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終末の歌姫と滅びの子  作者: キー太郎
第三章 後半

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第174話 幕間 大切なもの(前編)

 イスタンブール下層の住人に「治安の悪い場所はどこか?」と訪ねれば、二つの地域の名前が上がる。


 一つはクーロン地区。リンファの生まれた地区であり、巨大なビルを中心に、大小さまざまなビルが立ち並ぶヤバい地区だ。違法建築の集合体、さらにその地区全体を金網が囲っているとなれば、何も知らない人ですら「あ、危ない場所なんだな」と視覚的にも分かるので実は案外親切なのかもしれないが……。


 兎に角、遠目に見るとクーロン地区単体で巨大な城のように見え、下層のどの位置からでもクーロンが見えると言われるほどの巨大スラムは、誰しもが納得の治安の悪い地域である。


 では、もう一つはどこか……。


 それは丁度クーロンとは真反対にある、南の港湾区だ。


 本来街を建設する際の資材搬入出場所として設けられた港湾区が、今の時代で治安が悪いと言われる所以は……港湾区にある怪しげな鍛冶屋のせい……などではなく、イスタンブール最大のブラックマーケットがあるからだ。


 壁のない海岸線から月が顔を見せる頃――港湾区は巨大なブラックマーケットに変貌する。巨大倉庫の中に設けられた店舗はもとより、通りにも見窄らしい露店が立ち並び、地面に広げたシートの上に無数の商品が並ぶのだ。


 ブラックマーケット自体は、港湾区でなくとも存在する。だが、ここの規模は他の追随を許さない規模で裏の人間だけでなく、表の人間も多く訪れることでも有名だ。


 モンスターの素材。

 違法武器。

 盗品。

 怪しげな薬。


 はもとより、


 天然物の食材。

 工場から流れてきた加工食品。

 手作りのアクセサリー。

 よく分からないガラクタ。


 などなど、ここで手に入らないものは、『愛』くらいだと言われるのも、納得の品揃えだ。そう……ここで手に入らないのは、『愛』くらいのもので、たとえば情報も商品として取り扱われている。


 そんなブラックマーケットを、肩で風を切って歩く青年が一人――ヒョウである。


 普段のヒョウらしくはない、我が物顔でブラックマーケットを歩く姿だが、店を構える人々はそんなヒョウにペコリと頭を下げる……まるでヒョウに気を使っているような素振りであるが、それも仕方がないだろう。


 なんせこのイスタンブール最大のブラックマーケットの元締めが、ヒョウなのだから。


 ヒョウ・ミナモト……ユーリの唯一無二の親友であり、凄腕の【情報屋】として広くこの世界に名を知らしめる男である。それと同時に、このブラックマーケットを取り纏める男でもあるのだ。


 加えてヒョウが元締めをするブラックマーケットは、イスタンブールだけではない。


 例えば旧ブルガリアのソフィア。

 例えば旧ハンガリーのブタペスト。

 例えば旧セルビアのベオグラード。


 等など、様々な都市でブラックマーケットを取り纏めるヒョウの存在は、もちろん【人文】からも危険視され、マークされ続けているのだが……如何せんヒョウの足取りも、そして顔すらも【人文】は掴めていない。


 それは偏にヒョウの持つ能力故だろう。


 今もヒョウに愛想よく頭を下げる男性がいるが、恐らくその二秒後にはヒョウの顔すら思い出せないだろう。それこそがヒョウの持つ能力の一つ。その場の主人として周囲に誤認させるというもの……つまり、マーケットの住人たちは、ヒョウの見た目では判断していない。


 マーケットの住人は、ヒョウの事をここを仕切っていると言われているガルタファミリーのドンだと誤認しているのだ。


 本来の元締めはヒョウであるが、表向きにはここや他のブラックマーケットもそれぞれ地元のマフィアが取り仕切っている事になっている。その情報を広く流すことで、ヒョウは自身の存在を、その地域のドンだと誤認させながら裏社会を牛耳っている。


 能力とマフィアを利用し、自身の存在を隠しながら情報を集める……それが【情報屋】ヒョウ・ミナモトの実態であり、【人文】をしても、そして【八咫烏】をしても捉えきれない理由でもある。


 それはもちろん、他のマフィアをしても、である。


 イスタンブール最大のファミリーである、レオーネファミリーがこのブラックマーケットを手中に入れられなかったのは、偏にヒョウの存在が大きいのだ。


 誰も知らない。

 誰も気が付かない。

 誰の記憶にも残らない。


 それがヒョウであり、それ故にヒョウの作り上げた巨大な組織の人間ですら、誰一人組織の実態どころかトップの本当の姿を掴めていないのだ。


 その能力の元は……遥か極東の島国の妖怪【ぬらりひょん】と呼ばれる存在だ。屋敷へ上がり込み、その家の人々が主人として扱ってしまうという妖怪。いつの頃からか、妖怪の総大将だなどと持ち上げられていたらしいが、ヒョウが宿しているのは元々の能力だけである。


 モンスターの格で言えば伝説レジェンドクラスくらいだろうか。とは言え、能力自体は戦闘には全く向かない。仮に人相手であれば、油断させることくらいは出来るだろうが、その先を達成するにはやはり己の実力がモノを言う。それだけの実力を身につけたヒョウの努力は、推して知るべしと言ったところだろう。


 ……いや、己の存在が揺らぎの中にあるからこそ、確固たる力を望み高みへと至ったのかもしれない。


 そうして身につけた力と能力を駆使し、マフィアを纏め、裏社会に途轍もない影響力を持つ男にまで昇りつめた……そんなヒョウが辿り着いた先は――港湾区の中でも外れの外れ。その日暮らしの住民や、世捨て人のような者たちが集う、所謂棄てられた土地である。


 そこに立つ、古びたアパートメントがヒョウの目的地だったようだ。旧時代の集合住宅をそのまま利用したそれだが、ひび割れた壁、錆びた階段、点滅する明かりと、どこからどう見ても裏社会に影響力がある男の住まいには見えない。


 錆びた階段に靴音を響かせ、ヒョウが向かうのは一番端の扉だ。旧時代に見られた物理式の鍵を取り出し、ヒョウが扉を開いた。


 鉄が軋む音が甲高く宵闇を切り裂くが、棄てられた土地では誰もそれに反応しない。ここでは何もかもが風の音と変わらないのだ。それが例えば悲鳴のような叫びだとしても。


 軋む扉を閉めたヒョウが、壁のスイッチを押すと薄暗い明かりが灯る。弱々しい光が照らすのは、がらんとしたワンルームだ。あるのはベッドが一つだけで、後は何も無い。


 ……そう、何も無い。


 それでもヒョウは顔色一つ変えずに、マットレスに腰掛けてゲートから一つの木枠を取り出し、それをベッドのヘッドレストに置いた。明かりの具合でよく見えないが、どうやら枠に収められているのは写真のようだ。


 この時代写真など金持ちの道楽以外の何物でもない。つまりかなりお金がかかるインテリアという訳だ。守銭奴のヒョウからするとかなり珍しいものだが、それを眺めるヒョウの視線から察するに、かなり大事な物なのだろう。


 それを暫し眺めていたヒョウだが、気持ちを切り替えるように大きく息を吐いて一つのコンソールを取り出した。


 小さな音を立てて立ち上がるホログラム。薄暗い部屋では、ホログラムの光のほうが強く、それが真剣なヒョウの顔を照らし出す。


 パタパタとキーボードを操作するヒョウが、「……中々集まらんな」とポツリと呟いた瞬間、ピクリと眉を動かしてホログラムを切った。息を殺すようにコンソールをゲートへとしまったヒョウが、代わりにゲートから刀を一振り引き抜いた。


 鞘に収まったままのそれを左手に、ヒョウが屈んだまま柄に右手を添える――ヒョウが察知しているのは、こちらに真っ直ぐ向かって来る気配だ。ただの気配なら気にする事はない。だが、相手は気配を殺すように慎重にこちらへ向かってきている。


「結構な手練れやな……」


 ニヤリと笑うヒョウに焦りはない。相手は中々やるようだが、この距離で気付けるならば刀の一振りで終わりだ。後はどのタイミングで殺るかだが……


「ここ、結構気に入っとんやけどな」


 出来たら扉や壁は壊したくないヒョウが、諦めたような笑顔を浮かべた瞬間……カンカンカンと錆びた階段が壊れるほどの足音を立てて気配が近づいてきた。


 急に隠す気が無くなった気配に……いや、それよりも――


 ヒョウがそれに気がついた瞬間、部屋の扉が勢いよくノックされる。それこそ「ドンドンドン」と音がアパート全体に響くくらい大きく強く――

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