をしていた騎士団員が何事かと入ってきたが、アランは大丈夫だと笑いながら持ち場に戻らせた。


「ハハハ・・・、そういえばレイラの方でもそれとなく調べているんだろう?その品の事。」

「ああ、彼女には思い当たる物があるらしい・・・ただ、それで魔人をどうにかできるというものでもないだろうとも言っていたな。」

「魔人に効く毒が見つかるんじゃなかったのか?」

「今のところ・・・あの晩もそうだったが、一時的に眠らせる程度の物だよ。仮にどこかと戦争になったとして、その国が魔人対策でその毒を用意した場合、その運用のために割いた人員や輸送、保管にかかったコストに見合った効果が得られるかどうか・・・」

「魔人を止められればどうにかなるんじゃないのか。」

「それだと魔人出現前の勢力図に戻るだけ、いや、魔人対策というコストを払う分、結局相手側が不利になる可能性があるな。」


 その意味では、シリカがレイラの所に現れた事、レイラがフォレスタル王国の公爵令嬢であったことは幸運だった。現在の版図において最大勢力の一つであるフォレスタルに不死身の魔人が加わったという事実は、それ自体が直接戦争を引き起こすことはまずない。だが、それが近隣、或いは遠方のどこかの国であったとき、魔人の威を借りて勢力拡大に乗り出す可能性はフォレスタルのそれよりはるかに高いだろう。武力衝突でなくても、何らかの交渉材料にしてくることは充分あり得ることだ。


「まあ、何にせよあれが不死身であることに変わりはないわけだ。」

「そういうことだ。」

「そういえば、魔人には魔法も効かないんだよな?」

「うん?そう聞いているが・・・何かあったのか?」

「いや、大したことじゃないんだが・・・いや、やっぱり変か。」


 ディーンは何か気になることを思い出したらしい。それがあまりに自然に行われているのでアランは気づいていないようだ。

「いや・・・そういえば魔人は、召喚魔法で現れたんだよな、と思ってな。」

「つまり、魔法の中にも魔人に効く魔法と効かない魔法がある、ということか。」

「気になるよな?」


 アランは一度椅子に深く座り直した。

「ううむ・・・」

「どうだ?」


 しばらく考え込んだ。

 毒も魔法も効かない魔人。今まで誰もがそう信じて疑わなかったが、魔人にとって毒の様な効果のある物が、ヒトが当たり前に食べている物の中にあるらしい。少なくとも抵抗できない影響を与える物があることは明らかだった。そして、召喚魔法で呼び出すことができている。ならば、魔法の中にはもっと他の、最悪の場合、致死性の効果を持つ物もあるかもしれない。


「・・・と、いうことは」

「うん?」

「打撃でももしかしたら・・・例えば無敵ではない場所が身体のどこかにあったりはしないだろうか。」


 定説として信じられてきたことが2つも覆されたのだ、3つあっても不思議ではない。


「2つあるものは3つある、か。溶岩の中から無傷で生還するような奴だぞ、どこが弱いっていうんだ?」

「そうなんだが・・・どこか見落としてはいないだろうか。」

「どこかって・・・どこだ?」

「例えば・・・思いがけない場所。普通ならそこを斬ろうとか考えないような・・・」

「斬ろうと・・・思わないような?」


 数秒の沈黙があった。


 それぞれにどこか思いつく場所があったようだが

「ひとまず、魔法の件も併せてレイラに任せるしかないか。」

「・・・ん、そうだな。俺もそれがいいと思う。変に俺たちが動くと逆に気取られそうだしな。」


「なんというか、彼女に負担を強いてばかりいるな。こんなことになるなら召喚魔法など教えずに、落第しても予定通りに婚約はすると言っておけば良かったかもしれない。」

「誰もこんなの予測できなかっただろうし、過ぎたことを言っても仕方ないだろう。むしろ良かったまである・・・最近のレイラはなんというか、お淑やかになったと思わないか?」


 ディーンはステラに八つ当たりをするレイラを何度も見ていた。それはアランも同じで、将来の婚約者の前でどうしてこんな姿を見せられるのかと呆れたものだが、四六時中罵声を浴びせるわけではなく、レイラの本心がどこにあるのか測りかねるものがあった。


「ステラも両親があんなことにならなければ・・・しかしレイラのあの態度はなんなんだろうな。せめて普通の使用人のように扱えないものなのか。」

「元々仲が良すぎたのかもしれないが、立場が変わったからといってあの態度は確かにどうかと思う。」

「そうだよなぁ・・・だが、魔人が現れてからステラへの当たりがなんというか、丸くなったと感じがしないか?」

「いや、本来の性格に戻っただけだよ。今までの彼女はどこか辛そうだった。」


 アランの言葉は意外で、ディーンは訝し気に聞き返した。

「辛そう?レイラが??」

「・・・ああ、理不尽な命令をしながら、どこかへ消えそうなステラの正気を必死に呼び戻している感じがして。」


「それは・・・まあ、兄上でなければわからないことなんだろう。俺には無理だ。」

「すまない、こればかりはそう見えてしまうものだから、そうだとしか説明できない。」


 ディーンはアランのこういうところは敵わないと思っていた。理屈を飛び越えて、他人の本心のような物を見抜くことに長けているのだ。普通なら自分と次期王位を争っていても不思議ではない相手なのに、そういう気が一切起こらない。単にその時が来ていないだけなのかもしれないが、王になるなら兄の方が相応しいとずっと前から納得していた。ディーンとレイラは幼少時に彼女の屋敷に預けられていたこともあって非常に親しいのだが、突然思い出したようにステラに当たり散らすのが不気味で、そこだけは苦手だと思っていた。だが、アランにはそんなレイラが違って見えていたようだ。



 一方、そのレイラにもそれまでの認識を新たにする事件が起こっていた。

 


 交換現象によってさまざまな世界と土地や生物の交換が起きた結果、地球にはそれまで空想上の生物と思われていた様々な生物が出現した。ヒト、いわゆる人間が発生しなかった世界では、それ以外の動物が進化の果てにヒト型の身体を獲得し、その世界の支配的勢力になっていた。耳や尻尾など元の動物の形質を残しつつヒトのような身体を持つ、いわゆる獣人である。コボルトやオーク、エルフやドワーフはそういった世界から地球に現れ、まとめて亜人と呼ばれた。それぞれの進化の系統については、その発生源である世界で研究がされていなかったためわかっていない。コボルトはなんとなく犬っぽいしオークは豚っぽい雰囲気がありそれぞれ獣人として亜人より下の序列に置こうという動きもあったが、明らかに獣の特徴の濃い人類が見つかったことでそれらを獣人とし、コボルトたちはかろうじて亜人階級に留まった。ただ、犬獣人とコボルトの差がどうして生まれたかはわかっていない。他の獣にも獣人と呼ぶべき存在が確認されたが、全てにコボルトのような亜人の上位種がいるわけではなく、亜人種の発生要因を研究する者の悩みの種となった。


 エドモンズ帝国建国の少し前、地球は魔族の侵攻を受けた。


 魔族とは「魔」という動物がいたわけではない。ヒトが想像する「悪魔」の特徴、頭部から左右に伸びた禍々しい角と細長鞭の様な尻尾を持ったヒト族という姿であった。彼らの出現は交換現象とは関係なく、彼ら自身が設置した転移ゲートによって北極に出現した。魔族の文明は魔法によって成立しており、魔法無しでもその他の人類を凌駕する身体能力、そして魔法の威力を根拠に自らを世界の最上位種と位置付け、他種族の隷属を認めさせるため北極出現直後から周辺への侵攻を開始した。


 背中に生えた蝙蝠のような翼はその体躯を飛行させるには明らかに小さすぎたが、どういうわけか高い機動力と速度で以って飛行が可能だった。それ以外にも各方面で物理法則を超越する身体能力を見せた魔族軍はたちまち優勢に立ち、北極を中心に支配地域を拡大していった。だが、最前線で戦っていたある部隊長が人類に逆転のきっかけをもたらした。彼は魔族の主要な戦闘力である魔法が人間にも使える事実を発見し、後方で人間の魔法使いを育成、人類初の魔法戦闘部隊を結成し反攻の口火を切った。この部隊は特定の国家に属さず、人類そのものの勝利のために戦うことを目標に定め、指揮を執った部隊長の名に因んで”エドモンズ魔法戦闘団”と名乗った。ほんの一部の戦線ではあったが、彼らの参戦により人類は初めての勝利を収めた。


 魔法戦闘団は志願を募りながら各地を転戦し、やがて巨大な軍団となって魔族軍を包囲し始めた。


 そして驚異的な短期間で人類の支配地域を奪還し、ついには北極の最初の拠点に魔族を追い込んだ。この時、魔王とされる人物を討ち取り、対魔戦争を終結させた。この魔王とされる人物は実際には現場で撤退の指揮を執っていただけの兵士で、元々魔族の王はこちらの世界には来ていなかった。エドモンズもゲートの向こうまで追撃しようとはしなかったが、侵攻当初の悲惨な戦場を経験した彼は魔族を憎悪しており、地上から魔族を根絶やしにすることを軍団の新たな目標に掲げた。そして敗残の魔族を求めて戦闘団を反転、ゲートへ向かって集まってきていた魔族を徹底的に狩り始めた。このとき、魔族を匿っていた獣人の集落で住民の抵抗に遭い、その地域を担当していた討伐部隊が集落を焼き討ち、壊滅させた。エドモンズはこの部隊の逸脱行為に対して具体的な懲罰を課さなかったため、この事件は獣人とエドモンズの関係を悪化させたとされている。こうした集落の焼き討ちは複数あり、中には魔族と無関係の集落もあったことから諸国首脳はエドモンズがいずれ人類すべての征服を企図していると危惧するようになった。北極から反転してきた戦闘団が彼らの始まりの土地に到達したとき、待っていたのは市民の歓迎ではなく同じ人類の軍隊だった。


 エドモンズ魔法戦闘団が通過した後、一部の魔族は北上ではなく南下を選択した。そうして魔族狩りを回避した彼らは人類から追い立てられながら放浪していたが、エドモンズの侵略を危惧した諸国によって保護され、生命と生活を保障する代償としてその国が魔法部隊を編成するための手伝いをした。始まりの土地に到達したエドモンズ魔法戦闘団は、今度は同じ人類の魔法使いを相手に戦う事となったのだ。だが、経験で勝る魔法戦闘団はいずれの国にも勝利し、その国の首都まで攻め上がっていくつかの国では首脳を討ち取ってしまった。各国からは政治的に解決するための使者が何度も送られていたが、国家に所属しない軍団である魔法戦闘団には交渉の窓口が無かったのだ。政府を解体された国はその名の通りの無政府状態となり荒廃した。人類を救うための軍団が人類の国を亡ぼす様を目の当たりにしてさすがに反省したエドモンズは、戦闘団を始まりの土地まで後退させ、そこを拠点として魔族の復活と再侵攻に備えるために自分たちの国を興した。エドモンズ魔法帝国、エドモンズⅠ世の誕生である。


 エドモンズは結果的に世界征服に最も近いところまで登り詰めた。彼自身にその気は無くても、連戦連勝で気持ちの大きくなっていた末端の構成員たちは各所で暴虐の限りを尽くし、いつしかエドモンズは魔王と呼ばれるようになっていた。



「つまり、エドモンズにも汲むべき事情というか、こんなはずではなかったというわけね。」

「そう云う事です。こうして新たな事実がわかったのもシリカ殿のご助力のおかげです。」


 そう言ってアイーシャは胸を張った。助力のおかげと言いながら自分の胸を張るのは少し変だが、彼女には充分その資格があった。自習室に専用の席まで作って古文書の解読に没頭していた彼女は、シリカの助力を得て未解明文書の解読や解釈間違いのある文書の訂正などを続けていたが、このほどその成果をある程度まとめて内輪の発表会を開いた。ただし、どういうわけか場所は図書館ではなく、職員棟の一角にある普段はあまり使われていない会議室である。


 シリカはレイラが認識していた以上に頻繁に図書館を訪れていた。と言っても受付を通さず自習室の床から突然生えてくるので移動する姿を誰も見ていない。アイーシャ以外の者から見れば古文書の解読が突然できたように見えただろう。


 エドモンズ帝国、皇帝エドモンズ1世の評判は概ね良くない。魔族戦争で人類を勝利に導いた英雄だとしてもである。その功績は確かに大きいが、皇帝になった彼はあまりに多くの獣人を殺してしまったのだ。強大な戦闘団をほぼゼロから構築しその総指揮を執った人物としてはあまりにお粗末な話だが、兵站や戦場での直接指揮は彼の得意とするところではなく、実のところ彼が行ったのは最初の魔法使いの募集と育成のみで、後はほとんど各地の戦況報告を聞くだけだった。それでも彼の名は初期においては英雄として世界にとどろいた。それほど人類の魔法戦闘団は強力だったのだ。


「エドモンズⅠ世か・・・彼は我々が常識として知るような暴君ではなく、強大な戦闘集団のリーダーに祀り上げられて狼狽えながら、激動の時代に翻弄された普通のヒトだった。だが、彼の評価を正すには多くの時間と、今の常識を覆す強力な事実と証拠が必要となるだろうな。」


 生物教師はネイズ大森林の調査からようやく帰還し、報告書に意見書を添えて理事会に提出し終わったところだった。アイーシャが発表会に呼んだのは自分の恩師と作業に協力した仲間たちだけだったが、エドモンズ帝国に関する発表と聞いてレイラたちについてきた。ネイズ大森林での出会いもあり、これも何かの縁と思ったのだろう。


 しかしアイーシャの発表を聞いて、生物教師の胸中はますます鬱々としたものになった。


 アイーシャの出した成果は見事な物だったが、世界の歴史認識を揺るがす内容だったためそのまま世に出せば大きな反動があるだろう。彼女もそこは予想していて、まずは内輪で発表をして意見を聞こうとしたのだった。そのため生物教師の同席は本来遠慮願いたかったのだが、レイラが是非にというので仕方なく席を用意した。だがネイズ大森林に何があったのか彼女はまだ知らない。生物教師が会ってきたのはその時代を生きた文字通りの生き証人なのだ。



 他言無用と何度も念押しをされてレイラたちと生物教師は会議室を後にした。


「先ほどからどうかなされたのですか?顔色がすぐれないようですが。」

「ん・・・少し時間はあるかな?」

「一応、闘技場に呼ばれていますが。」

「ああ、今日はシリカ杯決勝か。ならばその後で寄ってもらえるかね?なるべく早めに話しておきたいのだが。」

「もしかして・・・”彼ら”の話ですか?」

「レイラ様、そういうことでしたら私が。」

「そうね、お願いするわ。」


 シリカ杯。


 魔人シリカに個別に決闘を申し込んでいては全員が相手をされるまで何年かかるかわからない。だが決闘という形式に多対一は有り得ず、一計を案じた運営は魔人シリカへの挑戦権をトーナメントで勝ち取るという新ルールを考案した。当然、その優勝者にはシリカへの挑戦権が与えられるのだが、参加申込者が多かったためそのトーナメント戦は数日に分けて行われる大会となり、その名も「シリカ杯」となったのだった。


 今日はその決勝が行われる予定で、レイラは挑戦権のプレゼンターとして出席することになっていたが、ステラなら名代として申し分ない。


 闘技場の用をステラに任せて、レイラたちは場所を生物教師の研究室に移した。ここもしばらく来ていなかったが、クリスタが匿われていた時とあまり変化が無い。彼女のために用意したベッドはマットレスなどを外されて枠だけになっていたがまだそこにあった。


「シリカ杯か。魔人がここまで学園に溶け込むとは正直想像していなかったが、決闘などさせて大丈夫なのか?」

「心配ご無用ですわ。召喚以来、無敗記録を更新中で途切れる気配もございません。」

「相手の方の心配だよ。大抵の怪我はその場で治療できるだろうが、実力差があり過ぎると万が一言う事が起こらないとは言い切れない。それに・・・」

「はい?」

「・・・いや、何でもない。それより本題に入ろう。」


生物教師がお茶を出してくれた。シリカ族が新しい住処で作り出した茶だそうだ。


「お茶すら新しく作らなくてはならなかったんですのね。」


 時空転移装置を使った脱出はほぼ着の身着のままで食料などはほとんど持ち出せなかったが、転移先の場所がレイラたちが暮らす世界であり、食料はそこで手に入れることができるという算段があった。したがってレイラのこの反応は見当違いである。


 とはいえ、それは短期間で生活の基盤を整えたという証左でもあり、シリカ族はネイズ大森林に確実に根付いていた。


「先ほどの、アイーシャの発表もだが、シリカ族の事を世に公表するのは慎重にした方が良いということになってね。理事会と協議して、表向きは今回の調査は空振りと言う事にした。」


 エドモンズ帝国の支配する時代からわずか百数十人だけがこの時代へ脱出し、更に人目に触れない大森林の奥へ身を隠したシリカ族。家財道具も食料もなく放り出された形だが、逞しく生き残り現地で自分たちの生活圏を形成していた。しかし如何せん、人数が少なすぎて折角逃げてきたのにこのままではゆるやかな滅亡を待つばかりだ。


 外の世界と関りを持って一族の存続を図る、純血の維持はできなくともシーラ貝に蓄えた知識を継承するためにこの時代のエルフと交渉を持つべきという一派と、外の人類を信用できず、苦しくても森に潜んでやり過ごすべきという一派に分裂しかけていたところへひとりの探検家が転がり込んだ。


 それは双方にとって幸運な出会いだった。


 シリカ族は警戒しつつもたった一人で現れたその人物から外界について多くの情報を得ることができ、種族として取るべき道を慎重に議論するという方向へまとまり始めた。一方でその探検家は、彼らの姿と名前から友人の勤務する学校に最近出現した魔人に思い当たった。


「だが、まさか彼らが古代エルフの末裔どころか当時のエルフそのもので、しかも彼らをこの時代へ連れてきた張本人が君だったとは。」

「あれは仕方なかったですわ。私自身この時代へ帰らなくてはなりませんでしたし、彼らの事を放っても置けませんでした。」

「だが、本来その時代に滅びる運命だった者を一時的に逃がしたとして、その後の事までは考えていなかったのだろう?」

「それは・・・それは彼ら自身で解決すべき問題です。一介の学生の手には負いかねますわ。」

「そういう時は・・・」


 誰か大人に相談を、と言いかけたが思いとどまった。


 魔人がついていようが公爵令嬢だろうが、レイラは一介の学生、子供に過ぎない。そのレイラがたった一人で5千年前の世界に飛ばされ、降り立った場所は種族が一つ滅びようとする現場。成り行きで滅ぼされる方の味方になってしまった彼女が絶望的な状況でも理性を失わず、他者を救済しながら自身も帰還を果たしたというのに責める余地などないだろう。しかし・・・


「まあ、仕方が無かったのだろう・・・しかしシリカ族に加えて、その場にはシリカ以外の魔人シリカが2人もいたとか、君の周りはどうしてこう、魔人だらけなのかね。」

「そんなこと、私に訊かれましても・・・それで、今のシリカ族はどうなるんですの?」


「ああ、彼らの存在を公表しても危険はないだろうが、現代でも獣人に対する差別的な意識は払しょくされたとは言い難い。同じ理由で滅ぼされかけた者としてはそんな世界に出ることに不安もあるだろう。なので当面は現集落は極秘、少人数がシーラ貝を隠して各地を歩き世界の現状を見聞して回るということになったよ。元々彼らの寿命は長いから、人口の回復を急ぐ必要はそれほどない。」 

「ではクリスタは」

「諸々慎重に進めなくてはならないが、自由に外に出られるようになるだろう。」


 今でも結構外に出てしまっているが、それなりにこそこそとしていたのが堂々と歩けるようになるという事だ。

「まああれだけ似ていれば、靴に細工をして尻尾らしいものを付けていればシリカと言い張って連れて歩けるかもしれないが。」


 逆に尻尾をスカートの中にしまっているということにすればという考えもあったが、シリカの尻尾は長い上に毛量がかなり多く、容易に隠せるものではなかった。同時にクリスタはシリカに比べてお尻が小さいということもあり、遠目にそれっぽく見せるだけならともかく近くで見られるとちょっと誤魔化せないだろう。


「そういえばあの貝、結構自由な位置に付けられるようでしたし、どこかに隠してエルフの振りをしていればいいのですわ。」


 いや、シリカ族はそもそもエルフなのだからその理屈は正しいようで根本がおかしい。

「頭に付けていた方が意思が伝わりやすいと言っていたが、貝と意思を通じるというのはどういう感覚なのか、話を聞いても全くわからなかったよ。」


 元々単独で生存できていた両者が共生するようになった経緯も詳しく伝わっているわけではない。繁殖のために他者の身体を操るというシーラ貝の性質は、それだけみればかなり悪質に思えるが、年中繁殖をしているわけではないし、用が済んだら離れてもおかしくはない。大体、最初にエルフに取り付いた個体はどうしてそんなことをしたのだろうか。本能的な行動か?シーラ貝の知能は恐ろしく高く、エルフと共生しているせいか発話はできないものの理解はできているらしい。


 クリスタが色々教えてくれたが、まだまだ謎の多い種族だ。


「そういえば君を襲ったエルフもシリカ族絡みだったそうじゃないか。」


 謎と言えばもう一つ、シリカが行方不明の間にレイラを狙って学園に進入したエルフの少女がいた。アランをはじめとした友人たちの活躍で襲撃者を捕らえたものの、肝心のレイラは危うく命を落としかけたという例の事件。その後の尋問でその動機が明らかになっていた。


「本人はエルフ長老の特命でシリカ族の痕跡を調べに来たとか、遺品泥棒を成敗すべしとか言っているようですけれど、話が飛躍しすぎなので本国に送って取り調べを継続するか、エルフ族に引き渡すか調整中らしいですわ。」


 シリカ族と違って普通のエルフ族はエドモンズ帝国に於いてもそれなりの地位にあったが、エルフ族内でも本来同族であるシリカ族の処遇を巡ってさまざまな意見があった。精神を巻貝に乗っ取られた部族の事など放っておけという意見が大半だったが、そのワレ関セズな姿勢は帝国の獣人排除政策に対しても消極的な関わり方をするという方針となって表れていた。


 一方で昔からの友人や親戚がシリカ族という者もいて、仲間の冷たい視線を受けながら長年にわたって交流を続けていた。正直なところ、エルフたちは帝国の獣人排除政策に対し理解を示したわけではなく、その圧倒的な暴力が自分に向かなければ良いという程度にしか考えていなかったのだが、いざシリカ族が本当に滅んでしまうと、今度は自分たちに矛先が向くのではないかと急に不安になり始めた。


 エルフの長老たちは部下を派遣してシリカ族終焉の地を捜索させた。シリカ族の生き残りが数人でもいれば、帝国に発見される前にとにかく遠方へ逃がす手引きをするはずだった。逃がした後で頃合いを見てその存在を帝国にリークし、そちらを追いかけさせることで自分たちに矛先が向くことを回避しようと考えたのだ。


 場所が特定されていたことと、捜索を行った事実の露見を防ぐため、捜索にはたった一人の腕利きエルフが送り込まれた。帝国兵に遭遇しても自力で突破し、最悪の場合は証拠を残さず消えるという忍者の様な技を身に着けたそのエルフは、まだ200歳に満たない少女だった。狡猾さを身に着けるにはまだ若かった彼女に対し、長老たちは任務の目的を曲げて伝えて現地へ送り出した。エルフ族の保身ではなく、あくまでシリカ族の救済が目的であると話したのである。


 しかし、帝国はその地で徹底的にシリカ族狩りをしており、彼女が到着した時には生存者どころか遺品すら残されてはいなかった。


「袂を分かったとはいえ元はと言えば同じ一族、骨の一片でも残っていれば回収して弔ってやりたい。」

という族長の言葉を思い出して涙する捜索者。族長に対してはどの口が、と思わなくもない物があるが、その地で彼女は驚くべきものを発見する。


「私たちはこちらへ戻る時に転送装置を壊してきたのですけれど、そもそも古代エルフの遺跡だったらしくて、彼らは壊れた転送装置からこの土地を割り出して別の遺跡を使って追いかけてきたのだそうですわ。」


 ミリンは装置の鍵を壊してしまえば再使用できなくなると考えていた。実際にその装置自体は使えなくなったが、目的地の地理的な設定は残っていた。そして送り込まれた探索者はそれを読むことができた。彼女が長老に装置の事を報告すると、長老は今度は彼女に捜索範囲を未来まで広げるように命令した。困惑する彼女を長老は秘密の洞窟へと連れて行く。そこにあったのはもう一つの遺跡、古代エルフの時空転送装置であった。


 そこからは気の遠くなるような話だった。


「場所はわかるのに年代がわからない。だから自分たちが長寿命なのをいいことに何百回も転移を繰り返してようやく今に辿り着いたとか。」

「それはまた、いかにもエルフらしい発想だな。」

「ですが、同じことを何度も繰り返しているうちに本来の目的をお忘れになったのでしょうね。どこで聞いたのか私の事は人殺しの盗掘者で、断罪すべき悪女と思い込んでいらしたようですわ。」


 レイラの説明は大体合っている。


 何百回目かの転移で奇跡的にこの年に辿り着いた捜索者は、そこでレイラという生徒がシリカという少女を隷属させているという情報を得る。シリカと言う名前が気になって密かに探っていくと、遠目に見るその姿は確かにシリカ族の生き残りに見え、断片的に聞こえてきた噂話を総合すると日常的に連れ回しては無理な命令を与え、魔獣相手に勝ち目のない決闘をさせるなど暴虐の限りを尽くしているという。


 だが、ウインドリンガー噴火と交換現象の発生で慌ただしい日々を送っていたレイラの居所はなかなか掴めず、そうこうするうちにシリカ族の少女が人身御供として火口に落とされたという話が聞こえてきた。


 長寿命のエルフ族とはいえ、何百回と繰り返した努力を無駄にされたのは精神的に来るものがあったようで、時空転送装置という物があるのだからシリカが生存している時点まで戻れば良かった話なのだが、激高するあまり彼女の目的はシリカ族捜索からレイラ暗殺へと変わってしまったのだった。


 当地の時間で何日も、地下や草陰に潜伏して機会を待ったがただでさえレイラは警備部や謎の忍者集団に護られていて手を出しにくく、更にレイラそっくりの別人も現れるため暗殺は何度も失敗した。


 だから、間違いなくレイラ当人を捉えたという時に焦りと苛立ちで単純な罠にひっかかってしまった。

 意地で放った暗器はレイラの中にシリカが入っていたというあり得ない理由で失敗。更に最後のシリカ族と思っていたのはシリカ違いの魔人だったという事実が追い打ちとなり彼女の精神は大きく傷付き疲弊した。


 振り返れば、隠密任務を長くこなしてきた彼女がそれまでの自分を根底から否定されたような事件だった。アラン達の尋問で動機などを明らかにした後、本国へ移送して裁定を待つという予定だったのだが、自我崩壊からある程度落ち着きを取り戻した彼女は尋問に対し滝のような勢いで素性と目的を喋り出した。その挙句訊いていない事まで語り出したがその内容が時空転移装置などあまりに荒唐無稽で、心神喪失を疑われて取り調べが停止したまま今に至るのだった。


「ですので、彼女にシリカ族が本当はどうなったのか、話して良いものかどうか困ってしまって・・・」


 彼女がレイラを襲った理由は明らかになっていたし、シリカ族最後の生き残りと思っていたのはその名の元になった魔人の方だという事も既に伝えられた。だが現代のエルフ族に問い合わせても元々秘密任務だった彼女の事は誰も知らず、命令をした族長も既に亡くなっていた。


 当面、医師の治療を受けながら魔法学園に留め置かれることになっているのだが、本当の事を話しているのに身の証を立てられないという状況が長く続くのは彼女の精神に重い負担となり、拘留が長引くにつれ治療の努力とは逆に異常行動が見られ始めていた。


「大体、この時代に帝国は滅んでいてエルフは継続しているのですから、帰って今の長老にそう伝えればいいのですわ。それで心配事も無くなるでしょう。」

「それはどうかな。エドモンズ帝国は滅びても、今もどこかに末裔が再起を狙って潜伏しているなんていう話はたくさんある。」

「そんなまさか、帝国滅亡からええと・・・4000年以上経っていましてよ?今更再起など不可能ですわ。」

「滅亡と言っても国家の中心人物が一掃されて政治形態が変わったというだけで、そこに住んでいた国民まで入れ替えたわけではない。それに獣人に対する差別意識は4000年以上経っても完全には払しょくされていない、これは帝国時代に醸成された認識が今も変わっていない、即ち帝政という政治形態が消えてもその根底にあった意識や考え方は消えず、社会に影響を及ぼしているのではないかね?」

「う・・・」


 レイラの家、アランの家、王や爵位が存在し政治を行っているフォレスタルの政治形態は王政であり、その制度は封建制度である。国家の意思決定などの仕組みは実はエドモンズ帝国と大差ない。明らかな差と言えば獣人に対する排除政策が「公式には」無いというだけだ。過去のヒト族がどれだけ獣人を虐殺していたとしてもそれは昔の帝国の罪であって今の王国には関係ないというのが王国の見解である。したがって、人類が犯した罪などという物は存在せず、ただ帝国の罪があるのみ、獣人族の辛い過去は気の毒ではあるが、王国が国家として補償などをすることは無い。法の上では平等に扱われるが、現実の差別も根強く残り続けるのだ。


 これを都合のいい言い訳と取るか、真っ当な理屈と取るか。そもそも完全に解決する模範解答などあるのだろうか。


 レイラが言葉に詰まってしまったので生物教師は別の話を始めた。話を大きくし過ぎて、目の前にある解決すべき問題が見えなくなってしまいそうだ。


「一つの選択肢としては、シリカ族の事を教えて元の時代へ帰らせること。時間渡航者というのが本当だった場合の話だが、この時代でもシリカ族が存続していると知れば彼女の任務は事実上終了と言えるだろう。だが未来を見た者を過去へ帰すことは歴史に矛盾を生じさせるリスクがある。できれば報告には現在の長老の所へ行ってもらって、その後はこの時代で暮して転送装置は二度と使わないで欲しいものだ。」


 時間渡航経験者としてレイラはこの捜索者に共感する部分もあったが、レイラは未来へ、彼女は過去へ回帰するというのが絶対的な違いだった。レイラは過去に介入してしまったが、その結果を未来へ持ち帰ったことでシリカ族の消滅という事実は保持され、セイシュとドブロクの異常な強さも混戦の中の錯覚として片付けられてその後の歴史は変化を免れた。レイラが過去で得た知識を未来で広めても歴史そのものは変化しないが、捜索者の彼女が過去へ帰った場合、未来で得た知識はその後の歴史に重大な影響を及ぼす可能性がある。


 今のエルフ居住地は彼女の時代からは大分変ってしまっている。交換現象の影響で途中経路はもちろん、長い年月の間に居住地自体にも相当の影響が出ているのだ。しかし、ヒト族に比べ非常な長命種族であるエルフ族ならば彼女を知る者がまだ存命かもしれない。彼女にとって未知の世界である今の王国よりは落ち着いて暮らせるはずだ。


「君を襲った件で裁きを受ける必要はあるが、君が証言すれば酌量の余地はあるだろう。だがその場合・・・」

「シリカ族のことも証言しなくてはなりませんわね。」


 それはまだ避けたい。だが、彼女の事情を考えるとこのまま投獄というのはあまりに気の毒に思える。


「アラン殿下に頼めば何とかしてくれないか?」

「彼女が本物の古代エルフだと知っているのは私たちだけですし、事情を知らずにただで赦すというわけにもいかないでしょう。」

「ふむ・・・古代エルフか。いや待てよ、古代ということならクリスタもいるじゃないか。」

「ええ、同じ時代のエルフですわ。アラン殿下はご存じないでしょうけれど。」

「2人を面会させてクリスタから彼女に状況を説明させることができれば、彼女を落ち着かせることはできるんじゃないか?」


 具体的な方法はともかく、シリカ族が存続している証拠を示しレイラがどう関わったかを教えられれば、彼女に間違いを認めさせ、考えを整理するきっかけになるだろう。


「古代エルフを名乗る者に現代のエルフが知り合いを名乗って面会というのも、エルフ族の寿命を考えれば有り得なくはないですが、シリカ族と当時のエルフ族は対立していたと聞きますから、今度はクリスタが承知するかという問題がありますわね。」

「だが逆に、彼女がシリカ族を捜索していた理由を話せば、和解の糸口になるかもしれない。」


 捜索者エルフはもちろん、レイラたちも当時のエルフ長老の真意など知る由もない。更には、今のエルフ族がシリカ族に対してどのような感情を持っているかも知らない。したがって、シリカ族が自分たちを裏切ったエルフ族を許せるだろうかという問題になるのだ。


 


 と、騒々しい足音が廊下を近づいてきた。体重の軽い者が走っている感じだ。まっすぐレイラたちのいる部屋へ向かってくる。


「失礼しますッ、先・・・せっ!」


 ノックもそこそこに真っ赤な顔をした女子生徒が倒れるように部屋へ入ってきた。

「ま・・・まじ・・・」

 階段を全力で駆け上がってきたのか、息が上がってしまってまともに話せそうにない。


「君、落ち着いて。まず息を整え給え。」


 シリカが倒れている女子生徒に近づいて行って、カップに半分ほど残っていた紅茶を差し出した。既に冷めていたが、今の女子生徒にはむしろ飲みやすい温度だっただろう。シリカの飲みかけだが大丈夫だろうか。


 女子生徒は起き上がって紅茶を受け取ると一気に飲み干した。


「まったく・・・騒々しい上に最低限の礼儀すら弁えていらっしゃらないのかしら?」


 レイラに指摘されて礼を言おうとするが、上がり切った心拍がまだ落ち着いていないためうまく声にならず、却ってむせてしまった。

「仕方ありませんわね。」

と言いながらレイラがコップに水を注いで手渡した。


「はッ・・・ふぁッ・・・ありが・・、ございます・・・」

 なんとか礼を言いながら受け取ると、ごくごくと音を立てながら飲み干した。

「本当にこんな音を出す人なんて初めてですわ。」


 実際には初めてでもないのだが、それなりに深刻な話をしていたところに乱入されてレイラは嫌味の一つも言いたい気分になっていた。


「あぁっ・・・大変です、大変なんですッ!」

 ようやく話せる程度に落ち着いたようだが、長い話はできないらしい。


「何がですの?」

 生物教師に用があって来たはずの女子生徒は、そのままレイラに向かって話し続けた。


 それは事実、レイラにこそ伝えるべき内容だった。


「落ち着いて、ゆっくりでいいから確実に話しなさい。」

「・・・レイラ様、大変なんです、・・・ま、魔人が」


「魔人?」


 女子生徒はいきなりシリカの両肩を掴むとレイラたちの方へ向きを変えて

「魔人が乱入して、暴れているんです!」


「何をおっしゃいますの?シリカならそこにいるではありませんか。」


 駆け込んできた生徒自身がその両肩を掴んでいた。しかし

「いえ、決闘中に・・・乱入してきたんですッ!」



 闘技場は騒然としていた。決闘がある時は基本的に騒然とするが、今その場を包んでいるのは普段と違う悲鳴と異様な空気だった。


「ここは危険だ、すぐに退去しなさい。」

 警備部員が生徒たちに避難を呼びかけている。

 レイラは覚えていないが、シリカが出現した時もこんな状態だった。


 あの時は多数の魔獣が自分の主人を乗せて走り回り、ある者は時間切れまでの逃げ切りを狙い、ある者は相手の落馬を積極的に狙っていた。ただ一人、何かに阻まれているように召喚が成功せずひたすら念じ続けた記憶が蘇る。そのレイラの目に見たことのあるような光景が入ってきた。


「あれは・・・」

 アリーナの真ん中で巨大なトカゲを地面にたたきつけているのは髪の長い少女、そして彼女の頭部には特徴的な一本の角があった。


「魔人!?」

「見たところあれは、魔人シリカか?」

「そんな、そんなはずはありません。」


 重量差、装甲としての皮膚、外見から判断できるあらゆる点で圧倒的に不利に見える彼女は、見た目に反して腕力で地龍を圧倒していた。地龍は巨大なトカゲのような姿だが曲がりなりにも龍に分類される魔獣であり、相応に強い。爪も牙もあり、ブレスすら備えている。実際、闘技場にはブレスで焼かれた痕跡があったし、戦っている少女の服もかなりの部分が焼けていた。


 にも拘らず少女の動きには痛みや怪我を窺わせるものはなく、地龍のブレスは全く効かなかったようだ。更にこの少女はシリカと同じように、体格差を貫通するような徒手格闘を仕掛けている。こんな出鱈目な戦い方をするのはレイラの知る限り1人しかいないのだが、その魔人とは別人であることは明らかだ。


「あれは、君が以前に会ったという魔人のどちらかなのか?」

「い、いいえ。どちらとも違うようです。」


 魔人シリカとしての特徴を備えていたが、目の前の魔人は銀色の髪をしていて、尖った耳には毛皮が無かった。それはセイシュともドブロクとも違う。

「馬鹿な、4体目だというのか?」


 大体、握力に物を言わせて相手の体を引き千切るようなのはシリカの戦い方ではない。


 地龍は身体のあちらこちらの鱗が剥がれて肉が露出していた。爪は欠けていたし、片目も開いていない。


「やり過ぎよ・・・もう決着はついているじゃないの。」


 レイラたちは混雑する一般通路を避けて貴族用通路から入り、貴賓席から闘技場を見渡している。闘技場には複数の魔獣が転がっていた。布を被せられているものもあったが、身体の真ん中辺りが不自然に凹んでいて、そこはつながっていないようだ。


「これはひどい・・・」


 魔法学園始まって以来の大惨事だった。


 おそらく当初の決闘者はこの中のどれかなのだろう、加えて魔人を止めに入った生徒の魔獣が次々に屠られて、かなり上級の魔獣である地龍までが出張ったものの、全く歯が立たずに死体蹴りのような真似をされているのだった。召喚者であろう生徒たちが魔獣の死体の横で茫然と立ち尽くしている。当番の警備部員が生徒の避難誘導をしているが、ステラもレイラの名代としてここに来ている以上、誘導の手伝いをしているはずだ。

 

 生徒の中には魔人に対して魔法攻撃を試みている者もいたがまったく効果が無かった。見た目以外の特徴もシリカと一致する物はあったが、セイシュやドブロクから感じた何かが、その魔人からは感じられない。


「なんてこと・・・」


 犠牲者を覆う布の中から生徒の物と思われる靴が見えていた。まさか、生徒にも犠牲者が出たのか。


 もう少しすれば上級魔獣を従えた生徒が駆け付けてこの魔人に対抗するはずだ。当然、アランも来るに違いない。だが魔人に勝てる魔獣は学園に存在しない。唯一対抗できるとすれば、それは当然


”ボガッ!!”

 移動の瞬間を目撃した者はいなかった。光の速度、というより途中の空間を端折ったように突然闘技場の真ん中に出現したシリカは魔人の背に蹴りを入れ、間髪を入れず体をひねって側頭部に回し蹴りを見舞った。当然どちらも目立った効果は無い。


 同じ魔人シリカからの攻撃も効果がない。そんなところも腹立たしいほどに魔人シリカそのものだ。


 魔人の方はシリカを一切無視して、ひたすら地龍の胴体をへし折ろうとしていた。だが、大型のワニのような地龍の身体は魔人の手ではつかみにくいらしく、容易に折れないでいた。


 それでも、シリカが本気を出したらそうなりそうなことではあったが、掴みにくい地龍の身体を両手の握力だけで強引に掴んでその胴体を引き千切ろうとしていた。鱗が歪み、隙間が開く。


 レイラの背筋にぞわっとした感覚が走った。


 魔人シリカを敵に回した時の絶望感。

 武器も魔法も通じない魔人が、その手足だけを武器に街を破壊し国を亡ぼす。時間はかかるが止める手段がなく、可能なら逃げるしかない。魔人シリカに対抗する手段は無い。今、シリカが魔人を制止するような動きを見せているのはレイラがシリカの主人だからだ。そのシリカをもってしても積極的な抑止にはなっていない。


 殴る蹴るの暴行を加えていたシリカが突然一歩下がると左手を突き出し、右肘を引いて奇妙なポーズを取った。


 いつもの掛け声は無かったが、前腕の毛が伸びて鎌の様な形になった。それを魔人の手に向かって振り下ろした。


”ヴッッ!”

 その鎌には刃がない、本質的に体毛なのだ。ただ、高速で旋回する。先端はもちろん、側面であっても触れれば固い岩石も粉砕してしまう力がある。


 ギムレットは魔人の手の甲にそれなりの傷を負わせたようで、血液の様な赤いしぶきが飛び散り、魔人は地龍を放した。


 それまで無関心な様子だった魔人が初めてこちらを向いた。


 魔人は傷ついた自分の手を見た。生まれて初めての怪我なのだろうか、傷口から流れ出る赤い物が何なのかすら理解できていない様子だ。だがそれをつけた相手が自分にとって脅威だという結論には至ったようだ。


 一方のシリカは、ここで一気に畳みかければ勝利は確実と思われたが、何かにひどく驚いて狼狽したような表情でその場から動けずにいた。凡そ1年の付き合いだが、レイラはシリカのこんな様子を初めて見た。こっちはこっちで、生まれて初めて相手に怪我をさせてしまったかのようだ。口までなにやらあわあわと動いていて、さっきまで魔人を一方的に攻撃していたとはとても思えない。


 闘技場は先刻にも増して混乱していた。


 レイラとシリカが到着したことで生徒たちに安心感のような物が芽生え、避難の足が鈍ったばかりか、魔人同士の決闘を見届けようとして一部の生徒が闘技場へ戻り始めたのだ。警備部員が避難を呼びかけているが、それに従って避難する生徒と戻ろうとする生徒で通路も階段も更に混雑してしまった。あまり信頼されるのも考えものである。


「先生、あれはあの、お探しの探査機ということはありませんの?」

 シリカに似た人造人間、生物教師の正体、そんな言葉がレイラの脳内を駆け巡った。

「いや、プロコはこんな風に現地の生物に関わるようにはプログラムされていない。変質したとしてもこんな戦闘力はないはずだ。」


 セイシュでもドブロクでもないことは確実だ。クリスタでないことも見ればわかる。レイラはかつて生物教師の仲間が様々な世界へ送り出したという探査機の話を思い出したのだが、生物教師には一目でわかる違いがあったようだ。


「では、やはりあれは。」

「4人目の魔人シリカ、としか思えない。」


 突然、魔人の攻撃の矛先が変わった。シリカをめがけて猛然と突進し、その喉を掴んで更に突き進んだ。アリーナと観客席は頑丈な障壁(ポディウム)で隔てられていたが、魔人はシリカを掴んだまま障壁に突入した。さすがに壁を破るまでは行かなかったが、シリカの身体はその厚みの半分ほどもめり込んだ。


 史上初の魔人シリカ同士の戦いは、果たしてこれが戦いと呼べるのか。


”ガ、ガハァ・・・”

 信じがたいことに、シリカが苦しそうに呻いていた。呼吸をしていないのではないかといわれるシリカが首を絞められて苦しがるのか。それともやはり気管のような物があって何かが通っているのか。とにかく、シリカが苦しむというあり得ない状況になった。


 盛んに壁を蹴って逃れようとするが、魔人の方が背が高く、シリカの両脚は地面から浮いてしまっていた。


 ならば、ギムレットで再度攻撃をしようとしたが、魔人に迫った鎌は当たる直前で力を失ったかのように逸れていってしまった。


 もう一度・・・


 角度を変えて突き進むギムレットは、魔人に届くかと思われた瞬間に相手を見失ったように迷走した。


 何度試してもギムレットは魔人の肌に触れることができない。


「あれは・・・何をしているんだ?!、あの毛の攻撃は通用するんじゃないのか?」

 生物教師が驚いて叫んでいた。内容的にはレイラに訊いているのだろうが、声の大きさはシリカに対して言っているようだ。


 レイラもこれは答えに困った。さっきは確かに効果があったのに、動いていない相手に対して今は当たりすらしない。魔人が何か対抗手段を発動させたのか?いや、そんなものがあるならシリカが現れた時点で使っていてもおかしくはない。


 問題はもっと別の所にあるのではないか?


 シリカがおかしい。壁に押し付けられ首を絞められながら、怯えたような目で魔人を見ている。シリカの攻撃が効かないのは魔人の防御力ではない、シリカが本来の力を出していないのだ。


「どういうこと・・・?」


 今まで学園内での決闘を含めてミハルの作ったゴーレムなど様々な相手と戦って無敵を誇ったシリカだったが、その勝ち方には一つの特徴があった。それがあったおかげで、レイラはどんな決闘にも安心して応じられたと言っていい。


「これは・・・危惧していたことがさっそく現実になったか。」

「危惧?」

「シリカは決闘では無敗だ。それは間違いない。しかし・・・」


 生物教師の指摘はこうだった。


「シリカは相手の攻め手をすべて封じて戦意を喪失させる、いわゆる判定勝ちを重ねているのであって、相手を倒していない。」


 魔獣は力の差に正直である。基本的に自分より強い相手に対しては服従をする。命の危険を冒してでも戦い続けようとするのは主人に対して余程の忠義がある場合くらいだ。


「魔人クラス同士の戦いとなれば共倒れか、永遠に睨み合いになるかと思ったがどうもそんなことはなかったらしい。だが、どちらにしてもここは危険だ。急いで皆を避難させないと。」


 魔人はシリカの首を絞め続けていたが、その首は他の魔獣と違って容易に折れそうになかった。そしてなぜか苦しそうなシリカ。レイラはその様子を食い入るように見つめていた。


「我々も早く・・・どうした?」

「なんというかこう、違和感が・・・」


 髪の色。シリカの紺に対して魔人の髪は銀色。種族が同じでもこの程度の違いはあるだろう。


 魔人シリカの姿は歴史上の目撃事例が当時の古文書にも詳しく書き記されている。角の形、本数、瞳の色などまで。当然、髪の色と長さも。生物教師は自ら血まみれになりながらそれらを慎重に検証し、その上で”魔人シリカ”という判定を下したのだ。


 だが、目の前の2人を見てレイラにはどうしても同じ魔人シリカとは思えなかった。

 

 学園に溶け込み、「魔人ちゃん」とあだ名されるほどになると、シリカにはそれまでにない行動が見られるようになった。服を身に着けない生活が長かったこともあって女子生徒の、特に下着に興味を持ってしまった。同じ制服を着ていながら下着だけは生徒ごとに個性的なものを身に着けていることが不思議に思えたらしい。更衣室で着せ替え人形化していたところをレイラに叱られるのだが、この時尻を叩かれて悲鳴を上げる姿が目撃されている。


 殴打も焼夷も受け付けないシリカがレイラの平手を大袈裟に痛がる。軽い平手の方が殺意のこもった打撃より痛いわけがない。


 呼吸をしていないのに首を絞められると苦しがる。


 この反応の逆転。


 今のところ魔人がシリカを圧倒しているように見えるが決め手はなく、シリカの方ももがいている割に脱出は成功していない。まるで両者が手を抜いているようだ。


「違和感と言っても、髪の色以外は同じにしか見えん。」

「そういう外見的なものでなく、挙動というか、反応みたいなところが・・・」


 レイラたちの会話をよそに、シリカは特殊戦法を試しはじめた。


 ギムレットを伸ばして、首に食い込んだ魔人の指に絡みつかせた。


 更に魔人の身体にも這わせた。


 突然、魔人がシリカを放した。解き放たれたシリカは何事も無かったかのように壁から地面に降り立った。


「グブッ・・・グガッ!」


 魔人が痙攣を起こし、なにやら大声で喚きながら奇妙な踊りを始めた。


 見えてはいなかったが、レイラにはシリカが何をしたのかすぐに分かった。


「そうよ、スペクター・ギムレットは刺したり抉ったりするだけじゃないのよ。」

「何だって?」


 岩を崩したりトンネルを掘ったり、障壁として矢の雨を防いだりと力任せな使い方が印象的だが、レイラに向けて初めて使った時は本人に気付かれることなくパンティを

「一体何をしたんだ?」

「下らないけれど効果的・・・魔人の脇をくすぐったのですわ。」


 突然見せた奇妙な踊りは笑いだったらしい。魔人の笑い声が変過ぎてわからなかった。

 シリカのスペクター・ギムレットは雑な使い方だけでなく繊細な動きも可能なのだ。


「なんというか、この主にしてあの魔人有り、という感じだな。」

「お褒めのお言葉なのかしら?」


 確かに魔人に対して効果は抜群だったが、この状況でくすぐりを考えつくのが実にレイラ的発想だった。


 魔人は地面に転がり、手足を激しく振り動かしながら必死で呼吸を整えようとしていた。挙動自体は笑っているように見えるのだが、表情がどうしようもなく苦しそうだ。

 紅潮した顔面が光って見える。


「むぅ、やはり止めは刺せないか。」


 一気に畳みかけるチャンスなのだが、シリカはただその場に突っ立っていた。両腕のギムレットは既に元に戻っていた。不意打ちで相手の攻勢を崩し一時的に魔人を行動不能に出来たが、これで倒したわけではない。ならば相手が正常に動けないこの隙に止めを刺すべきなのだが、転げまわる魔人を前にしてシリカは特に行動を起こす気配が無かった。

 

「だがもう一つ明らかになったことがある。確かにあれは魔人シリカとは異なる者のようだ。」

「え?」


 レイラは思わず訊き返した。


「君がさっき言った通りだよ。シリカはあれだけ苦しそうにしていながら、解放されると何事もなかったかのように起き上がってきた。つまり苦しそうなのは演技なんだ。普通の攻撃を刺激レベルが低くて危険と感じないか、脳か神経に機能の欠損があるとか考えられるが、反応そのものは痛がる動作を学習した結果とみて間違いない。」

「それは、そう見えるだけでそのような証拠があるわけではありませんわ。」

「いや、痛みに反応しないのが本来のシリカなのだ。無視できる程度の刺激に対して同じ反応を返すということは反復によって”痛がる”を学習したと言える。」


「一方、あの魔人はくすぐられて息が出来なくなるほど悶え苦しみ、しばらく収まらなかった。笑い方自体が変なのは個性として、シリカよりはヒトに近い反応だったと考えられる。」

「確かに、身体を捩って苦しそうにのたうつのは笑っているようにも見えましたわ。」


「くすぐられて笑うのは、脳の防御反応だ。急所に触られたときなどに無意識に現れる反応で、皮膚に触れられた感覚が神経を通って脳に伝わることで発生する。」

「はい。」


 こんな時に生物の講義だろうか。

 

「つまり、あの魔人は身体の仕組みそのものからしてシリカとは違うのだ。魔人は文字通りヒトのように反応し、シリカの反応はヒトに合わせようとする思考の産物。それが両者の反応の違い、君の感じた違和感の正体だ。」

「よくわかりませんが、魔人は本当に痛いから痛そうにして、シリカは痛そうだと思ったから痛そうにしているという事でしょうか。」


「もちろんもっと詳しく調べる必要があるが、あれは魔人シリカ以外の何かである可能性が高い。」


 この理屈だとレイラは日常的にシリカに手を上げたり首を絞めたりしていたことになるが、学園内でふざけ合っている生徒の姿を見たりして、シリカはヒトの様々な反応を学習していたのだろう。

 


 魔人の呼吸は大分落ち着いてきたが、まだシリカに対して反撃を開始しなかった。シリカが棒立ちの今こそチャンスなのだが、腹がよじれるほど笑わされた(明白な笑い声を出したわけではないが)経験を正体不明の攻撃、特に急所に接触されたと判断して警戒しているのだろう。


「埒が明きませんわね。」

「シリカに攻撃を命令できないかね?あれを今ここで倒さねば、取り逃がせばまたどこかで被害が出る。」


 シリカと魔人が戦う横で、警備部と生徒たちが倒れた魔獣の収容を急いでいた。


 魔人は一度に一つの目標しか攻撃しないようで、シリカと向き合っているうちは生徒たちのそうした動きに全く反応しなかった。


 だが、地龍はかろうじて息があったが自力で歩けない状態だった。それ以外に10体程度の中小の魔獣が転がっていたが動いている物は一体も無い。何人かの生徒が動かない魔獣に縋り付いたり送還魔法を使ったりしているが、一部の魔獣は既に死んでいるようだ。靴だけ見えていた生徒は・・・考えたくない。


 魔人の出現からまだそう時間は経っていなかった。


 まもなく応援の警備部員が大型魔獣を伴って駆け付けるはずだ。当然、その中にはアランもいるだろう。


 魔人の対空戦闘能力はどうなのだろう。飛行能力を持っているようには見えないので、空中から攻撃できる翼龍には有利な状況に思える。


 逆に翼龍ベータがあの魔人に捕まった場合、地龍ほどの耐久力があるとは思えない。地面に立たないことが必須だろう。


 そのような状況になったとき、アランは・・・


「シリカ・・・、その子を倒しなさい!今逃がしたらこんな被害が増えるのよ。」


 試しに命令してみた。具体的な方法や狙うべき部位の指示も無い。普段から決闘のような状況でレイラがシリカに細かい命令を出すことはなく、その度シリカは自分で戦術を考えていたのでこのくらいの命令で充分なのだ。生物教師の言う通り、この魔人を放置するわけにはいかない。


「これはあなたにしかできない事なの。あなたが・・・」


 シリカはレイラの命令に応じなかった。


 ”倒せ”、とは”殺せ”とほぼ同義である。しかしシリカは致死性の力の使用を躊躇した。今更?歴史上世界各地で散々暴れてきたはずなのに、今になって命を奪う事に抵抗を感じるのか。


 もしかしたら首絞めと同じことで、魔法学園で暮すうちに魔獣が生徒たちに大切にされていること、中には家族のようなつながりを感じていそうな生徒までいることから、魔獣を傷つけたり殺したりしてはならないことを学習してしまったのかもしれない。それ自体は決して悪い事ではないが、その成果を今見せられても困る。


「・・・だめですわ、あの魔人にも主人がいるとか考えていそう。」


 無闇に魔獣を殺すのは良くないと言っても例外はあると教えるか。あるいは殺さない程度に留めるという方法もあるが、それを実行するには急所、つまり相手の身体構造についての知識が必要だ。シリカにそれを教えている時間は無いし、そもそも魔人の急所など誰が知ろうか。くすぐりが効くという事はヒトと大差ないのかもしれないが


「野良の可能性はある。魔人ともなれば召喚するには相当の魔力が必要だが、その一点に限り君に匹敵する者はこの学園にはいない。」

「それは、どうも。」

「仮に誰かが召喚したとして、もうシリカに勝てないことはわかったずだ。そろそろ逃げるか降参するかしないと睨み合いも限界だろう、これ以上・・・いや、待てよ・・・」

「これ以上、なんですの?」

「魔人がまだ何か奥の手を隠しているか、或いは・・・」


 生物教師は少しの間考えていたが


「今日は決勝・・・シリカへの挑戦権が懸かった日だったのだろう?ならば実力のある魔獣が集まっていたはずだ。そんなところへのこのこと出てきてこんな惨事を起こして、ただの示威行為で済むのか?間違いなく最強の魔人、シリカが出てくる。」

「シリカには決して勝てない。」

「倒されるか逃げるかの2択で逃げない方を選ぶなら、あの魔人はわざわざ倒されに来たような物だ。」


 ヒトに近い形態であるほどその魔獣の知能は高い。魔人はその究極の姿である。言語を操って会話するだけではない、ヒトのように考え、悩むなどヒトと遜色ない思考能力を持つこともある。


 この魔人は何かに深く苦悩し、その末に死を望んだというのか。


 召喚者がいる場合、魔人クラスをこんなところで使い捨てにするというのはあまりにも割に合わない。奥の手を隠していると考えるのが合理的だが、召喚者が失恋したとか、何かの事情で合理的な判断を放棄したのかもしれない。


 シリカの戦いはかつてない長期戦になっていた。といっても今、両者には全く動きが無い。いわゆる「先に動いた方が殺られる!」状態である。


「相手が隙を見せるのを待っているように見えなくもないが、シリカにそんな芸当ができるのか?」

「!そのくらい・・・多分できますわ。」


 生物教師はシリカを馬鹿だと言ったのではない。いままでシリカがそのような戦い方をしたことが無いので単純に確認をしただけだ。シリカの場合、相手に隙が無くても無敵の身体を活かしてごり押しできてしまうので待つ意味がないというだけで、待てと言われて待てないような頭ではない・・・はずだ。


 更に、転移能力によって地中を一瞬で移動できるシリカにとって間合いは意味を成さなかった。逆に言えば今の距離は


「どんな手を隠しているか知らないが、あのくらいが魔人の間合いなのか。」


 少し遠いが、今の両者の間隔が魔人にとってギリギリの距離なのだろう。魔人なりにシリカの能力を測り、この距離なら先に動かれても対応できると判断した感じだ。


 ・・・目を離したわけではないが、次の瞬間には魔人はシリカの目の前で両脚を踏ん張っていて、直後に元の場所に立っていた。


「いったい何が・・・?」


 レイラの目でも魔人が搔き消える瞬間は見えたが、行ってもどるだけの移動の意味は分からなかった。だが、先に動いたのは魔人で、先に動いたが殺られることなく仕切り直しになったということはわかった。


「このままこちらの応援がくればますます魔人にとっては不利な状況になる。そうなる前に先に手を打とうとしたらシリカに対応されて、何もできずに引っ込んだ、というところだな。」


 生物教師の目には何が見えていたのだろうか。


 通常移動を含めて、戦闘時のシリカの挙動は非常に素早く、訓練された者でなければ瞬間移動のように見える。言い換えればヒトの目でも訓練次第で追える程度の早さなのだが、本気を出していない説もある。


 魔人は地上ではシリカに匹敵する早さで移動できるようだが、一撃目を当てる前に対応されて急いで離れたようだ。


 一呼吸あって魔人が攻撃を再開した。正拳を中心にした手技の連続である。自分の動きに合わせてシリカが対応することは先ほどの突進でわかっていた。同時に、それが構えだけで打ち返してこないかもしれないという疑念がわき、それの確認と併せて実際に打ち込んだのだ。実際、シリカは殴られるまま突っ立っているだけだったが、魔人の拳はシリカには全く効果が無かった。


 その後も魔人の無駄な攻撃は続いた。


 わけがわからない。好き放題に暴れて他者を傷つけておいて、その理由が殺されるため?

 そんな知能があるなら自死する知恵くらいあるだろうが、魔人の身体がそれをできなくしている。普通の方法では死ぬどころかかすり傷すら受けないのが魔人なのだ。


 どこから現れてどこをどう彷徨ったのか、強そうな魔獣が集まっている所に辿り着いた。当然、それらも魔人の敵ではなかったが、一体倒す度により強い魔獣が現れ、遂にシリカが現れた。初めて自分に傷を付けた相手に希望を見たのかもしれない。


 両者が激突する度、服に裂け目が増えて行った。魔法学園の制服には着用者の魔力によって自己修復する機能があるが追いついていないのだ。ある意味、魔人に似た宿命を負った服である。


「そうだわ!あの魔人、おかしいですわ!」

「は?何だ突然。」


 対峙しているシリカと魔人は同じ様にユニコーン風の角が生えた少女で、見た目の年齢は同じくらいに、ヒトの基準では見える。髪の色は違うがそれは個体差かもしれない・・・だが決定的におかしい点がある。


「あの魔人、服を着ていますわ。」


 シリカの服はレイラが魔人を預かることになった日の取り決めに従って学園理事会が用意した「魔人服」である。魔法学園の制服と同じ素材からできているが、ギムレットの出し入れや尻尾に合わせて仕立てた特注品で、学園の制服に似ているがローブや靴が無いなど明白な違いがある。一方、魔人が着ているのは魔法学園の制服その物である。それだけなら服のデザインの違いでしかないが、魔獣がそうであるように魔人には服を着る習慣がない。シリカはレイラの命令で服を着させられているのだ。魔人が自発的に服を着るわけがない、着るように命令した者が居るはずだ。


「まさか、本当にあの魔人を召喚した者が居るのか。」


 それはレイラに匹敵する魔力の持ち主が居るという事でもある。仮に魔法学園の生徒だったとして、普通の成績を上げていればそれは恐るべき相手にちがいない。


 召喚獣に命令をするには声が届く範囲に居る必要がある。魔法で声を届けることは可能だが、風の影響を受けるので障害物があると難しい。だとすれば召喚者は闘技場のどこか、それもこの場を見ることができる場所に隠れているにちがいない。


 ミハルがやったように地下に潜んでいるのだろうか。それは不可能だ。闘技場は使用前に各部を入念に検査されるため、地下はもちろん壁に空洞を作って潜んでいても発見されてしまうのだ。



 状況は唐突に動いた。


 何度目かの突撃で魔人はシリカに接触する寸前で片足を軸に回りながらスライドした。前方に集中していたシリカは容易く背後を取られたが、その程度で優位が揺らぐはずもない。


 だが魔人はシリカの背を全力で蹴ると、反動を利用してそれまでとは違う方向へ、離れたところに居たレイラに襲い掛かった。主人であるレイラを倒せば或いは勝機を見いだせるかもしれない。


「げっ・・・!」


 うっかり聞き苦しい声を出してしまったが、レイラは突如飛来した翼龍に両肩を掴まれて空中に舞い上がっていた。


「無事かい?!レイラ。」

「殿下?!」


 翼龍ベータの足に吊るされているレイラからはアランの顔を見ることはできなかったが、口調からはかなり焦っている様子が窺えた。


 魔人はそれ以上追ってこない。シリカに追われて逃げ回っているというのもあるが、さすがに空を飛ぶ能力は無いのだろう。更にひとつわかった事がある。この魔人は倒されに来たのではない。


 そして知能はやはり高いようで、生物教師を追いかけるようなラインで逃げているため巻き込みを避けたいシリカは攻撃できない。生物教師、魔人、シリカの順に並んでいるにも拘らず、生物教師は実質シリカに対する盾として機能していた。


 ベータの脚をよじ登ってベルトにつかまりながら背中にまわったレイラはアランの後ろに座った。1人用の鞍だがレイラくらいなら座るのに十分な余裕がある。


「あれは、魔人がもう1人いるのか?」


「おおぅわあぁぁっ・・・!」

 生物教師の身体が宙を舞っていた。しびれを切らしたシリカがギムレットを伸ばして生物教師を進路上から排除したのだ。


「うわあっ!」

 生物教師はシリカの頭上を越えて後方に降ろされた。扱いが少し乱暴だった気もするが、ギムレットに巻かれて比較的緩やかに降ろされたので大きな怪我は無いようだ。これで2人の戦いに巻き込まれる心配は無くなった。


 そして、レイラを襲ったことはシリカが本気を出すのに十分な理由となった。


 魔人の前にシリカが出現した。地面から生えてきたように。右にも、左にも、4人のシリカは一斉に正拳を繰り出し、四方から魔人の腹を抉った。すべてが有効な打撃であり、魔人はその場で膝をついた。魔人が顔を上げるとシリカは正面の1人だけになっていたが、今度は魔人の首を掴んで吊るしあげた。魔人の身長はシリカより高い。手では吊るせないのでギムレットを首に巻き付けた。


 シリカは魔人の首を締上げた・・・締上げた。


 シリカは怒りに任せて一時的にかつて見せたことのない能力を発揮したが、既にレイラの危険は去った。更に魔人との力量の差は明白だった。怒りはほとんど収まっていた。魔人は戦意を喪失したように見え、もう少し締上げればシリカの腹も完全に収まるだろう。


「あれは・・・適当なところで降りて魔人を拘束した方がよさそうだ。」

「え?」

「カッとなって捕まえたはいいけれど、そこから先をどうするかまで考えていなかったんじゃないか?」


 首を折ることも刎ねることも、シリカならどうにでもできるのだが、それをしないでただ吊るしているのはアランの言う通りなのかもしれない。もちろん、実は怒りは収まっておらず、このまま苦しみながら死んで行けと思っている可能性も無くはない。


 魔人はシリカからたった一撃を受けただけで大ダメージを受け、自分では立つことすらできない。今立っているのはシリカがギムレットを伸ばして魔人に巻き付けているからだ。


 アランはベータを操ってシリカの上をゆっくり旋回させた。


 魔人に巻き付く前腕の距毛、ギムレットは本数を増し、肩にも足にも巻き付いていた。まるでそういう拘束のようでもある。


「あんなにもグルグル巻きにする必要はないんじゃないか?」

「たぶん、主の命令があって放すと攻撃を始めてしまうのではないでしょうか。」


 シリカは魔人を締上げるだけで、まだ致命的な力を使ってはいなかった。


「殿下、シリカの後ろにつけてください。」

「わかった。」


 元々着陸場所を探して旋回していたのだし、希望する場所があるなら特に迷うことは無い。魔人に近すぎるがシリカが押さえているなら大丈夫だろう。


「それと、動きのおかしい人を探してください。人混みの中でも上からなら見やすいでしょう?」

「何?」

「あの魔人を召喚した者が紛れています。」



 ギムレットで宙に浮かされた魔人は、力を振り絞ってその拘束から逃れようともがいていた。ギムレットは強力とはいえ所詮は長く伸びた毛に過ぎない。もしかしたら魔人の力が上回るかもしれない。


 ベータが飛び去り、レイラはシリカの後ろから声をかけた。

「シリカ。ゴーレムの時のあれ、できるかしら?」


 シリカは首を巡らせてレイラを見た。その意図を探るように。


 ゴーレム。ミハルが貴族を襲った時の岩石巨人である。ゴーレムと対決したシリカは、主人の命令のまま動くゴーレムを倒すことなく無力化し、現場から連れ去った。実際には現場のすぐ横の地面に埋めただけだったが、それはゴーレムに対する命令を上書きするという離れ業でもあった。


 シリカは小さく頷くと、魔人に巻き付いていたギムレットの一部をほどいて

 レイラは両手で耳を塞いだ。


”バンッ!”


 大きな音がした。


「何だ?!」

 驚いたアランが見下ろすと、レイラを降ろした辺りが茶色い煙に覆われていた。


 煙の正体は闘技場の乾いた土だった。シリカがギムレットで周囲の地面を強打し一時的に召喚者から魔人を隠すほどの土煙を起こしたのだ。


 シリカが継続して地面を叩いていたため、すぐに晴れるかと思われた土煙は予想外に長く滞留した。


 上空を旋回していたアランはこの状況下で観客席と土煙の両方に注意を払っていた。


 地上では逃げる生徒と戻って見物しようとする生徒でまだごった返していたが、ステラと警備部の努力によって多くが闘技場の外へと導かれていた。


 そんな中・・・


「どうした!魔人ッ・・・返事をしろ!くそっ、中の様子が見えんっ・・・」


 顔を隠すように魔法学園の黒いフードを被り、障壁の控え壁の部分に隠れて小声で叫んでいる男がいた。最初は生徒たちに紛れていたようだが、他の生徒が出口へ殺到する中、いつまでも逃げずにいれば嫌でも目立つ。


「君、大丈夫か?」

「ひっ!」


 ベータがすぐ後ろに接近しても気づかないほど集中していた男は、不意にかけられたアランの声に驚いて飛び上がらんばかりだった。


 アランはベータから降りるとゆっくりと男に近づいて手を伸ばした。

「こんなところにいては危険だ。外まで連れて行ってあげよう。」

「う?・・・ああ。けっ、結構です・・・」


 男はフードで顔を隠しながら後ずさろうとするがその方向にあるのは壁だ。

「そう言わずに、ほら。」


 迫るように手を差し出すアランに、男は声を上ずらせながらしきりに左右を見回した。

「い、いえ、本当に結構です!すぐに移動しますので。」


 控え壁があるせいで男が逃げられる方向は限られている。


「遠慮するな。」

 言うが早いか、アランの手には既に剣が握られていた。おそらく「な」の辺りで抜いたのだろう。そして男が剣を目視した時点で既にフードが切り裂かれていた。真ん中から左右に割れていくフードの中から


「・・・誰だ貴様。」

 うっすら髭を生やした若い男が現れた。若いと言っても明らかに生徒の年齢ではない。学園の職員といえばありそうな年齢だろうが、アランは職務柄関係者の顔を覚えるようにしている。そのアランでも知らない顔だった。


「い、いや・・・これは」


 まだ生徒に成りすましているつもりでいた男はその場を取り繕うために必死に言葉を探したが、鋭く睨みつけてくるアランを前に何も浮かばない。


「くそっ!」

 思い余って背後の壁を乗り越え、アリーナ側へ飛び降りようとした。だが、遮蔽物の無い方へ向かう事になった男は


「うおぅわぁぁぁっ!」

 たちまち待機していたベータに捕まって吊り上げられてしまった。


 レイラの言った通りに怪しい男を見つけて捕らえたアランは、次はそのレイラの方へ向かった。

 ベータが不審者を吊り下げているためアランは自分の脚で走る。


 土煙の中には何も見えず、音も静かで何かが動いている気配すらない。その静かさが気になってアランの脚は自然に速度を増す。


「レイラ!」


 呼びかけるが返事は無い。

「レ・・・」

 再び呼びかけようとしたとき、土煙が晴れ始めた。普通の煙と比べて重い粒子で出来ている土煙は晴れ始めると薄くなるのは早かった。


 完全に晴れる前に中の状況は大体見通せたが、シリカとあの魔人が戦っている可能性を考えてアランは一旦脚を止めた。


「・・・」


 土の煙幕が更に薄くなると、ギムレットに叩かれていた地面はシャベルで掘り返したように土が起きていた。それも指先程の大きさの小さなシャベルでこれでもかというほど繰り返し掘り返したような感じだ。空気を含んだ状態の地面はかなりやわらかくなっていて、気づかずに踏み込んでいたら無様に転ぶか腰の辺りまで埋まってしまっただろう。その中心付近にはちょうどヒトが2,3人立てるくらいの地面が残っている。そこだけがはっきり平らになっているのだ。たが、そこには誰も立っていなかった。


 煙幕が晴れるにつれてそれが間違いだとわかった。本来黒いはずの制服が土埃にまみれてしまい、保護色のようにレイラを隠していたのだ。だが、いたのはレイラだけだった。


「レイラ!」

 アランはやわらかくなった地面の縁から呼びかけた。


「すみません、ちょっと・・・」

 レイラは顔に付いた埃を払い落としてからアランの方を振り向いた。埃まみれの顔が恥ずかしかったというより、そのままでは目を開けられなかったからだ。そしてアランの方へ一歩

「ひゃあっ!」


 シリカの掘り返した土に踏み込んでしまい、たちまち腰まで埋まってしまった。舞い上がった土でまた姿が見えなくなる。


「大丈夫かい、レイラ。」

 自分で歩けるならまず怪我は無いのだろう。だがこの姿は少なからず笑いを誘う。


「もう、笑わないで助けてくださいませ。」

「すまない。さあ、手を貸して。」


 レイラはアランの手の方へむかってふわふわした土の中を歩いた。一歩進むごとに土の細かい粉末が舞い上がるので難儀したが、中心から離れるほどに積もった土は浅くなり、最後にはアランの手を借りて無事に出ることができた。


「シリカとあの魔人は何処に?」

「怪しい者は見つかりまして?」

 レイラはアランの質問に答えなかったが、アランは先に答えることにした。アランの答えが無いと安心して教えられないのだろう。


「さっき、生徒の振りをした妙な男を捕まえた。もう詰所に着く頃だ。」


 詳しい取り調べはこれからだが、その男が魔人の召喚者なのだろう。捕まったという事なら話しても大丈夫だ。

「シリカは魔人を捕まえて、安全な場所に隠しに行きました。」

「安全な場所?」


 シリカはミハルのゴーレムと対峙した時のように使役魔法による魔人と召喚者のつながりに割り込み、その制御を掌握した。見たり触れたりできない魂の繋がりのような物に割り込む仕組みはさっぱりわからないが、シリカはそれでゴーレムをおとなしくさせ、中庭に隠した。今回も同じ様に魔人を乗っ取ってどこかへ隠してしまったのだ。だがその隠し場所が問題だった。


「というと、まさか・・・」

「さすがアラン殿下、察しが早くていらっしゃいます。」


 アランは困ったような顔をした。アリーナではまだ倒れた魔獣の片付けが続いていた。学園での決闘や授業で魔獣が死ぬまで戦う事はほとんどない。というか、もう何年も犠牲を出していない。この惨事を起こした魔人を、あろうことかレイラは


「あそこには・・・ベータもいるのに大丈夫なのか?」

 自分の部屋の地下に匿ったというのだ。自分も襲われたというのに。


「そこはシリカが付いていますから。それに・・・」

「それに?」

「あの魔人はもう、戦えませんわ。」

「それは、使役魔法を切られたから?」

「いいえ・・・」


 レイラはなぜかアランから目を逸らし、俯き加減に答えた。

「あの魔人の身体は、きっともう持ちません。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。