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夜は記憶の片隅で  作者: Nova


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第9話:誘われた街の先で(前編)

 今井夢は母に頼まれたおつかいの帰りに、石塀のある住宅街を歩いていた。最近は日が暮れるのが早いもので、まだ早い時間だというのにすでにうっすらと暗かった。夢は、大根と白菜ともやしの入った買い物バッグを肩に引っ掛けながら歩き、残金で買った棒アイスを食べていた。


 それは毎回母におつかいを頼まれるときの駄賃のようなものだ。お金を少し多めにもらい、残った分で好きなお菓子などを買ってもいいことになっている。もう中学二年生になった夢ではあるが、母は未だにこのシステムを採用しているので、内心喜んでそれに従っている。


 夢は、食べながら歩くのはあまり行儀がよくないと母に言われているものの、いつも公園で食べてきた、と言ってごまかしている。当然英子と二人で帰っている時もだいたい何かを食べながら帰る。中学生はお腹が空くのだ。おつかいに行くたびに駄賃をもらえるシステムを、実際とても気に入っている夢だった。


 この時間の住宅街は、週末と言うのもあってか、ひどく静まり返っているように思えた。今井夢の家のように、子供がいる家庭も少なくはないはずなのだが、その割にはずっしりと重たく空気ののしかかるような感覚がある。よく家族連れの多い住宅地は騒がしいと言われるけれど、実際に騒がしいことなんてほとんどない、と夢は思った。


「にゃー。」どこからか猫の声が聞こえてくる。

「猫?」

「にゃー。」夢の声に応えるように、再度猫の声が聞こえてきた。

「どこにいるの?」夢は買い物袋を地面におろしながら、声の主を探そうとあたりを見回す。


「猫ちゃーん?」夢は足元をきょろきょろと見回す。

「にゃーん。」しかしどうやら猫の声は下ではなく、上の方から聞こえてくるようだ。

「あ、そこかな?」夢が視線を上に向けると、石塀よりもさらに高い木の枝の上に、黒い猫が丸まっているのが見て取れた。


「おぉ、かわいいね~。」夢は大多数の猫好きと同様に、にこにこと笑いながら猫を見る。

「そんなところでどうしたのかな~?」かわいいと思いつつも、降りられなくなった可能性も考慮して、夢は黒猫に声をかける。


「にゃ。」しかし夢の心配とは裏腹に、黒猫はいとも軽々と木の枝を折り、石塀の上に降りてきた。

「わ、すごい。」しなやかな身のこなしを見せた黒猫に、夢は素直に感嘆する。

 わかっているのかいないのか、黒猫は石畳の上を歩きながら夢のいる場所を少し通り過ぎて、くるりと首だけで後ろを振り返った。


「にゃーん。」少し大きな声で黒猫は鳴く。

「え?」夢が首をかしげていると、黒猫はまた少し石塀の上を歩いて、そしてまた振り返った。

「にゃーん。」

「ついて来いってことかな。」

「にゃーん。」


 夢は、おろしていた買い物袋を肩にかけ直しながら、猫の進む先に何があるのか、確かめてみよう、という気分になった。夢が一歩歩き始めると、猫は住宅街の石塀の上をすたすたと歩き始める。猫の歩みは器用なもので、あまり幅の広くない塀の上でも優雅に尻尾を揺らしながら進んでいく。


 夢がその猫を追いかけているうちに、辺りはまた少し暗くなったようだった。時間のかからないはずのおつかいなのに、帰りが遅くなると母に怒られてしまうかもしれない。夢はそんな心配ごとを胸に抱きながらも、前を歩いている猫は、なぜだかその誘いに逆らえないような妙な気配を纏っている。


「どこ行くの?」その質問に猫は答えない。

 親に連絡しておいた方がいいだろうかと思い、ポケットからスマートフォンを取り出して確認する。

「あれ。」画面右上にある電波マークは、圏外の表示になっていた。

「にゃーん。」少し先の曲がり角で、夢を急かすように黒猫が鳴く。

「ごめんね、今行くよ。」夢は再びスマートフォンをポケットにしまって小走りで猫に追いついた。


 猫は再び歩き始める。その歩みはどんどんと細い路地へ向かっている。最初はいくつかの十字路を曲がって、そのうち家と家の間にあるわずかな隙間を潜り抜けるように促された。黒猫は石塀の上を歩いていたが、今では様々なところへと飛び移っている。


 なんだかふわふわとして覚束ない。猫に誘われる話は何度か聞いたことがあるけれど、実際に誘われてみると何とも言えない不思議な感じだ。この猫は、いったいどこまで行くのだろう。夢はそんなことをぼんやりと考えていた。


「にゃーん。」しばらく進むと、見慣れない階段の前に出た。

「どこ、ここ。」

 スマートフォンは相変わらず圏外だ。辺りはすっかり暗くなっていて、足元が少しずつ見えなくなっている。それなのに目の前にあるのは、茂る木々の中へと続いていく、石造りの階段だった。


「にゃーん。」

「ここ上って行くの?」夢はさっきまでは感じていなかったうすら寒い恐怖のようなものをわずかに感じた。森、と言うほどではないものの、それなりに光を遮って生い茂る木々は、夢の恐怖心をあおるには十分すぎるほどだった。


「にゃーん。」

「分かったよ。」夢は渋々といった体で階段へと足をかける。

 本当は引き返せばよかったのだろうけど、ここまで来たら進んでしまおうと夢は思った。黒猫の目は少し先の闇の中で光り、今さら帰ったりしないよね?と圧を掛けるように夢を見つめている。


「おっけー、今行く。」夢はほんの少し覚悟を決めて、スマートフォンに内蔵されたライトで足元を照らしながらも、転ばないように慎重に先へと歩みを進めた。


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