291 ドラとエルフの愛の巣。
山肌に沿った石段を登りきると、その先に直径二キロほどの、火口跡がポッカリと空いていた。
長年の風化で細かな石が堆積し、内側は中心に向けて、なだらかな擂鉢状となっている。
白龍たちの立つ、外輪山のへりから見て真正面。
対岸の斜面に、ポツンと石造りの神殿が立っていた。
ダークエルフや獣人から見れば、充分に大きいといえる。
しかし、三十メートル越えのシルバーミストからすると、ちょっとした一軒家ぐらいにしか思えない。
尖塔が非対称に四本建っており、正面にアーチ状の入口が、門もなく虚ろに空いていた。
造りとしては、カルウィズの宮殿と大差がない。
白龍はただ黙って見つめてしまう。
慣れ親しんだ宮殿と酷似しており、大変に親しみが湧く。
けれども正直、こんなものかと思っていた。
密かに抱いていた期待が、大き過ぎたようだ。
ハッキリ言ってがっかりしている。
そんな白龍の気持ちを知ってか知らずか、ふんわりと合わせていた両手の中が騒がしくなる。
内側に曲げる指の腹を、ゴツンと叩く者がいた。
多分、リールーだろう。
白龍はドラゴンブレスならぬ、ドラゴン溜息をつきながら、その身を人型へ変えた。
突然吹き上がった濃霧が収縮すると、そこには龍人化した白龍とイース、サンフィルド、リールーの四人が立っている。
リールーが地面へ降りた途端、「ちっさ……」とつぶやくのが聞こえた。
すぐそばに巨大なスケルトンとゴーストがいるため、その瞳は赤く発光し、バングルから漏れる青い光が全身を包んでいる。
同じく瞳を赤く輝かせて、サンフィルドが首を傾げた。
「あれ? 俺もっとデカイと思ってたよ。
ドラゴンに合わせてさっ。すげーデカイやつ。
えっこれが本当に、ドラゴンの神殿なのかっ!?」
イースも、光る目を細めてつぶやく。
「うーん……これは、どうなんだろう……」
三人とも、白龍と同じ印象を持ったようだ。
隣に立つ、巨大スケルトンの頭蓋辺りから、「なんだあれ?」とか「ふつー」などの声が聞こえてくる。
白龍は首をコキリと鳴らして、思わず腕を組んでしまう。
別に悲しいこともなく、怒っているわけでもない。
そもそも白龍の記憶には、神殿だとか神に使えるとか、そんなものが一切無いからだ。
だからどんなに立派な神殿だったとしても、白龍の心は“ふーん”ぐらいにしか動かなかっただろう。
多分……
ただ……やはり、ポカンとしてしまう。
思考の中に、ポッカリと空白を感じていた。
大きな空白だ。
知らぬ間に、期待していたせいだろう。
白龍はそう考える。
それに、これで良かったかもしれない。
白狐の言うように記憶を消されたというのは、恐らく本当の事なのだろう。
ならばだ。
この程度のものが消えたからといって、何だと言うのだ?
白龍はつい最近、あの御方と直接会っている。
神殿など無くても会える。
その事は、白狐が教えてくれた。
ならばそれで良いではないか。
神殿など、ただのお飾りだ。
白龍の思考はぐるりと一周回って、その口元に微笑みを浮かばせていた。
白龍が笑みを浮かべるだけの、余裕を取り戻していると、いつの間にか龍人と化したフィア・フレイムがそばによってくる。
白龍はその顔を見て、ここに来るまでのフィア・フレイムとの会話を思い出す。
お互いの近況を話し合っていると、フィア・フレイムがダークエルフの事を、慈愛に満ちた目で語るのだ。
何て嬉しそうに語るのかと、羨ましくなった。
自分もつい最近まで、その様な目でダークエルフを愛でていた事だろう。
しかし今はもう、その様な純粋な目で語れない。
白龍は、自分がダークエルフの手で記憶を消されて、良いように扱われていた事を、フィア・フレイムに話せなかった。
話せばフィア・フレイムも、何らかの記憶操作が行われていると、言わなければいけない。
その時、彼はどんな目をするのだろうか?
何千年と培ってきた絆が、偽物だと言われたとき、彼はどう思うだろうか?
自分の事を振り返れば、そんなフィア・フレイムを見たくなかった。
そう考えると、よくもまあ白狐は自分へハッキリと、見せ付けたものだと恨めしくなる。
しかし不思議と白狐には、悪い感情を抱いていなかった。
自分は白狐のように、それができるだろうか?
フィア・フレイムにたいして?
そうグダグダと考えている間に、結局は記憶操作の事を、話せないでここまで登ってきたのだ。
その反動だろうか?
言えぬ代わりに、白狐がどれほど極薄な女かと、フィア・フレイムへ力説してしまった。
白龍はそこで我にかえり、傍へ立ったフィア・フレイムの足元を見る。
顔を見ずに、眼下の神殿を好意的に評価した。
「フィア・フレイムよ、良い神殿ではないか。
特に尖塔の配置が、遊び心を感じる」
神殿を褒められたフィア・フレイムが、白龍の横顔をけげんな表情で見つめた。
「シルバーミストよ、何を言っているのだ?
あれは神殿ではないぞ」
「なんだと?」
「あれは我々、フィア・フレイムドラゴンとダークエルフの、“ドラエルフ”友好の証として建てられたものだ。
“ドラとエルフの愛の巣”と呼んでいる。
あの中にはダークエルフから贈られてきた、友情の石が展示してあるのだ」
「ドラとエルフの愛の巣っ!?!? なんだそれはっ!?
い……いや、それはまあいい。
では貴様たちの神殿は、どこにあるのだ!?」
「ふむ、そうだな……」
フィア・フレイムは、今きた石段を振り返る。
遥か下方まで続く石段の先。
龍人の山吹色の瞳は暗闇でもハッキリと、離れて小さくなった円形広場をとらえていた。
「先ほどの戦闘で、熱量は充分に溜まっているだろう。
シルバーミストよ喜べ。すぐに神殿は、顕現するだろう」
「顕現……っ!?」
白龍は訳が分からず、ダークレッドの瞳をパチクリさせた――




