表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/13

茜色の冊子

 降り立った駅はあの頃と変わらず小さくて。白いペンキがへたくそに塗ってあるベンチも、日焼けしたチラシが張ってある掲示板も、年老いた駅員さんが待機する駅の中の部屋も、全部が全部あの頃のまま。変らないでここにあった。

 私は帰ってきた。私の育った町。私のふるさと。四方を山に囲まれ、流れる川に沿って民家が立ち並ぶこの町に。流れる小川。田んぼのあぜ道。滅多に車の通らない国道を颯爽と自転車で駆ける。幼い頃の想い出は、枯渇していた泉のように、小さなきっかけで再び美しく潤い始めた。

「ただいま」

 駅を出て広がる町並みに、そう呟いた。


「ただいま」

 古い民家。広がる田んぼの先にポツリと建つ木造の家の引き戸を、盛大な音を立てて開けて、十年ぶりの里帰りを私は果たした。家族の誰にも連絡をしないで、サプライズ里帰り。驚く顔を見るためだ。

「ああ、冴子かい。おかえり」

 でも、迎えた母さんは案外普通で、初めから私が帰ってくるのがわかっていたかのように素っ気ない。広い玄関に佇む私を、居間から顔だけ覗かせてそう言ってきた。そしてあろうことかすぐにまた引っ込んでしまった。聞こえてきたのは、昼ドラの音声。肩透かしを食らった私は、肩にかけたショルダーバック、一週間分の着替えなんかをどさりと落としてしまった。

 ……そんだけなのかい、母さん。


 気を取り直して居間に入って、私は母さんと話をした。お互いの近況のこと、この町のこと、私の東京での生活のこと。さっきはあんなに素っ気なくて、ありゃりゃと思っていたけれど、以外や以外、やっぱり会話は弾んだのだった。どろどろした昼ドラの会話だって、単なるバックミュージックに成り下がってしまったし、会話が一段落した頃には、いつの間にか番組は変ってしまっていた。

「ところで母さん。私が帰ってくるの、分かってたの? 分かっていたとしても、ひどくないかな、あのもてなしは」

 そんな折に、私は帰った時のことを尋ねてみた。私は家族の驚いた表情と、盛大な歓迎を少なからず期待していたから、ちょっと拗ねていたのだ。何せ十年ぶりの里帰りなのだから、それはもう抱き合ったり、手を取り合ったり、そこまではいかなくても、帰ってきた理由とかは聞いて欲しかった。つめよる私に、母さんはのんびりとこう返してきた。

「ああ、あれ。だって、冴子は子供の頃からふらりと出て行って、いつの間にか帰ってきてたじゃないの。もう慣れっこよ。それにね、あなたがどこへ行こうが、いつ帰ってこようが、この家の玄関は冴子をいつでも受け入れるしね」

 当然のように話す母さんの言葉に、私は毒気を抜かれてしまって、それどころか何気ない言葉に、感動してしまっていた。いつでも帰っておいで。辛くなったらここに帰っておいで。無償で許されているように感じたのだ。滲み始めた涙を隠すために、私は突然立ち上がって私の部屋は綺麗かどうかを尋ねた。

「冴子の部屋? 何もかまってないわよ。あなたが高校に行くために下宿をしだした時のまま、変らないはずよ。ふふふ、出て行く時片付けなかった中学の頃のものが散らばってるかもね。冴子は片付け不精だったから」

 ちょっと母さん? 笑いながらで母さんを振り返った。滲んだ涙は多分隠せたはずだ。


 変らないネームプレートの懸かったドア。ノブを回して、一歩踏み出す。止まった空気が体中を包み込んだ。あの頃のまま、私の部屋は私を受け入れてくれた。

 窓を開けて、部屋の掃除をする。十年分の埃を掃除機で吸い取って、雑巾でふき取って、散らばっていたものを片付ける。中学生の頃の私は、本当に片付けが嫌いで、今やベッドの上に積み上げられた数々のものが、そのことの揺るぎない証拠としてそこにあった。椅子に座って、コーヒーを飲んで、一息入れる。テレビの音を聞きながらベッドの上、少し大きなその山を見て一気にやる気がそがれてしまった。……面倒くさいな。今も片付けは苦手なのだ。

 ぼーっとその山を見る。どこから手を着けるべきかぼんやりと考えながら。もう止めたいな……なんて片隅に思いながら。そしたら急に見覚えのある冊子が視界に入り込んできた。山の天辺、積み上げた時は気にもしなかった中学の頃の文集が、ちょこんと置いてあった。立ち上がって、手にとって、コーヒーを机にパラパラと捲る。個人で自由に使っていいページには、自由きままに、夢とか想いとかが綴ってある。どれも個性的で、懐かしいみんなの事が思い出された。


 鉛筆で空を描いてやる!


 そう書かれたページで手が止まった。A5サイズの白紙の中心に、たった一行だけ、意志の強そうな力強い筆跡でそう書いてある。背が高くて筋肉質で、でも絵が抜群に上手かった花山くんのページ。特に風景画が好きでよく書いては私に見せてくれていた。彼との想い出はいつもオレンジ色。彼の私にかけてくれた言葉はずっとずっと心の底、私の大きな支えとなっている。今もどこかで空を描いているのだろうか? 久々に彼の絵を見たいと思った。

『始めっから諦める必要なんてないんだ。誰がなんと言おうとも自分が納得した道を歩けばいい。オンリーワンが良いわけじゃないけど、それも素晴らしいと思うよ』

 私が全く身動きがとれなくなってしまった時、何も言ってないのにそう言ってくれた。夕暮れに染まる道に私の涙が溢れたこと。頭に置かれた、いかつくて大きくて、温かかった花山くんの掌。どっちもはっきり覚えてる。

 はっきりここにあるから、私はやっぱり前を向いて歩いていける。

 幼い頃からずっと触れてきたピアノ。そして今の私の原点。誰かに伝わる音色を目指して私は歩き続ける。

 花山くんに負けないように。誰かに響くように。

 パタンと冊子を閉じて、目を瞑る。暗闇の中にポッと明るく火が点いた。東京での生活に疲れ、火力を落としてしまっていた私の炎。再び赤く燃え出した。

 ずっと点けていたテレビを消して外を見る。鮮やかな夕焼けはあの日と同じで、とても綺麗だった。

「ただいま」

 そっと呟いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ