<黒い絵>
「主任、この絵が今度の夏の企画展の目玉になる未公開の絵ですか?」
「そうだよ、飯田君。どうだい、…凄さまじいだろう?」
「そうですね。画面が真っ黒に塗りつぶされていますね。でも、じっと見ているとその漆黒、違うな、光の反射がまるでない、吸い込まれるような黒、ブラックホールのような…これは暗黒ですけね。 その暗黒の中に良くは見えないけど何かが蠢いているような…、ダイナミズムがありますね。とても不気味です。見ているだけで不安になります。…主任はよくこんな絵を見つけてきましたね。」
「この絵はね、先代の館長が購入した絵だ。以前うちにいた学芸員が海外で手に入れたそうだ。」
「なんか…ずっと見ていると、魂が奪われそうですね。目を逸らせなくなります。」
「うん。そうだな。 人の心に直接介入して揺さぶってくる。まさに芸術だな。」
飯田君は主任と二人、倉庫でその絵を凝視していた。
「何でこの絵は常設の方に展示されていなかったんですかねぇ?」
「それがね。この絵は少し曰く付きでね…。この絵を購入した直後に館長は交通事故で亡くなってしまってね。購入した学芸員も帰国後すぐに急病で亡くなってしまって、購入レポートが作成されていないんだよ。作者が誰かもよくわからないんだ。作者名や作年、解説もできなかったんだよ。だから、一般常設展示できないので、倉庫に仕舞いっ放しだったんだよ。購入価格情報も、誰から購入したのかも分からなくなってしまったんだ。」
「へえ…。今回の展示のときのプレートにはなんて書きます?」
「そうだな、それだよな。困ったなあ。 タイトルは『無題』、作者は『不詳』、『20世紀初めの作品』『本美術館所蔵』とするかなあ。」
「そんなんアリですか?」
「普通はナシだな。でもそうするしか無いよなぁ。 そんなことより、この作品が見る人の心を動かすかどうかが大事だろう?」
「まあ、そうですね。」
「さて、企画展まであと2週間も無いよ? パンフやポストカードは間に合うんだろうな?」
「大丈夫です。」
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企画展は評判になった。特にあの作者不明の黒い絵は大きな反響を生んだ。評判が評判を生み、SNSや口コミがその評判を拡散した。いつもは閑散としている美術館に多くの人が訪れた。
ある評論家はその絵に『破滅と死』を感じ、絶賛した。またあるものは『ニーチェの深淵』つまり、「深淵をのぞき込むとき、深淵もまたおまえをのぞき込む」を具現していると評した。そのように高く評された絵ではあったが、そのポストカードはまったく売れなかった。
この絵の前に置かれたソファーには、多くの若者が座り、その絵を瞬きもせずただただ見つめていた。まるで、その絵に魂を吸い取られたかの様に…。魅了されていた。
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企画展の中日の2日前の暑い夏の日、美術館の入口でひとりの美大生が倒れた。冷房の効いた美術館の展示室から、外気温36℃の炎天下に出たことによるヒートショック?あるいは熱中症であった。彼はすぐに病院に運ばれ、処置を受けたが、意識がなかなか戻らなかった。
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「熱中症って、なかなかダメージが回復しないんだよね。」
「あら、あなたは熱中症になったことがあるの?」
「うん。まだ若い頃、理恵子サンと知り合う前の炎天下の道路で倒れたんだよ。その時、はじめて狭間の世界に行ったんだよ。」
「そこで、あなたは真理子お姉ちゃんと仲良くなった…と?」
「いや、あの時はまだ真理子サンもご存命だったよ。」
「そんな暑い日に、何をしに出かけたの?」
「薄々気づいているとは思うけど、あの頃の僕はオタク趣味だったんだ。コミケに行こうとして…」
「ホうホウ」
ミヤサワ君の顔を見ながら理恵子サンが悪い笑顔で相槌を打っている。
《しまったな》とミヤサワ君は思ったが、もう遅い。
「そこでお姉ちゃんと知り合った…と? その辺、詳しく教えてほしいわねぇ。」
「いや。真理子サンとお知り合いになったのは、真理子サンが狭間の世界にやってきてからだよ。」
「ホウホウ」
ミヤサワ君はニヤニヤしながら誰何する理恵子サンの、オバチャン攻撃に防戦一方で困っている。
「僕が愛しているのは理恵子サンだけだよ。」
突然のミヤサワ君の渾身の一撃に理恵子おばあさんの顔が赤くなった。理恵子サンはミヤサワ君から顔を逸らした。
「まあ、いいわ。この話しはまた今度にしましょう。ところで本日のミッションは何?」
「この美術館の夏の企画展の『絵』に見入られた魂を救い出すことだよ。」
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「すごい絵ね。真っ黒だわ。」
「そうだね。しっかりしていないと絵の中に吸い込まれそうだ。 ほら、あの絵の下に今回のターゲットの魂が居る。まだ命は切れてはいないようだな。」
絵のやや前方に透明な若者の魂が立っていた。じっとただただ絵を見ている。どうやら絵に魅入られてしまったようだ。
「おい! 君!」
ミヤサワ君の呼びかけが聞こえないのだろうか?その魂はただひたすらに絵を見ている。
「ちょっと、あなた!目を覚ましなさい!」
理恵子サンが孫の手でその魂の頭をどつく。そうすると、やっとその魂は正気を取り戻したようだ。
「え〜と。ここはどこですか?」
ミヤサワ君が状況を説明する。
「ここは美術館の展示室だよ。君は美術館の前の道で倒れて、魂だけがこの絵に吸い寄せられたんだよ。」
「え〜と、僕は死んだんでしょうか?」
「まだかろうじて生きているかな。でも、ここに居ると早晩この絵に吸い込まれて取り込まれてしまう。…ここを離れよう。」
「待って、あなた。この絵の中にはまだ閉じ込められている魂が居るわ。」
理恵子サンは孫の手を絵の暗黒の中に突っ込み、その中からいくつかの魂をかき出した。
「まだまだ引っ張り出せるわ。あなたは彼らを狭間の世界に案内して。」
ミヤサワ君は引っ張り出されてぼんやりしている魂を次から次へと狭間の世界へ送り出す。
理恵子サンの握る孫の手が絵の中の暗黒の何者かにつかまれた。
「あなた!手伝って!」
ミヤサワ君は理恵子サンの握る孫の手をいっしょに引っ張る。力比べだ。しばらくして、暗黒が裏返るようになって、その中から孫の手を掴んでいる何か黒いモノが絵の外に引きずり出された。べちゃっとその黒い者は床に落っこちた。
「これが『本体』だな。」
ミヤサワ君と理恵子サンはその黒いモノを孫の手でタコ殴りにした。やがてその黒いモノは小さくなって、やがて消えた。
「何とかなったな。」「何とかなりましたね。」
ミヤサワ君と理恵子サンは額の汗を拭い、ホッと息を付いた。
「さて、君はどうする? 生き返りたいかな、それとも他の魂の様にあの世に逝きたいかな?」
「生き返るって、まだ僕は死んではないのですか。」
「ああ、今ならまだ生き返ることもできるだろう。でも、一度死にかけているから、回復には時間がかかるし、…苦しいよ?」
「生き返ります。どうしたらよいか教えて下さい。」
「君の体(本体)は病院にいるから、そこまで送ろう。」
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「飯田君。何かこの絵、おかしくないかな?」
「そうですね。何か昨日よりつまらない絵になってしまったように感じます。」
「僕もそう思う。黒色が浅くなったように感じるねぇ。」
「吸い込まれるような暗黒ではなくなりましたね。ただの黒い板になってます。」
「中日の展示替えで、この絵は外そうか。」
「そうですね。その方が良いかもしれません。」
「じゃあ、僕から館長に相談するよ。」




