二月のクリスマス
二月の風は素っ気ない。
吹いた傍から体温を奪い、乾いた空気を運んでくる。枯れ木並木の遊歩道を遠慮なしに吹き抜ければ、行き交う人々は一様に寒そうに身を縮め、いち早く目的地に辿り着こうと言葉少なく歩いていく。コツコツコツコツ、靴が奏でるリズムだけが物悲しく響く中、地獄のような受験勉強の詰めの作業に日々追われる僕は、今日も一人塾から家に帰る。マフラーに顔を埋めて、コートのポケット、常備しているホッカイロをぎゅっと握る。少し感傷的になっていた。
目標はしっかりとある。あるにはある。
目指せ、国公立の四年制大学への入試! 目指せ、今まで幾度となく行われてきた判定模試で一度もB判定以上をもらった事のない大学への入学! それが今の僕の目標。センター試験で想像以上の点が取れたために、一気に道が開けたのだ。家族が期待している。先生も期待している。僕の目標は差し迫ったものとなった。
この目標を達成するために、僕は死に物狂いで勉強している。来たるべく二次試験に向けてだ。センター試験とは違う記述式で、更に難易度の高い問題を突破するために、毎日塾に通い深夜二時ぐらいまで勉強している。頑張って頑張って、大学に合格しようとしているのだ。
でも、ふと思う。何故こんなことをしているのかと。何故こんなに頑張っているのだろうと。そう思ったところでやらなければならないことが変り、違うことやり始める訳ではないけれど、ふと思ってしまうのだ。どうして僕はこんなことをしているのだろうと。
知識をぎゅうぎゅう詰めに詰め込んで、たった一回の試験のために準備をする。睡眠時間を削り、見たいテレビを我慢して、机に向かう。どうせいつかは忘れてしまうことなのに……。継続にこそ意味があるとか、嫌いなことでもやり抜くことに意味があるとか、いろいろと理由をつけてはみたけれど、どれもこれもうまく働いてくれない。僕の中の疑問への満足のいく解答にはなってくれない。
何をやっているのだろう。
漠然とした不安のような焦りは、時に津波のように僕の中で荒れ狂う。けれど、僕のこの生活が変わる訳ではない。
とぼとぼと歩く帰宅道。次第に空は紺色が絡んで、遠く空の彼方にきらりと一番星が輝き始めていた。その輝きを見つめて、白い吐息が一筋、空に向かって溶けていく。今夜は寒くなりそうだ。そんなことを考えた。そんな時だった。
彼女から、何かを貰った。いや、押し付けられた。
街灯が灯りを灯し始めた頃。その点いたばかりの街灯の下、ブロック壁にもたれかかる幼馴染みの彼女を見つけた。白いコートを羽織り、赤いマフラーが目を引きつける彼女は、ただじっと空を眺めている。無心に無心に、一点を眺めている。その視線の先を追って、ぶつかったのはついさっき見ていた一番星。一番最初に強く輝く希望の星。ああ、彼女らしいな。寒さに縮んだ頬がちょっとだけ緩んだ。
「おっす。何してんのさ」
さりげなく、気さくに声をかける。同じく受験勉強に追われている仲間同士、会話で少し気が晴れると思ってた。でも。ぱっと振り返った彼女、その表情はとてもびっくりしていて。あれ? なんか異質な空気。肌で感じて、とにかく次の言葉を発しようと思案し始める。あのとか、そのとか、何故こんな言葉しか出ないのか分からないけど、しどろもしているうちに、鼻っ面に何かを投げられた。ぽすって軽い音を立てて僕の顔に当たったそれは、あっけなく僕の足元に落ちた。反射的に痛っと言ってしまった僕は、そそくさと立ち去っていく彼女を呆然と見送ることしかできなかった。
「何なんだよ……」
「何なんだろ……」
帰宅して自室に入って、投げつけられた物の前に座り込む。外で呟いた言葉と一文字違いの言葉を呟いてしまった。投げつけられたもの、それはそんなに大きくはなかった。ただ、とっくに過ぎてしまったクリスマスの包装だけが不思議と映える。
いつ準備したのだろうか。クリスマス前なんだろうけど。
不思議が不思議な疑問を呼んで、僕は一人腕を組んでいた。どうして今なんだろう。……思案を続けても何も生まれる見込みがないので、とにかく包装を開いてみる。中にあったもの、それは――
「雑巾?」
赤と黒との見事なミスマッチ。柄が柄として見ることができない。もしかしたらその手の専門家が見たら素晴らしい芸術品だというのかもしれないが、皆目僕にはそう取れなかった。新品のはずなのに何故か使い古された年代物のような哀愁を醸し出しているこの物体。妙に味がある。でも、何故に雑巾? というか、これは何?
謎の手芸品を手にとってまじまじと見つめる。広げた時、一枚の紙切れが落ちてきた。直筆の手紙みたいだ。僕はそれを手にとり、綴られた文字を目で追う。
『メリークリスマス。直人は風邪引きやすいからプレゼントです。あんまりうまく出来なかったけど、一生懸命作りました。これでお腹を冷やさない様にしてください。お互いもう少しで受験だけど、最後まで一生懸命頑張ろうね!』
な、なんと! この雑巾は腹巻きだった。裁縫が死ぬほど嫌いな彼女が苦心のすえに完成させた腹巻だった。よく分からないけど、心臓の辺り、ふっと暖かくなった。素直に嬉しかった。でも、でも少しして思う。腹巻って……。普通、マフラーとか、手袋とか、そんなのじゃないかな。何故に腹巻……。うん。嬉しいんだけどね。僕のお腹が緩いのを知っててのことだからさ。でも、何故に腹巻……。
そんなことを考えているうちに、僕の中のどうしようもない焦燥感はいつの間にか吹き飛んでしまっていた。今僕の中にあるのはどうでもいい疑問。そして素直な感謝の気持ち。ありがとう。そんな想いと共に、最後まで頑張ろうとどこかで決心がついた。
そうだ、受験が終わったらチケットを送ろう。なんでもいい……できれば彼女が喜んでくれるもので、チケットを送ろう。ありがとうの気持ちをいっぱい込めて、彼女にチケットを送ろう。
雑巾……いや、へたくそな腹巻きをぎゅっと握って、そう心に決めた。




