第4話「逃げたい夏、逃げない夏」 ──前編──
暑い。
それに尽きる。
灼けた地面から照り返す熱。
蝉の声すら遠く感じるほどのだるさ。
モルック棒を握る手のひらに、汗がにじんで滑る。
「うわー……また滑った。無理っす、これ。マジで溶ける……」
城戸先輩がタオルで顔を拭きながら笑う。
けど、その表情には少し疲れが見えた。
桜丘高校モルック部、夏の通常練習中。
合宿を数日後に控え、全員ピリついていた。
俺はと言えば――正直、限界に近かった。
「よっしゃ次、凛太郎。10本セット、続けて!」
若林先輩の声が飛ぶ。
反射的に「はい」と返したけれど、体は動きたくなかった。
(やめたいな……)
その言葉が、何度も心に浮かんでは消えた。
汗だくのユニフォーム。焼けた土の匂い。
練習しても、上手くなってる実感がない。
最近はスランプ気味で、ピンをうまく倒せなくなっていた。
フォームも崩れがちで、今井先輩に修正される回数が増えた。
みんなのレベルが上がっていくのを感じる。
そのぶん、自分だけが取り残されていく気がした。
(もともと俺、なんでここに入ったんだっけ……?)
(モルックなんて、やるつもりじゃなかったのに)
投げても投げても、うまくいかない。
当たらない。
焦る。
――つらい。
「はぁ……」
短く息をついて、何気なく空を見上げた。
真っ青な空。雲ひとつない。
なのに、自分の気持ちは、どんより曇っていた。
ふと、隣にいた今井先輩が言った。
「……凛太郎、やめたいって思ったことある?」
唐突な問いに、胸がギクリとした。
「……あります。今、まさにそう思ってます」
正直に答えた。
嘘をつく余裕も、見栄を張る気力も、今日はなかった。
けれど、今井先輩は少しも驚いた様子を見せず、ただうなずいた。
「俺も、あったよ。1年の夏。
暑いし、思うようにいかないし、誰よりも下手で。
何やってんだろ、ってずっと思ってた」
……先輩にも、そんな時期があったんだ。
今では部の柱みたいな人でも、そんな風に思っていたなんて。
「でも、なんかさ、辞めてもよかったけど、
“ここで辞めたら、この夏が全部、無駄になる気がして”さ。
だから、もう少しだけって思ってたら、続いてた」
その言葉に、少しだけ胸の中の曇りが晴れた気がした。
(無駄にしたくない……か)
俺が今まで、汗を流して投げた時間も、試合で悔しかった気持ちも、
――全部、無駄にはしたくない。
(つづく → 中編)